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島原地方長崎県のハチ籠
 福田 道弘
 
◎竹籠を探す旅◎
 長崎県島原半島を中心に古来より引き継がれてき、現今、消滅寸前ともいえるニホンミツバチの飼育法がある。
 一九八六年五月、吉田忠晴(玉川大学ミツバチ科学研究施設主任教授)、小野正人(玉川大学農学部助教授)の両先生の島原半島の小浜町での、変わった場所に営巣するニホンミツバチの調査に同行した。
 小浜温泉の中心街から二キロほど離れた地点での調査も終わった。近くに道路脇の草払いをしていた中年の男性に声をかけた。この近辺でのニホンミツバチの飼育の様子などを尋ねるためである。
 竹籠に壁土を塗りミツバチを飼育する法が、この地で広く、ごく普通に行われているという。自身でも分蜂群をつかまえると、この法で飼育するとのことである。近くを探せば現物を見ることができるかもしれないという。
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前山氏宅に並べられた巣籠
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竹籠に壁土を塗って作られた伝統的なハチ籠
 初めて聞く話である。さっそく探してみることになった。車を止めては通りがかりの人や農作業中の人に尋ねる。答えは同じである。以前は見かけたが、近頃は見ないとの話もでてくる。
 南有馬町でメロンの選別、箱詰めをしている農家へ入った。主人に来意を告げ、側にいた青年に納屋の中を探してもらえないかと頼んだ。以前父親が使っていたものが残っていると思うと言い納屋の中に入っていった。暫くして青年は手ぶらで戻ってきた。整理をしてしまったようだ。
 その日は飼育用竹籠を見ることはできなかったが、昔話を聞くことができた。そして熱心に探せば必ず見ることができるであろうとの確信のようなものを感じた。
 その後、長崎、佐世保、平戸、松浦、大村などへ行く時は島原半島経由のコースをとった。時間のゆるすかぎり車を止めてはミツバチと竹籠のことについて尋ね歩いた。
 数年かけて島原半島を走り、歩きまわったのにミツバチと竹籠に出会わない。北有馬の堂の床下にミツバチがいるという話を聞いた。探しまわったが、確認できなかった。ミツバチを飼ったことのあるという方には各地で会うことができたが、話は全てひと昔前にさかのぼった。
 そのうち、その飼育法とニホンミツバチは、この地からは消滅したのでは、と思った。
 意欲も減退したが、機会があれば島原半島を訪れ、話を聞いては名刺を渡し、ミツバチと籠の情報の連絡をお願いした。
 話を聞き歩くうちにその輪郭といえるものがつかめてきた。
◎壁土を塗ったハチ籠の構造◎
 竹を巾一センチに割り、厚み二〜三ミリにへいでヒゴを作る。また巾一〜一・五センチ、厚み五ミリ、長さ六〇センチの縦骨を三十本作る、両者で高さ六〇センチ、直径四〇センチの円筒型の籠をあむ。その籠の中ほどの高さに四方に三センチの穴を開ける。二本の枝木を籠の中央で交差するように穴を通す。十文字に組み支えとする。
 直径一センチの藁縄をなう。中心から外周に渦巻状に巻き平面を作る。直径四〇センチの円形を作り、細い藁縄で結束する。古来、各地で敷物として使われた円座である。
 赤土や粘りの強い水田の土に、一〇センチに切った稲藁で作ったスサを混ぜ合わせる。それに水を加えて、こねて壁土を作る。
 円筒竹籠の外面に二センチの厚さに壁土を塗りつける。内外両面に塗ることもある。座布団より大きめの厚み一〇〜二〇センチの平べったい石を用意する。自然石や採石場で見つけ壁土塗り竹籠を置く台とする。
 晩春から初夏に巣分かれしたハチを見つけると、円座を持って行く。下面にハチを集める。準備しておいた平石の上に壁土を塗った竹籠を置き、ハチ下りの円座で蓋をする。各々の接触箇所は壁土で接着し固定する。
 竹籠の最下部、石と接する部分にハチの出入口を作る。生乾きの壁土を竹ベラで切り開く。高さ一センチ、横巾五〜一〇センチの巣門である。
 また、直径一センチの穴を格子状に開けた、厚さ一センチ、一〇センチ四方の平板を作り、嵌め込み巣門とする法もある。
 分蜂群をつかまえてから竹籠を作り初め、生乾きのままで飼いはじめることもある。
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巣箱の天井部にとりつけられた藁縄製の円座
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中央に十文字に組んだ木製の支えが見える
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朽ち果て棄てられたハチ籠








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