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1.3 輸送の経済性のみ追求するコンテナ輸送への傾斜
1.3.1 勝敗を分ける港湾のコンテナ化
 マックリーン氏により生み出されたコンテナ輸送も、全世界に普及し始めると一人歩きを始めてゆく。特に、大洋を横断するタイプの国際間のコンテナ輸送では、各社の輸送システム上の相違はほとんど見られなくなった。つまり、コンテナ船と港湾のコンテナターミナルで輸送のネットワークを組むことであり、結果としてビジネスの勝ち負けは、どれだけ多くの貨物を集荷でき、それをそのネットワーク上で如何に効率よく輸送、そして、荷役するかに特化していった。それは、1970年代以降に顕著になる各国におけるコンテナ港湾開発競争である。米国に出遅れたとはいえ、日本の優れていたところは港湾開発にあったといえる。東京、横浜、名古屋、大阪、神戸という、いわゆる5大港には、コンテナターミナルがすばやく整備されていったため、日本の海上コンテナ輸送は世界のトップレベルに返り咲いた。同様に、ヨーロッパでもロッテルダムやハンブルグなどを中心にコンテナ港の開発が進み、その活力も老舗の米国さえしのぐに至った。コンテナ化を拒み続けたロンドン港の国際物流機能が消滅していったのも、この頃であった。結局、英国は、何もない北海沿岸の田舎町のフリクストウに、大規模な港湾開発をしてコンテナターミナルの整備し、生き残りを図らざるを得なかった。
 
1.3.2 東南アジア諸港の台頭
 このような先進諸港のコンテナ港湾開発に熱きまなざしを注いでいたのが、東南アジアの諸国であった。コストや人件費が格段に安いこれらの諸国に、コンテナターミナルを整備すれば商売になるとの狙いは見事に的中する。1980年代当初に日本の港を見習ってコンテナ港湾の開発に着手したシンガポールは、わずか10年でコンテナの取扱量が世界一になる偉業を成し遂げた。そのライバル港である香港も中国本土のベースポートとしての地理的優位性の力も借りて、シンガポールとの抜きつ抜かれつの激烈な港湾開発競争へと走っていった。(図5参照)この競争には周辺諸国も巻き込まれ、台湾、韓国、マレーシア、インドネシアから中国沿海部に至るまで、1990年代に入ると、巨大港湾がいくつもアジア域内に林立する状態となったのだ。この背景には、主要先進国の生産拠点がこの地域に移転していった好運もあろうが、なによりコンテナ輸送そのものが持つ機能とその効率の良さが、コンテナ港湾に経済的な恩恵をもたらし続けたと言えるであろう。
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図5 世界最大の港、香港(HIT公表資料より引用)
 
1.3.3 コンテナ港湾開発競争の弊害
 この頃になると、コンテナ輸送の弊害も生み出されるようになってくる。コンテナ輸送は本来、煩雑な在来輸送を避けて荷主に対してドア・ツー・ドアのスムースな輸送を提供する目的で導入された。ところが、国際間での港湾開発競争が激化してくると、港湾におけるコストや効率のみが重視されるようになり、規模の経済性を発揮できない中小港湾には、大陸間基幹航路の寄港を回避する動きも1990年代に顕著になった。同様に、内航海運など地域性の強い海運業は淘汰され続けた。結果として、大規模港湾間を航路ネットワークで結ぶ大手船社のコンテナ輸送サービスしか、海洋横断輸送システムとして選択できる余地が無くなってしまった。つまり、これは輸送システムの寡占化を意味し、個々のユーザーの持つ輸送ニーズの多様性は無視されることになる。例えば、日本発北米向け貨物も、船社ネットワークの経済性という観点から、一度他国の港まで輸送され、そこで積み替えられてから北米に再送される、などということがまかり通るようになった。このような物理的に無駄な輸送行程を望むユーザーなど誰もいないが、日本から北米へ直行させようとすると、その地域の港から直行便の数が少なくサプライチェインサイクルを組めなかったり、また、直行便を求めて国内の他港へ陸送すれば、大幅なコスト増を余儀なくしたりする。
 マックリーン氏の発案により、陸上の荷主の利益を守る発想で当初導入されたコンテナ輸送であったが、このように20世紀の終盤に入ると、海上と港湾上で如何に利益を生み出してゆくかの道具に、特化して行くのである。
1.4 赤道基幹航路ネットワーク方式の功罪
1.4.1 ハブ・アンド・スポーク方式の海洋横断輸送ネットワーク
 海上コンテナ輸送において、より多くの収益を生み出すロジックは、決して複雑なものではない。基本的に、規模の経済性を如何なく発揮できるようにすればよい。その方法は、コンテナ船を可能な限り大型化し、その船の経済性を発揮できるよう絶えずより多くの貨物を積載させるために、巨大なトランシップ港(積み替え港)にのみ寄港させるというしくみである。そのトランシップ港への周辺各国から集荷は、中小型船によるフィーダー輸送でまかなうという、構図である。コンテナ船の船型が大型化すればするほど、港への寄港回数はなるべく減らしたほうがコストはかからない。そのため、ごく限られたトランシップ港において大量なコンテナ貨物の積み降ろしをまとめて行うことになる。これがいわゆるハブ・アンド・スポーク方式の海洋横断輸送ネットワークである。
 
1.4.2 赤道基幹航路ネットワークの形成とコンテナ船の大型化
 問題は、どこにトランシップ港を求めるかである。多くの船社の弁を借りるまでもなく、トランシップ港は基本的にどこにあってもいいのだ。ここで、北米、アジア、ヨーロッパの3大経済地域を結ぶ地球の周回ルートを想定すると、大陸の地形の関係で本船航路は必ず赤道をまたぐ形でこの3者を結ぶことになる。その結果、最も理想的なネットワークは、まず、赤道付近のどこかにトランシップ港を構え、それらトランシップ港のあいだだけ、より大型のコンテナ船で往復させる方法である。これがいわゆる赤道基幹航路ネットワークの形成である。このようなネットワークは、ますますコンテナ船の大型化を助長し、実際、1990年代後半に入ってからの各船社のコンテナ船大型化競争は、熾烈を極めている。その先導を切ったのが、世界最大のロジスティクス企業となったMerskSealand社であり、現在この社の発注しているコンテナ船には、10,000TEUを優に越える積載能力を持つものもある。ライバル各社もこれに追随している。1990年初めの時期の標準的なコンテナ船の船型は、たかだか3,000〜4,000TEUであったが、わずか10年足らずのうちに3倍に大型化してしまったのだ。(図6参照)
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図6 コンテナ船の大型化と規模の経済
 (Intermodal Freight Transportationより引用して作成)
 
1.4.3 赤道基幹航路ネットワークの弊害
 以上のような、巨大トランシップ港と超大型コンテナ船が形成する赤道基幹航路ネットワークは、船社経営にとっては理想であったとしても、様々な弊害を露呈し始めた。まず、赤道基幹航路ネットワークはごく限られた地域しか結んでいないのだから、それから離れた地域の経済性は低下する。つまり、全地球的規模で見た場合、各地域隅々への極め細やかな物流サービスは成し得ない。その結果、地域間の経済格差を助長することになる。これは、我が国においても起こっている。東南アジア諸港の拡大により、国内の主要港は、すでにトランシップ港としての地位を失った。そのため、日本発着の多くの貨物はわざわざ他国の港で積み替え輸送される迂回ルートを選択せざるを得なくなってしまった。さらに愚かなことは、外国の港を使ったほうが安いという理由で、邦船社でさえ日本の港に基幹航路を向けないところまで出てきた。企業論理としては当然だろうが、その社の社員の家族・親兄弟・親族は、みな我が国の国民であることを考えると、なんとも釈然としない。
 赤道基幹航路ネットワーク形成の弊害は、それから離れた地域のみならず、トランシップ港が立地する地域にも深刻な影響を露呈し始めた。トランシップ港として世界に先駆けて成功したのはシンガポールである。シンガポール港は、年間1,000万TEUを越える取扱量を誇ったが、その結果、首都全体がコンテナターミナルで覆われる結果となり、ブランド品の買い物需要を除けば、その観光資源は大きな打撃を受けたといえよう。
 
1.4.4 赤道基幹航路ネットワークへの集中が生み出す環境破壊
 さらに、深刻な問題なのは環境汚染である。例えば、シンガポールや香港のような巨大港を抱える地域の上空は、現在深刻な大気汚染に犯されているという。莫大な貨物が集中するのであるからそれを運ぶ船舶や車両の数も膨大となり、さらに付帯する物流活動も含めれば、これらトランシップ港周辺では、はなはだしい量の環境有害排気が大気中に放出されていることは、想像に難しくない。その汚染は、その地域のみならず近隣他地域や隣接国へ影響を及ぼし得るから、この問題の責任は、トランシップ港を開発したその国に求められてしかるべきである。しかし、そのような責任を追及する国際法は一切整備されておらず、それがまた、赤道基幹航路ネットワークを助長する一因にもなっている。環境破壊は、すでに成功したトランシップ港以外の地域にも波及してきた。1990年代に入って、赤道周辺地域でのトランシップ港の成功が確実になると、各国がトランシップ港の開発にこぞって乗り出した。その結果、貴重な自然環境を無視した乱開発も目立ってきた。(図7参照)例えば、東南アジアに新規に開発された港の多くは、熱帯雨林とマングローブの入り江を容赦なく切り刻んで作られたものもある。港湾は、海洋と陸上のインターフェースであるがゆえに、その開発は、沿岸域の自然環境に対して直接的な影響を与える。トランシップ港の開発が各国間で激化すれば、それはそのまま沿岸域の乱開発につながる恐れが極めて大きい。この責任は、港を開発する側のみならず、その港に寄港する船社にも向けられるべきであろう。
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図7 熱帯雨林とマングローブの入り江に開発中の巨大港、
 タンジュンペレパス港(撮影、渡邉 豊)
 
1.4.5 船社アライアンスとトランシップ港の危機
 皮肉なことであるが、経済的な側面においても、赤道基幹航路ネットワークは大いなるリスクを伴うようになってきた。トランシップ港が巨大化したと同じように、船会社も規模の経済性を享受するため、1990年代中頃より各国の主要船社は相互の合併、買収、提携を繰り返し、少数のグローバルアライアンス企業体を形成するに至った。このアライアンスが輸送するコンテナ貨物量は、当然のことながら膨大な量となる。したがって、もし、あるアライアンスが寄港するトランシップ港を変更したらどうなるだろうか。その港は一気に遊休状態となり、経済的には壊滅的な打撃を受けるであろう。そのまさかが、シンガポール港で起こったのだ。2001年1月に、世界最大の取扱量を誇るMerskSealand社がシンガポール港から撤退し、隣国マレーシアのタンジュンペレパス港へ移転してしまった。シンガポール港の失った貨物量は、年間で200万TEU以上と言われる。実際、その年の11月の状況では、平日の日中にもかかわらず港ががらがらである。(図8参照)たった一社が抜けただけで巨大港が危機に瀕するような事態になってきたのも、赤道基幹航路ネットワークによる海洋横断輸送システムの寡占化の弊害と言えよう。








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