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レポート[2]
インテグレーションを経験した私
高木 亜由美(福岡教育大学学生)
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1.学校生活について
 私は、生まれつき耳が聞こえず、小さい時から言語の訓練を受けながら地元の保育園に通っていました。絵画教室にも通い、行事に合った絵を描いたり、紙粘土を使って物を作ったりしてでき事を今でも鮮明に覚えています。小学校の時は、授業でほとんど先生の口を読み取っていました。しかし口話は限界があり、空書きしてもらっていました。中学の時から各教科ごとに先生が変わるため FM補聴器をつけ始めました。FM補聴器はマイクを先生に渡して他の人より先生の声が大きく補聴器に伝わるようになっています。しかし聞きなれるまで時間がかかり、聞こえても内容がつかめない場合が多かったです。勉強がついていけなく悔しい思いをしましたが、両親や先生、友達の協力を得てだんだん勉強が好きになりました。高校は美術を勉強したいと思い、親元を離れて祖父と2人で暮らし、家事と部活の両立は大変でした。
2.手話との出会い
 高校のときに障害者甲子園といって全国の障害者が集まり交流をした時に、初めて手話そのものを見たように思います。手話ができない私はお互い“ろう者”なのに輪に入れませんでした。結局、身振りや口話で意地疎通していました。大学生になって手話の会に通い、ろう者問題について考えていくうちに、自分の中で何か気持ちが変化していき、手話は、ろう者の言語であり見る言葉と理解したのです。今まで健聴者に合わせていき、“ろう”という劣等感をもっていましたが、考え方180度変わり、“ろう”であることを認識し、アンデンティティを持てるようになったと思います。
3.インテグレーションについて
・良かった面・・・日常生活の中でのマナーは健聴者の動きを見て学ぶことが多かった。また手紙や交換日記を通して文章力がついてきた。
・悪かった面・・・集団の中で、自分の意見が言えない状態であったり、会話についていけなかった。手話を覚えてから自分の言いたいことが言えるようになり、自分自身が変わってきているなーと思っています。
4.これからのろう教育について
 ろう者として生きる、自分の意志を持ち、考える力を育てることがこれから求められると思います。
 
町出(石川県保護者)
 石川県の能登にある小学校に通っている難聴の子がいる。1年生です。高木さんの聴力はどれくらいか?FM補聴器を使っていなかったときはどうだったか教えてほしい。
 
レポータ:高木(福岡教育大学学生)
 聴力は裸耳で100dB以上である。周りが健聴者ばかりでろう者が私1人だと、周りが何を言っているのか分からなくて苦しい思いをした。手話は見て分かりやすいので、周りの健聴者に手話を覚えてほしい気持ちがとても大きくある。補聴器を使っている時の聴力は70〜80dB。先生にもよるけれど、分かりやすい声の先生の時は内容をつかみやすいけれど、わぁーと話される先生の時(特に男性の場合)は聞き取りにくい。
 
吉田(福井県聴力障害者福祉協会)
 3つ質問がある。[1]言語訓練はどこで受けたのか? [2]障害者甲子園という言葉を初めて聞いたが、どのようなものか?[3]大学に入って手話の会へ行ったのはなぜか?その会は大学内か、大学外か?手話を知るきっかけは?
 
レポータ:高木(福岡教育大学学生)
[1]言語訓練は博多の近くにある心身障害者センターで受けた。家から遠かったが通った。ストローで発声の練習をしたり、犬や鳥の声などの弁別訓練をしたりした。
[2]障害者甲子園はいろんな障害をもつ高校生が集まる会である。ろう学校から来ている人もいた。手話を知らないまま参加したが、ろう者の集団が手話を使って会話している雰囲気が良かったので私も学びたいと思った。
[3]大学に入ってから地域の手話サークルに参加した。そこには大学生もたくさん来ていた。
 
澤村(福井県聴力障害者福祉協会)
 普通校にずっと通っていたのか?ろう学校に通いたいと思ったことはなかったのか?
 
レポータ:高木(福岡教育大学学生)
 普通の学校に通っていたので、ろう学校があることを知らなかった。高校の時にろう学校の存在を知り、体育祭・文化祭を見学に行ったりした。その時、同じ障害を持つ人がいることを知った。それから大学生になり学生懇談会に行くなかで友達も増え、手話サークルに通うなどにつながっている。
 
司会:上農(金沢市総合教育相談センター)
 前半2人の方からレポートをいただいた。2つのレポートは、聞こえるクラスの中で過ごしてきたという点が共通している。この分科会にはいろいろな立場の人がいる。自分の経験を踏まえ、感想を含めてたくさんの意見を出してほしい。今からはもっといい方向を探していこうという視点で意見をお願いする。
 
山本(長野県保護者)
 2つ聞きたいことがある。1つ目はインテグレートについて。2人の子どもがいる。上は健聴でクラスにろうの生徒がいる。息子は手話が上手なので「その子は先生の話が分かっているの?」と聞くと「分かっていない」と言っていた。補聴器をつけると50dBくらいで授業中は何もせず、テストの点も低いという。息子が「うちの両親は聞こえない。ろう学校へ行ったらいい。ろう学校へ行ったらゆっくり話をしてくれるし勉強も分かる。」という話をその子にした。ろう学校に入りたいと言っている。ところで、ろう学校からインテグレーションするのは大丈夫なのに、健聴児がろう学校に行くことができないのは何故か聞きたい。認められないらしいが、私は納得できない。もう1つはインテグレーションしている人の気持ちを知りたい。
 
共同研究者:前田(大阪市立聾学校)
 聞こえる子どもがろう学校・盲学校で学ぶことは日本ではできない。学校教育法のなかに盲・聾・養護学校に入れる対象児の基準がはっきり明記されているためである。入れる可能性はない。アメリカのトライボットを知っているか?親戚にろう者がいる子は聞こえていても一緒に学べる私立の学校がある。日本でもそれをつくる必要があるかどうかはこれからの課題になる。筑波技術短大・米国ギャローデット大学は健聴者の学生は入学できない。どうしてという話もあったが、聞こえない子の中で聞こえる子が学ぶということを求める世論の高まりが必要だろう。
 
共同研究者:前田(大阪市立聾学校)
 高木さんのレポートも、西先生のレポートも素晴らしいのだが、1960年代当時の状況とさほど変わっていない。高木さんのレポートを聞いて、高校生になり障害者甲子園に行くまで手話を見たことがなかったというのはショックだった。聞こえない成人と出会う場所がなかったということだ。あってはならないことだと思う。聞こえない人と出会うきっかけはなかったのですか?他の人も同じですか?
 
千葉(宮城県難聴児を持つ親の会)
 小学5年の息子は地元の難聴学級へ通っている。1年から6年まで10名いる。
 デフファミリーとの交流がある。難聴児をもつ親の会に所属しているので、そこで聞こえない方に出会う機会などは多々ある。
 
レポータ:宮崎(滋賀県立大学4回生)
 滋賀県は交通が不便でろう者と出会う機会は少ない。小6までろう学校にいた。幼稚部で口話教育を受け、手話を知らないままインテグレートする子がたくさんいた。手話を覚えている人もいるし、キュード法を使う人もいる。補聴器も聞こえないことを知られないためにわざわざ外す人も多い。
 
吉田(福井県聴力障害者福祉協会)
 ろう学校は幼稚部に2年間通ったが、小学校から大学まで普通校で学んだ。初めて手話を見たのは高3の時で、学び始めたのは大学の時だった。ろう学校の幼稚部時代からの友達に誘われた。手話が飛び交う様子を見て淋しい思いをした。普通校での楽しかった思い出は少ない。何のために勉強をしてきたのかというと夢があった。ろう学校の先生をめざしている。大学に入るために、健聴の学校に通った。成人ろう者や高齢ろう者と交流する中で18年間知らなかった世界を知った。前田先生、滋賀の西垣先生、ろう学校のろうの先生に出会うことができていろいろなことを学んだ。同じ聴覚障害を持つ人と話す中でお互い頑張っていこうという気持ちが持てて励みになっている。同級生はいるが、ろうの先輩に出会えなかったのは残念という気持ちはある。
 
中熊(茨城県)
 デフファミリー。親の考えは、ろうに対する認知がまだまだ。聞こえる子に近づいた方がいいという考え。聴力の軽い方は口話、重い方はキュードを使っていた。自分は軽い方だったのでキュードの人との交流はなかった。実際はろう家族なのに。
 
甲斐(関東学生情報保障者派遣委員会)
 幼稚部から中学までろう学校、高校はインテグレーションした。高校では地域の手話サークルに通っている人との交流があった。教科の勉強だけで精一杯だったので、ろうという自覚、アイデンティティは、大学に入って聞こえない友人や成人ろう者と出会う中で学んだ。小さいときから手話やろう者という意識が育まれていた方がいいと思う。
 
市川(東京・全日本ろうあ連盟)
 全日本ろうあ連盟の立場で話します。いま発言された若い人は手話を覚えてコミュニケーションしているけれど、地域にはまだまだ手話を知らずにいる若い聴障者も多い。全日本ろう唖連盟や地元のろうあ協会が情報を集めて指針を出すべきだと思う。文部科学省に対しても意見を出している。文科省は「ろう学校に教育は任せてある。」という。
 
林(富山県立高岡聾学校)
 小学部4年で重複の女の子を担当。重複だが聴力障害も知的な障害も軽く、視力は眼鏡をかけると0.6である。普通の教科書を使って学習している。ろう学校か小学校かという選択肢だけではなく、居住地交流という制度がある。自分たちが住んでいる校区にある小学校と週1回交流する。いきなり選択するのは難しい面もあり、小学校とろう学校の連携の問題、親御さんの考え方などの問題がある。石川県のろう学校で居住地交流の例があり、健聴児にとっても本人にとってもプラスになったと聞いた。お互い良いと思う。自分の考えだが、小学校入学時は、親御さんの意見で決まることが多いと思うが、子どもの実態を的確に把握して、インテグレーションがいいかどうかを判断すべきだ。質問だが、親の選択は良かったと思うか、他の学校に行きたかったと両親に伝えたことがあるか、経験があったら聞かせてほしい。
 
加藤(和歌山県立聾学校)
 和歌山ろう学校高等部で教員をして6年目。自分自身は幼稚園から大学までインテグレーションしていた。時々ろう学校の中で生徒の両親からインテグレーションをして満足でしたかと聞かれることが多い。大学に行っていろいろな人の話を聞かせてもらい、ろう学校に行って手話を勉強して、ろう者として生きていきたかった。普通の学校で勉強していろいろな出会いがあったが、私自身、大学時代に親に反発した。もっとろう者との交流を深めたかったから。だからはっきりした答えはないとお母さん達には話している。良いとか悪いとかを決めるのは難しい。様々な人と関わりを持ちながら前向きに考えていけたらと思う。皆さんの意見をもっと聞きたい。
 
共同研究者:前田(大阪市立聾学校)
 今の和歌山の加藤さんの話は同感です。だれしも自分の受けた教育を悪いと思いたくない。今まで無駄だったと思うほど悲しいことはない。先程もお母さんの話にもあったが、聞こえる学校・ろう学校・人工内耳などを決定しようとするとき、親は子どもに相談するでしょうか?決定権は子どもにあるが、知識がないためにお母さんが決定せざるをえない。親子関係は永遠の課題だ。休憩後また意見を聞きたい。今までの討議の内容はインテグレーションを否定的に見る意見が多かった。かつてのろう学校には不十分な面もあった。20年前は手話が認められていなかった。単純に比較できない。休憩後は生産的な討議をお願いしたい。
 
司会:西村(吹田市立吹田第二小学校)
 先ほど前田先生からまとめていただいた。あと45分間は今後どんなことが必要か、前を向いた意見をお願いしたい。インテグレーションを前向きに考えて必要なことは何か、いろいろな立場からをお話していただきたい。
 
喜多(石川県保護者)
 子どもは小学校3年生で松任市にいる。小さい時は幼稚部で過ごし、本人が選んで今は地域の学校に通っている。地域の友達といることが楽しくて通っている。勉強は難しく、手話を自分で学んでいる。居住地交流とパターンは違うかもしれないが、同じ障害を持つ子と交流させてほしいということでろう学校に交流をお願いしたが断られ、どうしたらいいか考えている。
 
清水(石川県立ろう学校)
 小学部3人の児童が親御さんの希望で地域の小学校と居住地交流を行っている。月に1度くらい行っているケースもある。子どもの反応は、居住地校へ行ってしまえば楽しいが、子どもの負担も大きい。何度か通って慣れてくると地域の子どもとの接し方も分かってくるようだ。
 喜多さんの場合はその逆パターンであり、学校5日制等のからみで授業時間の確保との問題で難しい状況。断ったというのではなく検討していくということだろう。
 
紺谷(福井県立ろう学校)
 教育相談部に通ってろう学校の生徒と活動をする時間をもつのも1つの方法である。ろう学校にきて10年になるが、吉田さんには何度も来て頂いて、ろう学校の生徒にいろいろと話をしてもらったり、手話講習会をしてもらったりしている。最近成人ろう者と触れ合う機会は増えてきている。インテグレーションした後に交流をしてもらい、正しい情報を伝えていく必要があるのではないか。交流や連携をしていく必要があるのではないか。
 
渡辺(神奈川県聴覚障害児と共に歩む会)
 インテグレーションの良い面の話について。今は社会人で、インテグレーションを経験した。いろいろな障害を持つ人がお互いに考えるといった話し合いをした。学校や職場で思ったことは、友達との関係も慣れてくればコミュニケーションができてくるが、聞こえない人は自分だけという事実はある。聞こえる人同士が楽しそうに話していても「昨日のテレビの話だよ」というだけなので淋しくなる。その経験はインテグレーションした人だけが感じることではない。そういった面を考えると早くからインテグレーションをして健聴者とのコミュニケーションに慣れておいた方が健聴者の気持ちが分かっていいと思う。
 
田原(千葉市立院内小学校)
 聞こえの教室で12名の子どもたちのサポートをしている。普通学校の中で1人で頑張っている子どもたちが、聞こえの教室でホッとできるようにサポートしている。院内小学校の学級では、いろいろな学校から子どもが来るが、親御さんにはいろいろな生徒さんとの交流を大切にしてほしいと話している。手話については全面的には取り入れていないが、劇や歌などで取り入れている。また、龍の子学園の子どもたちにもいろいろ教えてもらっている。聞こえの教室での触れ合いが、それ以外の交流にも広がっている。ろう学校の交流を断られたということだったが、千葉ろう学校の例をあげると、体験入学1週間を申し込んでみて、1学期間に1回とか回数を増やしてだんだん定期的になっていくと良いのではないか。
 
山本(長野県保護者)
 皆さんの意見を参考にして難聴学級の学生がろう教育についてもっと考えてほしいと思った。
 インテグレーションが増えているが、ろう者の先生が増えることを望む。ろう者の若い人、教職を目指してください。
 
町出(石川県保護者)
 私の娘は小4の子が健聴、下の子は難聴。ろう学校が能登から遠いということもあって、他の方法でやってみようと決心して、普通学校に通わせている。コミュニケーション手段は手話を取り入れている。口話だけだと通じにくい部分があるが、手話でスムーズにコミュニケーションできている。小学校に行ったら聴覚とか読話、手話サークルでは手話と自然に使い分けている。F M補聴器を使っていても先生が後ろを向いていたりするので連絡帳などでお願いしたりしている。担任の先生に指文字だけでもしてほしいとお願いしてなんとかやり始めてもらっている。
 
司会:西村(吹田市立吹田第二小学校)
 母の立場で子どものことを考えいろいろとお話ししていただいた。明日も2つのレポートがあり、それも含めて討論していきたいと思う。
 
2日目
 
司会:上農(金沢市総合教育相談センター)
 2日目の分科会を始めます。2時間の予定です。2本のレポート発表があります。最後に前田先生にまとめをしてもらいます。ご協力お願いします。








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