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◎濾沽湖と摩梭人◎
 雲南省と四川省との省境に、濾沽湖という透明度の高い美しい湖が、三千メートル級の山々に囲まれてひっそりとたたずんでいる(図[1])。土砂流入や湖畔の埋め立てなどで、年々減少傾向にある湖水面積は、現在おおよそ五〇平方キロ。その三分の一は雲南省寧イ族自治県(麗江地区)に、残りの三分の二は四川省塩源県(涼山イ族自治州)に属している。九八年に長江下流域で大水害が発生し、九八年末から九九年初にかけて、雲南省西北部・四川省南部などで天然林の伐採禁止令が発令された。林業収人が主要な財源であったこれらの地域では、林業依存型産業構造からの脱却を余儀なくされ、貧困撲滅基金や西部大開発といった資金面での裏付けを見込んで、その代替産業として観光産業がにわかに注目されるようになった。
図[1]濾沽湖の位置
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湖で洗濯をする摩梭人
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歓迎の宴で出迎える摩梭人
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 濾沽湖周辺は天然林伐採禁止区域に指定されており、省境はまさに湖面の上を通っている。それゆえに、濾沽湖の観光開発は、生態環境保護の面からも、雲南省と四川省の協調関係が必要不可欠であり、既述した観光産業の育成における課題から、中国で最も注目されている事例の一つである。
 濾沽湖の観光地としての魅力は、壮麗な自然景観と、湖畔に住む摩梭人と呼ばれる人々が築きあげてきた人文景観、伝統文化・風習などが一体化したものである。濾沽湖周辺にはイ族・チベット族・ナシ族・リス族・プミ族などが住んでいるが、摩梭人たちは独自の民族的アイデンティティを保有している。
 中国は五六民族からなる多民族国家であるが、五〇年代に行われた民族識別工作で国家が認定した民族のみ、何々「族」と呼ばれる。摩梭人はこの民族識別工作の際、雲南側ではナシ族かプミ族に、四川側ではモンゴル族に分類された。雲南側では八○年代半ばに摩梭人から出された民族籍変更要求を重視して、新たに民族籍を設けることこそしなかったが、通称として「摩梭人」の使用を認め、今では周囲の少数民族のみならず全国的にもその名で認知されるようになった。現在、摩梭人の身分証明書の民族籍欄は、雲南側では「摩梭人」、四川側では今なお「モンゴル族」となっている(註2)。正確な統計はわからないが、「摩梭人」は湖岸周囲約四〇キロの濾沽湖を囲むように集落を形成し、雲南側におおよそ一・五万人、四川側にもほぼ同数が住んでいると思われる。
 摩梭人の伝統文化のなかで、最も珍しく周囲の少数民族と異なるのが、「走婚」制と呼ばれる婚姻風習とその基盤となる母系大家族社会である(註3)。「男は娶らず、女は嫁がず」を基本とする走婚制は、通い婚の一種である。相思相愛の男女は各々自分の生家に住み、婚姻関係は夜間に男性が女性の家を訪れて築かれ、夜明けとともに男性は自宅へと帰っていく。子どもが生まれるとその養育はもっぱら女性の家で行われ、男性に養育の義務は一切ない。つまるところ、摩梭人家庭には父親・祖父など父系家族成員は存在せず、母系家族成員にのみ次世代が形成されていく。母系大家族を支える摩梭人の住宅は大規模な四合院形式で、中庭を取り囲むよう四方に木造校倉作りの建物が配置されている。湖面に映るその姿は独特の趣を醸し出す。
 こうした摩梭人の走婚制を初めとする伝統文化は、たぐい稀な民族観光資源となる可能性を秘めていた。八○年代後半から九〇年代にかけて、様々なメディアによって、「人類婚姻史上の活きた化石」、より世俗的には「東方の女の国」といったイメージが構築されてきた。当初摩梭人たちは、外来の人に走婚制などを語りたがらず、こうしたイメージに戸惑いを感じていたが、九〇年代になるとむしろそれを利用して観光産業に参入する者がでてくるようになる。こうした自らの民族文化資本を主体的に活用して、下からの観光開発を成功させた事例を一つ紹介しておこう。








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