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◎濾活湖観光―雲南「成功」、四川のあせり◎
 濾沽湖観光の現状を評して、中国語で「雲南出日四川雨」と表現される。つまり、雲南側は観光客が多く日の出の勢いで経済成長しつつあるが、四川側はさっぱりだめということである。二〇〇〇年に雲南側濾沽湖を訪問した観光客数は二三万人にも達したのに対し、四川側は一万人にも満たなかった。飽和状態に陥りつつある落水村以外にも、雲南側では永寧鎮・中史村・達坡村・温泉村・里格村・里色村などが新たな民族観光地として育ってきている。一方の四川側は濾沽湖鎮(註9)と凹夸村に数軒の宿泊施設がある程度に過ぎない。なぜこうした格差が生じたのか、濾沽湖観光へのアクセスから検討しよう。
民宿の中庭で行われる夜の宴
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里務比島のチベット寺院
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 濾沽湖観光への雲南側のゲートウェイは麗江族自治県、四川側は西昌市・攀枝花市である(図[1])。麗江から濾沽湖までは以前三〇〇キロを超える道のりであったが、バイパス道路の開通で現在は約二二〇キロに短縮された。舗装状況も良好なため、小型の観光バスなら五時間ほど、オンボロバスでも七時間あれば余裕でたどり着ける。
 一方、涼山イ族自治州の州都・西昌から濾沽湖までは約二八○キロの道のりであるが、山越えの連続なので問題なく運行されても約十時間かかる。ところが、しばしば問題が生じる。雲南省から四川省南部にかけてはモンスーンの影響で雨季と乾季に分かれ、濾沽湖周辺は長ければ五月から一〇月頃まで、短くとも六月から八月頃まで雨の日が続く。雨季に入ると西昌から濾沽湖までの道路は土砂崩れなどで寸断され、事実上は運行不能になる。四川側と比べて道路整備が良好な雲南側は、乾季はもちろん、雨季であっても運行不能に陥ることはめったにない。そこで雨季に四川側から濾沽湖ヘアクセスする時は、西昌からいったん南下して攀枝花まで行き、そこから西へ進んで雲南側に入り、寧経由で北上する迂回ルートを選択するしかない。攀枝花から濾沽湖まではおおよそ三二〇キロ、四川側の道路舗装状態が悪いので約九時間のバス旅行となり、皮肉なことに観光客たちは雲南側の濾沽湖に到着する。
 四川側にとってさらに不運なことに、国内観光客で溢れかえる中国の大型連休(五一・十一)が雨季の始まりと終わりにあたり、西昌に多くの観光客が集まる火把節(旧暦六月二四日)の頃はその真っ只中となるため、最も集客力のある季節に雲南側が一人勝ちするという構図ができている。そもそも濾沽湖観光のゲートウェイの知名度や集客力も、西昌より麗江の方が圧倒的に高い。
 こうしたアクセス事情から推察できるように、四川側濾沽湖の観光開発は雲南側よりも大きく遅れており、四川側はあせりをつのらせている。雲南側寧は九二年に対外開放されたが、四川側塩源が対外開放されたのは実に二〇〇〇年で、それまで濾沽湖に来た外国人旅行者は四川側に宿泊できなかった。二〇〇一年春に発表された「涼山州旅游発展総体規劃」によると、四川側濾沽湖は四大優先観光開発区の一つに指定され、西昌−濾沽湖鎮間の道路整備、摩梭人文化の保護とそれを展示する施設の建設、濾沽湖鎮の整備と観光拠点化、草海(四川側の低湿地)の保護・回復、生態環境保護などが目標に掲げられた。二一世紀に入って四川側濾沽湖の観光開発はようやく議事日程に挙がる。
 濾沽湖をめぐっての雲南側と四川側の協調関係もようやく構築されつつある。両省がともに参加した濾沽湖規劃管理協調会が二〇〇一年五月に開催され、互いに連絡を強化して濾沽湖の生態環境保護を共同で行うことが合意された。二〇〇一年一〇月の西南六省区市七方経済協調会第一七回会議でも、西南観光産業の共同開発が中心議題に挙がり、省や自治区を跨いだ大西南観光圏の形成が将来的課題として確認された。とは言ってもこうした省間協調はまだ始まったに過ぎない。
 雲南側と四川側の約一〇年間におよぶタイムラグは、濾沽湖観光の将来に関わる問題を顕在化させている。四川側は雲南側との競争心に燃えて、雲南に追いつき追い越せという姿勢で、雲南の現状を基点として、上からのかつ外からの観光開発を急いでいる観が否めない。二〇〇〇年末、涼山州政府は深市深華集団と四川側濾沽湖の共同開発に合意し、両者がともに出資して「濾沽湖女児国旅游開発有限責任公司」を設立した。涼山州政府側の出資率は三〇%で、この資金は六千ヘクタール弱の観光開発用地の土地使用権を期限付きで同集団に譲渡して捻出され、観光開発の計画・実施・経営・管理など全ての実務は同集団に委ねられる。土地使用権の譲渡で観光開発を民間企業に事実上丸投げする手法は、乱開発を招きかねないと、中国でも賛否両論の議論が存在する。
 雲南側ではこの一〇年の試行錯誤のなかで、ホスト側の経験を蓄積するとともに、持続的発展指向の観光開発を下支えする住民の意識も育まれてきた。雲南側濾沽湖に観光客が飽きた時、観光化されていない摩梭人の生活が残る四川側に必ずチャンスが舞い込むであろう。その際、四川側は雲南側のこれまでの経験を踏まえて、後発組みの強みとするべきであり、筆者もそれを願ってやまない。
・・・〈大阪経済法科大学アジア研究所客員研究員〉
1 雲南観光の動態と戦略は別稿で論じているので、参照していただきたい。拙稿「中国雲南省の観光をめぐる動態と戦略」、東アジア研究第三二号、二〇〇一年、二五−四六頁。
2 「塩源県志」の「民族」の項ではモンゴル族となっているが、これに違和感があるのか、「濾沽湖風情」の項では濾沽湖人という呼称で語られている。《塩源県志》編纂委員会編「塩源県志」、四川民族出版社、二〇〇〇年。
3 摩椌人の婚姻形態は、A阿夏異居婚、B阿夏同居婚、C一夫一妻婚に分けられる。「阿夏」とは摩梭語で「親密な恋人」を意味し、ここでの走婚制はAをさす。近代化のなかで、摩梭人の婚姻形態もAからB・Cへと移行しつつあるが、現在でも九○%以上の男女が走婚制で、母系家族が六〇%を超える。
4 こうした不法行為に当初罰金が課せられていたが、九○年代初頭には事実上黙認されるようになっていた。
5 国家旅游局が行った観光プロモーション「九七中国旅游年」で、濾沽湖は「西南少数民族風情游」の枠で四川省の観光地として推奨された。民族観光地を他にもたくさん持つ雲南省が、濾沽湖を四川省に譲った形となったが、四川側の観光開発にほとんど影響を与えず、観光客は落水村や永寧鎮など雲南側濾沽湖に殺到した。
6 例えば、寧県政府と広州中超実業集団公司・深・三九旅游酒店集団公司が連合して設立した「雲南濾沽湖女児国旅游股有限公司」などが好例で、濾沽湖の観光開発に投資している。
7 他は、徳欽明永冰川、巍山古城・巍宝山、騰沖熱海・火山群、西収版納景区、石林旅游景区、九龍瀑布・羅手景区である。
8 レストランや土産物屋の経営者は外来の漢族や周辺の少数民族が多く、賃貸料は月に数百元程度である。外来のものが民宿経営に参入している事例は今のところ見当たらない。北京や広州から観光客として来て濾沽湖に魅せられ、レストラン経営などに参入した者もいる。
9 観光開発と絡んで二○〇一年春に、左所鎮からより知名度の高い濾沽湖鎮へと、地名が変更された。
[付記]本稿の作成にあたって、平成一三年度科学研究費補助金・基盤研究(A)(2)・課題番号一一六九一〇一八「中国四川盆地における生活空間の変容に関する研究」(研究代表者・石原潤)の一部を使用した。








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