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事例24〜27 その他の沈没・乗揚げ事故
(1) 事例24 キシレン積載ケミカルタンカー沈没事故
 12月中旬、英仏海峡においてマルタ籍のケミカルタンカー(1,599総トン、16名乗組、積荷キシレン3,000トン)が、西寄りの風、風力8〜9の荒天下において左舷40度に及ぶ船体傾斜を起こし、救助信号を発信した。その後、総員が退船し救助用ヘリコプターにより救助された。
 駆逐艦が現場海域で監視業務にあたっていたが、サルベージ用の曳船が到着する前に本船は沈没した。
 本船からの流出物のモニタリングのため、計測用の航空機が投入されることとなった。
 キシレンは、オルトキシレン、メタキシレン及びパラキシレンに大別される。芳香族臭のある無色の液体であり、水より軽く水に難溶である。蒸気は空気よりも重く低所に滞留しやすく、また、爆発性混合物を形成しやすい。有害液体物質のC類物質である。
 
(2) 事例25 苛性ソーダ積載ケミカルタンカー乗揚げ事故
 6月初旬、トルコからイタリアのジェノバ向け航行中のマルタ籍ケミカルタンカー(3,990総トン、積荷苛性ソーダ水溶液4,200トン)が、ギリシャ南部沖で乗揚げた。人身事故及び海洋汚染事故は発生せず、潜水調査によれば船体に亀裂などは認められなかった。
 事故3日後、本船から他のケミカルタンカーへ貨物の一部の積み替えが行われ、2隻の曳船の支援を受けて再浮上に成功した。その後、付近の安全な海域へ投錨し、積み替えた貨物の積み戻しを行った。
 苛性ソーダ水溶液は腐食性物質である。アルミニウムはかなり腐食され、鉄及び銅はある程度腐食される。皮膚を激しく侵し、目に入ると失明するおそれがある。水より重いが、水に完溶である。有害液体物質のD類物質である。
 
(3) 事例26 リン酸積載ケミカルタンカー沈没事故
 2月上旬、地中海のギリシャのペロポネソス半島南方海域において、イタリアのジェノバからトルコ向け航行中のパナマ籍のケミカルタンカー(4,998総トン、積荷リン酸7,000トン)が、船体傾斜30度の緊急通信を発信した後、通信連絡が途絶えた。当初5隻の船舶と航空機により捜索が行われ、救命艇2隻と救命筏1隻が発見されたが、本船と18名の本船乗組員は発見できず、沈没したものと考えられた。
 沈没原因は明確でないが、当時、ギリシャ及び周辺諸国は悪天候に見舞われていた。
 貨物のリン酸の船体タンクからの流出があるかどうかは、すぐには明らかではないが、事故による海洋汚染や環境への影響はないであろうと報道された。
 リン酸は甘味臭の無色から微黄色の液体であり、水よりも重く水に完溶である。ほとんどの金属を腐食し、皮膚及び粘膜への刺激が強い。有害液体物質のD類物資である。
 
(4) 事例27 LPG船沈没事故
 3月下旬の夕刻、香港沿岸から2.5海里沖合において、塩田(Yantian)から泉州(Quanzhou)向けの中国籍のLPG船(1,140 総トン、積荷LPG750トン)が、パナマ籍のコンテナ船(7,289総トン)と衝突し、左舷船側におおよそ1m四方の破口を生じ水深約24mの地点にまもなく沈没した。乗組員15名は全員救助された。
 この沈没に際し、2つの貨物タンクが船体から離脱したため、タンクを孤立した海浜へ曳航しガスフリーを行い、事故約1週間後に完了した。
事例28〜30 LNG船事故
(1) 事例28 座礁事故(その1)
 LNG船(メンブレン方式、容量125,000m3)がアルジェリアから米国向け航行中、深夜23時50分頃、ジブラルタル沖ラ・パルダで漁船を避けようとして座礁した。内部の船体に損傷はなくLNGの漏れはなかった。運航船社はただちに通信衛星を利用する海外交信チームを編成し、船体に生ずる曲げモーメントやせん断応力などの応力計算が行われた。
 2人の潜水夫と海洋専門家が現地に到着し、サルベージ会社の海洋技術者と協議し、損傷状況の調査を実施したところ、積荷を積んでいる長さにわたって船底に重大な損傷をおこしたが、カーゴタンクの損傷は認められず、船体を軽くすることにより再浮上が可能であることがわかった。
 6時間ごとの気象状況、船の座礁状況等がチェックされ、圧縮空気の送り込みにより座礁部分から流入する海水の排除を行い、5日後の満潮時にタグボートの助力を得て、離礁に成功した。
 浮上後、船をスペインの安全な水域(ジブラルタル・ベイ)までタグで曳航した。
 姉妹船にLNGを移送する作業計画がスペイン当局により許可され、本船と姉妹船との間にフェンダーを取り付け、係留ワイヤで両船を固定した。両船の間にプラットホームをつくり、移送用低温フレキシブルホースをわたし、コンピュータで船体の曲げ応力、喫水線等を監視しながらLNGの船間輸送を行った。移送には40時間かかり、離礁7日後に完了した。
 その後、リスボンで応急修理を行い、自力でダンケルクに到着、本格修理を行った。
 
(2) 事例29 漂流事故
 米国籍LNG船(モス方式、83,100総トン、容量125,000m3)が午後3時40分頃、インドネシアのバタック基地から日本に向かい、ミンダナオ沖22マイルを航行中、突然蒸気タービンが過速停止し航行不能となった。幸い天侯は良好であった。
 翌日姉妹船が到着し、タグボートが来るまで付近の警戒を行った。
 事故2日後の朝、曳船(1,800馬力)が到着し、本船に引網をかけ本船の安全を保った。さらに、翌日4,000馬力の曳船が到着し、フィリピン政府の許可を受けミンダナオ島のダバオ港へ曳航、事故6日後投錨した。錨地での海中調査の結果、プロペラの脱落が確認された。
 船間移送か、あるいは日本またはインドネシアの基地に曳航して荷揚げするか、検討が進められた結果、ミンダナオの安全な場所で船間移送を行うことが最適であると判断された。
 救助船には日本から帰航中のLNG船が選ばれ、投錨前日到着した同船との間で綿密な連絡が行われた。
 船間移送に用いた低温用ホースは、上記(1)で使用したものを借用し、両船間のクッション材であるフェンダーが空輸された。
 投錨翌日7時、天候状態が良好であることが確認され、両船の横付けが開始され、午後1時半、低温用ホースの取付けが完了し、1時間に4,500m3の移送割合で移送を行い、約30時間後に完了することができた。
 この間、LNGの流出はもちろんのこと、両船においていかなるガス漏洩も検知することはなかった。
 また、移送中受入相手船のベントは開放のまま実施した。
 本船は移送完了約2週間後、シンガポールにドライドック入りし、プロペラ脱落の要因となった船尾シャフト破断の修理を行った。
 
(3) 事例30 座礁事故(その2)
 米国籍のLNG船(モス方式、83,100総トン、容量125,000m3)が、インドネシアから日本への輸送において、9時30分頃、門司北西の六連島沖検疫描地付近に、荒天強風のため座礁した。
 ダブル・ボットム・タンクに亀裂が生じ、バラスト・タンクに浸水し船体が4度傾斜したが、LNGタンクには損傷なく、燃料油及びLNGの漏出はなかった。また、爆発の危険もないため、31名の米国人船員は全員乗船したままであった。
 当初、サルベージ会社はハーバータグを使って本船の離礁を試みたが、荒天のため難航した。同社の大型タグが出払っていたため、たまたま長崎に寄港していた別会社の大型タグ(1,500総トン、9,000ps)を急拠チャーターし、現場に急行させた。
 荒天のための離礁作業は難航し、一時は積荷のLNGを他のLNG船に瀬取らせることも考えられたが、大型タグの他8隻のハーバータグを駆使し、燃料油3,880トンを抜き取り、亀裂の生じたタンクに圧縮空気を注入した結果、座礁4日後の16時40分に浮揚し、離礁に成功した。同日17時58分本船は六連島沖に投錨した。
 投錨翌日、本船の調査を終え救助が完了した。本船は戸畑へ自力航行し、さらに、その翌日荷卸を完了した。
 戸畑出港後ガスフリーを終え、荷卸10日後長崎の造船所に入渠し、損傷状況を調査した。本船の損傷状況は、船底に穴があいているものの、LNGタンク自体に損傷はなく、修理は順調に進み、4ヶ月後に本船は運航を再開した。
6.3 日本沿岸域における事故事例
 HNSに係る日本沿岸域における事故事例として、報道記事等に基づく代表的な事故事例を以下に示す。
事例31 パラキシレン事故
(1) 事故概要
 1980年(昭和55年)7月7日未明午前2時40分頃、濃霧注意報発令中(視程100m前後)の香川県沖の備讃瀬戸において、川崎から岩国向けの日本のケミカルタンカー(697総トン、8名乗組、パラキシレン約1700KL積載)と、釜山から神戸向けの韓国籍コンテナ船(2,593総トン、19名乗組)が衝突し、ケミカルタンカーの左舷前部(タンク10区画のうち)1区画に直径約3mの穴があき、パラキシレン約170KLが流出した。
 
(2) 性状
 パラキシレンは前述のとおり、芳香族臭のある無色の液体であり、水より軽く水に難溶である。蒸気は空気よりも重く低所に滞留しやすく、また、爆発性混合物を形成しやすい。有害液体物質のC類物質である。
 
(3) 対応
 高松、玉野及び水島の各海上保安部から、巡視船、消防船等計7隻が出動して、現場付近で気化したパラキシレンの濃度を測定するとともに、航行する船舶に注意を与えた。
事例32 二塩化エチレン事故
(1) 事故概要
 1984年(昭和59年)5月6日午後11時40分頃、京浜港川崎区扇島沖に川崎で荷揚げ予定のため停泊中の日本のケミカルタンカー(499総トン、5名乗組、二塩化エチレン939トン積載)の右船首に、日本のタンカー(1,495総トン、11名乗組)が衝突し、ケミカルタンカーの4番タンクに長さ約5m、深さ約1.3mにわたってへこみができるとともに、亀裂が生じ二塩化エチレン約40 KLが流出した。
 
(2) 性状
 二塩化エチレンは前述のとおり、クロロホルム様の甘い臭いのある無色の液体であり、また、水より重く水に不溶である。蒸気は空気よりも重く、引火性及び揮発性が大きい。有害液体物質のB類物質である。
 
(3) 対応
 爆発の危険があったため、ケミカルタンカーの乗組員5人は海中に飛び込み、衝突したタンカーにより救助された。
 現場付近は航泊禁止とされるととともに、消防船等により指導・警戒が行われた。
事例33 アクリロニトリル事故
(1) 事故概要
 濃霧注意報発令中(視程500m〜1km)の来鳥海峡航路内において、1986年(昭和61年)7月14日21時45分頃、大分から神戸に向かう日本のフェリー(6,378総トン、34名乗組)と水島から松山に向かう日本のケミカルタンカー(199総トン、5名乗組)が衝突した。
 フェリーの船首がケミカルタンカーの右舷2番タンク付近に食い込んだ状態で漂流し、ケミカルタンカーから積荷のアクリロニトリル400トンのうち一部(100〜150トン)が流出した。両船の衝突後、さらにフェリーに貨物船(699総トン、8名乗組)が追突した。
 
(2) 性状
 アクリロニトリルは前述のとおり、無色の変質しやすい液体の物質で、流出すると水に溶けて蒸発する。揮発性があり、非常に可燃性が高い。
 
(3) 対応
 今治海上保安部等は巡視船艇11隻を出動させ、船主手配船とともにフェリーの乗客等の救出活動を実施し、事故発生から約3時間半後に救出が完了した。また、今治海上保安部は、付近海域半径500mにわたって船舶航行を制限した。
 流出したアクリロニトリルは、無色透明の液体で引火性、爆発性及び有毒性がある危険性の大きな物質であった。事故発生が夜間で濃霧であったため、流出状況の確認はできず、二次災害が懸念されたが、流出物は翌朝までに大部分が海水に溶解または自然拡散したものと思われ、大事には至らなかった。
 爆発の危険及び引き離した場合の沈没の危険があるため、フェリーとケミカルタンカーの引き離しは実施せず、翌朝からタグボート4隻で両船を付近海岸まで曳航し、ケミカルタンカーからアクリロニトリルの抜き取り作業を開始した。 
 なお、沿岸の波方消防署では、海岸約30kmにわたって広報車による「火気の使用厳禁」の広報を行った。








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