◎二つの地域にみる特徴◎
さて、東尾岐の伝統的養蜂に話をもどそう。
東尾岐の伝統的養蜂の特色は、ニホンミツバチが巣分かれする五月から六月の分蜂時期、適所にタッコを仕掛け、ハチ群が飛来し営巣するのを待つというものである。土地の人びとが考える適所にはいくつかある。標高四〇〇メートルを一つの境とし、上流域の谷間にある集落では家の軒端がよいといい、一方、下流域の山間が開けてくる平坦部に近い集落では、民家から少々離れた大木の下・祠堂社の軒端・墓場などを適所としタッコを設置する。
仕掛けたタッコに運よくニホンミツバチが飛来し営巣すれば、これを自宅のそばに移動し、管理下におく。そして十一月、気温が下がりハチたちが採蜜行動を行わなくなり越冬にはいる頃、人びとは採蜜を行うのである。その採蜜方法は、タッコの上下を塞いだ板をはがし、かきだすように巣を完全に取り去るきわめて掠奪的なものである。そのためハチ群は死滅・逃亡を余儀なくされる。こうして採った巣は鍋に入れ、火にかけて加熱して巣全体を丸ごと溶かし、冷えて蜜と蝋が分離するのを待って蜜を取り出すというものである。
このように東尾岐で伝承されてきた伝統的養蜂は、毎年、周囲の山野から飛来する野生群に養蜂の存立を依存し、獲得したハチ群を秋まで飼養し、ハチ群を死滅・逃亡させながら採蜜する単年型という特徴をもつ。
採蜜(福島県大沼郡会津高田町東尾岐・右上、右下、左上、左下の順)
もう一つ事例を紹介しよう。四国地方愛媛県石鎚山麓に位置する上浮穴郡美川村東川、この地でも伝統的養蜂が継承されている。
ここではニホンミツバチをミツ・ジミツと呼ぶ。これに対して養蜂家が飼養するセイヨウミツバチをヨウミツといって区別している。用いる巣箱は総じてミツドウ・ドウといい、これには形態・用材などによって二種類ある。一つはマルドウと呼ばれるスギ・サルスベリ・ツガなどを丸太を材料とし内部をくり貫いた円筒状の巣箱である。もう一つはカクドウ・ハコドウと呼ばれるクリなどの板材を張り合わせた直方体の巣箱である。どちらのミツドウも上部には天井となる板を打付けるが、底部には板は打付けず、持ち上げれば内部がのぞき込めるように台に乗せるだけの底抜け状になっている。これは飼養中のハチ群の管理と、後に述べる採蜜方法と深く関係しているのである。
先に紹介した東尾岐における伝統的養蜂と、この地域に継承される伝統的養蜂がもっとも異なる点は、ハチ群を通年で飼養するという、ハチ群を死滅させることなく採蜜し、所有群を維持もしくはその所有群からさらに拡大させていくための知識と技術を有している点である。
三月下旬から四月上旬、人びとはミツドウを置く場所をまわり、ハチが嫌う内部のゴミやクモの巣などを取り除き、バーナーで内壁を焦がしたり焼酎を内壁に吹き付けるのである。またツケアメと称し、前年に採った蜜やその絞りかすを内壁に塗り付けることもある。人びとはこうした作業の必要性を「ハチが好むからである」という。
この地域の場合、分蜂の時節に際してミツドウを適所に仕掛けるというものではない。ハチ群の飛来がなくとも、二、三年はミツドウを同じ場所に設置したままにして置くのである。場所の確保ということもあるが、その理由を「ヤマのセイキ(精気)を得なければミツは入らない」と、人びとは説明する。
では、この地域では、どのようにハチ群を獲得するのだろうか。
これには大きく二つの方法がある。一つは山野に仕掛けたミツドウに、ハチ群が飛来・営巣するのを待つというものである。そしてもう一つは自分が所有するハチ群がら巣分かれする分蜂群を分蜂直後に捕獲し、人為的に新たなミツドウに収容し営巣させるというものである。
この地域の分蜂時期は、おおよそ四月中旬から五月下旬である。とくに「八十八夜前後がもっともスワカレする」と言われる。
人びとは、ザツボク(落葉広葉樹)が繁茂する山中のタキ(嶽)と呼ぶ巨岩の迫り出した下部、ガケ(崖)と呼ぶ岩盤が切り立った所、大木の根元、道路沿いの防護壁の上などの、日当たりがよく一方が開けたような場所を適所と考え、ミツドウを置く。
これには「野生のハチ群」の獲得を強く意識したものと、養蜂者が所有しているハチ群からの巣分かれした分蜂群を獲得の対象としてミツドウを仕掛ける場合とがある。
人里から離れた山中にミツドウを仕掛け、そこにハチ群が飛来・営巣した時、人びとは山野に棲息する「野生のハチ群」であると解し、この場合「ミツをうける」「ミツをひろう」といった表現をする。こうした物言いからも窺えるように、野生群の獲得はきわめて稀で、〈自然から授かる〉、また獲得した養蜂者の〈運〉・〈ハチとの相性〉といったある種の宗教性をもった自然からの恩恵と解釈される。
これに対して、だれかが飼養する所有群から巣分かれした分蜂群を対象とする場合、ミツドウの設置は所有群を飼養する居住地周辺の適所が選ばれる。
常に所有群から分蜂したハチ群を、分蜂直後に人為的に捕獲しミツドウに収容できるとは限らない。こうした居住地周辺へのミツドウ設置は、人為的に捕獲することを逸した分蜂群の逃亡を阻止するための二次的な方策といえる。
そして、これをさらに注意してみていくと、所有群からの巣分かれを対象としたミツドウの設置には、
1、自分の所有群の中から分蜂するであろうミツドウを特定し、そこから飛び立った場合、飛来する範囲の適所にミツドウを仕掛けておくという場合。
2、自他問わず飼養されているハチ群がら巣分かれする分蜂群の飛来・営巣を想定してミツドウを仕掛けておく場合。があることがわかる。
このようにして、人びとはハチ群を獲得、その数を増やしていく。こうした所有群を核としての所有群数の拡大は、ハチ群を死滅させず蜜をしぼるという採蜜技術が前提条件となっている。
次にその採蜜の技術をみていこう。ここで行われる採蜜技術には二つの方法がある。一つは採蜜時、ハチ群を死滅させぬよう、巣の何割かを取り去り、後は越冬のために残しハチ群を維持するというもの、もう一つはオヤドウと呼ぶ採蜜しないハチの勢いのよい特定のミッドウを残してハチ群を維持し、それ以外の所有群は死滅させながら採蜜するというもので、前者は一つのミツドウを単位として維持を考える方法であり、後者は複数群の所有を前提として、所有群の総体の中で維持を考える方法であるといえる。
さて、巣の一部を残し、ハチ群を死滅させず採蜜する場合、採蜜時期は七月中旬から八月中旬までのおよそ一ヵ月の間である。なぜなら、
1、一定量の巣房を削除しても越冬までの残りの期間で越冬に必要な蜜を確保できる。
2、天候が比較的安定し、日中の日照によって蜂蜜をたらすのに適している。
3、気温が高い時期は、つまんだりしなければハチに刺されにくい。
採蜜は、午前中八時〜九時ごろから開始される。これにも理由がある。それは巣を切り取るのに適した気温があまり上がらない時間帯であること。そして、巣を採った後、日照を利用して蜜をたらすためという作業の流れの全体性にもとづいている。
作業はまずミツドウを逆さにし上部を下にし、開口した底部を上にするのである。そして先端を縛り円錐形にしたコモを開口部にすっぽりかぶせ、コモとミツドウとの間に隙間ができぬようにチューブ等でしめると、ミツドウの下方を金槌でトントン叩くのである。するとハチ群は、次第に上方へ上がりはじめコモの中に移動するのである。女王蜂を含むハチ群の大半が移動したのを確認するとコモを傍らに置き、ミツドウを横に寝せ、巣の側部と上部を切り取るための二種の道具を用いて巣房を巣から取り出すのである。この時も、できるだけハチを殺さぬように丁寧に扱われる。
こうして取り出された巣はザルなどに移す。そして日光にあて、その熱を利用し自然におとすという方法により、巣から蜜だけを分離させるのである。
愛媛県上浮穴郡美川村の伝統的養蜂(右上、左上、中段、下の順)