レポート[5]
生活を豊かにきずく
〜SFA学習の取り組み〜
上貞 日出憲(京都・いこいの村栗の木寮)
<はじめに>
いこいの村・栗の木寮は、重複重度聴覚障害者の生活労働施設として、聴覚言語関係者のねばりづよい建設運動の結集によって1982年(昭和57年)、5月に開所しました。
その後、1992年(平成4年)には、特別養護老人ホームいこいの村・梅の木寮、綾部東部デイサービスセンター、綾部東部在宅介護支援センターの新設により、地域にねざした、聴覚言語障害者総合福祉施設として歩んできました。20年目を迎えた今年は、いこいの村・第2次事業整備計画の実現に向けて新たな運動の歩みが始まっています。
栗の木寮では、1999年度に大規模改修工事を終えて、仲間(入所者)の生活環境が改善されました。課題であった住環境が快適になり、改せて仲間の暮らしを見つめ直しするときに、参考としたのが、本レポートのタイトルにある「社会生活地力」です。2000年度の「学習」としてとりくんできたことについて報告します。
<仲間の学習保障>
栗の木寮では生活労働施設として、農作業班、裁縫・木工班、重複重度の仲間のゆったり班、しめなわ班の4班体制での作業と、仲間の自治会活動、余暇サークル活動などに加えて「学習」のとりくみを重視してとりくんでいます。仲間の一人ひとりの生育歴のちがい、就労経験の有無、コミュニケーション手段のレベルなど、色々の仲間にあった作業保障や生活支援がもとめられます。
縦割り集団の作業班や自治会での教え合う関係や支えあいと「共通のことばづくり」、横割り集団を象徴する「ことばの学習」での共感関係づくり、自らの健康を自律する「健康の学習」や介護保険や選挙など「社会の情報や問題を知る学習」等、「自己決定」を基本にすえた援助に努めています。「やらされる、与えられる」のではなく、「自分で決める・自分がやる」ということを大切にしています。
<SFA学習の動機について>
いこいの村第二次整備計画のなかに、仲間の将来や次の条件整備として「ケアハウス」「生活ホーム」「居室の個室化」「体育館・多目的ホール」「福祉工場」「診療所」といった形で反映されています。
「将来」について「自分はどうしたいのか?」という話し合いの場をもったとき、就学や就労経験があり、仲間集団のなかでもリーダー的な人達が「わからない」と言っていました。「もっと給料、小遣いがほしい」という希望があっても「社会で働きたい」という目標とならず、「個室の部屋で暮らしたい」けど「生活ホームに入りたい」わけではない、のです。消極的でマイナスの思考だ、というのは簡単ですが、では、私たちが日々の作業生活の援助を通して、仲間の積極性や意欲を高める条件を準備してきたのか?というとどうもあやふやではないだろうか。何がたりないのか、と考えた際にヒントとなったのが「社会生活力」です。
障害のある人が自分の障害を理解し、自分に自信をもち、必要なサービスを活用して、自らの人生を主体的に生き、積極的に社会参加していく「力」が「社会生活力」としています。その「社会生活力プログラム」を仲間の学習にとりいれてみました。
<学習の実際・・・ビデオ参照>
[1]居室の空間の使い方 別紙(12年度SFA学雪4〜5Gまとめ)参照
[2]居室の整理の仕方 タンスの整理
[3]交通機関の使い方 バスの利用
<まとめ>
外出や部屋の整理など、ADLの確立について基本的にはしっかりできているだろう、と思える仲間について、指導者側は意識的に援助に関わるということがなかったように思います。ADLの確立が課題となっている仲間を優先的にみていかなければならない、限られた指導体制ではつい、何を優先していくかという発想になりがちです。
今回の学習のとりくみを通して、仲間の今もっている力を更に高めるべく次の課題を整理して設定した学習の機会をつくり、「知らない、わからない、失敗した」経験を通して、「なるほど、わかった、できた(達成感)ことにより、次の課題に自ら挑戦する意欲、すなわち「生活の豊かさを自らの力で築いて」いけることを私たちも仲間とともに改めて学ぶことができました。
いこいの村・第二次整備計画の実現にむかっていくとき、仲間自身がその要求の主体者となることが、これからの運動のカギになると思います。また、15年度から始まる支援費制度が、ろう重複障害者のニーズや特性を反映したものとなるよう実践・研究にも努めていきたいと思います。
戸田(富山県ろうあ福祉会)
大きな施設でびっくり。きれいでいい。注意すべきことなどいろいろ話しながらグループで作業しているのに感激した。
問題というか服装がバラバラだ。ろうの知的障害の人にはいろいろな人がいると思うが、服装をある程度決めておけば、いろいろなことで区別ができたり、はっきり見分けができたりするのではないかと思うのだが、そのことについてはどうか。
司会:駒井(大阪府立生野聾学校)
仲間が服装をそろえていけば見やすいのではないかという考え方だがどうか。
レポーター:上貞(いこいの村)
特に施設としては、昔は作業服に名札をつけていたが、今はそういう服は決めないで自由に任せている。これからも施設から出て行って署名をお願いするときや買い物に出かけるときも統一することは考えていない。自分の力で何とかやれるだろうという例がいくつかある。
むしろ名刺を作って自分が誰だという、何かあったらここに電話をしてくださいという名刺を見せるという指導をしている。そうすると連絡をしてもらえる。
戸田(富山県ろうあ福祉会)
グループで自由な服装でということになるが、例えば一人で帰るとき、服とかが決まっていれば周りの人が見てどんな人かと分かるので、助けになるのではないかと思うが。
司会:駒井(大阪府立生野聾学校)
困ったとき、例えば転んでけがをしたとき何とかしてほしいと自分で信号を出せるように力をつけていくのか、そんなことしなくていいように服を決めてしまうのか。どちらが良いと思うか。
レポーター:上貞(いこいの村)
NTTの電話お願い手帳の使い方も教えている。これを出すと電話してくれるよ、非常に便利だよというのだが、今はなかなかできない。でも、人とのつながりを自分で作っていくように考えている。
人との関わり、コミュニケーションの大切なことは分かっているので、手を出さず、なるべく自分の力でやってもらえるように考えている。
司会:駒井(大阪府立生野聾学校)
例えば人の助けはいらない、自分でやれるということがあっても、その服を着ているおかげでみんな積極的に向こうから支援してくれる。自分で名刺を出してTELしてもらうという力をつけたいという例である。
佐藤(なのはなの家)
学校を卒業した後も生涯学習ということが分かった。卒業したばかりの若い人が入る余裕があるのかどうか心配。年輩の人が多いように見えた。
京都は聴言センターや作業所や施設など、サービスを受けられるところがあるので羨ましい。どうしてそんなに進んでいるのか。
レポーター:上貞(いこいの村)
綾部は法人だが京都聴言センターは授産所で入所更正施設がある。通所をもう1つ増やして第2の施設を作った。合わせて4つの施設がある。1番若い人で33歳、上は70歳。老人ホームが次の課題になっている。若い人達は聴言センターに通っている。若干余裕があるが。
昭和44年京都ろうあセンターを建てている。昭和53年社会福祉法人をとった。京都聴言センターということで実績がある。そのおかげで援助を受けられる。困っているから助けてくれというのでなく、困っているのは私なのだ、私達聞こえない者がどうしてほしいのだということを言っていくことが大切である。
司会:駒井(大阪府立生野聾学校)
ろう重複の子ども達がいるのでどんどん増えていくと思うが、方針にそれが結びついているのかどうかですね。
レポーター:上貞(いこいの村)
学校の生徒の合宿とかに使ってもらう。農作業を体験してもらってコミュニケーションをするなど、年に1回とか2回企画して体験してもらっている。
入所とかの話になると、施設の所長を含めて入所・退所の判定委員会を作っている。京都ろう学校とも話し合ってやっている。
司会:駒井(大阪府立生野聾学校)
施設があるが入所者の限界があるということか。
共同研究者:細野(埼玉聴覚障害者福祉会)
京都いこいの村の発表は、大人になったろう重複の人の日常生活を自分で作っていく力を育てていくということに取り組んでいた。
ろうの集団が大事という話をしたが、実際には単に聞こえない集団でいいのかということだけでなく、具体的な活動の内容とか課題を意識している集団か、など質を考える必要がある。働く場合にお互いに主体的にやれる集団か、生活の集団の関係はどうか、ということを、いろいろと取り組みを通して整理していく。障害や課題の違い、コミュニケーションの方法の違いで、細かく見る必要がある。
福島の佐藤さんの報告は、積極的な気持ちを持ち続けていればできるという素晴らしい報告だった。先日、福島へ行って実際に様子や場所を見たが、仲間が来ると落ち着く場所になっている。
埼玉では15年前にどんぐりの家を作った。そのときは卒業生1人だけ、次の年も1人で合わせて2人だった。ろう学校を卒業して在宅の人などを職員や運営委員で家に訪問し、仲間の広場のようなものを月に1回やった。その結果3年目の途中で10人を超えた。埼玉の場合は10人が最低の条件だった。
もう1つは同じように作業所がある市町村が、県に申請して認めてもらう必要があった。行政と交渉して、どんぐりの家がある市でないところから来ているときは、その市町村から補助金を出してもらうことができた。これも仲間を増やし交渉した結果だ。制度が合わないからあきらめるのではなく、変えていくための取り組みを、仲間を増やし支援してくれる人を増やしてやっていくことが必要。
ただ今の福祉の流れは残念だが、国の責任を県に渡す、県の責任を市町村に渡すというので、具体的な受付や事務は、平成1 5年度から身体も他の障害も市町村に責任が変わる。その仲間の住んでいる市町村の担当者の理解が絶対必要で、その上で県・国へも責任をきちんと要求していく。ろう重複の場合は市町村の責任だけでは無理なので、国や県で対策を持つようようにしていくのがこれからの課題である。
平成15年度以降は本人または家族でいろいろと福祉サービスを望む仕組みに変わる。実際は選べるだけの社会的な資源がないので、選べるだけの作業所を作っていくことが今以上に大事。選ぶわけだから仮に地域の作業所を選んだ場合に、聞こえないことについての理解をしてもらうことについて働きかけをしていくことが大事。親の立場だけでは力が弱いので、いろいろな学習を含めて理解してもらうところを増やす取り組みが大事になる。
埼玉の場合も、どんぐりの家ができたあともどんぐりの家に入った仲間と、他の地域の健聴の障害者の作業所や施設に入った卒業生の数が同じくらい。そういうところも聞こえないことについての理解をしてもらうことが、必要である。将来のことについては一緒にやろうという親・教師とのつながりを作っていくということが新しい課題になってくる。
施設を持っている大阪とか埼玉でも、ろうの高齢者のサービスを作っていくという次の課題に今取り組んでいる。その中で重複の高齢者の受け皿も作っていく。地域の中で暮らしていくためのグループホームも作っていく。1つ作って終わりでなく、そこをもとにして次の課題に取り組むことが必要である。
ろう重複の人たちの福祉をめぐる状況は厳しくなっているが私達の取り組みも1歩1歩広がっている。そこに確信を持って、それぞれのところでがんばっていこう。