日本財団 図書館


 
2日目
 
 
司会:長谷川(新潟県立新潟養護学校)
 安藤さんから討議の方向性を話してもらい、それを基に討議していく。
 
共同研究者:安藤(全日本ろうあ連盟)
 障害認識は我々障害者にとって、永遠のテーマであり、課題である。一定のアイデンティティというものも決められない。親が聴覚障害者の子どもに何を求めるのか。親として子どもに求めることが子どもの自主性を育てていく。親の希望そのままでは押しつけになる。その親は基本的な知識を持ち合わせてないので、医者とか教師の言うことをそのまま子どもに押しつけてしまうという面がある。私自身、自分の存在性、主体性というアイデンティティが確立できなくて、手話と出会い、聴覚障害者の皆さんとコミュニケーションする中で自分のアイデンティティを持った時、小さい頃はこうだったらという後悔(考え)が出てきた。日本語の獲得がある程度できて、そこに手話というものが加わって、力を発揮できるようになった。それも無視はできないと思う。だから聴覚口話法が絶対だめだという考えは持っていない。しかし、親と子の絆を深めたい、コミュニケーションがほしいという子どもとしての感情を、今の聴覚口話法の教育では無視していることが確認された。
 3つ目の柱は成人聴覚障害者としての役割。とても簡潔だ。全日本ろうあ連盟理事の方に聴覚障害者の役割、運動経験をここで話をしてもらったらいいと思う。私達が積み重ねてきた50年の運動の成果というものを、ろう学校に提供していきたい。学校内部の壁を突き破る努力が必要だ。聞こえる学生と聞こえない学生との交流だけではなくて、聴覚障害者の皆さんとろう学校の学生が交流する場所を積極的に考えていくべきではないかと考えている。将来的には、ろう学校の障害認識も変わるのではないかと思う。聴覚障害認識は永遠の課題であり、ここでまとめるのは困難。
 交流会の時に栃木ろう学校の石黒先生が素晴らしい話をして下さった。5人のレポートは20世紀の障害認識であって、21世紀の障害認識が提示されていないのではないかと話されていた。21世紀の社会的情勢やろう教育の変化を展望しながら、21世紀の障害認識のあり方を石黒先生から話してもらいたい。
 
石黒(栃木県立聾学校・盲ろう者)
 昨日の5人のレポート報告、安藤さんの話も伺い、一生懸命な雰囲気が伝わった。障害認識という大きな課題解決には、時間がかかると思う。栃木でも自立活動の役割が課題となっている。悩みながら、21世紀のろう教育の展望が変わっていくのはとても大事なことだと思うし、そういうプログラムを組む必要があるのではないか。いろいろな問題があるが、将来的な障害認識を少しずつ解決できればと思っている。例えば、言語教育、福祉、交流をする場を教える。言語教育に関しては安井さんのレポートにもあったように、手話でのコミュニケーションの中で障害認識が広がっていく。中・高生には障害認識は難しい面もあるが、手話を導入しながらコミュニケーションを広げていく。私自身が悩みながらカリキュラムを作り、ろう者の歴史、ろう者の文化を教えてきた。ろう者が悩みながら苦しみながらやってきたということを教えていく中で、障害認識が出てくるのではないかと思う。ろう者の文化は健聴者の文化とは違う。ろう者は補聴器を着けて音声の練習をしているが、これは健聴者に近づくためのもの。そうではなく、補聴器を着ければ免許が取れるし、補聴器で音楽を楽しむこともできる。ろう者の劇、ダンスも、そういうこともできるのだという情報を与えながらやっている。ビデオ、本を使って教えている。
 社会福祉関係では、障害者手帳はなぜ必要なのか、福祉の減免制度など市役所や福祉事務所などへ行って説明を聞く。行政だけではなく、老人ホームや障害者施設を実際に見学に行き、ろうあ者だけでなく様々な障害者に対してどのようなサポートが可能かという学習をしていく。交流プログラムでは、聞こえる中学生・高校生との交流。聴者との交流の中で、障害認識を強く持つ場面も多いと思う。コミュニケーションが通じなくて大変な時は筆談をしたり、指文字をしたりして、お互いの意思疎通を図ることもできる。ただ、課題や悩みはまだまだある。自立活動では、成人ろうあ者を招き高校生と話をしてもらっている。噛み合わない時もあり、辛いなあと思う時もある。手話だけでなく、表情も加えて楽しく交流したいと思っている。聞こえる人との交流では、以前は劇をやっていた。脚本などの作成には、パソコンを使っている。ろう者がキーボードで入力する時、「音がうるさいから止めて」と言われた。声で言われても分からないので、「何?」と言っても書いてもくれない。ろうとはどういうことなのかを学生達と話し合っている。高校生も社会経験がないと分からない。聞こえる人から「音がうるさくて迷惑になる」と言われたり、迷惑をかけたりすることもあるということを知り、反対に聞こえないことも分かってもらう。手話が分からなければ書いてもらうというやり取りの中で信頼関係が深まっていったり、上手くことが進んだりすることもある。いい環境を広めていこうということだ。中・高生の障害認識はまだまだ浅いから、深い話をしながらろう文化を学び、考えていきたいと思っている。交流会へ安藤さんに連れて行かれビックリした。私は盲ろう者なので、触手話で会話がスムーズにできて嬉しかった。これからも障害認識という目標に向かってプログラムを作り、ろうあ者の中にも広く伝わっていくように頑張る。
 生徒にとってモデルになるようなろうの教師がたくさん増えてほしい。また、家族が聞こえる人ばかりでは、家族内のコミュニケーションが取れず孤立するという話もよく聞く。親に対しても、小さい時からもっと早くろうという障害をきちんと教えていく。親が聞こえる場合でも、手話を教えてきちんとコミュニケーションが取れるという方針でやっていきたいと思う。
 
司会:長谷川
 ろう学校の中で自立活動(今までは養護・訓練だった)が始まり、基本的な考え方が変わった。訓練ではなくて、自立するための活動ということである。特に聞こえない子には、コミュニケーションとか障害認識が入っている。聞こえないということを前提に、授業プログラムが組んである。石黒先生は、悩みながらプログラムを作っていくというのが課題であるというお話でしたが、ろう学校の先生方に具体的な様子をお聞きしたい。
 
名波(静岡県立沼津聾学校)
沼津聾学校の自立活動の方針について話したい。去年までは「障害の受容について」と書いてあった。内容は去年と変わらないが、3つが基本になっている。1つ目、自分の聴力を知り、聴覚障害の受け止め方を学ばせるということ。2つ目、相手に応じて工夫してコミュニケーションを行えるようにする。3つ目、障害者の福祉について学ばせる。次は1年間の指導計画の内容である。2学期からは補聴器について学習する。補聴器の仕組みと管理、聴力検査。オージオグラムで、自分の聴力を知る。3学期からは伝達方法について、筆談やお願い手帳、FAXもある。また、NHK手話ニュースの見方や障害手帳、福祉制度、生活機器などを学習する。このような内容で沼津聾学校では行っている。これと並行して、お隣の沼津市立第5中学校と交流教育を行っている。また、東京都立片浜養護学校との交流もしている。いじめ、登校拒否などで心身ともに弱くなっている中学生が通っている。中学生でもいろんな心理面で悩み、学校に行けなくなった生徒達が集まっている学校。この学校との交流も年2回含まれている。これが沼津聾学校の「自立活動の交流」の例だ。皆さんのご意見をお聞きしたい。
 
司会:長谷川
 ろう学校の自立活動を紹介してもらった。ろう教育を受ける立場での要望や要求、学校に対する意見を聞きたい。
 
共同研究者:安藤(全日本ろうあ連盟)
 昨日の小田先生の話の中で、21世紀のろう教育の展望は予断できないということ。民族教育の中にろう教育が入るかもしれない。また、異文化の中に入るかもしれない。手話が一つの言語として基本的に認められることは、民族的な基盤である。これからの日本の教育に位置付けられるかもしれないということ。障害認識という考えは、基本的には2つに分けられると思う。1つは、今のろう学校の中で子ども達にどう障害認識をさせるか。インテグレートした子ども達に、教育の中でどう障害認識をさせていくのかということ。もう1つは、障害認識の基盤だ。私達がろう学校で学んだ時は、生徒数もその当時は多かった。様々な生徒がいて、様々なろう児もいて手話を育ててきた。ろうの文化を自然に身につけた基盤がある。インテグレートした子どもも増え、いま基盤が揺らいできている。改めて基盤というものを見直し、ろう教育を、障害認識を基盤としたものに変えていくのが大切な課題である。現状を容認しながら基盤を見直すことが、本当の意味での障害認識を育てる。専門家に言わせると、インテグレートが国際的な流れで止めようがないという考え方である。障害認識の基本的な視点を考え直し、ろう学校の先生方や関わっているろう者に提案したい。
 
司会:長谷川
 基盤は、人数の減少により崩れているのかと思う。昔はもっと人数が多くて、その中で自然に仲間同士の葛藤があって、何かを作ってきた。仲間は大事だと思う。
 
比嘉(沖縄)
障害認識というテーマは今だから言える言葉だと思う。昔は障害の克服と言う言葉を使っていた。これからは人権と言うことになるかもしれない。障害認識とは何だろう。私はろう学校で育った。ろう学校にいる時は、私は全く障害とは考えてはいなかった。友人は手話を使う。コミュニケーションも手話だ。先輩から手話を教わった。障害をきちんと分かってはいなかった。社会に出て、壁にぶつかった時に分かった。それは今でも同じではないか。聞こえない子を持っている親や関わる周りの聞こえる人が、きちんと認識できるのかが問題ではないか。耳が聞こえないことが、社会ではなかなか理解してもらえない。それを一緒に考えることも大切である。ろう教育に関わる懇談会に出ているが、それぞれの物差しが違い、合わない。皆さんとどのような接点を持てばいいのか悩んでいる。金沢市の挨拶文にも差を感じる。例えば聴覚障害者=手話なのか、そういうことは決まっていない。コミュニケーションが円滑にできるのか、情報保障が十分かだけではなく、人権という観点から論じてほしい。人権というのは、聞こえないことをどれだけ社会の人が理解するのか、分かってくれるのかを表すこと。アメリカ、ヨーロッパではデフジョークがある。日本には全くない。あってほしい。なぜできないのかと言うと、主張できる場がないからだ。この集いが、きっかけ作りになることを考えていただきたい。もう1つ、偉人伝のこと。聞こえる人の偉人伝はたくさんある。聞こえない人の偉人伝はあまり知らない。聞こえない人の中には、野球の選手もいる。頑張ってもらいたいと思う。
 
伊藤(愛知)
 30年前は手話ができる先生は1人もおらず、聞こえない先生もいなかった。そういう状況では、障害認識という考え方は持てなかった。卒業後ろう運動に入り、初めて認識できた。障害認識も2つあると思う。1つは自分のことを認識する。私は6人兄弟の末っ子で、兄弟が地域の小学校に入ったので、私も当然同じ学校に入るものだと思っていたが遠くのろう学校に人学した。アイデンティティは全くなかった。来客があると、私は物置小屋で手話をしていた。母は、ずっとやめろと言っていた。障害認識は社会的環境で変わってくると思う。私は健聴者に近づくのが目標だった。口話ができなくて社会からはじきだされたら困る、聞こえる方と同等にやろうと頑張り、川本口話賞をもらった。その賞をもらうことが誇りであるという時代の教育だった。安井さんは聞こえないろう学校の先生のお陰でというお話だったが、私の場合はそういう方はいなかった。もう1つは、ろう学校の歴史を学んでほしいこと。私は先輩から活動の場を通して学んだが、ろうであることに誇りを持てる教育をしてほしい。
 
共同研究者:安藤(全日本ろうあ連盟)
 ろう学校には30年前にも聞こえない先生はいた。家庭科の実習助手という形で、伊藤さんのようにとても頭が良くて、素直で可愛がられた子どもを助手に迎えるということもあった。自己主張をしない先生が昔は多かったが、今はそうではない。ろうモデルになり、ちゃんと話をしていける先生が多い。今までは存在感のない先生が大変多かったし、努力も足りなかったと思う。
 
梶原(石川県聴覚障害者協会)
 今までのお話はもっともなことだと思う。社会に出て分かったことは、周りの理解が足りないこと。障害認識という考えを、普通の学校教育の中に盛り込んでほしい。
 私の会社にブラジル人がいる。私は日本人で聞こえないが、向こうの人は遠慮をあまりしない。私が聞こえないと分かると、身振りを使って話を伝えてくれる。簡単なことは書いてくれる。人間として同じであることを現してくれたのでびっくりした。その人をもっとよく知りたいと思った。ブラジルでは学校教育で障害についての勉強があり、これは常識だと言われた。お互いに勉強できる場がほしい。
 
増田(三重県立聾学校)
 聞こえる人は聞こえているという認識があるのか。障害認識という言葉に対して反感がある。三重は東京や大阪や名古屋とは違う。私は高等部を担当しているが、障害認識の話をしても生徒にはなかなか伝わらない。車の運転をしたいという希望を生徒は持っている。車がないと生活ができないと言うが、障害認識までは話が及ばない。実社会に出たときに、きちんと生活できるのかと危倶している。
 
石黒(栃木県立聾学校・盲ろう者)
 各自の提言を聞いて参考になることは沢山あった。障害認識の定義を今決める必要はないが、徐々にまとめていけたらいい。自分の障害を社会に対してきちんとPRしていくことが必要。
 大学入学後に聴力が落ち、採用後5、6年経て更に視力が落ち、カリキュラムを読むのが難しくなった。たまたま全国盲ろう協会が立ち上がり、盲ろう者と出会い、コミュニケーション方法なども聞き、触手話で交流ができるようになった。自分からのPRは必要だと思う。他の学生やPTAにも触手話を広め、教えることで自信が持てる。聞こえる人達に、自分の障害を正しく伝える技術を養うことも必要だと思う。
 
岡本(全国ろう児を持つ親の会)
 障害認識はろうの人ではなく、健聴者が学ぶべきものだと思う。ろうとして当たり前に生きていく姿を、ありのまま見せてほしい。娘はインテグレーションしていたが、問題が沢山あり、ろう学校に変わった。インテグレーションの問題を整理し、皆ろう学校に戻るのが良いと思う。生徒数を増やし、ろうのコミュニティを作るのが良いと思う。娘は龍の子学園というフリースクールにも通い、そこでろう文化を学んでいる。デフジョークや偉人伝を、フリースクールのスタッフが普通の生活の中で教えてくれる。フリースクールは経済的に苦しいので、公立学校になれたらいい。人権問題について。ろう児をもつ親の役割は、言葉を教えることではない。子どもの人権を守るのが親の役割。人権とは、子どもが100%分かる情報を最低限与えること。聴力の軽い子でもベラベラ話されたのでは通じない。最低限わかる環境を作るのが親の役割。盲の子どもに教科書を見せて、「これを読んで覚えなさい」と言うのか。動けない人に歩く練習ばかり、一日中やるのか。なぜろうの子だけ、聞きなさい・話しなさいと言うのか。親として腹立たしい。
 言語という手話さえあればいいものでもない。先生もろうであれば誰でも良いわけではない。インテグレートした先生の文化は、親から見ると聴文化である。すごい抵抗がある。手話を使ってはいるが、ろうの文化でない。文化や人との関わりを含めたものが言語だと思う。以上3つを、ろうの人にお願いした。
 
司会:長谷川
 世の中に聞こえる人がほとんどである。逆に聞こえない人ばかりなら、障害認識という言葉はない。反発し合う関係ではなく、互いに理解し合って進むのが基本。親の立場からいくつか意見を出してもらったが、安藤さんに整理をしてもらいたい。
 
共同研究者:安藤(全日本ろうあ連盟)
聞こえる学校でも、今話された内容の勉強ができると良い。言語が違うから、聞こえない人自身が障害認識をしなくてはならない。聞こえない障害の社会的不利や、情報コミュニケーションの不便を、ろう者自身が認識し、訴えていかなければならない。戦後50年、ろうあ者自身が運動の中で団結し、交渉を重ね、運転免許や欠格条項など1つ1つの制度化が必要だと交渉を重ねてきた。基本的には、障害認識は私達自身がおさえることがとても大切ではないかと思う。子どもに認識させ、社会的サポートを整え、人権認識を深め、社会や教育現場で育てていくことは大切である。自己主張ができない子どもがいる。盲の子どもや肢体の子どもは、小さい時から自己主張ができる。ろう児は、両親とのコミュニケーションができない。そこを、共通認識していくことが大切なのではないかと思う。
 
比嘉(沖縄)
 私もそう思う。「着眼」(板書)が、健聴者とろう者は違う。例えば、「晩婚」(板書)。晩(夜)の結婚と表しているのを見るとおかしいと思う。逆に「早婚」(板書)は、早い結婚で意味も分かるが、「晩婚」は意味も違う。着眼する違いがあると思う。
 もう1つ、「情報が入る」(板書)のは、「情報」「入る」と手話で表現する。小さい子どもでは、「情報」「耳に入る」ではなかなか難しい。「電話がかかる」「FAXがくる」と具体的に手話をすればはっきり分かる。皆の意見も聞きたい。
 
共同研究者:安藤(全日本ろうあ連盟)
 手話の表し方が違うことを言いたいのか。
 
比嘉(沖縄)
 聞こえる人とろう者では、着眼点や物差しや考え方が異なることを言いたいのだ。
 
司会:長谷川
 聞こえない人と聞こえる人とでは、同じ面もあるが違う面もある。それを互いに理解することが大事だと話されたと思う。聞こえる人が手話を学ぶのは本当に難しい。違いをお互いに分かった上で工夫してほしい。
 
藤田(島根)
 少し前に経験したこと。東京に出かけた折、電車が満員で、隣の髪を赤く染めた16、17歳くらいの若い男性がじろじろ見るので、私は不快だった。我慢をしていたが、その男性が手話を表してきた。「どこで手話を覚えたの?」と聞いたら、小学校の時に習ったと言う。若い今の学生が学校で手話を習ったのは本当に素晴らしい。これからの聞こえない児童が、明るい希望を持って生きていける社会になれば本当に嬉しいと思う。
 
梶原(石川県聴覚障害者協会)
 ろうあ者も健聴者も学ぶ、お互いに学び合うということ。健聴者が学べばいいという考えは違うと思う。小学校4年生の国語の中に盲の障害の記述があるが、聞こえないことについては全然載ってない。ろう者についても教科書に載っていたらいい。
 難しい分科会のテーマだが、そのまま継続して論議していくことが大事だ。
 
比嘉(沖縄)
 ろう学校の先生にお伺いしたい。学校長が生徒をきちんとサポートしてくれるのか、対外的にものを言ってもらえるのか。逆に言うと、教室の中だけで終わっているのではないか。
 
土田(富山県立高岡ろう学校)
 学校や校長の考え方にもよるので、一概には言えない。私がろう学校を2つ経験した中で言えることは、教員各人が取り組んできたことが学校の方針を変えていく力になる。
 最近は、ろう学校の側から一般社会や企業にアピールしていかないとやれないのではないかという柔軟な考え方もだんだんと出てきている。学習指導要領の改訂なども具体的な変化のきっかけになる。障害認識も重要なテーマとして継続して取り上げてもらいたいし、ある程度の共通理解ができた段階で、全日本ろうあ連盟から文部科学省などへ具体的な提言として出してもらいたい。
 
司会:長谷川
 あと2人お願いしたい。
 
高木(東京都立足立ろう学校)
 去年の2月に足立ろう学校で関東ろう教育研究大会が開かれた。小学部2年生の先生が生徒に質問した。「全国から先生方が一杯集まってくるが、何だと思う」と言うと子どもは「手話が本当にいいのかどうか見に来るのだ」と答えたそうだ。風邪を引いて熱がある子もいたが、頑張って学校に来た。手話の学校を皆に分かってもらいたいという気持ちがあったと思う。この子ども達はろうという障害を受け止め、でも自分には手話があると誇りが持てるろう者に育っていくと思う。我校にはろうの子どもの集団があり、手話を認める環境は一応ある。自発的に手話で自由に討議する環境がある。熱心な先生はいるが、他校からの異動などでろうの障害が分からず、障害者を下に見る人達もいる。子ども達が手話をすると、「おまえの手話分からない」と言ってしまうのが非常に残念だ。先生が障害者をどう考えるのか、障害に対しての認識が大事だと思う。聞こえない子どもがインテグレーションをしなくても、筑波大付属に行かなくても、大学に行けるようになってほしいし、それがろう学校の先生の努めだと思う。残念ながら、公立学校は校長・教頭や先生の異動も非常に激しく、同じ状態が続かない。せめて、聞こえない子どもも大学進学できる学力を付けるという共通意識を持ってほしい。
 
安井:(愛知)
 大学入学後いろいろな人と出会い、手話やろう者とも出会った。大学の中でしかできないこともある。情報保障を確保するために自主的に動かなくてはいけない。自覚も自己アピールも必要だ。
 
藤田(島根)
 20年の教員生活の中で、校長もどんどん替わった。いい校長もいて活動が楽になったこともあるが、なかなか理解してくれない校長もいた。やっと話ができるようになると代わってしまう。また親の注文がとても多かった。ろう者が力を合わせ、親の力も借りながら、文部科学省を変えるという方針を持つ気概も大事だと思う。
 
比嘉(沖縄)
 聞こえない子どもが言語を獲得し、日本語を覚えていく。口話も手話も大事。物心がついた時に聞こえないことを教えることが、その後に自分の考えなどを出していける力になるのではないか。それが障害認識と関係があるのか意見を聞きたい。
 
司会:長谷川
 最後、安藤さんからまとめていただきたい。
 
共同研究者:安藤(全日本ろうあ連盟)
 私は日本のろう教育のレベルは、国際的には高いと思っている。ろう者全体の話す・書く・読む能力は、国際的に見て非常に高いレベルにあると思っている。私は国際的なろうの会議に出席することが多いのだが、日本のろう者は手話を使いながら声も出しているが、アメリカやヨーロッパのろう者は声を出さないで、手話だけで話をすることが多い。日本のろう者は、社会的自立のレベルは非常に高い。自分で働き、生活でき、自立できる人が大勢いる。聴覚口話法の成果を、そこに見ることができる。聴覚口話法が手話を省いてきたことは反省しなければならないが、聴覚障害者の認識のレベルを見ると、その成果も大事だということは押さえなければいけない。この2日間で、障害認識の定義は2つのことを前提にしているということは分かっていただけたと思う。1つは手話が言語であるということ。2つ目は、ろう児の人権問題。手話を言語として認めてきた中で学校が変わった、親の考え方もろう者自身の考え方も変わってきた。
 昭和45年に始まった手話奉仕員養成事業30年間の中で手話が国民的になった。手話の社会的認知の中で、ろう学校の手話への関心が深まると言えるような気がする。社会の聴覚障害に対する偏見も親の心理も変わってきた。ろう児を恥と思う気持ちもだんだん薄らいできていると思う。ろうあ的手話も変わったと思う。音声言語ではなく、手話で聞こえる人達とコミュニケーションができる。通訳者を職場に連れていくことができる。人権を守るという基盤があって、手話が言語であると位置付けていくことが大事である。義務教育の現場で、手話を言語として位置付けていく。戦後50年間真摯な気持ちで努力を重ねて、ろう学校に手話が言語であるということを求め続けることで、ろう児の学力を高める期待が持てるようになると思う。差別条項の見直しで、各種免許が取れるようになった。子ども達に勉強しないと免許は取れないと教えると、一生懸命勉強すると思う。一流企業に入るために、試験が必要となれば勉強する。先生達の努力だけではなく、学校や社会とのパイプを太くしたい。ろう学校の現場やろう者自身の立場から、自分の障害認識をきちんとイメージして積み上げていかなければならない。これは永遠の課題だ。2日間、本当にお疲れ様でした。








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION