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10 スズメバチに対する防衛行動
 秋になると毎年スズメバチによるヒトヘの被害が報道され、社会問題化しているが、ニホンミツバチにとってもスズメバチは大敵である。小形のキイロスズメバチは、よくミツバチの巣箱の前で、空中での静止飛行をしながら帰って来る働き蜂を狙っている。たしかに被害はあるが、ニホンミツバチは一斉に尻を上げて左右に振り、威嚇、警戒信号を発するが、大して気に留めていない様子である。
 しかし同じスズメバチでも、相手が世界最大種のオオスズメバチとなると、ニホンミツバチの対応はまったく異なる。それはオオスズメバチが、個々の蜂が大きく強力なだけでなく、他種のスズメバチにはない集団攻撃で襲いかかり、初めからミツバチの巣全体を根こそぎ自分たちのものにしようとするからである。ニホンミツバチ側もまた、そのことを知っている。
 オオスズメバチに対するニホンミツバチの応戦の特徴は以下のようになる。
1・セイヨウミツバチに見られるような単独での迎撃はせず、むしろオオスズメバチが迫ると、巣門の中へと逃げ込んでしまう。
2・しかし巣の中では、大勢の蜂が集団で敵を包み込み、発熱により殺す行動に備える。一気に大勢の蜂が飛びかかれるように、巣門の内側でスクラムを組み、待ち構えるのである。オオスズメバチが巣内に侵入するまでの間、何日間もじっと待機することもあり、この「ろう城」が徹底した場合には採餌行動も途絶えてしまう。
3.オオスズメバチが侵入してくれば、たちまち数百匹の働き蜂が取り付き、飛翔筋による発熱で一気に加熱する。蜂のボール内部の温度は摂氏四五〜四七度に達し、その状態が二〇〜三〇分以上続く(図[17])。この間何匹かのニホンミツバチはオオスズメバチの強大なあごで咬み殺されるが、刺針行動はとらない。刺そうとしても大スズメバチの鎧のような体には歯が立たないこと、熱で倒せることを知っているからであろう。
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[17]捕食に来たキイロスズメバチがうかつに巣の入ロ近くに着地すると、大勢のニホンミツバチが包み込み、発熱で殺してしまう
 オオスズメバチの襲撃を未然に防ぐためのもうひとつの興味深い行動に、“かじり行動”がある。襲来していたオオスズメバチが立ち去ると、大勢の働き蜂が巣門からはい出てきて、クリーニングするようにあたりをかじるのが見られる。オオスズメバチ側が同巣の仲間を誘導するために付近に擦り付けて残していったマーキング物質を取り除こうとするのである(Ono et al.1995)。
11 ほ乳類に対する防衛
 哺乳類に対するニホンミツバチの防衛行動の報告はほとんどない。しかしツキノワグマとは分布域が一致しており、山に置いた巣箱が被害にあうことから、ツキノワグマが野生のニホンミツバチの巣を好むことは間違いない。そのほかにはテンが挙げられる。和歌山、岩手県下でテンに巣門を大きくかじられたニホンミツバチの巣を観察したことがある。セイヨウミツバチの巣箱がニホンザルにやられる例は時々耳にするので、山でニホンミツバチの巣が襲われる可能性は十分考えられる。しかしもっとも強力な天敵は、むしろ人間かもしれない。ミツバチ類の刺針は主にこれら哺乳類に対する防衛用に発達してきた。
 ミツバチの刺針行動の特徴として、刺すと先端付近の逆鈎のために針が敵の皮膚からぬけなくなり、刺針装置全体が体から取れて蜂が死ぬことはよく知られている。これがミツバチの刺針行動の基本形であるが、ニホンミツバチでは時として、刺しながら、自らも生き延びようとする行動が見られる。刺針部が取れそうになった時、ぐるぐる回り、針を引き戻そうとするのである。ニホンミツバチの毒液の成分はまだ調べられていないが、セイヨウミツバチでは生体アミン、ペプチド、酵素などからなり、個々の物質は毒物というよりは、元来ヒトほかの動物で重要な生理機能が知られる生理活性物質である(井上、一九八四)。また、女王蜂の毒はライバルの女王を殺すことが目的であり、成分的に働き蜂のものとは異なっている(加藤、一九九四)。
12 ニホンミツバチは病気にも強い
 ニホンミツバチはセイヨウミツバチに猛威をふるっているミツバチヘギイタダニに抵抗性であるばかりでなく(佐々木、一九八九)、病気にも強い。セイヨウミツバチを飼っていると、アメリカ腐蛆病、チョーク病などの病気にかかることがあるが、ニホンミツバチの群がこれらの病気でやられたという話は聞かない。インドからタイにかけてのceranaでは、ヨーロッパ腐蛆病やタイサックブルードと呼ばれる病気が蔓延した事実があり、不死身というはずはないので、ニホンミツバチは病気には強いということであろう。
13 ランとの特異な関係
 キンリョウヘン(シンビジウム属のラン)の花にニホンミツバチが誘因される不思議な現象についてはよく知られるようになった。私たちがこのことを最初に教わったのは、今から十四年前、熊本県八代市の福田氏からであった(福田、一九八八)。このランの鉢植えを置いておくと、ニホンミツバチの分蜂群がまるごとやってくるというので、半信半疑ながら鉢植えのランを用意し、開花を待つと、確かに働き蜂がやってきた(図[19])。しかし何と雄蜂までが訪花したのである。ミツバチの雄は英語でdrone(怠け者の意)と呼ばれ、交尾以外の一切の仕事をせず、訪花することもあり得ないというのが常識である。早速その事実をスイスのExperintia誌に発表した(Sasaki et al., 1991)。
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[19]鉢植えのランに飛来、花を埋めつくした分蜂群
 実際の働き蜂の訪花行動を見ると、花に潜り込んでも蜜を吸う様子がない。すぐに出ようともがき始める。しばらくしてやっと脱出するが、そのときに背中に花粉塊が付着しているのである。花の内部に蜜腺を探したが案の定それはなかった。これらのことは、キンリョウヘンヘの訪花が、花を花とは思わずに、何か別の理由で誘引されていることを暗示している。(図[18])
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[18]ランの花粉塊を背中につけ、花粉媒介をするニホンミツバチ
 私たちは最初、ランが女王物質かその関連の匂いを使って蜂を誘因しているのではないかと考えたが、それは、同じ9-oxo-decenoic acidを女王物質の主成分とするセイヨウミツバチがこのランには見向きもしないことから否定された。働き蜂と雄蜂のいずれをも誘引する要因として、集合フェロモンも考えたが、一九九〇年当時は、集合フェロモンも二種のミツバチで同じだと信じていたので、それではセイヨウミツバチが見向きもしないことを説明できない、と思ってしまった。その後、山岡亮平博士と、後に笹川浩美、松山茂両博士を加えたグループによる精力的な取り組みにより、キンリョウヘンの誘引物質の研究は意外な展開を見せた。すなわち、キンリョウヘンの花香成分にはニホンミツバチの集合フェロモンであるナサノフ腺の成分と共通成分がきわめて多く、一方これを機に、ニホンミツバチのナサノフフェロモンが、セイヨウミツバチのそれとはまったく異なることなどがわかったたのである。
 ではニホンミツバチほど頭のよい昆虫が、なぜランに騙されてしまうのであろうか?私たちはまだこの誘引現象を解明ができていないが、一つには、ニホンミツバチが実際に使っているフェロモン成分を利用しているので、蜂にしてみれば回避しようがない点が挙げられるだろう。ランの棲息密度が低く、被害を受けるといってもごく一部のミツバチだけであることも関係していると思われる(佐々木一九九八)。
 ところでこのキンリョウヘンは、中国雲南省付近の原産と考えられており、日本産ではない。日本で多数の園芸品種が育成されたのは明治時代以降である。とすればニホンミツバチは、明治時代になるまで、このランのことは知らなかったはずである。古く中国大陸で、このランがニホンミツバチの先祖種に当たるミツバチを操作し、ポリネーターとして働かせる術を進化させ、その祖先種が後に日本列島に分布を広げたと考えられる。その後日本海による隔離により蜂は日本亜種に分化したとすれば、ランがヒトの手により日本に導入された蜂と“再会 ”するまでの数万年もの間、蜂はこのランの匂いに誘引される性質を、一度も発現することなく“温存”してきたことになる。タイムトンネルを覗いているようではないか。中国や台湾のランの解説書をみると、キンリョウヘンに対し「蜜蜂蘭」、「蜂巧蘭」の異名が見られ、解説には「花の形が蜂に似ているから」とある。これはおそらく、ランの本の著者が憶測で書いたことであって、中国のceranaもキンリョウヘンに誘引される事実があり、人々が昔から蜜蜂ランと呼んできたものと推察される。この現象に最初に注目した福田氏が一九九五年春に雲南で聞き込み調査をしたところ、何人かの養蜂家から、実際にこのランに蜂が来るとの証言を得たとのことである。
14 ニホンミツバチの棲息の現状と将来
 ニホンミツバチは北海道を除く全国に分布するが、棲息の限界高度は標高一〇〇〇メートル前後で、一五○○メートルを越える高原や山地にはいない。中部山岳国立公園の上高地付近で長くニホンミツバチの保護活動に当たってこられた佐藤一二三氏によれば、乗鞍高原では一二〇〇メートル付近が営巣限界であるという。古くから「山蜂」と呼ばれてきたことからわかるように、ニホンミツバチは人里離れた深い山中にも棲める。しかし一方、最近では全国の都市部でもよく見かけるようになった。なぜであろうか。
 最後に、ニホンミツバチの将来について、住環境、食糧資源環境、競合種・天敵環境の三つの要因について吟味してみたい。
住環境…
古木がある自然の森が減っている点では厳しいが、ニホンミツバチには人工物でも利用できる潜在的な性質があるらしい。大井裏、縁の下、壁や戸袋、墓の中、道路のり面の排水口の中、放置された木箱の中など、多様な人工空間を住居として利用するようになっている。この点は今後も、彼らにとって好都合といえよう。
花資源環境…
山の中については、広葉樹や混交林の重要性への理解が深まりつつある現況は幸いといえよう。多様な樹種からなる広葉樹林では、いろいろな花が、人目にはつかないが、年間を通して咲いているからである。杉や桧は花が風媒花でミツバチの食資源としては役立たない。菜の花畑やレンゲ畑の減少は、産業養蜂には厳しいが、もともとそれらを頼りにしていなかったニホンミツバチにとっては、それほど問題とはならない。
 一方都会では、近年の園芸ブームで、一般家庭や公園に植栽される四季折々の花、花をつける街路樹は増えていて、これらが都市圏を住み良いものにしている。都市は、花資源環境が豊かなわりには、土が無く、蝶や蜂、ハナムグリといった昆虫たちには住み難く、その結果、本来多様な昆虫たちが分かち合うべき蜜や花粉資源が、ほとんど利用されることがない。それをミツバチが独り占めできると考えられるのである。この実状を認識すれば、ミツバチが増えたからといって、都会を「豊かな自然」が復活したとみるのは間違いである。
天敵および競合種環境…
ニホンミツバチの最大の天敵はオオスズメバチである。しかし「ニホンミツバチはこのオオスズメバチに守られている」という見方もできる。なぜなら、競合相手であるセイヨウミツバチが導入から百二十年を経てなお野生化できないでいるのが、オオスズメバチのおかげだからである。導人種であるセイヨウミツバチには、ニホンミツバチのような集団防衛能力がなく、巣が襲われると、次々と立ち向かって行っては噛み殺され、容易に全滅してしまう。
 さらに、低価格の国外産ハチミツが輸入され、養蜂家に飼われている採蜜用のセイヨウミツバチの群数が減少している。ここで余裕ができた花資源のニッチを、いち早く取り戻したのがニホンミツバチだったのではないか。しばらくはニホンミツバチの優勢は続くと思われる。
 <玉川大学教授>
 
参考文献 佐々木 正己「ニホンミツバチ 北限のApis cerana」海游舎 192pp(一九九九)
写真提供=海游舎








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