・ 上の子が中学部3年で下の子が小学部5年。聴力もまちまち。上の子は、口話一辺倒の学校だった。同級生も1人で、クラスの中で1人で勉強しており、のんびり屋さんで競争意識もないような子だ。2番目は引っ越して、同級生のみんながキュードと手話をミックスで使っている。上の子はキュードだけ。下の子は手話とキュードとミックスで、その下は、手話だけというふうに、学年によってもコミュニケーションの手段に違いがある。親としてもどれがいいのか分からない。ただ、キュードで話をしても、社会の中では通じない。手話が出来た方がいいのではないか。手話は言語だということは、認められてきている。我々は、誇りを持っている。自分達が納得しないのに、口話を教えられたから口話教育でいくのということではなく、今までの教育はもういい。自分達が聞こえないということで手話に対して自信を持って、コミュニケーション手段を使っていけばいいと思う。
・ あるろうあの夫婦に聞こえない子供が生まれて、ろう学校の教育相談に行った。話が分からないので、通訳を付けてほしいということを依頼したら、「あなたは口を読み取れるのだから、通訳は必要ない」と言われた。それでもめて、普通の保育所に子供を預けた。保育園の先生がその子のために一生懸命に手話を覚えて、楽しいコミュニケーションが出来たので、子供が明るくなった。毎年手話の力がどんどん伸びていく。大変驚いた。手話のイメージが非常に豊かな子供だ。それと合わせ、口話の能力も身に付けている。小さい時から自然に手話を身に付け、楽しいコミュニケーションが大事だ。
・ アメリカの話になるが、全ろう連盟本部事務所長の大杉さんがアメリカに10年間いて、ろう者の社会的な地位の高い人の中に、英語の読み書きの能力に長けている方がいることに気が付いた。どうしてなのか、小さな時から手話を身に付けていたからだとのことだ。
・ 娘は、ある日突然聞こえなくなった。それは、非常にショックだったが、聞こえないことに自分の経験があるから、とにかく、まず保育園に預けた。社会に入った時に健聴者と付き合っていく必要があるから、通常の保育園に預けた。小学校、中学校は自分で選んだらいいと選択を任せた。ろう学校に通いながら、健聴者の学級に通った。指導方針に不満があった。それから、2番目の子供の時、部活でソフトボールをしていたが、3年間選手として試合に出たことはなかった。監督に聞いたら、「聞こえない者は危ないから無理」というふうに言われた。それで、ショックを受けて学校をやめ、ろう学校に転校した。ろう学校では、聞こえない者同士のコミュニケーションの方法は主に手話だった。それから、下の子は、勉強が分からない状態できたが、ろう学校の中学部で初めて勉強の内容が分かった。
・ 家庭の中では十分なコミュニケーションをとることが大切だ。しかし、ろう学校の指導がそこにつながらないことがある。自分にはそういう経験があるので、ろう学校の先生になりたかった。2番目の子は専攻科の1年だ。家の中では手話でコミュニケーションをしている。専攻科に入った頃から、家で息子と手話が通じないことがでてきた。ろう学校の中の手話と家庭の中の手話が違う。数字の表しかた、「11」はこのように表わす。ところがこういう人差し指と小指を立てる「11」というのを見た。「これは何?」と聞いたらろう学校の中だけの手話があるということ。私はきちんと手話を教えてきたのに、ろう学校で違う手話を覚えてきたということにとても驚いた。コミュニケーションの方法は、まず、一番大切なことは親子でのコミュニケーションをきちんととること、それが非常に大切だと思う。
・ 娘が地域の中学校を卒業して、ろう学校に入った。しかし会話が出来ないという。たとえば、「好きな食べ物は?」と聞いても答えが返ってこず、「カレー好き?」「お鮨好き?」などヒントを出すと初めて答えが返ってくる。それから、生徒会活動というのも、先生の指示がなければ動けないということが分かった。言葉だけを教えて、コミュニケーションをとれない状態のまま育っている。大きくなってからでは遅い。子供の気持ちを考えると一番大切なことは、親子でのコミュニケーション、会話をすることだ。
・ 幼稚部からのいろいろな意見が出ているが、今後期待することは、まず、ろうの父兄が立ち上がるこだ。私達が変えていかなければならない。最近ろう者のPTA会員も増えている。他にも地域でいろいろな役を持って頑張っているろうあの方も増えている。全国でもPTA役員をされている方も多いと聞いているので、情報交換をして、お互いに知識を深めていけばいいのではないかと思う。
・ 娘は小学校6年。夫の仕事の都合で転々としている。今はろう学校にいる。娘をみていると、以前口話で話をしていた時には、いつも眉間にしわが寄っていた。今、手話で話をしていると普通の顔だ。表情が明らかに違っている。手話が大切だということが分かった。
・ 聞こえない先生もいるが、ほとんど聞こえる先生ばかりだ。ろうあ者の気持ちも手話も分からない。本当の教育ではないと思う。
・ ろう学校、普通学校のどちらでもいいと思うが、ろう学校のほうがレベルが低くて、普通学校のほうが高いというイメージを持っているのではないか。
・ 昔はそう思っていた。
・ 今もそう思っている人達がいる。本当は対等だと思う。
・ 私はろう学校卒業だが、誇りを持っている。自慢だ。皆さんろう学校のOBだ。頑張ってろう学校を変えなければならないと思っている。自分自身が苦しかった経験を持っている。同じような教育を子供達に受けさせたくない。
・ 問題はデフファミリーではなく聞こえる親達に多い。手話は必要だと思っている両親は少数。我々デフファミリーが頑張って会を作ることが出来た。ろう学校の表向きは今でも口話中心だが、実際には手話が広がっている。子供達とコミュニケーション出来るように取り組みを進めていってほしい。
・ 今の話は、子供の人権をどうみるかだ。聞こえる子同志の中で「綺麗な声しているね」というようなことはほとんど言わない。それが聞こえない子供になると「声が良い」「声が上手だ」と言われている。つまり聞こえる人達は無意識にろうあ者の声が明瞭だと「非常に良い」というふうに言うわけだ。それは実は非常に差別的な発言なのだ。もう1つは「障害を克服する」と学校の目標にもよく載っているが、我々聴覚障害者は病気なのか、それを乗り越えなければならないような障害なのか、その言葉を皆さんはどう思うか。もっと敏感になっていかなければいけない。
・ 口話がいいと言っているろうあ者の家族に、ろうとしての自覚・誇りを持ってほしいと思う。もっと意見交換していったらいいと思う。
・ 30年前をみると差別が凄くひどかった。皆さん覚えているか。「バカ」だとか「聞こえない」だとか、いじめられた世の中があった。今はそうではなくなってきている。ろうあ者は自然に手話を使ってコミュニケーションしてきた。手話を毎日使っていると口話が出来なくなるか、そんなことはない。しかし今までそう言われてきた。
・ 同じろうあでも口話がいい、手話がいいという考え方に分かれているが、それは地域のろう学校でも同じだ。
・ ろう学校の中でも、なかなか話が通じない場合がある。逆に私は聞こえる親を利用する。例えば「声が上手」と言われたら、「失礼な言い方をされたら友達ではないわ」と私ははっきり言う。みんな聞こえる力・聞く力・話す力は違うということは分かる。話せなくても書く力があるということ、いろいろ個人差がある訳です。そういうことを聞こえる親は分からないことがある。はっきり言わないと、ろうあでも「声が上手」とかの考えになる。だから先ず言われた時点できちんと私達の考えを言うべきだ。おかしいと思う」と繰り返し言っていくことが必要。「口話が上手な人は社会に行くといいよ」というふうに言われていた時代があった。ろう学校の時に「わがままばっかり言っていると社会に入ってから可愛がってもらえない」と言われた。私達はろう学校に関わりを持っていけるのだから、先輩・OBとしてもいろいろな活動の中で、私達が経験してきたことを先生に伝えて、お互い連携していかなければならない。
・ 私の子供は幼稚部。聞こえる親・聞こえない親といろいろな方と話をしたいと思っているが、実際はなかなか話が出来ない。学校の終わる時間が遅いこともあるかもしれないが、例えば幼稚部が終わって帰るのは3時半から4時ぐらい、土曜日もお弁当を持っていって勉強している。学校から家まで遠い人がいる。親同士で話し合う場もないままに終わっていることが多い。
・ 夏休みに個別に通った。幼稚部は生徒の数が多いけど、情報が足りない。どのように情報交換をしていったら良いのかご意見を聞きたい。
・ 親の会・卒業したOB達が責任を持って取組んでいったらいいと思う。ろう学校を卒業したから終わりではなくて、言わなくてはならないことをどんどんろう学校に伝えていかなくてはと思う。
・ 先輩からいろいろ教えていただこうと思うが、先輩に聞いても「お世話になる学校の先生にはもう何も言えない」と言うだけだ。
・ 以前の話だが、高等部の時に手話と口話と混ぜて勉強していた。普通学校から転校した私には全く分からなかった。しかし、いろいろと自分には苦しかったことや聞こえる人達の中でただ1人だったことがあったが、ろう学校に変わって仲間が沢山いることが初めて分かりとても嬉しかった。私は少し話が出来たので、同級生から「お前聞こえるのか?」と言われた。聞こえる人達と一緒にいた時は「お前アホなのか」と言われていた。私はどっちの立場か分からないと思った。だからろう学校で「聞こえるじゃないか」と言われたことがショックだった。私は聞こえない仲間だと言っていたが、逆に聞こえる人からは聞こえると思っていろいろ話しかけられて、「私、聞こえない、分からないの」と言わねばならず、非常に苦しい思いをした。その今まで苦しかったという気持ちをろう者の仲間に分かってほしいと思った。今はろう者とお互いに仲間だと思っている。差別とは思わずに、どんな考え方を持っていても、同じ聞こえない者同志であることを覚えておいてほしいと思う。
・ 高等部の歴史の先生に大家先生がいらして、生の手話でろうあ者の歴史を教えてくれた。今は沢山あるが、以前はろうあの歴史の本がなかったので、それらを手話で話していただいて凄く良かった。先生の御蔭でろう学校に通っていて良かったなと思えた。
・ 夫は口話一辺倒の学校だったので「つまらなかった」と言う時もあるが、私はろう学校が凄く良かったという考え方を持っている。お互い考え方が違う。
・ 卒業式で、口話の上手な子が選ばれて答辞を言う。お母さん達はそれを聞いて感動して涙を流している。私達は聞こえないので分からずおもしろくなかった。高等部の卒業式の答辞を作る時に、学生皆で書いたものを先生に出した。文章は一般的だけれども初めて書いたものだ。5、6人で合わせて持っていった。その時、先生は「君達はろう学校に通っていて良かったと本心で思っているのか。本心では大変不満があったのではないのか」と言われた。だから私達はきちんと全部文章に書いた。例えば学校にプールがないなど設備的にいろいろ足りないものがあったことなど、それを答辞で手話で表わした。たまたま卒業式の時に知事・市長など来賓の方が沢山来られていて、困ったことや不便だったことを一生懸命言った。後輩のためにと思って答辞に書いた。私達の意見が取り上げられて次の年に改修工事が始まった。思っていることをきちんと伝えていくことが、ろう学校に通ったことにより必要だと分かった。