西日本の伝統的養蜂の技術
宅野 幸徳
日本各地ではニホンミツバチの伝統的養蜂が行われている。
筆者が直接のフィルドワークの調査や文献資料で確認できているニホンミツバチの養蜂の地域は、長崎県対馬、宮崎県椎葉村、中国山地地方、愛媛県、紀伊山地地方、伊那山地の長野県大鹿村、福島県会津地方である。これ以外の地域においても、ニホンミツバチの飼育がなされているところはあると考えられる。
ここでは、筆者がこれまでにフィルドワークを行った西日本各地の調査研究を中心として文献資料も参考にしながら、各地域の養蜂技術に視点をおきながら比較を試みてみたい。
◎ニホンミツバチの巣分かれ採取・方法[バケツを叩く民間信仰]◎
ニホンミツバチは四月から五月の快晴の日に巣分かれをする。快晴の午前中に女王バチと働きバチ、雄バチは群をなし巣箱を出て巣分かれする。巣分かれしたニホンミツバチは木の幹や股に留まることが多い。
[1]巣分かれ時に留まりやすい場所として、ミツウケを作る(奈良県十津川村)
[2]黒い布で包んだザルに留まるミツバチ群(和歌山県古座川町)
[3]左にはゴーラという巣箱と、上方には分蜂群の捕獲用オケがぶらさがっている(古座川町) |
[4]巣分かれの時、ニホンミツバチが逃げようとする方向に水道水を撒く。そうすると低いところに留まるとされている(古座川町) |
養蜂家は巣分かれ時期を判断するのに、三つの点に気をつけている。一つは巣分かれ前になると石台の上に据え付けている巣箱が湿って濡れた状態が見られる。この状況を和歌山県本宮町大瀬では「イキリナス」といっている。これはニホンミツバチ群が活発になりぬくもった状態からこのような状況が生じたのだと考えている。二つ目は、雄バチの巣の蓋が巣分かれの数日前にはドウの出入り口の周りに多く落ちていることである。これを和歌山県本宮町大瀬では「ボウシ」、和歌山県中津村では「ジンガサ」、和歌山県龍神村では「ヘカ」といっている。三つ目は、巣分かれ前には、巣箱の出入り口の前で働きバチと雄バチが舞う状況が見られる。この状況を三重県紀和町、和歌山県龍神村柳瀬、和歌山県熊野川鎌塚のいずれの場所でも「ヤツザカリ」といっている。養蜂家は、巣分かれ前になれば、天候状況も気にしながら巣箱やニホンミツバチの状況をよく観察している。
長崎県対馬地方、紀伊山地地方、中国山地地方の養蜂家は、巣分かれ時に共通したことを行っている。養蜂家は、分蜂前にニホンミツバチが巣分かれで留まりやすい場所をつくる。奈良県十津川村、和歌山県本宮町、和歌山県熊野川町では、スギの皮の外側を内にして弧の型にしてつくった「ミツウケ」といわれるものを、木の枝にぶらさげる方法をとる養蜂家もいる。この「ミツウケ」にはニホンミツバチの巣分かれのニホンミツバチ群がよく留まるようである。巣分かれ時期になると、サクラの木の皮を枝にぶら下げる養蜂家もいる。和歌山県古座川町では、ニホンミツバチの分蜂群がとまるように黒く塗った「オケ」や黒い布で包んだ「ザル」を木の枝からぶら下げる養蜂家もいる。こうした捕獲方法は宮崎県椎葉村でもみられる。椎葉村では、四〇センチぐらいの木の両サイドに針金を取りつけてつるしたものを木の枝にぶら下げる。
[5]分蜂群を捕獲する道具「ウッポウ」(島根県柿木村)
[6]上・木の皮で作られたミツウケ(奈良県十津川村、本宮町)下・ミツウケ(熊野川町) |
長崎県対馬の養蜂家の中には木の枝に「分蜂屋根」というものをくくりつけるものもある。愛媛県川之江市においては、分蜂群を捕えるため木の皮や薄い板をカサ状にしたものを、木の枝や軒下に吊るしているという報告がある。
このように各地の養蜂家は、ニホンミツバチの分蜂群を捕獲し易いように工夫している。
このほかの方法には、空のドウを設置することでニホンミツバチを捕獲する養蜂家もいる。空のドウの中には、ニホンミツバチを引き寄せるためにミツを塗って、山や家の周りに置いておくと、巣分かれしたニホンミツバチがその巣箱に入ることがある。長崎県対馬地方、紀伊山地地方では山々に巣箱を何本もおいている。養蜂家の中には、山々の広範囲に沢山のドウを置いていて、ドウの盗難にあったものもある。これを防ぐために、対馬地方、紀伊山地地方のいずれの地域でも、所有者がわかるように、ドウの表面に屋号や目印の番号を書いている養蜂家もいる。このようなドウを、対馬では「マチドウ」、紀伊山地地方では「マチウト」「マチバコ」「マチゴーラ」と呼んでいる。
分蜂時に、養蜂家は巣分かれのハチ群に水道の水をまいたり、バケツにいれていた水を、柄杓で水をまく方法をとっている。また、ある養蜂家は巣分かれ時にバケツを叩いたり、笛を吹いたりする。これは、こうした方法をとればニホンミツバチは木の低いところに留まると信じられているからである。養蜂家が、分蜂時に水を蒔くのは、ニホンミツバチが雨と勘違いをして羽根を濡らさないようにするために木の低い所に留まるのだと考えている。また、養蜂家はバケツを叩いたりするのは、ニホンミツバチが音の振動に驚き低い所にとまるのだとも考えている。
「ミツバチの文化史」(渡辺隆 筑摩書房)の中には、古代学者のヴェルギリウスは、「農耕詩」の中で、ミツバチの分封について書いており、解説が述べられている。それによれば、巣箱から飛び出した分封群に鈴の音やシンバルを聞かせれば、彼らはその音に誘われて所定の場所に集まって来ると説明している。ローマの農学者のヴァルローは、「農業論」の中で「ミツバチが……ミツバチが飛び去ってしまいそうなとき、手を叩いたりねシンバルを鳴らしさえすれば、彼らはすぐさま呼び戻すことができるからである。」
「分封群が遠くへ飛んで行ってしまうのを防止する最良の方法がドラなどで音を立ててミツバチに聞かせること、つまり“蜂鎮め”だと古代人たちは考えたわけである。」このようなことが、古代ギリシャでは行われていたことが、文献資料でわかるが、先に述べたが、今日の日本でもいまだに、実際にバケツを叩いたりして、音を鳴らすことがおこなわれていることは、両者が共通した考えであり、とても興味深いといえる。