VIII−1.沿岸域管理の必要性と実現化のための提言
日本大学理工学部海洋建築工学科 横内 憲久 岡田 智秀
1. 沿岸域管理とその課題
1.1 沿岸域管理の必要性の背景
沿岸域が、我が国の国土空間のなかで、総合的に開発・整備を検討すべき地域であるとされたのは、1973年10月科学技術庁・海洋開発審議会の第1次答申といわれている。ただし、ここでは沿岸域という言葉は用いられてはおらず、沿岸域という空間概念が一般に認識されるようになったのは、1977年11月に閣議決定された第三次全国総合開発計画(三全総)以降である。
三全総のなかで、沿岸域は、「海岸線をはさむ陸域と海域」と定義され、水深の浅い海とそれに接続する陸を含んだ、海岸線に沿って延びる細長い帯状の空間をイメージしている。沿岸域は、陸と海という性質の異なる環境や生態系を含み、陸は海の、また海も陸からの影響を受ける環境特性を有しており、長尾義三*1は、陸と海とも異なる「第3の国土空間」と称し、その特殊性を表現している。
海岸線を有する市町村に人口の約半数が居住し、水産や海運業、工業立地など、さまざまな経済・産業活動が沿岸域で行われているわが国にとって、沿岸域はきわめて重要な空間である。さらに、近年では、遊漁人口3,700万人、プレジャーボートの保有数30万隻に代表されるように、沿岸域でのレジャーやレクリエーション利用が増加し、身近な自然体験の場所、余暇活動の場所としての重要性も増している。また、白砂青松の海岸に代表される沿岸域景観は、歴史的にもわれわれ日本人の心象風景でもある。そこは日本古来の文化を形成した空間であり、わが国の都市の多くが沿岸域に立地していることからもその重要性は明らかである。
しかし、経済発展を優先するあまり、結果的に、わが国は沿岸域のすぐれた環境や景観の多くを失うこととなってしまった。豊かな経済や快適な暮らしを手に入れはしたが、貴重な自然環境を失った代償は大きいといわざるを得ない。
このような沿岸域をめぐる現在の状況を整理すると次のようになる*2。
第1に、無秩序な沿岸域の利用が進行し、日本の海岸線の45%が人工構造物で固められた海岸になっている。また、約3万haの干潟を戦後だけで失い、藻場の消失とあわせて浅海生態系の破壊が進行している。その結果、重要な漁場や美しい浜辺も失われた。そして、海岸に散乱するゴミは手が付けられないほどであり、景観的にも環境の質の悪化が著しい。また、水質の悪化は多くの環境指標にも現れてきている。さらに、砂浜への車両等の進入による海浜植生の破壊、水産資源の持続的限度を超えた漁獲など、沿岸域の環境保全と利用のバランスを崩している例が最近目立っている。
第2に、利用者の増加により環境容量や空間収容力が許容量を越え、資源や環境をめぐる対立が生じている。遊漁者と漁業者をめぐる紛争、プレジャーボート問題など、利用者間の対立が各地で起こっている。このような利用者間対立は、当事者間での解決以外に解決手段がないことから、結果的に沿岸域利用者間の不公平や資源・環境の非効率的な利用を生み出している。
第3に、沿岸域の管理システムの複雑さ、一元的な管理に関する思想性のなさの問題である。現在の沿岸域の管理は場所や、陸海の違いによって監督官庁が異なる。このような複数の管理の同時的存在は、環境保全にたいしてマイナスであるばかりではなく、沿岸域の有効利用促進の障害にもなっている。さまざまな沿岸域利用が活発化した今日、分割管理の弊害は無視できないところまできている。
第4に、日本人は、沿岸域によって育まれた文化に生きているが、今まで沿岸域の重要性の認識は決して高いとはいえなかった。しかし、ナホトカ号重油流出事故で活躍したボランティアや、諫早湾干拓や名古屋・藤前干潟埋立てに反対する世論の高まりは、沿岸域環境に対する国民の関心の高さを示している。この点で、沿岸域環境の保全が、私たちの社会の共通認識となりつつあると考えられる。
以上のように、沿岸域をめぐる現在の問題点は、[1]沿岸域環境の保全の重要性が認識されながら、一方で沿岸域の環境が悪化していること、[2]沿岸域の利用頻度が高まり、利用者間の競合が非効率的な利用につながっていること、[3]こうした問題を一元的に解決するシステムがなく、非効率な利用と環境保全の遅れを引き起こしていることなどに集約される。
このような問題に対して、我が国が1996年に批准した国連海洋法条約では、沿岸国に海域管理の権利と義務を要請し、また、1998年の国土庁「21世紀の国土のグランドデザイン(いわゆる五全総)」では、新たに沿岸域圏という概念を設定して、より積極的に沿岸域管理の意義を強調するとともに、1999年に可決した改正海岸法では、国が定める「海岸保全基本方針」に基づいて、都道府県知事に「海岸保全基本計画」の策定を求めるなど解決の方途は徐々にではあるが示されている。
しかしながら、現状では、沿岸域に関係するすべての地域住民、漁業関係団体、立地産業、関連行政機関、地域に根ざしたNPOなど、あらゆる関係者によるコンセンサス・認知が得られているとはいいがたく、沿岸域を持続的に利用するためには、利用と保全の対立を越えて、新しい理念に基づいた、沿岸域を一元的に管理する沿岸域管理が必要とされる。
1.2 沿岸域管理の国内外の取組み
沿岸域管理は、Clark1*3やKay and Alder*4などの定義に見られるように「沿岸域の環境と生態系の持続可能な利用を進めるための総合的プランニング」である。国連環境開発会議の「アジェンダ21」でも沿岸域の持続的管理の必要性は認められ(第17章のAで「沿岸域の統合的管理」に言及)、利用の輻輳と拡大による環境悪化によって、沿岸域の持続可能な利用の実現が危機に瀕している現在、沿岸域管理は有効な解決策となると期待されている。
米国はじめ*5、オーストラリア*6*7、南アフリカ*8などの海洋環境に関する先進地でも、沿岸域管理の重要性は早くから認識され、特に米国では周知のように、1972年に「沿岸域管理法(Coastal Zone Management Act.)」が定められ、沿岸域で実際にそれが進められてきた*9(表1-1,表1-2)。
図1−1 各国の沿岸域の特徴と管理手法の比較*2
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図1−2 各国の沿岸域の特徴と管理手法の比較(つづき)*2
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国内でもその必要性は1980年代から主張されており*10*11、第四次全国総合開発計画のなかでも、国が沿岸域利用の基本理念や計画づくりの指針を示すことを決めている*12。また、前述したように「21世紀の国土のグランドデザイン」でも、「沿岸域圏」という概念を設定し、沿岸域管理の意義を強調している*13。
また、日本沿岸域学会では、21世紀の日本の沿岸域のあるべき姿を示し、沿岸域の利用と保全の新しい指針を提案するために「日本沿岸域学会・2000年アピール−沿岸域の持続的な利用と環境保全のための提言−」*2を発表した。ここでは、都道府県(広域管理主体)および市町村(狭域管理主体)が、当該沿岸域の環境保全を基調として、沿岸域の最適利用を図る「沿岸域総合管理計画」を策定することを具体的に示している。また、沿岸域総合管理計画の実行および実効を担保するために、「沿岸域総合管理法」の制定をも提案している。この法律は、現行の沿岸域利用・管理の個別法制である海岸法、港湾法、漁港法などの上位に位置するもの(いわゆるパラソル法的位置づけ)であり、これらの現行法制と基本的に矛盾するものではない*14。
このように、沿岸域管理は、諸外国では主に海洋に関わる環境・生態系問題の拡大への是正を端緒として進められてきたが、国土の狭小な我が国では環境問題に加えて、利用・開発の輻輳化の問題があり、沿岸域の総合的管理の実施が遅れてきたといえよう。しかしながら、前節で述べた沿岸域管理の必要性の認識は、関係各省庁および地方自治体等でも高まってきていることから、多くの先進事例を参考として、早急に法的に根拠性のある沿岸域管理の取り組みが望まれるものである。
これまで沿岸域管理の必要性およびその取り組みについて述べてきたが、これらについては、我が国においても断片的にではあるがかなり以前から語られてきている補注。しかし、これまで沿岸域管理の全体像が具現化できないのには、沿岸域管理の提示内容・方法、また、沿岸域をめぐる我が国特有の課題、あるいは国民性と言い換えてもよい状況があるからではないかと推測する。それらの課題等をまとめると、現状では、以下の3つに大別できよう。
[1]沿岸域管理によって現出する空間の具体的イメージの欠如
[2]沿岸域管理の達成手段の不明さ
[3]既存管理制度等とのコンフリクト(競合)
ここで、「[1]沿岸域管理によって現出する空間の具体的イメージの欠如」とは、沿岸域管理が環境の保全と利用の調整を果たしていくものであることは、多くの人々に概念として理解されようが、それが現実の空間としてどのようなものとなるのかがイメージできにくいということである。つまり、沿岸域管理の結果、人々はどのような空間としての環境や景観を得ることができるのかがあまりにもみえてこないのである。換言すれば、沿岸域管理が目標とする沿岸域空間・景観が的確に示されていないということになる。沿岸域管理の議論は、ともすると、理念や制度等またその整合性に重点がおかれてきたが、同時にそれにより現実に触れることになる、沿岸域の環境や景観のあり方を示すことも重要な課題である。
「[2]沿岸域管理の達成手段の不明さ」の達成手段とは、沿岸域管理の計画手法(過程)ではなく、管理に要する人材や資金調達等の実現化、また、環境保全と利用の共存のあり方などの具体的手段をさしている。我が国の海岸線延長距離は約3万5000kmもあり、世界7位とも8位*15ともいわれている。これを如何に管理していくか、また官民ともに経済的に逼迫している現状で、海岸環境整備などを伴う沿岸域管理を如何に実施していくかは大きな課題である。
一方、我が国の人口の約半数が沿岸域で生活をしている現在、沿岸域管理が目指している、環境保全を基調としたうえで、利用を行うには、保全と利用の共存を担保する具体的手段が必要となる。これらの達成手段の方向性がみえてこないと、沿岸域管理も前に進みにくいといわざるを得ない。
また、「[3]既存管理制度等とのコンフリクト(競合)」とは、現在、管轄が分かれて管理されている海岸、港湾、漁港、漁業、河川などを沿岸域管理のもとに一元化できるかという課題である。とくに、共同漁業権(漁業権)を有する漁場は、沿岸域の生物資源を利用し、地先海域の資源管理を行ってきた役割は大きいが、昨今の海洋性レクリエーションの普及に伴うレクリエーション利用者と漁業者との対立など沿岸海域の輻輳的利用が問題化している。そのため、漁業権や漁業補償などをはじめとする新たな沿岸域管理制度等の考え方が求められてきているといえよう。
補注;
たとえば、石井靖丸・今野修平らによる「沿岸域開発計画」(技報堂出版,1979)では、沿岸域の開発と保全の現状とあり方を述べており、長尾義三らは「沿岸域計画思考入門」(日本港湾協会,1982)および「ミチゲーションと第3の国土空間づくり」(共立出版,1998)で、さらに詳細に管理の方策を記している。また、沿岸域の都市域(ウォーターフロント)に関しては、横内憲久らが「ウォーターフロント開発の手法」(鹿島出版会,1988)や「ウォーターフロントの計画ノート」(共立出版,1994)で、技術論としては磯部雅彦らの「海岸の環境創造」(朝倉書店,1994)や「沿岸域における環境管理のあり方について」(日本沿岸域学会調査研究報告書No.5,1998)などがある。
《参考文献》
*1 長尾義三、横内憲久監修、ミチゲーションと第3の国土空間づくり、共立出版、1998
*2 日本沿岸域学会、2000年アピール委員会、日本沿岸域学会・2000年アピール―沿岸域の持続的な利用と環境保全のための提言―、2000
*3 Clark、 J.R. Coastal zone management for the new century, Ocean & Coastal Management, 37(2), pp. 191-216, 1998
*4 Kay, R. and Alder, J., Coastal Planning and Management, E&FN Spon, 375p, 1999
*5 Beatley, T., Brower, D.J. and Schwab, A.N., An Introduction to Coastal Zone Management, Island Press, 210p, 1994
*6 Cullen, P., Coastal zone management in Australia, Coastal Zone Management Journal, 10(3), pp. 183-212, 1982
*7 Wescott, G., The development and implementation of Australia's Oceans Policy, Tropical Coasts, pp.58-65, 2000
*8 Glavovic, B. C., Our coast for life: From policy to local action,36p, 2000
*9 Goodwin, J.W.et al., Protecting estuaries and coastal wetlands through state coastal zone management programs, Coastal Management, 27(2-3), pp.139-186, 1999
*10 松岡俊二、アメリカのウォーターフロント開発と沿岸域管理、 公害研究17(2)、1987
*11 重森曉、分権社会の政治経済学、青木書店、1992
*12 前田正孝、海洋・沿岸域利用をめぐる新しい動き(地球時代の港湾 特集)、港湾68(1)、1991
*13 国土庁計画・調整局総務課海洋室、沿岸域の総合的管理に向けて、国土庁、2000
*14 敷田麻実,横内憲久,今後の日本の沿岸域管理に関する研究,日本沿岸域学会論文集No.14、2002
*15 村田良平、海洋をめぐる世界と日本、成山堂書店,2001