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◎対立と調和の宮殿配置◎
 易に関してもう一点、紫禁城内の宮殿のネーミングと配置について述べておきたい。これは直接易と繋がるというより陰陽論として考えるべきところもあるのだが、紫禁城はさながらシンメトリーの見本市のような観がある。たとえば、先の宗廟と社稷壇も左右に対称的に配置されている。屋根のある廟と屋根のない壇との建築的な対称のみならず、一方は人間の神、一方は自然の神として宗教的にも対称になっている。
紫禁城保和殿雲龍階石
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 午門(午=南)を抜けて紫禁城の中へ入って行くと、右に文華殿、左に武英殿がある。文と武がシンメトリーになっているわけであるが、しかし実際には武英殿は練武場でもなく、清朝ではここで本を印刷した。いわゆる殿版である。この例からも窺いうるように、実質よりレトリックが重視されることが多い。大切なのはシンボリズムなのである。
 右側は方位としては東、東は陽が芽生えるところだからこちら側には皇太子関連の建物を集める(いわゆる「東宮」)、この文華殿も元来は皇太子の学問所であり、南三所も皇太子の居室であった。左側は西で、陽が衰え陰が盛んになる方位。だから、寿安宮や慈寧宮は皇后や宮妃たちの居所であった。
 紫禁城を前後に分けると、前方の太和殿、中和殿、保和殿という公的空間(ここで国家のセレモニーを行なう)に対して、後方の乾清宮、交泰殿、坤寧宮は皇帝と皇后のための私的空間であった。さらにこの乾清宮は皇帝(乾=天=陽=男)の、坤寧宮は皇后(坤=地=陰=女)の居室として対称を成している。この対立する二つの宮殿を調和させるのがその間に建てられた交泰殿である。といってもここが皇帝と皇后の寝室というわけではなく、清代では皇后を封じるセレモニーが行われた。大事なのはここでもコンテキスト上の意味づけなのである。
 そして、こうした諸々の対称・対立を全体として調和させているのが、中軸線上にあり、かつ宮城の中心に建てられている太和、中和、保和の三殿である。このいわば「和」の三殿のうち、中国に現存する最大の木造建築といわれる太和殿が紫禁城全体の核になる宮殿である。皇帝はここで種々の国家儀礼を行なって皇帝権力を誇示した。太和殿の中には、九層の台階によって組み上げられた巨大な須弥座があるが、これこそ須弥山的世界(宇宙)の中心に君臨する皇帝の玉座に他ならない。
 保和殿は、清朝ではここで宴会を催した。この宮殿は、うしろの階段の中央に嵌め込まれた巨大な石彫(雲龍階石)が有名である。皇帝は轎に乗ってこの上を昇降したのであろうが、これはおそらく、皇帝を現世や人間を超越した天子(天の子)として限りなく天に近づけるための装置だったのではないだろうか。雲の中を龍が昇天するさまを造型したこの石彫は、また神仙的な雰囲気も濃厚に漂わせている。
 右の両殿の間に建てられている中和殿は、その位置といいネーミングといい、いわば中心の中心、調和の中の調和というべきだが、実際の機能はこれら三大殿の中でも比較的小さく、清朝では皇帝が大和殿で儀礼を行なう前に身を寄せる控室のようなものだったと云われているから、実質的な中心はやはり太和殿ということになるだろう。
◎北京城の風水装置―景山と金水◎
 中国の都市の風水については、設計段階での明確な文献的証拠が少ない。たとえばソウルなどは、首都選定に際して風水師も参画させたという正式な記録が残っているが(「朝鮮王朝実録」)、中国の場合は正面切った資料が見当たらない。そこでいきおい、後の時点からの推測ないし解釈にならざるをえないのだが、北京の場合、中国の歴史学者もその風水的意味を認めるのは景山である。この場所は、元の時代には宮殿の北端に当たり延春閣という建物があったと云われるが、明代になって城の堀を造る時に出た土などを積み上げて人工の山を造営した。元の宮殿の一部を埋めることでモンゴルの「王気」を圧勝(御祓)しようとしたので「鎮山」とも呼ばれたという。こうした圧勝も風水的呪術の一部と云えなくはないが、この景山をより風水的に解釈すれば、宮城全体を守護し、そこへ生気を送り込むエネルギーの仲介点としての主山、坐山ということになる。なお、朝鮮ではそういう山を「鎮山」というのが一般的だが、中国では「鎮山」という用例は珍しい。
 この主山としての景山と対を成すのが山に対する水、玄武に対する朱雀としての「内金水」である。午門と太和門との間を横断して南側に大きくたわんでいる水路がそれである。元の時代から宮廷の用水として掘られたものだが、天上の天の川を地上に写し取ったもので、住時この上に牽牛・織女橋があったといわれる。中国の王都が天上的、宇宙的要素を取り込むことの一例である。
 この水路は、やはり南にたわんでいる天安門外のいわゆる「外金水」と内外で二重になっている。これらの水路は、風水説では「玉滞水」と呼ばれる。景山を中継して紫禁城内に流れ込んで来た生気がここで遮られて外へ漏れ出るのを免れるのだ、と読み解くのである。風水では、水は生気を導き生気を止めるという二面的性格を与えられている。そういう目で見ると、あの独特の曲線も、直進して来る大地のパワフルなエネルギーを必死に受け止めている故のたわみに見えてくるから不思議である。
(大阪市立大学教授中国思想史〉
参考文献
「しにか」一九九二年三月号特集「“古きよき北京”を求めて」大修館書店
陣高華著 佐竹靖彦訳「元の大都」一九八四年 中公新書
上田早苗・船越昭生「中国の歴史的都市」(「講座考古地理学3」所収 一九八五年 学生社)
趙正之「元大都平面規画復原的研究」「科技史文集」所収一九七九年
三浦國雄「北京城のマスタープラン」「気の中国文化」所収 一九九四年 創文社
デ・ホロート著 牧尾良海訳「風水」 一九七七年 大正大学出版部
西垣安比古「ソウル瞥見」「人環フォーラム」8 二〇〇〇年 京都大学大学院人間・環境学研究科
MEYER Jeffrey F.,"Feng-Shui of the Chinese City "History of Religion, 18-2, 1978.
一丁・雨露・洪涌「中国風水与建築選址」台湾版一九九九年 芸術家出版社








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