レポート[1]
小学部における手話と国語科の学習
堀谷 留美(大阪市立聾学校)
※このレポートは学年の実践報告であることをお断りしておく。
1.はじめに
手話や指文字をどのようにして日本語指導につなげていくかが、最近のテーマとなっているようである。
しかし、教師の手話の技術や理解度によって、授業が左右される面もあるだろう。また、児童自身が周囲に与えられる言語環境によって、自分の手話に自信を持てなかったり、手話も日本語と同様な地位をもった言語であることを知らないことが多い。
そこで、小学部高学年の国詰科の単元、「敬語」の指導を工夫してみた。この内容を、自己反省を込めて報告したいと思う。
2.児童について
児童は4人、教科書を使用している。国語科の進度については、6年進級時点で5年生教科書下巻の学習を開始した。
児童全員、口話のみまたは音声付き手話の習慣がついている。子ども同士では、手話だけの会話だが、授業では音声モードのみに替わる。ただし今年度から、難聴教員とろう教員が担任となり、7月時点で、授業や発表時の手段として音声付き手話や手話が定着した。
3.敬語の指導
小学5年生教科書のことば指導の中に、「敬語」の指導がある。
しかし、「日本語には敬語があるが、手話に敬語はない」という誤解がいまだに蔓延しているようである。そこで国語の敬語指導を通して、児童に手話の敬語表現を示して、自分の生活の中で使っている手話を再認識させることをねらって、指導を工夫してみた。さらに手話によって日本語の文法を説明して、日本語の理解を深めることを目的においた。またワークシートやプリントの反復学習によって書記日本語の定着を図ることにした。
【目標】目標を次の通り設定した。
児童に手話と日本語の変化を認識させる。どちらの言語も場面に合わせて変化させることを理解させる。
児童たちは、自分が日常使っている手話を、教科学習とは別の物ととらえ、切り離している習慣を持っている。そこで手話と関連づけて、日本語の理解を深めさせる機会を与える。
【進め方】
1.敬語の文章を手話で例示してみて、目線、体の向き、角度の変化により、敬語表現ができることを知らせる。また日本語の文法に対応する部分をさがさせる。
2.手話で文法説明して、位置関係をつかませて、だれを敬うかを認識させる。
3.日本語に変換させる。
・絵を見て表現
[1]絵を見て、普通の文章を考えさせる(敬語なしで手話表現)
[2]次に敬語を使う場合の手話表現を考えさせる(敬語を使う対象を確認して、敬語の意味を表すには、どうしたらいいか?を検討させる)
[3]書記させる
・単語の言い換え
「言う」を「おっしゃる」「申す」などに書き換える練習(ワークシート、プリント学習)
・普通の文体を揚面に合わせて敬語に変えさせる(書記)
4.敬語の小テストを行い、合格点をとるまで再試を繰り返す。
【児童の反応】
・自ら手話のバリエーションを作った。
(例)年とった女の先生、若い女の先生
・敬語の種類(尊敬・謙譲)を空間表現によって理解した。
・手話では、同じ手の形、動きでも目線、位置の微妙な調整で相手を敬う気持ちを表現できることを認識。この場合、日本語においても「言う」を「おっしゃる」に言い換える作業が必要であることを理解した。
・生活や日記などで手話、日本語ともに敬語表現を自ら使おうとする意欲を示した。
4.まとめ
敬語は、普段から使い慣れることが必要である。そこで日常会話で、こちらから「○○先生がこうおっしゃっていたよ」など手話で敬語を表すようにしている。また朝の会や授業時には、手話の表現に加えて、指文字や板書で文字化している。児童の間にも、場面に合わせて手話や日本語の表現を工夫する意欲が出てきたようである。
今後も、敬語のみならず、手話や日本語を適切な場で適切な表現ができるように、日常の会話や生活の中で働きかけていきたい。
ところで、個人的に関わっている地域の手話講習会のテキストには、場面や雰囲気に合わせて、目線など微妙な調整を行ったり、変化をつけることを指導する単元がある。しかし、聞こえる人特に大人は、目線や表情、強弱によってバリエーションが広げられることがなかなか理解できず、実技でも戸惑うことが多い。
逆に当たり前のことながら、ろう児は自然に手話の微妙な違いをとらえ、自らバリエーションを作り上げていく。いつも教員のこちらの方が勉強させられる。と同時に、やはり教員自身が手話という言語の理解を深め、研究していく必要性を感じる。このことは、手話と日本語の学習を深めていくためにも、今後教員が常に心に留めておかなければならない課題であろう。
岡崎(石川県立ろう学校)
石川の場合、手話を覚えている子は少しで力も足りない。大阪市立聾学校の小学部の子はいつ手話を覚えたのか。
レポーター:堀谷(大阪市立聾学校)
中・高等部の生徒は全員手話を使っているので、それを見て自然に手話を覚える。寄宿舎でも手話でコミュニケーションするので、自然な形で広がっていく。先生達も禁止はしていない。積極的な先生は手話講習会に通い、手話で教えている。
米田(京都府立ろう学校)
幼稚部は身振り的な手話をやっている。中・高等部は20年以上前からやっており、寄宿舎があり、環境的にも子ども達は手話を学ぶことが多い。私は1年生を担任し、手話を教えている。日本語を習得してくると手話に対しても興味を示す。音楽という手話を教えたら、「国語は?」「社会は?」とどんどん質問してくるので、その時に教える。低学年では単語程度で習熟するところまではいかないが、日記指導の発表時などに教えている。手話もコミュニケーション手段の一つであることを確認しながら、否定はせずに使うときは使っていく。
司会:木島(東京都立足立聾学校)
子ども同士のコミュニケーションは手話で行っているのか。
米田(京都府立ろう学校)
高学年は手話でやっている。教師の方が手話の技術が追いつかないという面はある。低学年では日本語を覚える方が早い。重複の子は手話を導入すると覚えが早くなる。過渡期である。
司会:木島(東京都立足立聾学校)
手話を教える教師もいれば、キュード・口話だけの人など様々かと思うが、子ども同士は自然に手話が増えていくと考えてよいのか。
米田(京都府立ろう学校)
いろいろな生徒がいる。聴力が60dB前後の子は家でも普通に話しているし、先生と1対1なら必要ないので手話を使わない。重複で手話はなかなか入らないが、キュードスピーチなら入ったという場合もある。
山崎(東京)
ろう学校では手話を応援しているわけではないので、自分達で作ったスクールサインを使っている。大阪の場合もあるのか。
レポーター:堀谷(大阪市立聾学校)
スクールサインはある。子ども達は手話の語彙が少ないので、子ども同士で工夫して作っている。困るのは先生達が間違った手話表現をした場合、子ども達へそのまま広がってしまうことだ。
司会:小原(石川県立明和養護学校松任分校・元石川県立ろう学校)
この際だから聞きたいこと、日ごろの実践で思っていることなどないか。
板橋(岡崎聾学校)
手話を使うと内容を読み取ることはできるが、テストに出すと答えられないことが多い。
レポーター:堀谷(大阪市立聾学校)
テストでは日本語をうまく書く力が大切。問題への答え方を教えることも必要である。
模擬授業をしてみましょうか。
模擬授業「大造じいさんと雁」
・授業者 |
:堀谷(大阪市立聾学校) |
・生徒 |
:山崎(東京都聴覚障害者連盟) |
|
戸嶋(筑波大学) |
|
富瀬.(宮城県) |
[黒板に、「大造じいさんと雁」の本文が数行書かれている。]
先生 |
:大造じいさんは、狩りをするおじいさん。
「残雪」の読みは。 |
生徒 |
:ざんせつ。 |
先生 |
:はい、いいです。ざんせつです。
意味は。 |
生徒 |
:雪が降って、それがとけずに残っているところ。 |
先生 |
:はい、そうですね。でも、今は雁の名前。雁は集団で飛んで来るが、その雁のリーダーの名前が残雪。おじいさんは、これまで雁を撃って狩りがうまくいっていたが、残雪が来るようになってからはうまくいかない。残雪がリードして、みんな上手く逃げてしまう。おじいさんは狩りができない。悔しい。それでおじいさんは、いまいましく思っていた。いまいましいの意味は。 |
生徒 |
:狩が上手くいかないので、悔しい気持ち。 |
先生 |
:そうですね。みんな、いまいましいと思った経験は。 |
生徒 |
:テストで100点取れなかった時。 |
生徒 |
:ゲームの射的で何回やっても当たらない時、いまいましかった。 |
先生 |
:そういう経験をしたの。大造じいさんと似ているね。撃っても撃っても、当たらない。 |
生徒 |
:1つくらいは欲しかったのに、いくらやっても当たらず、お金の無駄遣いになった。本当にいまいましかった。 |
先生 |
:今から、この文章を読んでもらいたい。読み方は口で読んでもいいし、手話を使ってもいいし、指文字でもいい、自由です。誰か読みたい人。 |
生徒 |
:[手話を使って表情豊かに分かりやすく読む。] |
先生 |
:[生徒の手話を文章に対応させて、どう表現したかを確認する。特に、「いまいましい」について丁寧に他の表現の仕方も考えてみる。] |
先生 |
:テストをする。大造じいさんは、残雪が来るようになっていまいましく思った。何故か。 |
生徒 |
:おじいさんは沼地で狩りをしていた。それまでは雁が捕れていたが、残雪が来るようになってから、撃っても撃っても雁が捕れなくなったから。 |
生徒 |
:長すぎる。 |
生徒 |
:残雪が来るようになってから、一羽の雁も手に入れることができなくなったから。 |
先生 |
:皆さん、合っています。長いのも短いのも合っています。 |
拍手
レポーター:堀谷(大阪市立聾学校)
本文はいつもOHPに映し、手話で表す。経験について質問することを大切にしている。
板橋(岡崎聾学校)
素晴らしい授業だった。私は正しく読ませたいと思ってばかりいて、子どもは内容を掴めないこともある。丁寧に細かく手話で表現すれば伝わるのだと思った。
米田(京都府立ろう学校)
ありがとうございました。先生のやり方は手話で表現するだけでなく、必ず文章に返っている。大切なことだと思う。「いつごろからか」を手話ですると、「何月何日」となってしまう。「季節」「朝昼晩」も「いつ」と日本語では表すので、そこを小学部低学年でおさえておく必要がある。先生の実践を見ていると繰り返し学習しておられるので、それが大事だと思った。先生が質問するだけでなく、課題追求読みもやってみるといい。
レポーター:堀谷(大阪市立聾学校)
細かく手話でやっていると言われたが、そうではない。全体の流れを掴んで、大切なところのみ細かく丁寧にやっている。それが大切だと思っている。今日は上手くいかなかった点もあるが、更に工夫していきたい。
議論
司会:木島(東京都立足立聾学校)
堀谷先生の、手話で日本語を教えるという実践である。ろう者としての自覚、生き方に関わってくる実践だった。意見・質問がなければ、先程話題になっていた各校の子ども達の手話の実情について話してほしい。
早川(久留米聾学校)
3〜4年前から幼稚部でもぼちぼち使い始めているが、担当の先生に任せる形で、学校としての方針がない。小学部5年生は8人いて、そのうち両親ろうの子どもは4人だが、この4人が中学部も含めて全体をリードしている。本物の手話が広がっている。自然な手話に触れる機会の大事さを、堀谷先生の授業からも痛感した。
司会:木島(東京都立足立聾学校)
足立聾学校では手話は小さい時から使う。両親健聴で口話併用の手話を使っている子も、子どもの集団があればその中でろう者の手話文法を身につけていく。2歳から通い始めた子も、子ども同士のコミュニケーションが始まれば半年でろう者の手話文法を身につける。子どものコミュニケーションの様子をビデオに撮って、日本手話の研究者に見てもらって分かったことである。だから、自然に言語獲得はできる。
福石(埼玉県大宮聾学校)
足立聾学校の子どものビデオを見たことがある。4歳児が友達に「傘が壊れたので、お母さんに新しく買ってもらう。」という内容の話をしていたが、成人ろう者の手話と同じだった。聞こえない両親を持つ子は、刺激があると学ぶことができると分かった。そういう意味で、堀谷先生の実践は大変良かった。手話も大切だし、身振り表現とか表情など見ていて良く分かる、それが大事かなと思う。手話表現と日本語との関わりを、どのように教えていくのか考える必要がある。
司会:木島(東京都立足立聾学校)
書き言葉と手話をどう結び付けるか。指文字も3歳までは使えない。それまで日本語はゼロでいいのか、そうではないと思う。文字は常に子どもに見せていく努力は必要と思う。
堀谷さんに聞きたい。6年生は最初、自分達が使っている手話に対して自覚がなかった。その後どう変化してきたか。
レポーター:堀谷(大阪市立聾学校)
ろう者としての自覚というのは、突然変わるものではないと思う。紆余曲折があって徐々に変わっていくものだと思う。最初は机の並べ方もまっすぐで、発言する時も前を向いて」言うだけ。隣の人が何を言っているのか分からない状況だった。私が担任をしてからは、机は丸く並べ手話を使って互いに分かるようにしている。皆にとって手話が公用語となってきている。しかし、これがろう者としての自覚につながっているかどうかの判断はまだできない。中・高等部にいるろうの先生が、いろいろなモデルを示すことも大切かと思う。
まだまだ子ども達にとって十分な手話環境ではないと思うので、どのように教科指導をするのかに悩んでいる。
仲谷(富山県立高岡聾学校)
私の学校は、最近までキュード・口話を最優先にしていた。手話を使い始めたのは高等部で5年前から、中学部では去年から。今、中学部3年生を担任しているが、この子ども達は小学部の間は口話だけ、中学部2年生ではキュードスピーチがコミュニケーションの手段だった。声もないキューだけのコミュニケーションなので、私とは口話だけでやっていた。しかし、子ども達は自分の口話が通じていると思っていた。授業も最初はキューを使ってやっていたが、授業ではキューを使わないことを約束し、昨年の1年間で少しずつ手話を使うようになってきた。幼稚部から高等部で、デフファミリー出身者は2人だけ。本校にはろうの先生もいない。今まで口話だけの指導を受けていた生徒の今後に悩んでいる。手話をやり始めたが、卒業まで時間もないのでどうしたらいいのか。
梶谷(京都府立ろう学校)
先程の米田さんに付け加えて小学部の実態を話したい。保護者からは手話でやってほしいという要望も増えたが、発音指導をきちっとしてほしいという要望もある。重複生もいて、その障害は多様化・重度化している。子どもの数も減り、今年は小学部全体で12名である。親の要望、子どもの実態、教師の考え、教師にも手話に力を入れたいという人もいるし、口話の力を落とさないでやりたいという人もいる。朝礼でもカード・キュー・手話あらゆる手段を使って通じるようにやっている。授業は1対1のことが多いが、分かり合えることを大切に、その子に通じる手段でやっている。昨年、教師10人で確認したことは、どの子にも口話も手話も力をつけて卒業させよう、教師が手話を使う時は、きちんと手話技術を身につけて使おうということである。そのために、今年からろうの先生を講師として手話の研修をしている。今年、私が担任している子は聞こえるので、口話だけで十分通じている。昨年、一昨年の5・6年生の子は聞こえなかったが学力が高く、読み書き力検査をすると、中学1・2年生の言語力があった。だから、手話を使う必要がなかった。
司会:木島(東京都立足立聾学校)
手話は、子ども同士の共通のコミュニケーション手段にはなっているのか。
梶谷(京都府立ろう学校)
なっている。だが、子どもも教師も何処かできちんと学んだのではない。
山崎(東京都聴覚障害者連盟)
ろう者のアイデンティティを確立するにはどうすれば良いか。私が考えるには、例えば普通の学校と交流した時にコミュニケーションが成立せず、そこで初めて聞こえないという自覚が生まれる。
共同研究者:西垣(滋賀県立聾話学校)
今日のレポートから子どもの状況がはっきりと分かったと思う。いろんな工夫がされていた。「具体的に見て分かる」、これが聞こえない子どもの教育には大事である。今日の模擬授業はとても良かった。書き言葉と手話とが結びつくこと、見てよく分かったと思う。大切なことの2つ目は、「繰り返すことでもっと分かる」ということ。模擬授業でも手話と日本詔を結び付けるところがあったり、板書があったり、自分の体を使って表すことがあったりと繰り返していた。子どもの反応を見ながら分かるまで繰り返していた。3つ目は、「なるほど」、分かるということは、自然に納得できること。それが、分かった! やれる! という自信につながる。それが障害の認識につながり、聞こえないことに誇りを持つことができる。
こういう流れがあって、ここ3〜4年前からろう学校で手話の導入が広がってきた。以前は聞いて分かることが中心だったが、研究しているうちに手話が市民権を得て広がってきた。ろう学校でやってみようとなった。その例が、足立・三重・奈良の幼稚部である。少しずつ全国的に広がってきているが、問題は手話でコミュニケーションをすることはいいが、書けない、学力と結びつかない、社会に参加した時にどうなるのかということ。これは、「繰り返すことでもっと分かる」「なるほど」の2つを大切にしてこなかったからではないだろうか。
重要なことは、子どもの発達していく状況に合わせなければならないこと。どの子どもにも手話がいいというのではない。その子どもに合わせながらやること。気を付けなければならないのは、キュードスピーチは手がかり言語。つまり、音声言語を獲得するための1つの手段である。イメージ・概念を掴むことで、手がかり言語を省いていくことが必要である。しかし、高岡では、親・子ども・先生とのコミュニケーションのためにキュードをはずすことができないという状況なので、言葉の指導に対して何が必要なのか、問題を整理しなければならないと思う。
大切なのは、いろんなコミュニケーション手段を身につけることだ。さらに、小学部3年生までは、いろいろな手段を使いながら、言葉の読み書きの力をきちんと保障する。その上で、少しずつ手話と音声を切り替えながらやっていくことが必要ではないか。相手が健聴者ならばコードスイッチングして音声にする。相手がろう者ならば手話をする。その場に合わせて切り替えていく力を、毎日の生活実践する中で身につけていく。
今、堀谷先生の実践の中に敬語と言う話があった。日々の様々な事柄を、勉強に結び付けている。経験と言葉が結び付き、そのことが手話を使って分かる。積極的な手話の使用を工夫していく必要がある。この場合の問題点は、ろうの先生がいないこと。また、聞こえない人との付き合いがないということ。それをどうするかということで、日本手話研究所で手話の教材を作っている。国語の教科書にある「くじらぐも」などを、ろう者が手話で表現したビデオがある。この手話を見て言葉と結び付けていく、そのように使ってほしい。また、ろう学校の卒業生を呼んで交流することも大切である。
交流については、聞こえる学校との交流を積極的にやっていくことが大切である。その中で、お互いに自分が聞こえないこと、聞こえることに気づく。コミュニケーションのズレが生ずる事で聞こえる人と違う、自分がろうであると自覚するのは良い事である。社会科の公民では基本的人権の学習がある。他校との交流でコミュニケーションのズレがあったが、自分は社会参加できるのかなど子どもの体験を教科学習に結び付けていく。
司会:木島(東京都立足立聾学校)
この分科会は、手話を使うことが教科学習を進めるときに非常に有効だということを前提にして、手話の使い方をどうしていくかの議論を深めていきたいと思っていたが、現状ではいろいろな学校があり、そういったことを含めながら討論してきたと思う。基本的には、子どもも親も教員も含めて手話を使った言語環境をどう作っていくのかが大事だと確認しておきたい。早期であろうと途中からであろうと、手話を始めていくことがいい。どの子どもにとっても、重複の子を含めて、手話は子ども達の共通のコミュニケーション手段になる。自分がろうであることを肯定する、手話は自分の言葉なのだと肯定する、そういう障害認識を育てることにもつながる。