2日目
司会:広中(奈良県立明日香養護学校)
討議の柱の確認をする。
▽討論1 各校の手話導入状況と手話環境を整備する上での問題点を子ども集団、教師集団、家庭等の点から状況を話してもらいたい。
▽討論2 手話の学習言語と生活言語、日本語の学習言語と生活言語について、意見の食い違いがみられた。それに対する具体的な実践方法について話し合いたい。
まず初めに、各校の手話導人状況と手話環境を整備する上での問題点を出してほしい。
司会:山田(石川県立ろう学校)
石川ろう学校は平成5年度に全日本ろうの大会をした時には、聴覚口話法だということで全国の先生を迎えた。大会が終わった後、聴覚口話法で本当にやれるかもう一度考え直そうということになった。その後、やはりいろんな手段がいるのではないかというふうに変わってきた。数年前に全校で伝わるためにはどんな手段でも使おうということになった。今、幼稚部で教育相談の時から手話を使う。共通のコミュニケーション手段はやはり手話が一番だろうということで使い始めている。その子ども達がそろそろ小学部へ学してきている現状をうけて小・中・高はどうずればいいかを考え始めたところである。教師は手話を勉強したいという人がたくさんいるが、どうやって研修すればいいのかが問題となっている。現在年6回程度校内の研修講座に手話をしている。平成11年度まではろうあ協会から手話通訳者、講師の派遣があったが、現在お金の出所がなく、今はきていない。今は学校の職員同士で続けているがなかなか身につかない。自分でサークルへ通う人もいる。保護者の方から手話のことで批判がでたことははない。
勝村(奈良県立ろう学校)
本校では早期教育部、幼稚部で積極的に手話をしている。しかし、手話を押しつけるのではなく、子どもの言葉や身振りを認め、たくさんの人とコミュニケーションしながら自分たちの言葉は手話がいいなと自ら気づいていけるような環境整備を作っている。その子ども達が小学部にあがってきている。それを受け止め、手話を共通のコミュニケーションにして学習が展開できるよう努力をしている。子どもは話し合い活動などで友達が意見を言うとき、視線が合ってから手話をするなどの様子が見られる。問題となるのは教師の手話の力量の差である。ろうの先生にはかなわない。保護者の方は手話の使用に積極的である。今担当している子どもは人工内耳だが、親はろうの世界で生きていくのだから手話は大事と認識している。
大野(新潟県立ろう学校)
本校は伝統的に聴覚口話法である。転勤して5年になるが、最初の年は手話を使ってはいけないと言う雰囲気があった。中・高では手話を使っている職員も何人かいて、聴覚口話法では授業をやっていけない子どもがいたので、少しずつ手話を使うようにした。仲間を増やし、昨年有志職員の手話の勉強会を始めた。今年、校長が代わり全体の職員研修で手話の講習会もやるようになった。ろう者に来てもらい教えてもらった。幼稚部は聴覚口話法である。一昨年静岡で手話を入れた授業を受けていた子どもが転入してきた。幼稚部でもだいぶ話をしたが、やっぱり聴覚口話法ということになった。担任は少しずつ手話をいれている。以前は実習助手のろうの職員がいたが転出した。新潟自体ろう教員は非常に少ない。ろうの教員採用枠を設けたということがあれば聞きたい。
司会:広中(奈良県立明日香養護学校)
教員採用枠を今年秋田県がつくった。他のいくつかの県も障害者枠をつくった。
中山(徳島県立ろう学校)
今の小学部4年の子どもが、幼稚部の年長の時から手話を導入した。今は乳幼児期から使用している。手話だけでなく聴覚活用にも配慮しながら、子ども同士の集団生活に充実させていこうという考え方である。手話を導入して、子ども同士が意見を出し合って学び合い、話し合い活動ができるようになった。小学部の教員は手話を積極的に使っていき、子ども達にとって大切なものであるという共通認識はできている。現在教員の手話力はまちまちなので研修を始めたところである。5年前から年に1回成人ろう者を招いてお話会をしてもらったり、生活科で昔の遊びをろうのおじいちゃんおばあちゃんと一緒にする活動をしたりしている。保護者の方の抵抗はなく、家族、兄弟のなかでも使われている状況である。
田中(山口県立ろう学校)
高等部は手話を使用している。幼少は積極的ということではないが、子どもの状況に合わせて使うようになった。子ども同士では声を出さずに手話ですることが多いようだ。その背景にろうの両親がいるということもある。保護者の方からは抵抗を感じたことはない。教師の方には抵抗はないと思うが、実際取り入れようということになると難しい雰囲気になると思う。学校にある自主的な研修会も会議などでよくつぶれる。
成瀬(富山県立高岡ろう学校)
6年程前からステージ発表会で劇をする際に口話と手話と併用で始めた。全体として了解は取れてない状況のまま続けてきた。昨年はろうあ福祉協会から講師2人に3日間来てもらい、生徒に手話を、その後教師を対象に講習会をやった。今年は時間割の中に週に1時間、中・高の生徒と時間が空いている教師が手話に堪能な教師を講師として講習会を続けている。卒業式の送辞・答辞は、今年度から手話を併用してもよいと職員会議で認められた。生徒がいろいろな学校行事で皆の前で話すときは併用している。聞こえのよい生徒も手話を身に付けていくべきだと積極的である。高等部の保護者へは「教師によって授業の中で併用することもある」といっている。口話法できた生徒は意識がなかなか思ったようにはいかない。ここ数年幼稚部・小学部に重複障害の生徒が増え、幼稚部から手話を取り入れるべきという話も出てきている。
滝沢(新潟県立長岡ろう学校)
私は一般校からきた。教師と子どもの1対1の縦の関係で、子ども同士の横のつながりがない。教師を挟んだ通訳的な形がおかしいと思った。個人の学力差が開いていくので、だんだん集団学習が個別指導になっていく、3年前、手話を導入している三重校や奈良校へ見学にいった幼稚部の先生を中心に意識が変わった。「手話も積極的に取り入れていこう、そうでないと子どもとコミュニケーションはとれない。ろうのお母さんとコミュニケーションがとれない」というところまできている。結論として、多様なコミュニケーション手段の1つとして手話を取り入れることである。あくまでも聴覚口話法を基本として、補う意味で手話を使っていこうということである。一人一人に合わせたコミュニケーションとなっている。言葉はいいが、自分達のコミュニケーションの手段がないからには、横の仲間で高め合い育ち合いが期待できない。中・高は自然な形で寄宿舎の子ども達が自由な雰囲気で使っている。毎月1回は手話講習会をしている。教師も関心のある方は出席している。講習会も初めは教師が講師だった。だんだんろうの親が講師の立場として出るようになった。昨年から保護者の参加も認めるようになった。
岡(三重県立ろう学校)
本校は幼稚部で手話を導入して、ここ数年有名になった。レポート発表したり、テレビで放映されたりした。子ども同士のコミュニケーションがスムーズになってきていると感じた。しかし、小学部の立場で言うと、手話をベースに育った子どもに日本語の教科書の本をどうやって教えていくかが悩みである。ようやく幼稚部と小学部の間で研修会をもって、共通の認識を持つ必要があるというとこまできた。教師の手話の力が大切だが、研修の時間の確保や方法の確立ができていない。
宍戸(福島県立ろう学校)
昨年本校で全日ろうの大会があった。聴覚障害者協会を後援団体として加えたのは34回目にして初めてのことである。本校は、現在コミュニケーションモードという言い方をしており、手話も使った指導ということになってきている。ろうの教師が2名、寄宿舎に1名いる。私は寄宿舎なので様子はよく分からないが、職員会の時は手話の上手な教師が通訳している。今、通訳のない場面はない。昨年から卒業証書授与にも付くようになった。校歌は2、3年かけて幼稚部まで浸透していった。職員の手話の研修は月2回で今年度開始した。幼稚部の保護者も積極的で、手話のできる親を連れてきて自分達で講習会をしている。同窓会、PTA、職員が集まる夜の交流会を学期に1回するようになった。
大山(兵庫県立神戸ろう学校)
ろうの教員が6名いる。ここ数年、会議では職員が通訳をしているが、しっかり手話ができる教師は2名である。講演会等で通訳が頼めない時もこの教師に頼むことになっている。小学部はこばとろう学校から来る子、ひばり学園から来る子、本校の幼稚部から来る子が集まるので、共通のコミュニケーション手段がない。今は1年生のひらがなのときから指文字を、挨拶など簡単な手話を取り入れている。今年初めて手話研究委員会が分掌になった。朝礼の5分前にプリントを配り、当番が職員の前で手話をすることをしている。会議の度に手話の上手な人も下手な人も一緒に手話をする。今、小学2年を受け持っている。親も講習会へ行き手話を吸収している。自分達は聞こえている通りに日本語対応手話を使っている。今後の課題は日本手話をどうやって教えていくのかということ。
司会:広中(奈良県立明日香養護学校)
後半の討論でその辺を深めていけると思う。
田中(東京都立足立ろう学校)
本校は手話を早期教育から使っている。子どもの共通言語は手話ということでどの子にも使っている。その上で、聴覚が使える子は聴覚、指文字が使える子は指文字を使い、日本語を獲得する方法としてそれを位置づけている。自分のクラスは、手話を共通の手段にしているので子ども同士の会話もスムーズである。聞こえる子どもに手話をするとよくないという意見もあるが、年齢があがると聞こえている人の集団では声を出し、聞こえない人の集団では声を出さないというように切り替えている。教員は異動が激しく、ろう教育の専門であるという教師がほとんどいない現状である。手話の研修は週に1回、ろうの人に来てもらっている。幼稚部の昼休みに子どもに読み聞かせをした後、教師を対象に講習会をしている。保護者も週に1回、幼稚部の親を中心にろうの人に教えてもらっている。
浜村(広島県立広島ろう学校)
本校では10年くらい前は、手話交じりのキューサインをしていた。発音にこだわりすぎてコミュニケーション嫌いの子どもがいるということで1998年、乳幼児から高等部専攻科まで手話・指文字を使うことを全校で確認した。新しく来た人は手話ができないと授業ができないことが分かるので一生懸命勉強する。新しい先生は4月1日に「3日でできる手話」というビデオを渡され、6日の始業式までに覚えてくることになっている。4年前にしっかり話し合い、学校の制度として手話を導入しようと決めたことが良かった。子どもも周りが使うので自然と手話を使う。デフファミリーが多いので聞こえる両親を持つ子どももそこから自然に日本手話を学ぶ、そのため子どもの表現が読みとりにくいという問題がある。保護者も手話が上手で教師より上手な人もいる。聞こえる兄弟がいる保護者に「手話が上手なのと子どもに分かるように教えるのとは別ですね」と言われた。
司会:広中(奈良県立明日香養護学校)
12校に話をしてもらった。ろう学校には多くの状況がある。手話を積極的に取り人れている学校もあれば、そうでない学校もある。実際に取り入れると手話と日本語の変換などの問題もある。では次に、生活言語と学習言語の関係についての話に入りたい。
共同研究者:鳥越(兵庫教育大学)
ろう学校の現状の報告を聞いての感想を。1つのポイントは学級作り。対話の力が発揮できるような集団作りが必要だ。個の能力を伸ばしたいときは個別指導、教科学習や会話の力を伸ばしたい時は集団指導と分けて考えていけばいい。対話の力に2つある。先生がろう者並みに手話ができ、教える力量があればよいが、現状では難しい。そこで、成人ろう者のボランティアなど社会資源を活用すればよい。最近の社会全般の動向として、いろいろな人に教育に関わってもらうという流れがある。もう1つは教材。先生の手話力が難しい時は、しっかりした教材を使って教科指導を進めていくのも大切。教材について私達の研究グループでやっていることを紹介したい。ろう教育部で国語の教科書の手話ビデオ教材を作り始めた。龍の子や連絡協議会でもそれぞれやられているが、単に手話の教材を作るのみでなく、指導案作りでも提案できるのではないかと調査、研究している。9月からいくつかの学校でこれらの教材を使ってもらうことになっている。光村図書の国語1年「くじらぐも」(教科書をOHPで見せる。)。5つのパートに分け読みを深めていく指導をする。8月上旬にろう学校の先生に集まってもらいワークショップを行ったが、そのときの物よりバージョンアップしている。(ビデオで見せる。)実際に指導する時は指導書に基づくが、市販の指導書では全部で14時間かけて健聴児向けである。ろう児向けに時間配分して学習指導計画をたててみた。1次読みでビデオを見て子ども同士で話をする。2次読みで読みを深める。3次読みで手話のビデオレターを作る。基本的な考え方は手話で読みを深めるということ。普通はビデオ教材で全体の内容を把握してから、日本語を通して読みを深めているところが多いが、ここではまず手話で読みを深め、4次読みでそれを日本語と結び付けていこうと考えている。今のところ1年で「くじらぐも」「動物の赤ちゃん」、2年「スイミー」「お手紙」のビデオ撮りを終えて指導案作りをしている。光村図書を使っているろう学校が多いので、ビデオ教材を本格的に作っていこうと考えている。先生に向けてワークショップも来年1、2月に3日間ぐらいやっていく予定。
生活言語と学習言語がある。学習言語の捉え方がそれぞれまちまち、生活言語は生活の中で使われている言葉。日本語に関しては分かりやすい。生活言語は話し言葉、学習言語は書き言葉と整理されてきた。これは、筑波大学の斎藤先生が出された言葉だと思われる。手話に生活言語はあるが学習言語はないとよく言われるが、生活言語をベースに学習言語ができあがっている。口話ができて初めてそれを文字にしていくのが日本語の書き言葉という、これが昔からのろう教育の議論だったと思う。龍の子の竹内さんは「手話にも学習言語がある」と言う。私の整理の仕方は学習言語にも2つのものがあるというもの。1つは話し言葉としての学習言語で、もう1つは書き言葉としての学習言語。日本語に関しても話し言葉としての生活言語がある。次のステップとして日本語に関して話し言葉のレベルで学習言語がある。教科指導の時には話し言葉がある。話し言葉としての学習言語が存在する。日本語の書き言葉を学習するためには、手話の学習言語を獲得することが必要。手話の生活言語から日本語の学習言語にもっていくのはとても難しい。手立てとして、手話の生活言語から手話の学習言語、要するに手話で抽象的な話をしたり、集団の中で話したり、集団に対して語りかけたりするのが手話の学習言語と考えればよい。これができあがると、日本語の読み書きの力に移行するのがスムーズでないかというのが基本的な考え方だ。手話の教材がめざすのは、手話の生活言語から手話の学習言語へというもので、これを作っていかないと日本語の学習言語に移行するのが難しい。聴覚口話法ではまず日本語の生活言語を作るが、それではなかなか子ども達の生活言語ができあがらないし、次のステップの日本語の学習言語ができない。それでは日本語の学習言語、読み書きの力はどうして育っていくか。手話自体を深めなければいけない。高いレベルの手話の力をろう児が身に付けることが大事。
近藤(筑波大学大学院生)
ろう者の先生が教えればいいが、健聴者が手話の力が乏しい教員に学習言語としての手話を教えることができるのだろうか。
前田(東京都立品川ろう学校)
鳥越先生の話はすっきりしていた。手話の学習言語をしっかりして日本語の学習言語へということについて2つ考えなければならない。手話の学習言語を獲得するということは、抽象的な能力を獲得して日本語の学習言語を学ぶことに移行できる。手話の音韻と日本語の音韻は違うが、日本語の学習をする時、音韻形成、音韻能力をどう付けていくかが必要だと思う。そのためには指文字の話し言葉が必要ではないか。
共同研究者:鳥越(兵庫教育大学)
1つめの質問について、手話ができるにこしたことはないが、現実どうするかという中で教材作りを進めている。ビデオ教材はビデオ教科書だと考えている。子ども1人に1本ずつ家に持ち帰って復習予習をして翌日学校で授業を進める。もう1つのポイントは集団作りだと思う。新しい学力観で子どもが主体的に学ぶようにしていこうと世の中が変わってきている。子ども同士の対話の力、教材を深めていく力が学級作りに必要だと思う。
幼稚部から手話を使っていくと、かなり子ども同士で対話ができるようになる。先生に必要なのは子どもの手話を読み取ること。子どもの対話の中で授業を進めていく。先生が子どもに「声を出しなさい」「元気がないよ」と言うと子どもがしゅんとする。子どもの主体的な対話を先生が邪魔している。
2つめの音韻について難しい問題だ。指文字は子ども達は小さい時から使っている。それは手話の範囲なのか、日本語の生活言語の範囲なのか分からないが、会話の中で使っているので手話の中で日本語を借用していると考えたほうがいい。ろうの母は子どもの小さいうちから自然に手話や身振りや指文字を使う。ろうの子どもにとって日本語の音韻はいろんな形がある。指文字、聴覚など自然でいいと思う。キュードスピーチでもいい。どれで音韻を作ってもいいと思う。日本語の話し言葉はできる子は伸ばせばいい。日本語の生活言語は、日本語の学習言語を作った後で作っていけばいい。
岩戸(東京都立江東ろう学校)
文章を手話に変え、読み取りを深めるということだが、最終的に文章を読んで行間を読み取ることに行き着くのか。ビデオに出ていた人の表情について、感情表現がどのように作られたのか。
正富(東京都聴覚障害者連盟)
私はろう者だが、いろんな学校で手話を使って勉強を教えているのが嬉しい。教師の中で手話の研究会をやっているとのことだが、その方法やテキストは何を使っているのか教えてほしい。
前田(東京都立品川ろう学校)
鳥越先生の「学習言語から生活言語へいく」ということは納得できない。英語は生活言語から学習言語だと思う。教員はろう者並みに手話ができないことに自信をなくしすぎてはいけない。30年近く手話を習ったが、自分の日本語に合わせてという学び方をしたので、読み取りが下手だと思う。子どもの顔を見て理解度を確かめながら下手でもいいから自信をもってやっていけばいい。
共同研究者:鳥越(兵庫教育大学)
作業の手順について、ろうの人と表現1つ1つにかなり議論した。日本手話の特徴なのか、視覚的にいろいろ補充してしまう。子どもが読み取ったり自分で表現する力を奪ったりしてしまうような気がする。ろう学校の先生や手話の研究をしている人が加わり作った。図に表すとこのようになる。
(前ページの図を参照)
健聴の子どもは何回も読んでいくうち読みを深めていくが、ろうの子どもの音読はそれほど期待できない。教科書は、日本語の話し言葉が十分できる子に対して作られているものなので、いくつかのトピックスを取り上げて教えていけばいいと思う。日本語でこんな言い方を手話ではこう表現する、と日本語の単語、慣用句、言い回しを手話を通して広げていく。日本語の行間の読み取りは子どもの力によると思う。
前田(東京都立品川ろう学校)
ろうの先生は日本手話でできるが、日本語対応手話を使う健聴の先生はどうずればいいか。
共同研究者:鳥越(兵庫教育大学)
だから教材が必要。先生の力量は必要だし、教材の勉強も必要だが、子どもとの対話の中で深めていくのは日本語対応手話でできる。しかし、日本語対応手話ではイメージと言語形式のやりとりを深めることができない。
斎藤(大阪府立生野高等ろう学校)
手話の勉強について。3年前に転勤してきたときは校内に勉強する場所がなく、手話に偏見があった。キューを使っている生徒が多い。手話を使わせたいと言っている先生も手話を使わない。
浜村(広島県立広島ろう学校)
テキストは使っていない,とにかく手話を使い、分からない手話表現についてはろうの先生や保護者に聞く。幼稚部は、保護者向けの手話教室が週1回あるが、教員は合間を縫って聞いていく。それでも間に合わないので、教科書に新しい表現がでてくると、それを子どもと作っていくこともある。
数家(京都府立ろう学校)
手話から日本語に変換の話だったが、日本語を手話に変換するのはどうすればよいか。教科書を手話にして日本語にとなるが、教科書は日本語のイメージを膨らませるというふうに作られている。
勝村(奈良県立ろう学校)
ペーパーテストでない評価について教えてほしい。
石川(東京都立太田ろう学校)
鳥越先生と前田先生の話の中で食い違っているのは教育論でなくて、どんな子どもを育てたいかではないか。鳥越先生が言っているのはスウェーデンやアメリカのような異民族がたくさんいるところでネイティブサイナーを育てていこうという考え方なのではないかと思う。前田先生は同一民族が一緒に生きていこう、日本語も分かってもらおうという教育論でやっているのではないか。
共同研究者:鳥越(兵庫教育大学)
最初の質問について、日本語から手話にいくのをどうするかについてだが、どちらからどちらではない。柔軟に考えればいい。
2つ目の質問のなぜ教科書を使うのかについて、教材作成のチームを立ち上げるときイメージしたのはスウェーデンのアダムスブックだ。ろうの子ども達が学ぶための教材でこれを作るのが長期計画。将来的にろうの子どもが日本語を学ぶための教材製作を進めているが、その前段として教科書を使って教材化や指導方法の調査、研究をしていく。国語科の目的に日本語の書き言葉を読みながら深める、表現できる、があると思う。ろうの子どもにとっての国語科は言語指導、日本語を獲得させる、それプラス手話や日本語で深い読みを作っていくことだと思う。健聴の子どもとろうの子どもの国語科の違いを認識して指導していかなければならない。当面は教科書を使わなければならない。
評価について。語りの力、経験をどれだけ手話で表現できるか、それを見て自分の体験、気持ちと重ね合わせて手話で話ができるか。これができていないと日本語の学習言語と結び付かない。
最後の質問について、教育論ではなく指導論だと思う。どう日本語を獲得させるのかという議論だと思う。どういう子どもに育てていくのかは社会が決めることではないか。成人ろう者の気持ちを考えて、どのようなろう教育の目標をたてるか考えなければいけない。日本の教育文化、学校文化が変わって来て、ひたすら教え込むスタンスでなく、子どもの主体的な活動、生活経験から学びを深める形になってきた。社会も変わり日本語以外のものにも寛容な社会になってきている。
まとめとして、今年は実践を積まれいくつか宿題が与えられた。教材の使い方、手話の学習言語をどう育てるか、評価をどうするかなど分からない点は多いが、ろう学校の先生方は実践をしてほしい。教材を提供するので、授業参観をしたい。それを来年度のこの分科会で実践報告してほしい。それぞれの教材の報告もしてほしい。