日本財団 図書館


レポート[3]
あれから2年…
いっぽの会(ろう重複児・者を支援する会)と私の娘の成長について
前田 成美(奈良県立奈良ろう学校)
z1135_01.jpg
 1999年8月、第11回ろう教育を考える全国討論集会が奈良で開催されました。「私達が活動する地元の奈良で開かれるのだから...」と、未熟さを省みず、いっぽの会結成以来4年間の活動の経過を娘(祈子)の成長や母としての私の思いを含めて発表させていただきました。今でもあの時の緊張は忘れられません。正直に言って、何をどう話したか...それにもかかわらず、集会中、ロビーにてバザー販売をしている「いっぽの会のお店」には、絶えず人が来てくださり、買い物をし、励ましの言葉をいただきました。感謝です。
 昨年、かねてより懇談を重ねていた奈良県聴覚障害者協会の協力を得て、奈良県の福祉施設に在籍する聴覚障害者の実態調査を実施しました。この活動をきっかけに、ろう重複障害者を支援する活動の輪が広がりつつあります。
 あれから2年・・・いっぽの会はどうなったのか?今もって作業所は建てられてない。在宅を余儀なくされた私達の仲間もいる。娘の卒業まで、あと5年。思春期を迎えた娘の教育は?子育ては?2004年4月にはぜひとも作業所を開設するために、今後、いっぽの会はどのように取り組もうとしているのかを紹介し、皆様からご意見やご指導をいただきたく思います。
 ○奈良県聴覚障害者協会との定期懇談会の開催について
 ○ろう重複障害者実態調査について
 ○<なかまのひろば>開催について
 ○娘(祈子)の成長について
 祈子は、この春に中学部に進学し、同時に寄宿舎に入舎した。思春期に入り、なかなか親の思うとうりにもいかない。けれども、先生方やお友達に支えられてさまざまな体験をし、どんどんろう者として成長していく姿は、たのもしくもある。
 
 アピール「2004年4月までには福祉施設を開設しよう」
 1991年に奈良ろう学校の中で、重複学級、進路指導担当の先生と保護者が重複障害生徒の進路について、ともに学び考えていく学習会として出発した「いっぽの会」ですが、回を重ねるごとに一般企業への就職が困難なのはもちろん、各地にある福祉作業所も知的障害や身体障害者が中心なので、重複の聴覚障害者にとっては、コミュニケーションの面で適応がたいへん難しいことがわかりました。そこで、受身的に学習会に参加するのではなく、重複ろう児・者が社会に参加し、いきいきと楽しく生活できる場が保証できるような活動、また、彼らを支える家族や人々が、互いに励ましあい、相談できる交流の場を創ることを目指して、関係各団体の方々と協力をし活動を進めていくことを確認し、新たにいっぽの会をスタートさせたのが1995年でした。
 いっぽの会の最初のうぶ声から見れば、もう10年が過ぎ、21世紀へと時代は移ってきました。
 この間、最初の気持ちを忘れずつらぬき、重複ろう児・者のために活動を重ねてきたことは誇るべきことでしょう。しかし、一方で何人もの重複学級からの卒業生を送り出し、必ずしもいきいきと楽しく生活できる場が保証できているわけではありませんし、現在もいっぽの会の活動の中心を担っている会員の子どもが、福祉施設の措置延長施策を受けています。しかし、それもこの秋には期限が切れ、在宅を余儀なくされる現実を考える時、私達の活動は、決意も新たに、家族や関係各団体の協力を得て、連帯を深め、目標を定めて邁進する必要があるでしょう。
 2003年度からは、障害者の施設への措置制度が廃止され、障害者個人と事業者の個人契約制度と移行していくなど、これまでにない施設作りの問題はあると思われますが、大阪市内に重複ろう者の施設も建設され様としていますし、近畿では奈良を除く各地に重複ろう者の施設が点在しています。それらの先駆者に学び、必ず2004年4月までに奈良、ろう学校に近い大和郡山の地に重複ろう者のための施設を建設しましょう。そしてその場が、重複ろう者にとどまらず、すべての聴覚障害者、家族、関係者がいこえる場、楽しく過ごせる場の発信基地として機能できるよう、さらなる皆さんのご理解とご支持を得て、実現させましょう。
2001年4月22日
 2001年度いっぽの会定例総会
 
佐藤(福島県なのはなの家)
 三重の方へ。具体的に作業所は考えているのか。
 
レポーター:田中(ろう重複障害児・者を支える関係者の集い)
 作業所作りは考えている。その資金作りでフリーマーケットを頑張っている。
 
司会:駒井(大阪府立生野聾学校)
 何年ごろを目標に考えているのか。
 
レポーター:田中(ろう重複障害児・者を支える関係者の集い)
 まだそこまでいっていない。
 
司会:駒井(大阪府立生野聾学校)
 奈良の話の中に2004年を目指して設立という話があった。それは社会福祉法の改正と関わって、施設作りなど2004年をめどにしているというからみかと思う。三重の場合はその辺については了解されているのか。
 
奥田(三重県立聾学校)
 その辺のことは知っているが、まだ保護者が本格的に作業所を作るための辛さを全員が深く理解していない。各市町村の人数が少ないのでどこに作るとか、通えるような何か方法を三重県と探っていく。勉強と意識作りがまだ。資金は後からついてくる。
来年の卒業生は高等部が1人で間に合わない。しかし中学部2年に2人いてその次たて続けに毎年卒業する。その卒業生に間に合うようにしていきたい。
 
司会:駒井(大阪府立生野聾学校)
 大阪でも2004年をめどに設立したいという運動があるので、三重も頑張ってほしい。奈良も奈良ろうあ協会も2004年をめどに頑張ろうということになっているのですね。了解しました。
 
針山((富山県ろうあ福祉協会)
 重複の卒業生が、いろんな障害者がいる共同作業所「ラッコハウス」という施設に入っている。親の話では、他の障害者とのコミュニケーションができない、ろう重複だけの施設があればいいなと話している。「ラッコハウス」の法人化を目指して運動しているが、その中からろう重複の施設を作ろうという話が出てくるかもしれないが、今のところ具体的に作っていこうという話はない。
 
司会:駒井(大阪府立生野聾学校)
 滋賀には運動はあるのか。
 
北川(滋賀県)
 聴覚障害児の施設は10年前に廃寮になって、その影響でろうあ学校の寄宿舎に幼稚部の子どもも入舎している状況がある。
 ろうあ学校の重複の卒業生で企業就職している子もいるが、最近になってリストラで職を失う人も出ている。ろうあ学校の卒業生の調査をしてみたとき、父・母どちらかすでに亡くなった人が約半分だった。
 学校として重複担当の教員を中心にして施設作り、作業所作り、グループホーム作りが必要だとして、ろうあ協会・聴覚障害者センターとも話をしている。(仮称)み みのさと作りを進めているが、三重・奈良の話を聞いて、滋賀の弱点として保護者の参加が弱いと改めて思った。
 滋賀の場合、作業所はすでに80箇所ほどある。しかし、聴覚障害を持った卒業生が働いているとか、いろいろな課題を抱えながらも今の生活は何とかできるという状況もあって、新しい聴覚障害者のための作業所・施設というものが必要だという運動に集約できていないことが最大の欠点かなと思っている。運動を進めながら保護者の参加を得ていこうということで活動に入っている。2004年をめどに重複障害のための作業所を開所しょうということで、1億円の資金作りを目指して4月から動き出した。
 
司会:駒井(大阪府立生野聾学校)
 富山も滋賀も同じように親の力があればさらにいいのかなと思った。
 
山本(愛知県立豊橋聾学校)
 豊橋聾学校でも去年「おむすびの会」を立ち上げた。先月に第1回のバザーをした。研修会を開いたり「まつぼっくりの家」など施設を参観したり活動をしている。
 今日いろいろな報告を聞いたので参考にさせてもらい、また三重は隣の県なので連絡を取り合っていけたらいいなと思っている。
 
共同研究者:細野(埼玉聴覚障害者福祉会)
 親を中心にして集団を作って活動を進めるのは、いろいろな面で困難がある。どう乗り越えているのか補足してほしい。
 
レポーター:田中(ろう重複障害児・者を支える関係者の集い)
 初めは先生中心で支えられてきた。子どもの学年が離れていて、年が上のお母さんと下のお母さんで上手くいかない。
 
寺崎(三重県ひまわりの会)
 さまざまな考えをもつ親の集まりで、多少のトラブルもあったと思うが、仕方ないと考えている。どうしても子どもの年齢差もあったりしてニーズも違うが。一昔前は先輩のお母さんにものを言えない、そういう名残も少しはあるかもしれないが、このひまわりの会ではそんなことは絶対なくして、親はみんな親で同じであって、話し合って素直に聞きあって問題を解決していきたいと思っている。
 
レポーター:前田(奈良ろう学校)
 分裂の危機は2回あった。会の運営でなく、子育て・子の接し方についての意見の食い違いが原因でやめた人がいた。そのこと自体が会の運営に直接かかわるのではないが、会員の気持ちに関わってくるのでしんどかった。でも子どもを信じて子育てをしながら活動している。言いたいことを言える会として続けていきたいと思っている。
 もう1つ悩みがある。自分の子どもを重複と認めたがらない親がたくさんいるように思う。実際に、あすなろさん(重複学級の名前)へというふうに分けないでという要求が低学年の親から出ている。でも、低学年の親達が、自分の子が重複であること、子どもの成長について悩んでいないわけではない。私達も乗り越えてきたところなので、私達の会とお母さんたちとどう手をつないでいけるのかが、「一歩の会」の組織拡大につながるところで大きな課題と思っている。
 
小林(東京都ろう重複親の会)
 東京の重複親の会ができて30年、目指す会ができて15年。
 親の個々の意見の違いはあって当たり前と思っている。親は自分の子どもしか見えていない。自分の子どもの今の状態しか見えない。成長すると見えてくることが違う。それに伴って考え方も違ってくる。
 小学部の小さな子を持っていると、施設という言葉を持ち出してもピンと来ない。何年も先の話ということになってくる。それなのになぜお金を出さなくてはいけないのかということになる。
 逆に高等部になってくると施設が必要になってくる。明日、子どもが卒業するのに行くところがないと切羽つまってくる。お金はないし、友達はいないなんてことになると大変。そこは組織があることのありがたさである。
 問題をとにかくしまっておかないで何でも出す。それで違いがわかる。違いがどこから出てくるのかがわかる。その場が組織として設けられることが大事である。
 今、たましろの建物の工事が進み形がほとんどできあがった。外装工事に入って、来年4月には正式にオープンできると思う。形が目に見えてくると、親達のものの見方・考え方が違ってくる。直接関わった親と、ちょっと遠くからある距離をおいて関わった親の意見の違いが出てくる。それは1つの組織の運動の流れとして続けることが必要。その立場での意見の違いはあることも知りながら、一緒に手をつないでやっていく努力が大事である。
 資金作りにしても20年くらいかかってためたのは600万円。それだけあれば何とかなると思っていたが、実際は8億円からのお金がかかって今の施設ができた。お金の問題で今まで仲が良かった人達が突然分かれてしまうこともある。幸いお金のみで分かれることもなく施設ができあがるところへ来ている。
 親の会の流れを断ち切らないで続けていけて、第2、第3の施設作りにつながる見通しが出てきた。何でも持っている問題が出せるか、子どもによって意見が違うのが当たり前として受け止めていかないと、親の組織作りは厳しいのではないかと思っている。
 
司会:駒井(大阪府立生野聾学校)
東京の小林さんは、どんな団体に入っているのか。
 
小林(東京都ろう重複親の会)
 東京都ろう重複者をもつ親の会の会長をしている。たましろの里の関係では、社会福祉法人東京都聴覚障害者福祉事業協会の評議員をしている。「たましろの里」という施設名になっている。
 
共同研究者:細野(埼玉聴覚障害者福祉会)
 東京の親の会は30年の歴史を持っていて、いろいろな経験を重ね何でも話し合えるというふうになってきた。
 新しく作ったところも先輩とか後輩とかでなく、対等にお互いの悩みや抱えている問題を何でも話せる場を大事に進めているということでなるほどと思った。同じ障害を持っている子どもの親として、親同士の集団作りが必要だし、ろう重複子どもや成人の人達の作業所や経験ができる場を作っていく上で親の役目は大きい。しかし、親だけが集まって進めるのは困難があるのは事実である。
 ろう学校の役割、専門性の1つとして聞こえない重複児の障害認識を育てるだけでなく、親が聞こえない子を受け入れたり、どう付き合ってコミュニケーションをしていくのかについて、親と一緒に考えたり育てる役割があると思う。
 ろう学校の中で、重複の子どもや親が言葉やコミュニケーションの面で落ちこぼれているような存在のままいるという現実がある。教育の中味を変えていく必要もあるし、担任の先生達の役割も確認したい。
 実際に埼玉も東京もそうだと思う。今日参加している「いっぽの会」や「ひまわりの会」の場合も親と先生と一緒に活動を作っていくのが共通点である。それでないと苦労が多いと思う。そのあたりを教訓にしたい。他のところでも親の会を作ったり、活動を始めたりしているところもあるが、その紹介は明日したい。そういう地域の取り組みをもとにして全国的組織化が課題になっている。
 
第2日目
 
共同研究者:細野(埼玉聴覚障害者福祉会)
 富山ろう学校の寄宿舎の廃止に関わる問題についての経過報告のレポートについて、昨日の話し合いの中でも深められて確認できたと思うが、2つの意味で許せない。
 1つはろう学校にとって寄宿舎が特別の意義を持っているのに、それをつぶした問題。寄宿舎は、昼間学校に通っている障害を持っている子ども達が夜生活をする場だが、そこは生活の力、友達と喧嘩をするとかいろいろと一緒にやっていくための大事な経験を積んでいく場というだけではなく、ろうの集団を作っていく大事な場という特別の意味がある。
 もう1つはつぶす経過の中で、ろう重複の生徒をろう学校ではなく、養護学校に変えた問題である。昨日のビデオでもあったように、まだまだ充分ではないが、手話とか身振りで少し自分の気持ちを表したり、好きな活動を重ねたりしているろう重複の生徒を養護学校に、管理職とか行政が勝手に変えるのは非常に問題がある。
 ろう学校・養護学校が重複の子にとってどういう意味があるのか。聞こえない子ども達に口話とか手話とかコミュニケーションの方法をきっちりと見つけていく場だが、それだけでなく聞こえない子ども達の集団があることがとても大切。
 養護学校の中で、例えば手話ができる先生がいて子どもと話ができても、他の生徒と聞こえない子どもとは話はなかなか難しい。ろう学校の中で集団を作っていくことがとても大切。
 それだけの問題だけでなく、東京都は2つを1つにしたのが過去にある。他の所もこれから起こる心配があるので、富山の寄宿舎をつぶしたのを戻す取り組みを全国的に支援したい。
 2つ目3つ目の発表は、ろう学校の中で先生と一緒に学習会を重ねて、親の会を作ってきたという似ている内容だった。お二人とも自分の子との関係、小さいときとても厳しかったが、子が成長し親の考え方も変わってくる中で一緒に歩んできたという報告、それから、親たちが集まるきっかけも似ている。ろう学校の中で重複学級の親たちが集まって、いろいろと話し合いをしたきっかけも似ている。ろう学校の中で親は必ずしも集団になっていない。そういう親をまとめて悩みを話す、学校に対しての不満を話す場を作っていくきっかけは大事である。これから他のろう学校の中でろう重複の親の集団とか、話す場のきっかけ作りになるといいと思った。
 そのとき、ろう学校の先生の役割の大事さも昨日出された。今回の集会にも親だけでなく先生も一緒に参加しているのは、とてもいいと思った。
 ろう重複の子の教育のこととか進路・働く場、生活の場をどうするのか、進めていく力は3つある。[1]親の自覚 [2]ろう運動の中に重複の問題を取り上げる [3]ろう学校の先生や福祉の現場の職員が変えていく力になる。
 昨日、三重・奈良・愛知からの話があったが、他の所でも同じような取り組みが進んでいる。
 宮城 :今年6回目のフォーラムで初めてろう重複がテーマになって、分科会に60人くらい集まって連絡会が作られた
 福島 :なのはなの会
 新潟 :あさひ
 群馬 :トマトの会
 茨城 :アイリスの会
 埼玉 :どんぐり
 東京 :かたつむり
 神奈川 :川崎ろう学校の親の会
 静岡 :まつぼっくり
 愛知、岐阜でも親の会が作られて広まっている
 
堤(静岡県聴覚障害者協会)
 私達まつぼっくりの場合は、運営委員会と親の会とまつぼっくりの家と3つの関係がある。その関係の中で職員が集まって、施設長と指導員3人合わせて4人いて、家として運営している。 仲間が6、7人いて毎日指導したりしている。5人に達しないので補助金が出ないとのことだが、5人になるのはいつになるのか分からない。バザーだけでなく賛助会費のような会費とか、会を作って補助をするということが必要と思う。
 
レポーター:佐藤(なのはなの家)
 バザー活動が大きいが、賛助会員が増えて現在250人いてその会費も大切な資金源である。寄付金も10万とか20万とか予想できないが大きいのがくる。3本柱でしている。
 組織については最初は親の会として立ち上げたが、親の会だけではなかなか伸びない。親の会の正会員は最初6人で現在は9人である。今はろうの重複者の生活を支える会として、親の会以外の人でも参加できるよう拡大した。支える会には、なのはなの代表、親の会の代表、ろう学校、ろう学校のPTA、同窓会、手話サークル、通研、地元の手話サークル、県の聴覚障害者協会など大体16団体ほど運営委員として入ってもらい、1ヵ月に1回ぐらい集まって、維持して発展してつぶさないようにと頑張っている。
 人数的問題ではとりあえず5人集めるのが1番の目標。郡山市民だけでなく広域的な考えでやっていけるように変えるためにも、とにかく5人集めて、これだけ頑張ってやってきたのだ、必要なのだ、こういう仲間のいるところが必要だということを行政に訴えていってもらえるような形にしていこうと思っている。








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION