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レポート[1]
聴覚障害児のための親子手話学習会「コアラの会」と
普通学級における聴覚障害児に対する情報保障の取り組み
西 澄江(全国手話通訳問題研究会石川支部教育班、金沢市立兼六中学校)
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1.「コアラの会」と教育班の活動
 私は、全通研石川支部(石通研)教育班の代表です。石通研に教育班ができ、聴覚障害の子どもたちを支援するための活動を行って4年目になります。私たちの主な活動は、コアラの会、耳サポート、英語ヒアリング問題の取り組みです。
 「コアラの会」は、聴覚障害の子ども達、家族、先生のための手話学習会です。2年前、額小学校の「聞こえの教室」(通級の難聴学級)のお母さん達の要望を受けて始めました。ろうあ協会の協力を得、教育班とお母さん達ど一緒に話し合いながら運営しています。毎月、第1,3土曜日午後、松枝福祉館で開いています。聴覚障害の小中学生、お母さん、「聞こえの教室」の先生、普通学校の担任の先生、幼い聴覚障害の子を抱えるお母さんなどが会員です。ときには、お父さんやおばあちゃんと家族みんなで参加されるときもあります。またろう学校の先生や生徒・お母さんが参加されることもあります。ろうあ協会の老人部の方々も時たま顔を出し、生き生きした手話を見せてくれます。そこでお礼に、昨年のろうあ協会の敬老会では、「大きなかぶ」の手話劇を披露しました。「コアラの会」は、なかなか手話に出会うことのできない普通学校に通う聴覚障害の子ども達に、手話の魅力を知ってもらい、家族や学校で使って欲しいと思っています。また、同じ障害を持った子ども達やお母さんに交流の場を提供しています。また、いろいろな立場の人のさまざまな情報の交換の場になっています。
 また、教育班は、金沢市額小学校の「聞こえの教室」でつくる「みみサポート」という冊子に、ノートテイクの仕方、字幕つきビデオの紹介、要約筆記・手話通訳の派遣の紹介などの記事を提供しています。石川県聴覚障害者センターの授業に使える教育ビデオも紹介しました。この冊子は、金沢市内の小中学校に通う聴覚障害児の担任と保護者に配られるものです。また、県内にも広く配布されています。最近、県内小中学校でも、講演会・卒業式に、要約筆記や手話通訳がつく例が増えてきています。
 聴覚障害の中学生の両親と石通研の要望を受け、石川県聴覚障害者協会は、高校入試の英語ヒアリングに対する配慮の要望書を教育委員会に出し、平成11年3月実現しました。この問題では、石川県難聴児を持つ親の会、石川県教職員組合も同様な要望書を出し、組織の異なる団体が、協力することができました。
 その他、「どんぐりの家」の学校上映、聴覚障害の両親のための子育てサークル「ぞうさんクラブ」、学校での手話講座の通訳依頼など、ここ数年の石川の教育に関する動きの中で、石通研はいろいろな立場の人との出会いを経験しました。
2.西南部中学校における、聴覚障害児に対する情報保障
 私事ですが、私自身が前任の市内の中学校に勤めていたとき、インテグレートした聴覚障害児の担任になり、このような問題に目を開かされました。彼は、110dBを越える高度難聴ですが、彼が聞こえないからといって人の後ろから付いていくのではなく、いつも自分で考え判断できるよう、情報を保障することが担任の役目と心がけました。その当時は金沢に中学生を対象とした「聞こえの教室」はありませんでしたが、3年間の担任の間にはいろいろな人のアドバイスを受け、試行錯誤をしながら工夫をしました。毎年学年初めには、聴覚障害児のいるクラスの授業の仕方について研修会を持ちました。学期に1回程度は、彼のことを話題にし支援の仕方について皆で話し合いました。授業を担当する先生は、板書を多くしたり、授業に沿った自作プリントを作ったり、それぞれ工夫して彼の学習を支援しました。私は理科を担当しましたが、3年間授業ではノートは使わず自作プリントを使用しました。彼は、授業に大変熱心で先生から目を離すことはなく、授業後毎回のように質問に来るので、どの先生もとても熱心に対応していました。授業に対し、彼なりに「こうして欲しい」という希望があるときも、よく対応してくれました。2年生のとき、彼が英語スピーチコンテストの学校代表になったときや入試では、多くの英語の先生が指導に当たってくれました。文化祭・行事などでは、劇の台本、司会原稿などを前もって彼に渡していただきました。講演会では、学年の先生方でノートテイクをしました。彼が2年生のときの講演会では、市の派遣によるOHP要約筆記が実現し、卒業式には先生方によるOHPの要約筆記が付きました。おそらくどちらも県内で初めて実現したものだと思います。
 彼のクラスメートは、指文字程度はこなしていました。集会でノートテークをしたり、文化祭では劇の脚本を指さしながら一緒に見るなど、彼を支援しました。休み時間は、黒板の前に集まって、筆談を交えながら遊んでいました。廊下を歩くときは、みんなの顔が見えるように、輪になって歩いたりしていました。特に仲の良い友人ができ、彼とは高校が違っても交友が続いているようです。周囲の生徒は彼に対し敬意を持って接していたという印象を持っています。
 彼の会話は、初めは口話と筆談だけでしたが、彼が手話を覚えてからは、授業や朝礼終礼は手話を付けました。初めは周りの生徒の様子を見ながらそっと始めた手話でしたが、2年生の後半には当たり前になっていました。手話を取り入れてから、私は楽になり、彼の情報量は飛躍的に増えました。それまでは、彼に関係のある情報を伝えるのが精一杯でしたが、手話を取り入れてからは、友人がなぜしかられているのか、リーダー会が何のために集まっているのかとか、学校全体の動きが見えてきたのではないかと思います。彼は、初めノートテイクを横でするのも恥ずかしがり、「後で見せて」と言っていましたが、卒業の頃には、集会で横で私が手話通訳をすると真剣に見るようになりました。
 中学校を卒業した彼が、ろうあ協会の事務所を訪ねたとき、「手話には表情があるから、要約筆記より手話通訳がいい」と言ったと聞いたときには嬉しく思いました。現在は高校3年生で、ときどき遠くの学校に転勤した私に会いに来てくれます。
3.インテグレートとろう学校・成人ろうあ者の役割
 最近は、普通学校でも手話への関心が高まっており、総合的な学習などで継続的に手話の学習の時間をとることは各学校の判断で可能になってきました。学校の講演会に手話通訳者を呼ぶことも可能です。一番の問題は、逆に聴覚障害児自身が手話を受け入れるかどうかかもしれません。イギリスなどでは、普通学校に聴覚障害児が通う場合、中学生から手話通訳が公費で付く?と聞きます。
彼の担任をして、私には、たまたま、手話通訳者としての経験(もちろんこれは長年ろうあ者の方々に教えていただいた事ですが)、また、知り合いにろう学校の先生や聞こえの教室の先生がいて、専門的知識アドバイスを得ることができ幸運でした。3年間聴覚障害児の担任をして思うことは、やろうという気持ちだけでは聴覚障害児の担任はできないということです。情報の保障をするには、手話はもちろん、専門家のアドバイスを充分に受けられる環境を整えることが必要性です。現在ある制度をさらに充実させ、ろう学校がインテグレートしている子ども達にとってのセンター的な機能を積極的に果たしていってほしいと感じました。
 教育班の活動は、今は、インテグレートした子ども達に対する支援が中心ですが、これは、たまたまそれを必要とする人たちとの出会いがあったからです。教育班は、聴覚障害の子どもたちが、ろう学校、普通学校、どのような教育の場にあっても、充分に情報が保障され、聴覚障害者としてのアイデンティティの確立が可能な環境で教育を受ける権利があると考えます。それは、周囲の善意に支えられるものではなく、制度として保障されるべきであると思います。その実現のためには、現在の教育の問題点を一番よく知っている、成人聴覚障害者の声に耳を傾け、子ども達の教育に携わる人たちが立場を越えて協力することが不可欠です。
 
千葉(宮城県難聴児を持つ親の会)
 5年生の息子がインテグレーションして小学校に行っている。先生が担任されたときに各教科の9人の先生に授業をするときの具体的なやり方を説明されたということだったが、それはどのくらい実践されたのか?
 
レポータ:西(全通研石川支部教育班)
 前を向いてはっきりした口形で話してくれる先生、プリントを作ってくれる先生、黒板に多く書いてくれる先生もいた。しかし、それぞれ癖があって、どれだけいっても早口が直らない先生、黒板に向かって話す先生、いろんな先生がいた。そのときそのときで話をした。みんな私の話に耳を傾けてくれたので、3年間いろいろな場面で話ができた。その理解の広がりが、最後の卒業式に字幕を先生方がパソコンで打ってOHPで流すということにつながったと思う。








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