レポート[1]
ろう重複児と寄宿舎教育
針山 和雄(富山ろう学校寄宿舎を存続させる会)
はじめに
昨年の集会で、富山ろう学校寄宿舎の閉鎖についてこの分科会で報告した。居室の天井が落ちそうになるまで老朽化が進む寄宿舎を放置し、新たに入舎生を募ろうとしなかったために、舎生が減少し、ついには自力では通学できない中高部のろう重複生徒が3名のみとなった。
そして、十分な話し合いなしにろう重複の舎生の保護者を説得し、知的障害児福祉施設へ追いやり舎生をゼロとし寄宿舎を閉舎してしまった。そこには、ろう学校における寄宿舎の意義についての議論もなく、またろう重複生徒のろう学校での教育のあり方について議論もなくただ一方的にろう重複生徒を切り捨て、寄宿舎教育を切り捨ててきたものである。
富山ろう学校の寄宿舎の存続を願って、富山ろう学校の同窓会を中心に存続させる会を発足させ、署名運動から始まって、県教育委員会、富山ろう学校との懇談をすすめてきた。
存続をさせる会の取り組みと、取り組みから明らかになった問題点と、これからの運動について報告したい。
【1】中高部のろう重複生徒の転校及び退学までの経緯
寄宿舎に在舎していた3名の重複生徒はいずれも、高等部専攻科まで富山ろう学校在学を希望していた。しかし、議論することなく突然管理職の方針で保護者に退学を迫り、いずれの生徒もやむなく退学および他校への進路変更をした。そして寄宿舎を閉舎させた。その経緯を簡単に報告する。
H10年6月 |
高3Iさん、高2Yさんの保護者が教頭から進路変更を迫られる。 |
7月 |
Yさん、飛騨養護学校へ転校を決め、8月1日から高山市のやまゆり学園に入所する。 |
8月 |
一方的なろう学校管理職のやり方に憤りを感じ、Iさんの保護者が県教育委員会に相談する。 |
10月 |
Iさんの保護者が教頭に呼ばれ、Yさんが入った岐阜県のやまゆり学園入所を勧められ、児童相談所に相談に行く。専攻科までの進学を考えていたがそれも不可能。岐阜では遠すぎる。児童相談所で黒部学園は17歳なら入所できると聞く。 |
11月 |
Iさん18歳の誕生日直前の日に中退。黒部学園に入所。黒部学園に隣接している新川養護学校は高等部が設置されたばかりで高等部1・2年までしかなかった。 |
H11年4月 |
新校長着任。中学部3年Fさんの保護者が教頭から、専攻科には入れないが、高等部3年まではこの学校にいてよいですと言われる。 |
9月 |
Fさんの母、Yさんに会いにやまゆり学園に行く。(学校見学に行ったのではなく、ただYさんに会いに行っただけ。) |
12月 |
2学期末懇談会の日、Fさんの保護者と担任が、教頭に呼ばれ、将来のため養護学校進学の方がよいと言われ、しかたなく飛騨養護高等部への進路変更を決める。しかし、そのことは保護者も担任も口止めされる。 |
H12年1月 |
3学期早々、教頭は寄宿舎指導員に、Fさんの進路変更による退舎の件を告げ、寄宿舎も閉鎖になるので自分たちの今後のことを考えるようにと言う。校長は、職員会議で「Fさんの保護者の強い希望により、飛騨養護高等部入学を決意された。本校高等部に進学するつもりはないとのこと。よって寄宿舎生は0となり、閉鎖もやむをえないだろう。」と報告。 |
2月 |
岡島同窓会長、富山ろう学校に行き校長に会い、寄宿舎の閉舎について確認する。校長は今後も生徒が寄宿舎に入る可能性がないことを強調する。 |
3月 |
卒業式当日、寄宿舎閉舎の記念樹を植える。 |
重複生徒の進路を考えるにあたり、卒業後入所できる施設がない。そのため児童福祉施設は空いており入れるから、在学中に入れる施設に強引に入れてしまおうという考えもあったかもしれないが、それが県の財政改革と結びついて寄宿舎閉舎の方向へと向かったのではないか。
時には保護者をも担任をも口止めして行なわれたやり方は、全く生徒の人権を考えていない非民主的で前近代的な学校運営ではないだろうか。
【2】「寄宿舎を存続させる会」の活動
県内にろう学校は2校あるが、寄宿舎併設は富山ろう学校だけのため、富山ろう学校寄宿舎が閉鎖されれば県内にろう学校の寄宿舎がなくなってしまう。また、ろう重複障害児の教育保障のためにも、寄宿舎の必要な児童生徒は必ずいるとの考えのもと、富山ろう学校同窓会を中心に、「富山ろう学校寄宿舎を存続させる会」を発足させた。
先ず、会員を募り署名運動から開始した。会員は40名程度だが、映画「どんぐりの家」の上映実行委員会にも協力をお願いして、県内外からおおよそ7000筆の署名が3ヶ月あまりの間に集まった。
第1回の教育委員会との懇談をH12年9月に行い、寄宿舎の問題や重複の生徒に対する扱いについて懇談した。富山県障害者(児)団体連絡協議会にも協力をお願いして、教育委員会の指導課長と懇談した。指導課長の回答は「人舎を希望する生徒がいれば再開する。しかし家庭教育も大事である。」ということに止まった。重複生徒が無理やり退学させられたことについては、ろう学校からの報告のオウム返しで「保護者の考えで退学となった。」と答えるのみであった。
第2回目は11月に、7000筆の署名を持って教育長との懇談を行なった。残念ながら教育長は不在で教育次長が対応した。しかし、7000筆の署名の力は大きく、寄宿舎の修繕もして冬期間だけでも入舎の希望者があれば寄宿舎を再開したいと教育次長は回答した。また、「通学ができない生徒の通学保障だけではなく、生活指導をしながら人間を育てるという寄宿舎の役割を十分認識し、寄宿舎が大事だと考える。」と回答している。
その後12月にろう学校へ行って校長と懇談した。校長は高圧的な態度で「存続させる会」など知らないとうそぶいていたが、教育次長との懇談内容や署名のことを話すと、「補修の予算の計上もあり、入舎受け入れが必要な時には対応することは当然。」との回答をした。
署名運動や教育委員会、校長との懇談等の結果、教育委員会は寄宿舎に入りたいものがいればいつでも寄宿舎を再開したいといい、寄宿舎リフレッシュのための予算を組んだ。また、今年2月の職員暫定配置計画で、ろう学校寄宿舎にH13年度4月から5名の職員を配置した。また、高岡校から専攻科に入ってくるもの2名が寄宿舎入舎を希望した。また、富山校内部からも寄宿舎入舎を希望する生徒が2名出てきた。
【3】問題あるろう学校の対応
今年度、4月の始めに教育委員会との懇談の中間まとめを作って、障害児学校との窓口である指導課第三係の主任指導主事と懇談した。専攻科に入学予定の生徒が寄宿舎入舎を希望しているはずだが寄宿舎の再開はどうなるのかと聞いた。
すると、「ろう学校に問い合わせてみたところ、保護者は寄宿舎の入舎を希望しているが本人達は希望していないとの報告があった。」と主任指導主事は回答した。
しかし、私達が、直接保護者に電話で聞いている回答とは全く違うので驚いてしまった。また、前年度冬季間のみ入舎希望を出した、保護者に対して教頭が「雪が降ると学校に来られないのならば、学校を休んでもよい。」といった話もした。これには委員会も驚いていた。
この希望を出した保護者は富山校の同窓生で、この時の学校の対応に今でも怒りをもっている。教育権を侵害していることはもちろん問題であるが、口話や筆談、身振りで話がよくわからなく、まともに対応してくれなかったとのことだ。
ろう学校の対応の問題点を整理してみる。
◎寄宿舎開舎に消極的である。 寄宿舎希望をしているある保護者に対して、教頭が「寄宿舎を運営するのに1億円近くのお金がかかる。帰宅が遅くならないように、放課後、家へ早く帰るようにさせることで対処したい。」と説明し、寄宿舎入舎を断っている。
◎ろうの保護者に対して、コミュニケーションが不十分で高圧的である。
◎大幅な人事異動でろう教育における寄宿舎の意義や役割を知らない職員がほとんどである。「専攻科生なら寄宿舎に入らなくても、アパートでも借りればよい。」等の意見がある。
【14】ろう重複生徒と寄宿舎
重複障害を持った生徒は、ろう学校では進路の保障ができないため養護学校高等部へと追いやるのだろうか。富山ろう学校では現在小学部には重複障害の児童がいるが、中高部にはいない。
ろう学校には養護学校から異動して来る先生が多くなってきている。そういう先生達はろう教育については理解が不十分なまま重複児童生徒を見て養護学校行きを勧めるのではないだろうか。
私たちはろう重複の生徒もろう教育が必要であると考えている。
以前、富山ろう学校の専攻科を修了し、現在知的障害者施設のグループホームで生活しているろう重複の卒業生がいる。施設の指導もあったのだろうが、彼は自分が仕事で稼ぎ貯めたお金を富山ろう学校に寄付をした。彼は地域の手話サークルにも欠かさず参加している。
昨年の夏、存続する会で重複生徒の保護者の皆さんと一緒にバーベキューをした。その時飛騨養護学校の高等部に入学したFさんは、母親と一緒に参加していた。久しぶりに会ったのだが手話がとても上手になっていた。母親に聞くと担任の先生が、東京の養護学校から転任された先生で手話通訳士だということだ。偶然そのような先生がいたからFさんはこんなに話がうまくできるように発達したのだろう。しかし、本来ならろう学校でやらなければならないことが、このような形で養護学校でやられているのは、なんとも複雑な感じである。
存続させる会で、今年の5月に「障害児教育と寄宿舎」というテーマで学習講演会を行なったが、35名近くの人が集まった。
障害児学校寄宿舎関係者の全国組織である寄宿舎研究会から、京都府立向日が丘養護学校の山中先生、大阪市立ろう学校の楠本先生の2名の講師に来ていただいた。
山中先生には寄宿舎が障害児に対してどのような役割を持っているかについて、基本的な寄宿舎教育という観点からお話をしていただいた。また、楠本先生からはろう学校での寄宿舎の役割を具体的にお話ししていただいた。
山中先生は、寄宿舎がなくなることはろう学校の危機だと力説された。また、寄宿舎がますます重要な役割を持ってくるのに、行政は安上がりなことしか考えていない。21世紀の特殊教育のあり方に関する調査研究協力者会議の最終報告を紹介し、寄宿舎の重要な役割について話された。
楠本先生は、大阪市立ろう学校の舎生には自宅が徒歩で3分の生徒もいるという話から、小学部の子ども達や重複の子ども達が利用して楽しい寄宿舎生活を送っていることをお話していただいた。
また、ろう学校の寄宿舎のもつ役割として、伝え合うことができる場という他の障害児学校にはないもう一つの重要な役割について話された。
今後、講演の内容を、冊子にして、寄宿舎の重要性について訴えていきたい。
伝え合う、伝え合うことができる場としての寄宿舎はろう重複障害の子ども達にとって、いっそう重要な役割を果たすのではないかと思う。
おわりに
富山ろう学校の中学部、高等部には重複障害の生徒はいない。寄宿舎がなくなって、自力では通学できない重複障害の生徒は、寄宿舎のある養護学校や盲学校に転校させられるか、はじめから養護学校へ通学させられるようになるのだろうか。このままではろう学校からろう重複の児童生徒はいなくなるのではないだろうか。
21世紀の特殊教育のあり方に関する調査研究協力者会議最終報告では寄宿舎の事を「寄宿舎は、入舎した障害のある児童生徒等が毎日の生活を営みながら、生活のリズムをつくるなど生活基盤を整え、自立し社会参加する力を培う重要な場である。」また、重複障害については「盲、聾の重複障害のように特別なコミュニケーション手段が必要な重複障害の場合には、特に障害の状態に配慮しながら指導する必要がある。教員の専門性の向上や成果の普及、教育相談の充実を図る必要がある。」と報告している。
今年度の富山ろう学校の学校紹介パンフには、寄宿舎についての記載はない。表では休舎といいながら、実質的には廃舎の方向で進めている。
このままでは、寄宿舎がなくなり、ろう重複の児童生徒のろう学校での教育権が奪われかねない。
ろう重複児童生徒の教育の場は、ろう学校が良いか、養護学校が良いのかいろんな考え方があろうが、教育権を保障する重要な場である寄宿舎を奪ってもらっては困るのである。
小林(東京都ろう重複親の会)
自分の子どもは小3〜高等部卒業まで10年間寄宿舎生活をした。寄宿舎生活の大切さを感じた。
入舎したとき、体が小さくろう重複ということで職員の間にかなり不安があったようだが、2週間そこそこで慣れてきて先輩にまじり行事に参加していた。
手話がどうとか口話がどうとかという問題でなく、年齢の差がある中で、上下の関係・友人の関係を生活の場で学ぶ。学校を卒業後の施設生活には寄宿舎の生活が役に立つ。
北川(滋賀県)
滋賀県では、県の方針で障害児学校の寄宿舎を縮小する方向にあることは感じている。ろう学校の先生、特に寄宿舎の先生が寄宿舎の問題をどのように考えているのか教えてほしい。また、手話の問題についても上達してよかったという考えがあることについて話し合いがなかったのか。
レポーター:針山(富山ろう学校寄宿舎を存続させる会)
ろう学校の組合員も運動をした。全県の障害児学校の組合員が署名運動をした。ろう学校からの署名は組合の役員4名の分だけであった。
2年間で30人以上、ろう学校の3分の2が転勤した。管理職が寄宿舎の管理にも顔を出すようになり、寄宿舎の先生も何も言えない状況になった。
寄宿舎は交通というか通えない子だけが利用するもの、寄宿舎の集団生活というメリットは考えない管理職で、冬期間雪が降っていて通えないので寄宿舎に入りたいというと、雪があるなら休んでもいいと教育権の放棄をあからさまに口に出す。
司会:駒井(大阪府立生野聾学校)
針山先生のほうから話があったが、この燃えないという状況について何かないか。
奥田(三重県立聾学校)
Yさんが養護学校に変わって手話が上手になってよかったねということについて、養護学校にいる他の生徒とのコミュニケーションはどうなのか。これはろう重複の作業所・施設を作る問題と同じ問題ではないかと思う。本人にコミュニケーション力があればいい、しゃべれればいいということでなく、いかに仲間・友達と話ができるのかが大事。手話が上手になったからもう1度ろう学校へ転校して、一緒に勉強しようよというくらいの意気込みを保護者・先生が持っていいのではないか。
寄宿舎はろう教育特に重複の子たちの教育にとても大事だという観点だけでなく、単一障害の子たちにも寄宿舎教育はとても大事だと思う。学部を超えての付き合い、先輩・後輩・仲間、上の子たちが持っている手話を小さい子たちが見て獲得していく。
岡島(富山県ろうあ福祉協会)
私はろうあ者です。冨山の寄宿舎で学んできた。寄宿舎で生徒達が長く暮らして卒業して社会生活をしていく。OB達が寄宿舎がなくなることを大変だと「寄宿舎を存続させる会」を作った。そこから社会性が身についたことや先生方にいろいろ教わったことなど寄せられた。県教委へそれを持っていったが、ろう学校の様子を全くつかんでいないことがわかった。
三重の方から指摘があったように、障害児学校の中でYさんがコミュニケーション能力をつけたというが、それをどう思うか。
レポーター:針山(富山ろう学校寄宿舎を存続させる会)
母とのコミュニケーションは上手く取れるようになった。母も手話を覚えた。母は子どもがろう学校にいるときに比べて明るくなった。しかし、担任・クラスの友達・親との関係で止まってしまっている。仲間としてコミュニケーションをし、みんなと一緒に育っていくのはろう学校しかないと思う。男子で途中で退学した子がいるが、上手な油絵を描いた。ろう学校には専門の先生がいるが、施設では専門の先生に指導を受けるのは難しい。教育の果たす役割は重複の子ども達において非常に大きいものがある。11月にやめたのだが、あと4ヵ月たって高等部を卒業できた。
最初にやめていった子は7月。9月の修学旅行にいけなかった。大変悔しい。
佐藤(福島県なのはなの家)
単一ろうの子がどうして寄宿舎から誰もいなくなったのか。学校の中での重複学級の位置づけが弱いような気がする。お情けで高等部に入れてもらっているような状態はいけない。最近は重複学級の担任をしたい先生が増えている。福島では広いこともあり重複の子が養護学校へ行ってしまうことがある。ろうの重複の作業所とか、手話を使ったろう者の保障があるところの必要性を感じないで養護学校へ行ってもその後が不安だ。ろう学校の中での重複学級をきちんと充実していかなければいけないと感じている。
福島は広いので寄宿舎はまだ存続しているが、古いので人ごとではないと思っている。
司会:駒井(大阪府立生野聾学校)
福島は劇の取り組みが盛んだが、重複の学生も取り組みに参加しているのか。
佐藤(福島県なのはなの家)
きちんと重複の子に合わせた役をいただいて参加している。
司会:駒井(大阪府立生野聾学校)
それなのに重複学級はなかったのか。
佐藤(福島県なのはなの家)
3年前に要望して認められて今はある。
司会:駒井(大阪府立生野聾学校)
重複学級がまだのところは?
レポーター:針山(富山ろう学校寄宿舎を存続させる会)
富山は高等部に重複学級ができたのはかなり古く20年ぐらい経つ。できた頃は教育課程とか授業の中味を考える委員会を作っていた。
重複学級を出て施設に入って今グループホームに住んでいる人がいるが、毎週手話サークルに来る。グループホームには聞こえない人が1人なのであまり話ができない。手話サークルに来て簡単な話ができるのが楽しみで、手話サークルは7時ぐらいからあるが作業所が4時ごろ終わって4時半からずっと2時間以上も待っている。
戸田(富山県ろうあ福祉協会)
私はろうです。私は高等部3年まで寄宿舎にいたが、その中で上下関係のやり取りや、いろいろな失敗など体験をした。
私が住んでいる近くに「まわしえん」という施設があって、いろんな障害を持った人が住んでいる。前にそこにろうと知的と足の障害を合わせ持った人がいて、切符がなかなか買えなくていろんなやりとりをしている様子を見たことがある。「きみ、どこの学校にいたの?」と話しかけた。彼が卒業したろう学校では、手話は非常に厳しく禁止されていたので、知的障害をもっている子は切り捨てられていく状況があった。
いろんな力を身につけていく場所が寄宿舎と思っている。甘いとか厳しいとかでなく、役割があることを理解してほしい。
共同研究者:細野(社会福祉法人埼玉聴覚障害者福祉会)
ビデオを見てとても辛かった。本人はろう学校にいたいという気持ちがあるのに、突然学校を変わらせるなどということを今後くり返させないようにしたい。
ろう学校に入ってやっと少しずつコミュニケーションの力をつけてきて、自分の言いたいことを身振りとかでやっと話ができるようになってきたのに、途中で養護学校に変わるのは、入れないよりも辛いと思う。話したい要求を持っているのに相手がいない状態だ。
富山の寄宿舎をつぶす問題、東京都のろう学校を統廃合するというのは特別でなく、他のところにもあると思うので、今の動きを止める運動をしたい。富山ろう学校の中、高の中で重複はゼロ、小学部も減っていくのではないか。新しくろう学校に入る子もいなくなるのではないかと想像される。
5月に長野県で作業所の連絡会の集会があった。そこで岐阜県や茨城の報告があった。同じような例はまだまだたくさんあり、今後の課題だと思う
就学指導のあり方については去年の分科会でも大きいテーマになった。簡単には結論できないが、ろう教育の専門性を新しく作り直す時期と考える。例えば身振りとか手話の修得も含め、聞こえない子ども達あるいは重複の聞こえない子ども達にコミュニケーション能力をつけることも、新しいろう学校の専門性の1つであると思う。また、聞こえない障害を理解して歩んで生きていく力をつけていくことも、新しいろう学校の専門性ととらえ直していく必要がある。
これはろう重複だけでなく、私達の立場から声を大きく出していく必要があると思った。