レポート[4]
手話導入4年目の現状と課題
花園 睦美(神奈川県立平塚ろう学校)
1.はじめに
本校では3年前から手話を、2年前から指文字を導入した。手話が有効なコミュニケーション子手投であり、通じ合うことによって情緒面での安定・年齢相応の気持ちの育ちが見られるようになってきた。
2.昨年度の状況
また、本校では「あそび」が子どもの生活の中心であるという考えから、毎日1時間程度3、4、5歳児全体で「自由あそび」の時間を設けている。
子ども達はそれぞれに学級(本校では人数にかかわらず学年1学級としている)集団の意識が育ってきている。が、最近は遊びの場面でも(コミュニケーションにおいても)学級の枠の中でのかかわりが多くなってきたのではないか、また少人数の学級集団では子ども達の関係が固定化してしまう(コミュニケーションにおいてもやりとりがなくても通じ合ってしまう)という反省が出された。
3.今年度の試み
そこで、今年度から保育内容を見直すことになった。
<具体的な取り組みとして>
*縦割り活動の導入 |
・週一回の縦割りグループ別の朝の会 |
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・縦割りグループによる給食(幼稚部の職員と子どもが全員ホールに集まって食べる) |
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・土曜日(原則月2回)の縦割り活動 |
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・運動会でのグループ分け |
<期待するもの>
*縦割りグループの異年齢の友達との活動を通して、自由あそびの場面でも自然なかかわりができるように。
*遊びだけでなく、コミュニケーションの面でも子ども同士(年上の子どもから年下の子どもへ)の中から身に付けていけるように。
4.保育者側の取り組んでいかなければならないこと。
<あそび>
*全体の子どもを全員の保育者で見守っていく。
*環境を設定していく。
*保育者自身が遊び込む。
<コミュニケーション>
*子ども達に確実に伝えているか。
*子ども達の発信を確実に読み取っているか。
*子どもが直接交渉するように援助しているか。
佐野(愛知)
他のろう学校の先生にも聞きたい。手話を導入して教育に取り組んでいることを羨ましく聞いていた。が、一つ引っ掛かるのは、レポートの中で聞こえない成人の方、ろうのモデルの姿が見えてこないこと。取り組みの中で聞こえない教師や成人との関わり、例えば地元のろう協や成人の人たちと先生方がどう関わっているのかが見えてこない。学校としてどう関わっているのかをお尋ねしたい。
レポーター:花園(平塚ろう学校)
ご指摘いただいたとおりで、本校にはろうの先生はいない。県内の別の学校にはいる。モデルとしてろうの成人の方は必要だと思っているが具体的にはしていない。ろうのお母さん方に行事の中で出し物や話をしてもらうことはある。縦割りを始めて、高等部の生徒達との関わりを持ったらどうかという話が出ているが、子どもたちにとってモデルとなる人たちとの関わりについてはまだ具体化されていない。
レポーター:佐々木(広島ろう学校)
本校には聞こえない6人の先生がいるが、幼稚部にはいない。以前から聞こえない先生の子どもたちへの接し方は違うと感じていた。成人ろうの方に、幼稚部の保護者に対して話をしていただくことで関わりを持っている。小・中・高等部では、先輩のろうの人に仕事や福祉などの話を聞く。教員向けとしては、同和教育の話を年1回聞いている。その時にろう学校に対する要望も出ている。
また、県のろうあ協会の文化部で子どもたちを集めて一日過ごす行事があり、保護者は聞こえない人と話す機会がある。今年度、若い人たちがフリースクールに似たような活動をしており、4月と8月に幼稚部と小学部低学年の子どもたちへの参加を学校として呼びかけ、教員も一緒に参加している。
レポーター:岩原(石川県立ろう学校)
聞こえない先生が一人いるが、幼稚部の子どもたちと関わることはほとんどない。幼児が成人ろうの人と関わる場は全くない。そのような観点も考えていかなければならないと考えている。
五十嵐(神奈川)
平塚ろう学校の近くに住んでいる。幼稚部からの手話導入はスムーズにいったと聞いている。今日のレポートでも手話の導入で子どもたちは生き生きと楽しく勉強していることが分かった。平塚では高等部の手話導入はどうなのか。幼稚部にデフファミリーの2組のお子さんが入って、親子のコミュニケーションの素晴らしさに先生も引き込まれ、それぞれの子どもに合った手話を導入していると聞いたが、小学部では手話の導入を反対しているようなのでちょっと躊躇しているという話を陰で聞いた。先程の話でせっかく導入された手話が小学部へ入ってどうなったのか。その後の成果はどうなのか。小学部で導入しているなら中学部ではどうか。学校の方針で手話は高等部で取り入れられているのか、という疑問がある。幼稚部でうまくいっている。では、小学部、中学部では導入されているのか伺いたい。
レポーター:花園(平塚ろう学校)
幼稚部で1998年に手話を導入したとき、小学部では日本語の学習はどうするのかと言われた。今、小学部の1年生に入った子どもたちは手話をやっているから読み書きが劣るということはない。小学部の教員も手話研修を積んで努力している。それ以前はキューサインを使っていたので、小学部の集会ではキューサインと手話の両方で表現している。手話に反対というより、日本語獲得への不安が大きかった。手話を導入したから伸びないとは言えない。概念形成ができていれば力は育つ。小学部と話し合いをすることで小学部は努力している。中学部は自立活動で手話をしている。子どもたちはコミュニケーションの時には小学部高学年から手話を縦の関係で学び、使っていた。小・中・高と対応した形できちんと学校の中で手話を使っていこうとしている。
五十嵐(神奈川)
平塚ろう学校と横須賀ろう学校が手話をしていることは以前から知っていた。が、会社に入社して学校で使っていた手話が通じないことがあった。学校ではどのように手話をしているのか。キュードが入っていたりして、上の子がキュード、下の子が手話となると混乱はないのか。
レポーター:花園(平塚ろう学校)
そのような話は母親から直接聞いていない。成果は出てきたと感じている。学校全体での基盤はできつつある。手話に堪能な先生の赴任が推進力となった。子どもにきちんとしたコミュニケーション能力をつけていかなければと考えて取り組んでいる。
討議
司会:杉江(石川県立平和町養護学校:元石川県立ろう学校)
4つの柱でそれぞれの学校の先生に話してもらいたい。追加で、手話導入に関わって他の学部はどう考えているのか。学校全体としてどうとらえているのかも、簡単に話して欲しい。皆さんの質問が必要。ご協力よろしくお願いしたい。
レポーター:岩原(石川県立ろう学校)
基本は一人一人の子どもを見つめること。子どものどんな小さな、ちょっとした視線、ちょっとした行動、言葉や手話にならない発信でも、どう受けとめて共感していくか。先生との信頼関係がないとだめだろう。1つ目の柱については、4歳児の子どもたちがそれぞれ関わりが必要となる遊びの場や、コミュニケーションが必要となる場が生まれるような環境設定することを心がけている。2つ目の柱、絵本の読み聞かせは、いろいろな場で使っている。遊びに入る前の共通のイメージを作るために使ったり、イメージの共有化のため、今日お散歩に行ってきたことを振り返って追体験してみたり、季節的なこと、体験したことをもっとイメージを膨らませたりしている。子どもが読んでと言ってきた本をみんなに読んでいる。読み聞かせをするときに指文字などを使って日本語という言葉におきかえていく場面もあるが、4歳児ということで今は豊かなイメージを広げていくことを願ってしている。今後5歳児に向けて読み書きという部分で、どう絵本を利用していくか他の学校の様子を聞いて考えていきたい。3つ目の柱、一人一人を見つめれば個人差はある。重複の子もいる。一人一人の子が本当に分かっているかどうかという確認は考えている。手話だけでは意味理解ができない子もいるので、絵カードを使ったり選択させたりしてみたりしている。一人一人の意思表出の場を確保することを大事にしている。重複の子もいるのでチームティーチングを組み、どの子にも適切な援助ができるようにしている。4つ目の柱は、石川ろう学校では、聴覚活用して音声が主体となっていく子もいる。将来的にも音声言語になっていくだろうなという子もいる。これとこれのどちらかという二者択一ではない。教育相談時代から補聴器をきちんとフィッティングする、音を入れるということを大事にしている。その延長上に、手話を使いながら子どもとコミュニケーションができて日本語を獲得できればいいなと思う。補聴器を付けたら音が入るというのではなく、心が開くと耳がどんどん開いて活用するようになってくる。指文字は3歳児後半から使い始めた。それで発語が進んだ子もいる。その子その子にとっていろいろな情報や手段をトータルに使っていると子どもの姿から思っている。小学部との関係は幼稚部が集団でのコミュニケーションとして手話を使う事を全校に宣言。今年もう一度全校研でこれまでの経過、導入してからどうなっているかなど発表する機会を持った。幼稚部で手話を使った子が入ってくるということで小学部は取り組んでいる。
レポーター:佐々木(広島ろう学校)
1つ目は、全校で手話を使用。5月にN HKでテレビ放映された。以前はキューサインを使っていた。幼稚部がキューサインをやめたのは、中・高等部からキューサインをやめてほしいという申し入れがあったということも一つの理由である。小学部との話し合いを持ち、幼`小学部で決めた。生徒の中でキューサインが残っている子もいるが、基本として全校で手話を取り入れている。また、4・5歳は3人ずついるがクラスの話の中で当番や健康観察の順番を子どもが話し合って決めている。4・5歳児は3人ずつなので集団遊びとまではいかないが、3歳児は10人いる。3歳児はまだ4・5歳のルールのあそびに入りにくいが先生が援助している。教育歴、コミュニケーションの差があり、話についていけないこともあった。そういう時は教師が入ってだんだん3人が同じような会話に入ってくるようになっていった。2つ目は、絵本を読んでもらうときは読み手の話に集中するために静かに聞くことを話している。子どもたちが頭の中を働かせ、想像し、過去の体験に結びつけることを大切にしている。直接言語に結びつかないが、小学部に入ったときに教科学習の基礎となるのではないか。先生の話に集中したり先生の話を聞いて頭を回転させ考えていくというところに繋がるのではないかということでしている。絵本を読むことで結果的に書かれている文字に興味を持ったりすることもあるが、文字については求めていない。4つ目は、聴覚活用については、幼稚部だけの聴能担当者がいるので週1回集団遊び、週1回個別で音遊びまたは聴力検査をしている。そのうえで手話を取り入れている。手話を取り入れてからも聴覚活用は衰えていない。聴力の差があるが自分で切り替えたりして考えてやっている。会話のとき口形がともなわない子もいる。先生は音声言語に手話をつけてしている。
レポーター:山西(徳島県立聾学校)
小学部の5・6年生は口話法でそれ以下の学年は手話法で育ってきた。他学部からは手話を使い出してから子ども達が生き生きとしてきたという反応がある。日本語の習得という面では今後も考えていかなければならない。先生の手話の力量は、全校あげての研修が必要。1つ目については、教師は関わり過ぎないで、自ら考えて行動する行動力を大切にしたい。放っておくということではなくて。年齢発達にもよるが、年長の子が相手の気持ちを考えて他の子達に思いやりを持てるように言葉かけをしていきたい。自分の思いを伝えられない子には年長の子が先生の押し付けではなくて、さりげなく自然にモデルとなれるようになってほしい。2つ目の柱は、イメージを膨らますということを大切にしている。日本語のコミュニケーションとして日本語で書かれたものが内容理解につながっているときには、日本語の言葉の形態として指文字でおさえたり書き言葉でおさえたりということもある。3つ目の柱については、登校後とお帰りの後、個別指導をしている。重複の子は、実態に合わせてその担当の教師がその都度応じて考えていくようにしている。4つ目の柱は、子どもは自然と手話とともに発声し、コミュニケーションが改善されたことにより聴覚も活用している。手話でやってから書き言葉へといった方が簡単に書き言葉へ移行しやすいと思っている。文字や指文字が理解できないときから手話に音声言語をつけていくようにしていくということが、言葉の語調やリズムを記憶する訓練になって読み書きがスムーズになると思う。手話に音声をつけるということは音声がじゃまになっていないだろうか?聞こえない子として育っていくアイデンティティを築く上で日本語を習得していく上で邪魔していないか?ということは本校としても研修課題である。
レポーター:花園(平塚ろう学校)
1つ目、読み聞かせは、毎週木曜日午後幼稚部主事が全体の場でしている。子どもたちには、楽しく見る、親しむ、好きになって欲しいと思っている。絵本を読み聞かせるために、週1回成人ろうの方に来てもらって学習会をしているので、その方に読み聞かせる本を実際表現してもらって、子どもたちに分かりやすく日本語どおりではなくて内容を楽しめるように表現している。あとクラス担任が読み聞かせをしている。幼稚部の段階で読み書きということは考えていない。将来的に絵本が好きになり自分で文字が好きになる手がかりになればと考える。2つ目は、集団の中での個別を考えると視覚的なものがあると分かりやすい。3つ目は、まずは、補聴器のフィッティングをして個別指導で聞き取り指導をしている。子どもたちには、先生は手話だけではなくて音声ものせてやっている。デフファミリーのお子さんで手話のときは音声なし指文字のときは声を出すと使い分けをしている。音声をのせてという難しさはある。
山本(石川ろう学校保護者)
手話導入のことを話し合われているが、石川ろうでは口話法というきびしい指導は受けていない。手話は、息子にも私にも大事なもの。小学部になってなくなっても困る。まだまだ理解されていない親もいるが手話はすごく大事なもの。今、私は息子とコミュニケーションがとれて幸せ、石川ろう学校の心の広い先生方にすごく感謝している。手話がなくなると不自由になる。子どもは、すべて見ること(情報を得ること)は難しい。情緒面で、遊びが中断してもチューリップにチョウチョがいるよと気付かせること、ちょっとした声かけが必要だと思う。先生には、周りにはいろいろな情報があることを教えてほしい。私は楽しくコミュニケーションしたい。全国の親は手話に関心を持って欲しい。健聴の子は小さいうちからいっぱい触れれば言葉の獲得は難しくない。息子とウルトラマンやカエル、金魚などのことを繰り返し話すことで後の日本語の獲得はできる。手話導入によって日本語獲得が難しいという壁は取り除いてほしい。本の読み聞かせは、石川では、遊びに関わったものや季節や身近なことなどそのときその時に応じてしてくれている。手話と言葉は一緒と考えている。何回も何回も繰り返し読んだり、その日に合った本を読んでくれたりする。石川ろう学校の本の出し方はありがたいと思っている。
司会:杉江(石川県立平和町養護学校:元石川県立ろう学校)
教育現場が充実してきていると感じるが、今後母子がぶつかる壁にどう援助していけばよいか、意見や実践など、どの立場からでも聞かせてほしい。
穐田(熊本聾:保護者)
3人の聴覚障害の子をもっている。小3、小1、5歳の子。基礎講座、記念講演、分科会、いろいろ伺ってよかった。石川ろう学校のお母さんのお話にとても共感する。3人の子の学校は発音サインでずっと高等部までやっている。手話導入がなく、苦しい経験をしてきた。サインだけ、手話だけ、口話だけでなく子にあった教育が必要。幼稚部から手話を取り入れていけば知識を取り組むことができたと思う。サインだと小学部、中学部へ行っても残ってしまう。学力も遅れてしまう。3人の子を見て手話は必要。幼稚部から使い始めていけばいい。補聴器を使わなくてもよいと言う母親に対して先生は必要と言う。補聴器の必要性についての討議がない。難聴の子にも手話は必要。聞こえる親も手話を覚えてほしい。
司会:杉江(石川県立平和町養護学校:元石川県立ろう学校)
補聴器の必要性という話が出たが、手話と聴覚活用という部分でご意見はないか?
中川(品川ろう学校教諭)
ろう学校での経験は短いが、手話が必要と思って子どもたちに接している。手話を使うと遅れるという声もある。補聴器を必要ではないという親もいるが、子ども自身はどうか。補聴器を使って聞きたい子には必要だし、成人になっていらないと言えば無理して付ける必要はない。昨日の両親ろうの方の飲み会で出た話だが、補聴器を付けて音楽ができるといった場合でも今はつけていない。そういう生き方もある。子ども自身が決めることである。
司会:長尾(徳島県立聾学校教諭)
乳幼児を担当している。まずは補聴器を付けることそのうえで手話を大事としている。補聴器も以前に比べよくなってきた。人工内耳をまのあたりにして、手話でコミュニケーションできて嬉しいと思っている親でも聴覚活用できていいな、人工内耳で聞こえていいなと揺れている親もいる。
梶川(徳島県立聾学校保護者)
幼稚部年少の男児の親で、聴力レベルは100dB少しである。補聴器は生後6、7ヵ月の頃からつけている。手話で子どもと伝え合えることで、私も自信がついた。今に満足している。同級生2人が人工内耳を付けたが、自分の子には今は必要ないと考えている。また、聴力が落ちたときに考える。私は安定していて揺れていない。今は楽しめる関係があるので人工内耳は考えていない。
馬木(徳島県立聾学校保護者)
私は人工内耳で揺れていた。先生は知らないと思うが。しかし、今はクリアした。自分の子は手話でいく。人工内耳にすれば90dBの子が補聴器を付けたぐらいになると聞き、夫と相談した。「ろうとして生まれたアイデンティティはどうなるのだ」と言われ、うちの子は手話でいこう、手話で生活していこうと考えた。これまでどこかで聴者に近づきたいと考えていた。子にとって幸せは何か、人としての達成感を大事にしたい。手話で聴者の子のように子どもと深い話をしたい。未熟な手話をどうしたらよいのか。説明するのにもっと成人ろうの方の会話の手話を見せたい。健聴の子が大人の真似をするようにくそ生意気なことをいう子にしたい。家の都合で手話サークルにいけない。未熟な手話で伝わってしまい、子どもの手話力はあがっていない。どうしたらいいかなと思っている。そこをお聞きしたい。
司会:長尾(徳島県立聾学校教諭)
どんな手話をどのように与えたらよいか、このお母さんにアドバイスはあるか。
野原(沖縄)
補聴器では音が聞こえるだけのもの、聞き分けが全くできない。例えば80dBの音だけが入る、言葉の意味がつかめるか疑問が残る。実際は口形を見て分かることが多い。そういうことに早く気付いてほしい。私は、人工内耳で効果があるとは全く聞いていない。私個人が聞いた話だが、人工内耳をつけて良かったがその後のケアがないため結局外してしまった人がいる。良い面ばかりでなくデメリットもある。デメリットもあるという説明がないと気持ちも揺れるだろう。デメリットもあることを親として気付いてほしい。いろいろな情報をつかんで決めたらいい。
共同研究者:小田(国立特殊教育総合研究所)
今日は親の声が聞けてよかった。成人ろうの方の声も聞けた。先生方も学校のことを正直に話してくれた。お互い勉強になった。今日の沖縄の方の発言に関連して、こんな考えがあることを紹介する。生まれたときに人間の中に聞こえる人と聞こえない人がいる。男の子として、女の子として生まれてくるといったことのように、聞こえる子、聞こえない子として生まれ、そこから人が育つ。聞こえない子は聞こえないとしてそこからその子の育ち方があるのだ。聞こえない子は、正常な聴者より劣っているのではなくてそこからその子の人生が始まっていると捉える。社会のあり方の中には音の世界と見る世界がある。そこで自分自身の持っている力を自分の生き方に合わせて広げていけばいい。聴力も自分が使っていくという一つの武器となるならば、その社会の中で使っていって社会の中で生かしていく。90dBとして生まれたのなら、そこからスタートであり、比較ではない。生まれた子を認めて聞こえについて手話について関わっていくにしろその子らしい人生を作っていく必要があると思った。その中に様々な教育的な関わりや活動、工夫があり、その子の可能性を伸ばしていくのだと思う。