レポート[3]
わたしにとってのインテグレーション
宮崎 昌子(滋賀県立大学4回生)
私は幼稚部から中学部まで13年間滋賀県立ろう話学校に通い、高校からインテグレートしています。インテグレーションのきっかけですが、私は姉が2人いまして2人とも聴者です。その姉達が毎日楽しそうに学校に通っていて、放課後には近所の友だちと遊びまわる様子をいつもうらやましく思い、聴者の行く学校にあこがれを持ち始めたわけです。それと、たまたま中学部の時に建築という分野に興味を持っていたので、建築の勉強ができる工業高校の受験を決めました。
わたしにとってのインテグレーションは、ろうわ学校では習えない専門的な知識を得られたこと、視野が広がり今まで味わったことのない刺激がたくさんあり、今の大学に行けたのも大きく関わりがあります。このような良い面もたくさんありましたが、しんどい面もたくさんありました。特に幼稚時代や小学時代に転校していった子ども達、つまり早期のインテグレーションほど大変さは増してくるものです。このことについて問題点と対策点を述べたいと思います。
<問題点>
1、本人の意志ではなく、親が希望していた。「ろう学校が遠い」「もっと子どもの学力能力を伸ばしたい」「口話が上手だから」「近所の聴者の友だちを作ってほしい」という我が子に対する親の気持ちから転校させてしまう。
2、小、中学校、高校の授業の保障はあまり進んでない。
最近、大学では講義保障制度(ノートテイク制度、手話通訳制度)が進んでいるが、小、中学校、高校はそういった例はあまり聞かない。先生の話は当然分からないから自力で勉強しなければならない。高校はなんとかやり通せると思うが、小、中学生には負担が重すぎるのではないか。難聴学級のある学校もあるが、ない学校が多いという現実もある。
3、聞こえないということを理解しているか
自分の障害を理解しているか?自分が聞こえないということを周囲の人に理解させることはできるか?
ほとんどのろう学校は口話教育なので手話を知らないまま転校する子どもがほとんど。そんな子ども達がいきなり聴者ばかりの学校に放り出されたら、わけの分からない事ばかりで消極的になってしまう。「こうやってほしい」という要望さえできない。
<対策点>
1、早期のインテグレーションを避ける。
子どものある程度判断力がついてからの方がうまくいきやすい。
どうしたらうまく自分の言いたい事が伝わるか、など自分の障害を知った上で自ら行動できる力を身につける必要がある。幼稚部や小学部低学年の子どもはまだ身についてないと考えてもいい。
2、インテグレーションしていった子どもの対応
一週間に1回(放課後でも)ろう学校に行く。ろう学校の子ども達と交流をする機会をつくろう。勉強で分からないところをろうの先生または手話のできる先生が個人指導。子どもが一息つける場をつくろう。
3、ろうの子どもの親とろう者の交流
親の理解はとても大切です。大人のろう者とたくさん交流していきながらろう者の経験談を聞いたり意見交換することをすすめます。そして聞こえないとは何か、ろう者にとって有意義なものは何かが少しずつ分かってくるようになるでしょう。
司会:上農(金沢市総合教育相談センター)
質問はないか。
澤村(福井県ろう協)
建築科がないので高校に行ったのですね。もし高等部に建築科があったら行ったか。
レポータ:宮崎(滋賀県立大学4回生)
もし建築科があれば選んだと思う。
坂本(近聴教)
まとまって分かりやすい話だった。高校からインテグレーションしたという話だが、その時に体験した壁は何か。講義が分からない時どうして解決したのか教えてほしい。周りの理解をどうやってひろげたのか。ろう者という自覚を持ったからできたこともあるのでは。
レポータ:宮崎(滋賀県立大学4回生)
私がインテグレーションした高校の時、手話はあまり覚えていなかった。ろう学校では使ったらダメといわれていた。口話が主だったので、自分も手話を使うことに抵抗があった。大学に入ってから手話を学び始めた。大学内に手話サークルを作った。高校時代は、友達に分からないところを教えてもらったり、ノートを貸してもらったりした。自分で解決した。建築科の実習は自分で考えてやることが多かったので楽しかった。自分で努力する方法で大丈夫だった。もし高校の普通科に入っていたら大変だったと思う。
司会:上農(金沢市総合教育相談センター)
昨日は保護者の立場でろう学校との交流という意見があったが、今日は本人の立場でろう学校の交流という意見がでた。後で討論を重ねたい。