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III.21世紀型海洋横断輸送システムへの脱皮
東京商船大学商船学部 渡邉 豊
1. 20世紀型コンテナ輸送システムの限界
1.1 20世紀における物流の革命児、コンテナ輸送
 ごく最近まで、“コンテナ輸送”という用語は“物流革命の代名詞”として用いられることが珍しくなかった。確かに、コンテナ輸送のおかげで千差万別の荷姿を持つ貨物が、コンテナという単一容器に入れられたあとは、国内のみならず国際間もスムースに輸送されるようになった事実は、依然として不動の地位を築いている。例えば、海上を経由して行われる貿易輸送を、コンテナ輸送と在来輸送で比較すると、その輸送効率の差は30倍以上と言われている。この差は決定的であり、我が国でも昭和42年に米国マトソン社が横浜港にコンテナ船を寄港させたことが直接の契機になり、邦船社もコンテナ化を余儀なくされ、日本の海運と港湾もコンテナ化の一途をたどった。そして、その後の20年間に全世界の主要港湾とそれを結ぶ航路は、ほぼすべてコンテナ化されるにいたったのである。(図1参照)
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図1 20世紀に物流革命を起こしたコンテナ輸送
(米国コーストガード提供資料により引用)
 それ以来さらに20年を経た現在に至っても、コンテナ輸送の基本的形態には大きな変化は見られない。つまり、コンテナ船を港湾のコンテナターミナルに着岸させてコンテナの荷役を行い、内陸輸送機関とリンクする方式である。国内においても40年近く、また、欧米においては50年もの時を経ても、依然として全世界の中枢輸送システムとして君臨し続けるコンテナ輸送は、まさに20世紀の革命児と言える。しかし、コンテナ輸送が産声を上げてから、すでに半世紀もの時間が過ぎているにもかかわらず、現在においても海洋横断輸送システムの主軸となっている点については、今一度検証してみる必要がある。特に、今後の21世紀における新しい海洋横断輸送システムへの脱皮を考える上においては、半世紀前に起こったコンテナ輸送の生い立ちを振り返ることが、我々に残されている唯一の教科書といえる。これを踏まえたうえで、社会が大きく変化した今、依然としてコンテナ輸送しか選択の余地がない現在の海洋横断輸送システムの限界は、どのような弊害を露呈しているのかを洗い出す必要がある。
1.2 コンテナ輸送の生い立ちと機能
1.2.1 コンテナ輸送の生みの親
 全世界の海洋横断システムを席巻し、半世紀を過ぎた現在でも物流システムの主役として君臨するコンテナ輸送は、いったい誰が生み出したのであろうか?この歴史に目を向ける者は少なくなったが、21世紀への“新たな脱皮”や“発想の転換”を考える上で、コンテナ輸送の生みの親への真実を知ることは、欠くべからざる見識となる。
 コンテナ輸送が最も頻繁かつ大量に行われているのが、巨大なコンテナ船を代表とする海上輸送であるから、その生い立ちも海事関係者に求められるであろうという短絡的直感は、見事に打ち砕かれる。コンテナ輸送の発想は、なんと海にはまったく関係のなかった、米国の一介の若手トラックドライバーによって生み出されたのだ。この男は、マルコム・マックリーン氏で、のちの世界最大の海運会社であるシーランド社の創始者である。(図2参照)マックリーン氏は、第二次世界大戦後、まさに男手一つで街中のトラック運転手として身を立てた。彼は、顧客を獲得する手段やしくみを発案する天才的な才能を持ち合わせていたと言われ、その才能をフルに発揮し、その後20年も満たぬうちに全米最大の路線トラック業者にのし上がっていった。一大物流企業を経営する立場に至っても、彼の物流合理化に対する意力は衰えず、従来バントラックであった輸送方法を、トレーラにコンテナを積んでトラクタで牽引する、いわゆるコンテナ輸送方式に転換を図った。彼の導入したコンテナトラック輸送方式は、その効率の良さから同業他社の追随を呼び、その結果、1950年代半ばには、すでに全米の州間トラック輸送の大半は、コンテナ輸送によってなされるようになった。
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図2 コンテナ輸送の生みの親、マルコム・マックリーン氏と世界初のコンテナ船 IDEAL‐X (Intermodal Freight Transportationより引用)
 
1.2.2 海運を飲み込んだコンテナトラック輸送
 しかし、この時点において、彼には大きな悩みがあった。それは、東海岸から南部の州都へ輸送業務であり、この場合、距離が長すぎるためトラック直行ではコストがかかりすぎるため、海運を経由せざるを得なかった。せっかくコンテナで内陸を輸送してきても、その当時の港と船は、在来輸送システムであったためにコンテナを受け付けず、結局、コンテナを港で一度開封して内部の貨物を取り出し船に積むという、前近代的手段に立ち戻らざるを得なかったのである。これに嫌気を切らしたマックリーン氏は、なんとタンカーを運航する海運会社を乗っ取り、タンカーを改造してコンテナ船を全世界に先駆けて就航させてしまった。
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図3 1960年代中頃の東京港(在来輸送のみ)
(東京都港湾局資料より引用)
 これが、そののち全世界の海洋横断システムを制覇することになる、海陸一貫コンテナ輸送システムの誕生である。先に述べたように、コンテナ輸送と在来輸送の効率は桁違いの差があるから、ライバル各社は好むと好まざるとにかかわらず、海上輸送のコンテナ化に猛進した。そして、1960年代初頭には、北米沿岸航路と港湾のほとんどはコンテナ輸送に転換されていった。
 
1.2.3 コンテナ輸送の世界制覇
 船会社の買収と海上輸送のコンテナ化に大成功を収めたマックリーン氏のビジネスも、その後大いに飛躍し、彼は傘下の船会社をシーランドと改名して、積極的に海上コンテナ輸送ビジネスに乗り出した。そして、1960年代半ばに、いよいよ大西洋航路にコンテナ輸送で介入して、ヨーロッパにコンテナ化の契機をもたらした。一方、太平洋岸ではマトソン社が負けずとコンテナ化を推進し、まず、北米西岸とハワイとの間にコンテナ航路を開設した。そして、ついにその延長線上にある日本にコンテナ船を寄港させてしまったのが、1967年の“その時”であった。このときまで、コンテナ化の導入に躊躇してきた邦船各社は存亡の危機に直面し、結局、我々の国税を投入して主要港にコンテナターミナルを整備するとともに、政府系金融機関による融資によりコンテナ船建造してやり、邦船社はかろうじて生き残った、というのが正直なところだ。(図3、図4参照)その後の歴史は、省略できよう。全世界がコンテナ化に巻き込まれ現在に至るだけだ。
 コンテナ輸送の歴史を物語る上で注目しなければならない点は、その発想が海事関係者から出たのではなかった、という点だ。21世紀に向けて新しい海洋横断システムを生み出すためには、この歴史を沈思黙考する意味があるであろう。
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図4 1960年代中頃のニューヨーク港(すでにコンテナ化)
(シーランド社資料より引用)








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