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5.難聴学級の役割
(1)聴覚障害児の障害認識を高めるために配慮したところ
[1]手話への興味や関心、理解を深める:自らの障害を考え、生き方をみつけていくためにも必要
・指導者が手話を積極的に使う
[2]手話や聴覚障害に対するいろんな考え方を示す
・現時点での、対象児の考えを明らかにし、将来、自分で選択できるようにすることを伝える
・進路を決める際もきちんと情報を伝えたうえで、対象児が主体的に判断し決定できるようにした
[3]情報保障に対する意識を高めるように働きかける
・FMマイクを使用するか、手話での説明が必要かなど、自分で選択できるようにする
・「WANPAKU交流会」を実施し、いろんな情報保障の仕方があることを体験できるようにした
[4]対象児がいろんな場面で発表(アピール)できるように用意する
・できれば、その際、自らの障害について述べることができるようにする
・手話で発表する(手話表現を学ぶ、聴覚障害を意識した発表にするため)
・発表の場を徐々に拡大する(「障害児学級のおたのしみ会」―「通常の学級」―「他の学級や学年」 ―「学校全体」―「wanpaku交流会」)
[5]対象児が聴覚障害や手話など、自分の考えを文章表現できるようにする
・目的を持たせるためにいろんな作文のコンクールにだす
[6]聴覚障害に関する情報をいろんな角度から提供(図書、聾学校について、補聴器、字幕付き映画など)
[7]聴覚障害児の集団、先輩に出会える機会がもてるようにする
 
(2)他の児童が、聴覚障害への理解を深めるために配慮したところ
[1]手話の効果、必要性が理解できるようにする(視覚にうったえる)
・手話通訳の場面をみせる
・対象児から手話を学ぶ(直接、またはビデオで):対象児が手話表現したビデオを作っておくと、いろんな学級で利用してもらいやすい
[2]聴覚障害児が活用できる、いろんなコミュニケーション方法があることを知らせる
・対象児にとってはFMマイクの使用により情報のキャッチのしやすさがちがうことを伝える
[3]聴覚障害児にとって不利になる状況(グループでの話し合い、休み時間の会話など)をその都度、繰り返し伝える
[4]聴覚障害児へのかかわりや援助を強制しない:わからないこと、疑問点などの相談にはいつでものる
[5]聴覚障害児と他の児童の連絡役はひきうけない:本人同士で解決できるようにする
[6]通常の学級の担任のニードに応える
・手話の学習がしたい、障害に関する資料がほしい、対象児への説明の仕方がわからない、対象児と他の児童とのトラブルの解決の仕方、対象児と他の児童の関係をよくしたいなど
6.反省点および課題
[1]対象児と他の児童との関係がうまくいかないことが多かった:「言ったー聞いていない」などコミュニケーション上のすれちがいが多い。難聴学級の担当者としてどこまで間に入り、指導をすべきか?
[2]グループでの話し合いでFMマイクを有効に活用してもらうことは、難しかった:対象児は、1対1の会話なら十分成立するので、他の児童が、いろんな場面で対象児の「きこえ」について配慮がいるという意織を高めることができなかった。他の児童の意識を高めるための具体的方策は?
[3]対象児に「自分から手話を使って他の児童に話しかける、終わりの会等で手話を使い発音する」と育ってきたができなかった。こういう要求そのものに無理があるか?
 
司会:上農(金沢市総合教育相談センター)
 石川県は聞こえの通級指導教室が小学校2校、中学校2校だけだが、大阪の状況は?難聴学級の担当は継続して指導できたのか。
 
レポータ:足立(大阪市立酉島小学校)
 大阪の難聴学級は固定の難聴学級である。例えば、吹田市には吹田市の難聴学級が1ヶ所ある。多くの難聴学級では国語や算数の指導をしている。彼女に対しては6年間、自分が継続指導した。
 
中島(茨城県学生)
 プールの指導の時に、手話で指導をしたのは先生がしたのか。小学生の子どもに分かる手話への配慮は何か。外部の手話通訳が情報保障をした方がいいのか、先生自身がしたほうがいいのか。手話を獲得してきた状況で手話を自分の言葉としてなかなか使えない理由は何か。
 
レポータ:足立(大阪市立酉島小学校)
 プールの時の手話は、プールの前に使うと思われる手話の指導を事前に指導した。最初は身振りも入れる。徐々に全部手話にしていった。6年になると、できるところは友達に聞き、分からないところだけ先生にと彼女自身が選択できていた。手話通訳については、個人的にはありがたいけれど、学校はまだまだ閉鎖的で、教師という立場でない人が学校に来ることを嫌う傾向があるように思う。彼女は簡単な会話なら手話はできたが、友達との会話は口話でできたので手話ではしなかった。このとき手話を使っていれば、周りの子どもの状況が変わっていただろうにと思い指導したが無理だった。
 
司会:上農(金沢市総合教育相談センター)
 その子どもは今、前田先生が担当しているので、前田先生から一言お願いしたい。
 
共同研究者:前田(大阪市立聾学校)
 今のお話を聞いて、とても感動した。
彼女の場合は弟がいる。その弟も聞こえない。それも影響しているような気がする。いま中学部1年生で、私はそこの副担任をしている。感心していることがある。感性が豊かな子だ。イメージが広がりやすい。イメージがとても豊かになっている。俳句や詩を書いて持ってくる。先生方もびっくりしている。彼女が6月に作った詩だ。「ゆらゆらと かとりせんこう なつきたる」。例えばこういう句の場合、「なつちかし かとりせんこう ゆらめきて とぼくの場合は表現するよ」という話ができる生徒だ。他の生徒ならそういう話にならない。今の報告を聞くと小学校の時と比べてずいぶんと変わってきていることが分かる。給食の時に、他は聞こえる先生なので彼女の発音がはっきりわかるので、下を見ながらでも会話できる。しかし、ろう学校では口話を使っていては他の子に分からない。手話を自発的にしないのはなぜか。聞こえない子は彼女だけだった。手話を進めると周りから反発が出てくる。母親が手話サークルに行ったのは足立先生の働きかけが大きい。両親は口話の考えが強い人だった。父親は特に強い。彼女の手話に対する考えはこれからだが、基礎は小学校で作られていると思う。
 
司会:西村(吹田市立吹田第二小学校)
 聴覚障害者にとって手話をきっかけにして自分のアイデンティティが確立する。ろう学校・普通校どちらにもいいところはある。インテグレーションは学力・杜会性、たくさんの人と交流して聞こえないということについて理解が深まる。足りない面は手話やろう文化にまったく出会う機会がない。インテグレーションを効果的に行うためにろう学校に望みたいことは、県や市のセンター校になってほしいということ。逆居住地交流もしてほしい。普通の学校に望みたいことは、情報保障と先生方の理解である。ろう学校・普通校どちらも成人ろう者との連携を持ってほしい。以上のような意見が出された。2人のレポートを受けてインテグレーションにおけるサポートをどうしたらいいかという点を中心に討議を深めていきたいと思う。
 
喜多(石川県保護者)
 足立先生の難聴学級を羨ましいと思った。松任には難聴学級はない。小松市には難聴学級がある。校区が違ってだめだと思っていたが、お願いしてみようかと思う。質問だが、赤外線補聴援助システムとは?
 
レポータ:足立(大阪市立酉島小学校)
 私も詳しくは分からない。最近映画館などにも採用されてきている。スピーカーからの音を赤外線で補聴器にとばす機械だ。FM補聴器より音がクリアである。株式会社アキトに聞くと分かると思う。
 
共同研究者:前田(大阪市立聾学校)
 私のように90・100・110dBでも赤外線補聴援助システムを使うと、かなりクリアな音が入ってくる。かなり有効な方法だ。ピックバンという大阪の児童科学館で字幕ビデオの施設に設置するよう要望したが通らなかった。もし、皆さんの地域でこのような施設等が建設されるとき、こういうシステムがあることを頭において建設前に要望するようにしてほしい。
 
坂本久美(近聴教)
 足立先生には時々お会いしているが、レポートを聞いてとても感動した。
WANPAKU交流会も成功してよかった。
難聴学級同士のつながりは大事だ。吹田第二小学校に難聴学級ができて20年経つ。
 私は突発性難聴で聞こえなくなり、いまそこで働いている。インテグレーションしてバラバラになっている子どもの交流が大事だと思う。質問したかったのは、足立先生は一生懸命手話をしたりして情報保障を進めてきたが、通常学級の担任の先生が伝える方法はどうだったのか、担任の役割は非常に大きいと思う。吹田第二小学校では担任が手話をするのは難しかったが、今は手話クラブを作って勉強したり、校歌を教えたりしている。通常学級の担任の先生がやっている方法はどのあたりまでいっているのか教えてほしい。
 
レポータ:足立 貢(大阪市立酉島小学校)
 一番痛いところを突かれた。通常学級では何もできないのが実情だ。FMマイクを使ってもらっているくらいだ。トラブルがあったときは話し合いを持ってもらった。彼女に対して担任の先生が伝えるのは口話やFMマイクが中心だった。どういうふうにしたら伝わりやすいかは繰り返しお話ししたが、それ以上は進まなかった。5年・6年の担任がプールの時、後ろから呼びかけていた。年配の先生にそういうことは止めてくださいというのは難しい。1人の子どものためにそこまでできないと言われるかも知れない。
 
司会:西村(吹田市立吹田第二小学校)
 宮崎さんのレポートについて質問や意見はないのか。今、サポートに対する意見が出ているが、情報を保障するサポートには、黒板にたくさん書く・ノートテイク・指文字・手話等がある。気持ちの面でのサポートでは、聞こえない子どもの集団を作る必要がある。仲間が集まる機会をつくるなどもある。ろう学校の役割についての意見が少ないような気がする。これから両者が歩み寄っていかなければならないと思うので。
 
甲斐(千葉県関東学生情報保障者派遣委)
 中学校までろう学校で、高校から自分の意志でインテグレーションした。インテグレーション後、ろう学校に行って相談したいと思ったけれど、先生も忙しいから後にしてと言われて、夏休みになって相談に行った。本当は平日に相談にのってほしいと思った。先生も忙しいので仕方がないのかもしれないが時間的に無理なのか。
 
林(富山県立富山聾学校)
 小学部にいる。この3年間はインテグレーションした子どもがいないので相談を受けたことはないが、就職してから困ったことがあったら仕事帰りに寄って行くことがあり、相談にのるようにしている。ろう学校では教育相談部を設けているが、来校するのは幼稚部前の子どもがほとんどだ。幼稚部から小学校にインテグレーションした子どもが、小学校の授業が終わったあと定期的に来校する人もいる。ろう学校との交流を希望される場合は、教育課程の問題や相手の学校とのからみがあり、難しい問題もある。自分の学校の授業が終わったあとに来ている。来るだけで疲れて能率が上がらない。メンタル面でのフォローが主になっている。聴障の人と接するときは手話で、健聴者とは口話でとか、相手によって手段を選べる子どもに育てることが大切だ。小学部段階では手話を使っても通じない。手話以前に日本語の獲得をねらっている。言語指導だけで入るものではない。誰かに伝えたいという思いからコミュニケーションが生まれる。その思いからどの手段を使うかが決まってくる。給食の時、個人的な内容ならあえて手話を使う必要がないのではないか。みんなの前で言っていい内容とそうでない内容がある。他の子が怒られているのを伝えない場合もある。ろう学校には聴覚障害だけの子は少ない。発達検査をしてみると、三角を三角として捉えられない子もいる。知的な面や学習のレディネスの獲得状況を的確に把握して保護者に伝える必要がある。ろう学校の役割としてはいつでも相談を受け入れる体制作りが必要だと思う。難聴学級とのパイプ作りのために、今年の夏に聴覚障害児を担当している先生にろう学校へ来てもらい研修会を開いて情報交換した。
 
司会:西村(吹田市立吹田第二小学校)
 ろう学校の立場で、伝えたいという気持ちがコミュニケーションの基本となるという根本のお話をしていただきました。卒業後、あるいは難聴学級を持たれている先生方にもろう学校としてサポートをしているというお話でした。
 
千葉(宮城県難聴児をもつ親の会)
 ろう学校の先生はろう学校で子どもを待つのではなく、難聴学級に出かけて行って指導してほしい。ろう学校の先生は、聞こえる子どもの中にいる聞こえない子どもの状況を把握してほしい。ろう学校の先生の専門性を高めてセンター的な役割を強めてほしい。私も相手によってコミュニケーション方法を変える力をもつのは必要なことだと思っているし、そういう力を育てたいと思っている。そういう場合には、すべての情報を伝えていく方が良いし分かりやすいと思う。私は聞こえる娘を怒る時には、聞こえない息子にも分かるように手話をつけて怒るようにしている。
 
河合(富山県立高岡聾学校)
 一番に思ったのは、交流のことが気になっている。総合的な学習で申し込みが多い。1回きりの交流は意味がない。向うから年間計画をつけた申し入れにはきちんと対応することにした。8月初旬にも申し込みがあり迷っている。足立先生のレポートは交流の事前学習に役立つ内容で、大きな収穫だった。通級指導教室に、3時半なり4時から通って来ているが、息抜きに来ているだけになっている。これだけではだめだと思っていた。聴障者としての自覚を育てるために、通級の子どもとろう学校の子どもとの交流の場の設定を考えなければならないと思った。
 
共同研究者:前田(大阪市立聾学校)
 参加させていただいて勉強になった。ところで、インテグレーションという手話はどうしますか?いろいろな手話があった。この手話はアメリカのメインストリーミングからきている。この手話は日本の実情に合わない。中学まではなんとかいくが高校受験のときが難しい。インテグレーションして心も体もぼろぼろになった子どもを私は何人も見てきた。(両手でかわるという手話)これもなんかバタンと倒れる感じだ。どれもあんまりよくない。
 高木さんのレポートの中にも、ずっと普通校で育ってきたけれど、高校に入って初めて手話と出会ったという話があった。幸い彼女の場合は、最終的には障害認識ができつつあるが、他の人には当てはまらないかもしれない。障害認識は、聴覚障害者教育の中のキーワードになっていると思う。究極的には聞こえない聞こえにくい障害を自分の個性として中に取り入れる。そのことを周りの人に抵抗のない形で説明できる力を育てることだと思う。私自身も、聞こえないことを含めた自分を誇りに思えるようになるのに23年間かかった。高木さんが22歳にしてろう者に生まれてよかったと書いている。すごい方だと思う。私は今でも生徒に聞かれて動揺することがある。
 まだ残っている課題を感じた。宮崎さんが大学に入って、初めて聞こえない仲間を知ったということはいいことではないと思う。もっと早い時期から聞こえない仲間がいるということ、仲間と話すためにはいろいろなコミュニケーション手段のことを考えなければいけないということを体で自然に学ぶことができる環境を作る必要がある。そのためにはろう学校や難聴学級との連携が欠かせないと思っている。足立先生のWANPAKU交流会はそのための新しい試みだと思う。近くのろう学校や難聴学級の子どもたちが夏休みや土曜日に集まって交流する中で、自分と同じ人間がいることですごく安心できる。手話とかいろいろな出会いがありうる。そういうきっかけを早いうちから作るということが大きな課題の1つである。2番目にインテグレーションの1つの鍵は家族の方、特に親の意識をどう育てて変えていくかである。今は減ったが、先生に自分の子どもには手話を教えてほしくないとはっきり言う保護者がいた。今は聞こえる先生がお母さんにいじめられている場面が増えている。うちの学校の場合、手話通訳の認定資格をとったお母さんが2人も学校にいて、たまたま学校に来て聞こえる先生の手話を見て、あなたの手話では分からないと言って行く。私にまで、もっと手話を厳しく指導しろと言う。これからそういうお母さんも出てくる。そうなるとろう学校の専門性やセンター的な役割が本当の意味で問われてくると思う。大阪の聴覚障害教育研究会のような聴覚障害教育全体のネットワークづくりを進める中でろう学校ができること、難聴学級ができることを考えていく必要がある。いろんな学校、家庭に車で巡回して、言葉とか補聴器とか手話とかいう指導ができる先生のチームを派遣する。ろう学校の先生とは別に巡回専用の先生を確保しないと、障害の重複化・多様化が進む子どもたちの教育ができなくなる。そのための人的な配置が課題となっている。
 最終的に子どもが聞こえないと分かった時に、母親がはじめに出会うのは、耳鼻科医や教育委員会の相談窓口やろう学校の教育相談あたりになる。若い母親がショックを受けた時に、それを支えながら長い生涯の中でモデルになるのはそうした機関だ。ある医者が臨界期ですということで人工内耳を薦める。聞こえないのは仕方がないから、早く一般の保育園に入って耳を使う経験をさせなさいと言った先生もいる。この国の専門家の配置も大きな課題だと思う。来年も具体的な取組みを報告してほしい。皆さん本当にありがとうございました。
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