6.2 世界における事故事例
HNSに係る世界の事故事例として、IMOが編集した「化学汚染マニュアル」第6章に紹介されている固体危険物を含む事故事例及び海外の報道記事等に基づく代表的な事故事例を以下に示す。
事例1 塩化ビニルモノマー事故
(1) 事故概要
塩化ビニルモノマー(VCM)1,300トン以上を積載したガスタンカーが、港外15マイル沖合、水深82mの水域で沈没した。沈没地点は、多数の小島に囲まれた半閉鎖水域であり、外側周辺海域には自然保護区があった。
(2) 性状
VCMは毒性を有し、大気中では広範な濃度範囲(3.6〜23.0%)において爆発性/可燃性混合気が形成される。また、発癌性を持つと考えられている。さらに、VCMは非常に揮発性が高く、水面に流出した場合、一般に水面残留時間は短いと考えられている。
しかしながら、この事例では、水中のVCM残留時間は、水温の異なる境界層にVCMの液層が形成されたこと及び沈没水深が深い(82m)ことで長引いた。VCMの水溶性は、加圧下(水中の深い位置)では高まるためである。
(3) 対応
対応当局では、次のような対応措置が検討された。
・船体を海底の沈没地点においてコンクリート詰めにする。
・VCMを不活性物質(PVC)に変換する薬剤をタンクに注入する。
・タンクを爆破して破壊しVCMを放出させる。
・VCMを制御された方法で放出させる。
・VCMを水深82mの位置から別の船舶にポンプ移送する。
・船体を水深30mの位置まで引き上げた後、VCMを別の船舶にポンプ移送する。
諸般の状況から、最後の選択肢が最適であると考えられ、船体を水深30mの位置まで引き上げた後、VCM700トンが回収され、別のタンカーにポンプ移送された。
船体はタンクが空になった後に、海面まで引き上げ、造船所に回航した。
海水中及び大気中のVCMのモニタリング・プログラムは、船体と貨物のサルベージが終了するまで続けられた。サルベージ作業は、気象条件と安全面を考慮しながら夏に開始されたが完了したのは翌春であった。
サルベージ活動の初期段階において、沈没船体はキールが底になるよう姿勢を正しく直したため、海面においてVCMが検出された。このことから、少なくともタンク1基が損傷しており、VCMが漏出していると想定された。
VCMの一部は、タンク外に漏出し、左舷側とデッキの間にトラップされている疑いがあった。
サルベージ活動中に大量のVCMが突然に放出する事態を避けるため、デッキプレートに穴をあけ、PVCパイプを接続して、VCMを海面に導き、自然の分散または焼却処理することになった。
事例2 アクリロニトリル事故
(1) 事故概要
アクリロニトリル547トン及びドデシルベンゼン500トンを積載した小型ケミカルタンカーが、大型船常用航路の近く、海岸から52マイルの地点で衝突・沈没した。
(2) 性状
アクリロニトリルは無色の変質しやすい液体の物質で、流出すると水に溶けて蒸発する。爆発範囲3〜17%で揮発性があり、非常に可燃性が高い。光にさらされると重合爆発を起こすことがある。海洋生物に対して、中程度の毒性を呈する。生物蓄積性はないと考えられている。許容濃度は2ppmである。
ドデシルベンゼンは液体で、流出すると水面に浮かび、可燃性はないと考えられている。海洋生物に対して急性毒性は呈さず、生物蓄積性はないと考えられている。
(3) 対応
ドデシルベンゼンよりもアクリロニトリルの方が海洋環境に対して有害性が高いと考えられ、対応において優先されることになった。したがって、対応責任当局は、船舶からのアクリロニトリルの回収を命令した。
沈没船体の周囲には、海上18km、空域200mの立入禁止ゾーンが設けられた。サルベージ活動は、半没水型バージの水中メインデッキの上に船舶を引き上げ、この状態で港湾に移送することになった。最初の姿勢直し及び引き上げの試みでは、ケーブルが切れ船は再び沈んでしまった。
このため、船体を2つに切断し、水中で漏出しているタンクからアクリルニトリルを抜取り移送した後、2分された船体を別々に引き上げるという方法が採られることになった。
船体及び化学物質の回収を担当するサルベージ会社は、宿泊基地となる浮遊クレーン、半没水バージ及び緊急医療設備を備え、医療搬送ヘリコプターを持つ船舶並びに技術サポート/化学物質モニタリング船舶からなる船隊を編成した。サルベージ人員は、保護器具(すなわち、保護衣及び自給式呼吸装置)を装備した。クレーンには、自動ガス検知警報システムが取り付けられた。
サルベージチームには化学専門家も加わり、また、海軍のフリゲート艦が周辺海域一帯の警戒に当たった。
作業は延べ73日に及び、うち25日は生産的な活動が実施できた。悪天侯と大気中の化学物質濃度が高いことで、作業に遅れが生じた。沈没地点の周辺では、海水及び大気のサンプルが採取され、危険な高濃度のアクリルニトリルが検出され、タンクが破損している可能性が示唆された。
事例3 スチレンモノマー事故
(1) 事故概要
港湾の入り口において、沿岸船がケミカルタンカーと衝突した。衝突の衝撃によって、ステレンモノマー310トンが入った舷側タンクNO.2が損傷した。このため、230トンのスチレンモノマーが流出した。
(2) 性状
スチレンは、無色の特有の強い臭いを有する液体で水に不溶である。流出すると水面に浮かんで蒸発し、爆発範囲1.1〜6.1%の可燃性の物質である。また、有害液体物質のB類に分類される。海洋生物に対して中程度の毒性を呈し、許容濃度は50ppmである。生物蓄積性はないと考えられているが、海洋生物を汚染する可能性がある。
(3) 対応
損傷したタンクに残ったスチレンは、別のタンクに移送された。流出量を減らすため、ダイバーによって損傷箇所は木栓でふさがれた。タンカー周辺に展張されたオイルフェンスは、流出物をせき止め包囲することができなかった。汚染モニタリングが実施され、魚介類には影響がないことが確認された。
事例4 アクリロニトリル、二塩化エチレン事故
(1) 事故概要
アクリロニトリル549トン及び二塩化エチレン3,013トンを積載した小型ケミカルタンカーが、沿岸16マイル沖合、水深約110mの海底に沈没した。
(2) 性状
アクリロニトリルは前述のとおり、無色の変質しやすい液体の物質で、流出すると水に溶けて蒸発する。揮発性があり、非常に可燃性が高い。
二塩化エチレンは無色油状の液体で、引火点13℃、爆発範囲6.2〜16%の可燃性物質である。流出後は水中に沈む。一部は水と混合する可能性がある。海洋生物に対して実質上毒性はなく、生物蓄積性や魚介類の汚染を示唆する証拠はない。
(3) 対応
責任当局は、船舶からの化学物質の回収命令を出した。
周辺海域一帯については、魚類の大量死など異常な現象に関する調査が行われた。
海面及び水中深度に応じた水質の変化をチェックするためのモニタリングが行われた。危険物の回収は3社によって行われた。潜水サポート舶舶は、20人のダイバーのための基地として用いられた。海洋調査船は、水上宿泊施設兼病院となった。この船には、医療用搬送用ヘリコプター甲板も備わっていた。その他、可動式ポンプシステム浮遊ポンプステーションの設備を備えた「はしけ」も動員された。
水中調査は、遠隔操作船(ROV)によって行われ、タンカーは船首が海底の泥に埋まり、船尾が海底から離れた状態で左舵側に12度傾いて沈んでいた。また、空になった舷側タンクは、水圧でつぶれていることが判明した。
危険物のアクリロニトリルは、タンクの1つのカーゴライン上の結合フランジから漏洩していることが明らかとなり、大水深ダイバーが特殊シールを用いて漏出を止める処置を行った。
調査の結果、船体構造に欠陥が生じていたため、船体の引揚げは選択肢には入っていなかった。アクリロニトリルは毒性が高く、環境中に放出されると分散する恐れがあることから、貨物の危険物回収が優先された。貨物はポンプで抜取りし、タンカー2隻に回収した。1隻はアクリロニトリルを、またもう1隻は二塩化エチレンを回収した。回収作業が完了したのは、タンカー沈没から5ヶ月後であった。
事例5 ペンタクロロフェノール、臭化水素酸事故
(1) 事故概要
数種類の危険物を積んだコンテナ船が、沿岸集落からわずか1kmを超えた河川湾部において、内陸に向かうバルクタンカーと衝突した。コンテナ船に積み込まれていたコンテナの一部が船外に落ち、水深11mの泥質の河川に沈んだ。船内に残ったコンテナも損傷した。船外に投げ出されたコンテナの1つには、23kgずつ紙袋に詰められたペンタクロロフェノール(PCP)16トンが入っており、3つのコンテナには臭化水素酸が人っていた。衝突の直後、船は刺激性の臭気を持つ白い煙霧に包まれた。
乗組員は船の換気システムを動かし、甲板下に避難した。
(2) 性状
PCPはフェノール臭を持つ固体で、殺虫剤、防腐剤や除草剤として用いられている。PCPは人体に対して急性毒性を呈し、吸入及び皮膚を通じて体内に吸収される可能性がある。吸入によって肺浮腫を起こすことがある。生物蓄積性が高く、水生生物にとって極めて毒性が強い。
臭化水素酸は無色ないし黄色の液体で、刺激臭を持つ。空気や光によって臭素を遊離し、暗色に変わる。目、皮膚及び気道に対して侵食性を呈する。水に混じると発熱反応を起こし、侵食性臭化水素ガスが発生する。空気中に酸と酸性蒸気の混合物が構成される煙がでる。
(3) 対応
地方政府は、周辺の村落から強い臭気についての苦情が発生したため、75名の住民を避難させた。
安全エリアが設けられ航路は閉鎖、緊急交通のみ通行が許された。
船舶のデッキカーゴの安定化、水没したコンテナの回収及び損傷したコンテナの除去のため、デリック、ホッパー・バージ等の重機が投入された。また、ダイバーが潜水しても安全か否かを判別するため、水質分析が行われた。
水没したコンテナから散乱した危険物の位置を確認するため、音響測深器、磁気記録計及びサイドスキャン・ソナーが用いられた。8日後にカラービデオ魚群探知機が投入され、捜索は成功した。
船外に投げ出きれたコンテナは回収された。臭化水素酸コンテナは、最初に引き上げられコンテナごと包装された。PCPが入ったコンテナはつぶれており、PCPの袋は水底に散乱していた。紙袋は水中で劣化した兆候が認められ、回収時に破損した。紙袋の散乱した範囲を割り出すため、一帯を碁盤の目に分割し、水底には水面まで突出する長い杭を打ち込んで境界線を明らかにした。
PCPは、エアリフト浚渫船によって水底土砂とともに回収された。「はしけ」に回収された泥水は静置分離され、水分は活性炭素フィルター処理を行い、水質検査により安全を確認した後、河川に放流された。また、固体物は分離し廃棄物処理場で処理された。
防除作業中の影響及びPCPの潜在的影響を明らかにするため、生物学的モニタリング・プログラムが導入された。
一般住民及び報道陣とのコミュニケーションは、危機管埋の一部分であると考えられた。泥質の水底土壌からの化学物質の回収、その後の土壌処理及び汚染された物資の処分を含めた対応活動は、35日にわたって行われた。