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レポート[4]
聴覚障害児の最適学習環境を考える
稲田 利光(全国難聴児を持つ親の会会長、大阪難聴児親の会会長)
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[1]学習環境を考える時の前提条件→できるだけ満たされていること
  遊び・学習時の環境を考える
  [1]3人以上の意思が通じる遊び仲間がいるか
  [2]5〜6人以上の意思が通じる学習時の環境
[2]選択にあたっての基準→親は何を求めているのか
(1)聴覚の活用を中心に
 (イ)きれいな発音(発語の明瞭度)
 (ロ)しっかり聞ける力(聴能訓練・聴覚の活用)
 (ハ)他人の口を読む力(読話の能力)
(2)教科学習の到達度を中心に
 (イ)読み・書き・計算がしっかりできる力
 (ロ)学年対応のカリキュラム通りの学習速度
[3]何を目標とするか→親の求めるものと現実との乖離
 (イ)高等教育機関への進学(大学・短大へ進学できる学力)
 (ロ)社会性を身につける(社会の中で適応していける力)
 (ハ)経済的自立
[4]聴覚に障害を持っている子が生きていくための必要条件
 (イ)確実にコミュニケーションできる手段の獲得
 (ロ)しっかりとした日本語の言語力(読み・書きの力)
[5]親の会の役割
 (イ)先輩として失敗したことを謙虚に反省して後輩に伝える
 (ロ)子どもが集まることの大切さを伝える
 (ハ)聾学校の変革と充実強化を一括に進める
教育の場による比較と問題点
検討項目 聾学校 難聴学級センター校 難聴学級地域 一般校地域
生徒の適正人数(5〜6人位) × ×
教員の専門性 ×
学校全体の対応 × ×
校長・PTAの理解 × ×
学習集団の形成 × ×
学習の定着度 ×
学習の到達度・進捗度
(学校としてのカリキュラム)
(子どもの)学習の理解度
(押さえ度)
×
FM補聴器・個人補聴器の管理と有効活用 ×
(わかる授業のための)手指言語の導入 ×
通学距離と近所の友達
(遠距離通学)
× ×
障害児の隔離(第2聾学校) × ×
授業の形態 集団指導 一部集団指導 入り込み教育 ほったらかし
 ☆集団指導のできる場の確保の重要性(最低でも4〜5人のクラス編制)
他人の考え方や意見と自分の考えとの対比
◎聾学校の問題点
・幼稚部と小学部の連携の強化
・能力に応じたクラス編制の可否
・学年対応に近い学習力カリキュラムの可能性
 
◎地域難聴学級の問題点
・入り込み教育で学習は可能か
 
◎地域小学校の問題点
・校内暴力、学級崩壊、不登校等の処理に追われ障害児にまで手がまわるか
 
東本(兵庫県)
 ろうとしてのハートが一番大切だと僕自身思う。生まれた子どもが聞こえないと分かったとき、お医者さんがろう者と会った経験があれば対応が違うのではないかと思う。親が子どもとのコミュニケーションを大切にして育てれば大丈夫だと思う。
 字幕のついているテレビがあれば、字幕が読めない人でもイメージを育てて想像し、意味を汲み取ろうとしている人が多いと思う。子どもに対して最初から心配なのだという方でなく、情報が少ないかもしれないけど、きっかけを作ってフォローしていき、積み上げていけばいいと思う。
 
畠山(札幌聴覚障害者協会)
 私自身も聞こえない。娘二人が地域の小学校に通い難聴学級での教育を受け、ろう学校に転校したという経過を持っている。難聴学級に通っていたときびっくりしたのは、ろう学校と同じやり方をしている。
「聞こえますか」「この言葉わかりますか」という教育をしていた。難聴学級に失望した。難聴学級の親の会の集まりに出席したときに、聞こえない親が4組いた。でも、ろう者側の立場が何も話されていない。手話通訳が必要だと提案したが邪魔だと言われた。自分の子ども達が将来大人になったときに、手話通訳が必要と子どもから言われたときに、親として邪魔というのか。
 私の経験をいうと、ろうあ協会に入るまでは自分の障害が納得できなかった。ろう学校に入ったときに初めて手話を使って、自分を聴覚障害として捉えて、そこから納得できた。仲間と仲良くするためにも手話が必要。
 今ろう運動の中で、インテグレートした聞こえない子どもとその聞こえる親子を中心にフリースクールを始めた。
 ソフトボールのマネージャーをやっているとき、難聴でインテグレーションした子ども達20人ぐらいに会った。手話に対して「ばかみたい」とか、「普通の学校を卒業したのだからろう学校の人と比べないでほしい」とか言われた。初めて私が怒ったときには、聞こえない先輩からしかられたことで非常にショックを受けたようだった。今はろう学校を卒業した若い人達と一緒になり、ろう者としての生き方、普通の学校で学んでプラスになったものとか漏れたものとかいろいろなことを交換して、非常にいい状態になっている。
 
大森(石川県)
 私の子どもは現在名古屋ろうの専攻科に行っている。幼稚部のときは、石川県の石川ろう学校幼稚部に行った。手話を子ども達に教えることはその当時から賛成だった。手話通訳の資格を持った、手話をきちんと教える方がろう学校で教えてほしいという気持ちを持っている。全国のろう学校で、手話をきちんと教えられる人を教員採用のときに採用する流れになるよう要望などがあったらいい。
 
司会:岩本(石川県教育委員会)
 手話を教えられる教員の採用も含めて、学校現場におけないかという意見。
 
レポーター:稲田(全国難聴児を持つ親の会)
 時間が足りないので大雑把に発言したが、資料をよく読んだら理解をしていただけると思う。それから最初に東本さんの話にあったハートのこと、字幕の話でも、ここに来られている方とかいろんな集会に参加される方について問題にするわけではない。そういう会合にも出て来ない聞こえない方がたくさんいる。
 
共同研究者:南村(トライアングル)
 4人の方々のレポートを伺って、最後に成人したお子さんを持つ方からお語いただいた方が良かったと思った。板垣さんや石川県立ろう学校の教育内容をお聞きしても時代の差を感じた。障害のある・なしにかかわらず親が普通に子育てをするにはどうしたらよいかを考えていることを感じた。その子らしく生きていく、ろう児としてどう生きていくかをろう児が誕生した時点で、難聴と言われた時点で、我々は忘れてはならないと感じた。小さい子に関してはそういうことが具体的になされている。一番問題なのはインテグレートの子ども達をどうすくい上げていくか。親に対し聞こえない子はどういうものなのか・どうすべきかを伝えていくことが課題。内容が深く、課題を多くはらんでいるが方向性は見えていると思う。
 記念講演で小田先生がおっしゃっていたお話が具体的にこの分科会で出されていたのでは。もっと話を深めればよい。今後、私達はろうの人達から学ぶことが大切。難聴も聞こえないことに関しては同じだろう。これから親として何をすべきか、明日また討議できればよいと思う。
 
2日目
 
司会:森井(奈良県立ろう学校)
 親の分科会は、去年あたりから家庭内での親の役割、我が子に対する親の役割という範囲を超えて、社会に発信していく方向の話が起こってきたように思う。昨日の4本のレポートは、まさにその方向に合う幅広い内容と深い内容の報告だった。4本のレポートから補足していただきたい。質問票を作って聞きたいこととか感想とかを書いていただいた。全部紹介はできないかと思うが、レポーターの方に質問票の内容を聞いてもらって補足のような形で話していただきたいと思う。今日からの参加者の方も大体の内容が分かると思う。引き続いて全国の情報交換とか、意見交換をしたいなと思っている。
 
(石川県立ろう学校の濱中先生への質問)
 今は乳幼児相談、幼稚部で手話を始めての子ども達の変化。両親への援助というお話で社会的変化、背景は何かという話が出た。
 質問の内容は手話導入後について聞きたい。手話導入になって歴史が浅いと聞いた。私達の子どもがどうなっていくのかまだとても不安だ。今までの教育は間違いだったのか、ならば悪かった点について聞きたい。良くなった報告があって、みんな嬉しく聞かせていただいたが、もっと生々しい今の課題を今後の見通し、どういう課題があがっているかとか、親の要望がどう変わってきているかお話を聞きたい。
 
大橋(石川県立ろう学校)
 幼稚部の大橋です。今までの教育は失敗だったのかは、あまりにいろいろ複雑過ぎて答えは出ない。私や濱中先生、皆さんの前の司会の岩本先生も10〜20年も前からやっている。石川県のろう学校は、1つの方法でやるのだぞという方法論がなかった。口話法、聴覚口話法を土台にしてやってきたが、子どもに応じたものを探すというスタイルは守ってきた。教育の目標はもちろん聴覚活用だったが、大きな目標は昔から今も変わっていない。この場で答えるとしたら、何も変わっていないからこそここで発表ができたと思ってほしい。これから手話をきちっと使っていく中で、教育相談では補聴器を活用し耳をひらいていこうという歩みもある。昨日みえた教育相談のお母さんもこの1、2ヵ月で耳が開かれ音に反応し始めたという。3歳児の子どもが玄関で私に、玄関の遠いところから「おかあさん、あのマフラー買ってくれたの。このマフラー先生見てみて、見てきれいでしょ。私はすごく好きでほしいほしい、お母さんは困った。困ったけど買ってくれて今日つけてきたの」と私に手話で言う。あっ、これが前はできなくて悪かったなと思ったことがある。聴覚口話で近くで話ができる場合もある。保育園に行っていたら聴覚口話で話す姿があるだろう。今から世界がどんどんとコミュニケーションの世界が横に広がるのだと思う。
 
レポーター:濱中和美(石川県立ろう学校)
 今本当に大事にしていることは、気持ちの通じ合いだ。本当にお母さんも楽しいし、子どももすごく楽しい。いっぱいやり取りができるなと思う。子ども達は今、様々な発達の子どもがいる。併せ持った障害の方もいる。特に身振りやら手話を使ったコミュニケーションというのが今から本当に必要になってくるだろうなという気がする。今、前にいるお子さんにどんな力をつけてあげればいいかというと、一人一人違う。その子に応じた課題について話し合って、お母さんと共に歩んでいこうと思っている。他の先生方とも相談しながら進めていかなければいけないと思う。
 
司会:森井(奈良県立ろう学校)
 保護者のニーズに答えることとコミュニケーションをとっていくこと、学部内、学部間の連携を取っていくということについてお話があった。
 
(板垣さんのレポートについての質問)
 2歳の子どもさんを持つお父さんのレポート、子どもさんに対してということと平行して、社会に対する働きかけについても親の役割ではないかということで、具体的な活動の様子を資料を交えてご提示いただいた。
 親子のスキンシップの時間が少なくなることはどうかなと思う。社会に対する働きかけの中で、共働きの家庭で、保育園を利用しようと思ったら、聞こえないことが理由で保育園を拒否されたことがあった。それを何とか変えるために運動した。また、聞こえない子どもさんが保育園を利用すること自体どうか?という論議があった。感想の中で親子のスキンシップの時間が大切という意見があった。また、もう1つ子どもを保育園やろう学校に預けて、言葉の獲得に支障はないのか? 親子の共通体験を十分にもてる家にいる時間が短くなり疑問、これは聞こえる親からだ。板垣さんの発表の中では、保育園に預けるかどうかということだけではなくて、そのための環境を整えるとあったと思うが、十分聞けなかった。親の役割ということに関して補足しながら板垣さんに説明してもらう。
 
レポーター:板垣 岳人(品川ろう学校)
 ろう者の方と接していて感じるのは、本当に手話の表現力の豊かさ、素晴らしさだ。保育園ということについて、聞こえる社会でも保育園ということに対して疑問を投げかける人がいまだにいる。日本の歴史の中で、母親は子どものそばにずっとついていなければいけない、というような考えがあって「3歳までは」と言われている。資料の3番のところに3歳児神話の根拠となっているボールディの論文を紹介しているが、乳幼児の健全な発達には家庭における母親の愛情が不可欠であり、これが失われた場合には、心身の発達に害する重大な障害と治癒しがたい人格障害をきたすと言っている。1951年という古いものだが、今だになんとなく引きずっているのかなと思う。その後いろいろな研究がなされて、母親の愛情だけが必要なのでなく、主たる愛着的対象人物、必ずしも母親が付き添っていなければいけないのではない。ほんとに愛情を込めて育てる人がいればいいという論文が出されて、その後ボールディ自身も自分の主張を変えている。普段こういつたろうの子どもを持つ親の立場での保育園ということに対して、疑問を投げかける人がいるのも理解できる。ただ、現実問題として社会は確実に変わっている。ここで前に出ている方全て女性だが、全て働いている。その方が産まれた子どもがろう者であった、または障害を持っていたら、会社を辞めなくてはいけないのか、やめるのが本当に社会のシステムとして理想的な姿なのか?という問いかけになるかなと思う。今までの社会の中で、障害者・ろう者なんとなく煙たがられてきた結果もあるのかと思う。私自身は社会全体を変えていかなくてはいけないと思う。別の話になるが、水俣病をご存知の方おられるかどうか。水俣病の患者さん、そうか否かを決める医師で熊本の原田正純さんという方がおられた。ある方の論文を紹介されていて、専門家、知識人という人には2つの選択肢しかない。1つは権力の側、大多数派につく、味方をする。もう1つは少数派、弱者を支援して徹底的にそのことを考えるかの、2つしか選択肢がない。その専門家といわれる人達は、その責任において絶対に少数派の立場の人達に立たなくてはいけない。今の社会の中で、障害児を持った母親は会社を即、辞めなくてはいけない、子どもにつきっきりでなくてはいけないのは社会システムが未熟だと思う。私も4月から復帰予定で保育園に入れるときに、3月に通知が来て保育園には入れないと言われ非常にショックをうけたのを覚えている。ろうだけでなく、いろいろな苦労を持った人達が、誰の助けも受けずにどんどん沈んでいく社会がほんとにいいのかと思う。障害を持っている親とたくさん知り合う機会があるが、かなりの割合で母子家庭が多い。子どもが障害を持ったために夫が離れていく、血筋がどうのと責任を擦りつけて離れていく、そういった形での母子家庭がびっくりするほど多い。そういう人達が子どもを育てるときに、つきっきりで育てられるのか?働かざるをえないと思うが、その時にそういう人達が保育園にも預けられない、ろう学校にも行けない子どもはどうするか? そういう苦しい思いをする人をたくさん見てきて、やはり社会のシステム自体がおかしいのでは、社会が未熟なのではと思う。理想的には生まれてすぐろう学校なり、ろう者がいる手話の環境においていくことが望ましいのではと思う。例えばろう学校が保育園の役割をかなりの部分になって、乳幼児から預けられるようなシステムができればいいのだが、現状では難しいので、今の保育園に幼稚部に入るまで預けて、幼稚部に入るようになれば幼稚部に預けたいと思う。
 
司会:森井(奈良県立ろう学校)
 親子の愛情関係を保ちながらも社会のシステムを変えていく運動を進めていく話です。しかも少数派の立場に立って変えていく、子どもの成長保証のために手話環境の準備をしていくということ。今のお話で何か質問などないか?
 
佐藤(奈良県)
 私も同じ経験があり、息子も娘も耳が聞こえないのでデフファミリー。保育所に預けた経験がある。入所手続きをする前に学校の先生にお話をして、保育所と交渉していただいてすんなり許可があった。しかし、母親だけで手続きに行ったのでは難しかったのではと思う。2番目の子どもも2歳の頃から小学校に入るまでの4年間通った。以前は月・火・水・木はろう学校に通い、木・金・土を保育所に預けて、一週間のうち3日間を保育所に通わせた。親の負担は楽だったが、もしろう学校にずっと通うのであれば親の負担も多かったのかなと思う。ストレスもたまったのではと思う。わざと保育所に預けるようにして、その分家庭で十分な愛情を子どもにかけられたと思う。学校の先生を巻き込んだ形での保育所の手続きをとるのが必要だと思う。相方合意の上結婚して子どもが生まれたのに、父親のほうが一方的に母を責めるので母親はしんどい、母子家庭も活用していけると思う。いろんな情報提供がさらに必要だと思う。
 
レポーター 板垣 岳人(品川ろう学校)
まったく同感、自分一人では何もできなかった。うちのろう学校もそうだが、保育園の中で子どもを預けているが、保育園にろう学校の先生が行って指導してくれる。どうしても障害を持った子、ろうの子を持った親は、特に聞こえる親に多いが一人になってしまう。他との関係がなかなか持てないで行き詰まる。保育園をあきらめ子どもを母親に預けて仕事に行く、実家に引っ越す、それができない人もいる。おかしいなと思った。一人一人が自分の環境だけを変えるだけでなく、社会全体を見て変えていく働きかけをしていくことが必要。プライベートシチズンからパブリックシチズンヘの転換、自分が今ある問題をただなんとなく暫定的に解決できればいいのではなくて、自分を含むほかの人達、後からくるろう者を持つ親の人達のことも考えて、社会をどう変えていったらいいのかということを考えて、いろいろな提案をして行動していく必要があるのでは。
 
浦田(石川県)
 2歳児がいるが週2回ろう学校に通っている。今日の板垣さんの1週間の流れはどのようなのか教えていただきたいのと、父親として保育園やろう学校と連絡をどのようにしておられるかお聞かせください。
 
レポーター 板垣 岳人(品川ろう学校)
 1週間の流れ、今は月〜金まで保育園に通い、乳幼児相談という形でろう学校に通うのが月に1〜2回のペースで土曜。いずれ幼稚部に通わせたい。父親としてどう関わっているかということだが、ろう学校に対しての乳幼児相談にはもちろん参加をして、先生達との意見交換をしている。他のろう者と話すことも僕にとってメリットがある。いろんな事を教えてもらって役に立っている。いろいろな要望や意見があるときには、校長先生に話してご意見を聞かせてもらう。例えば、昨年ぜひ手話を取り入れてほしい、先生はどのくらい手話ができるのかと聞いた。30名いるうち手話が分かる人は5名しかいないと聞いてがっかりした。なるべく先生達とコミュニケーションをとる、意見交換をすることを大切にしている。保育園はなかなか仕事が忙しく送り迎えはほとんどできない。たまに時間があったときに行く程度。ただ保育園の父母の会には入っているので、全体として保育園を変えていくということで関わりを持っている。例えば、保育園の運動会が平日に行われていて、働いている親が参加できないという問題があるので、ぜひ土曜日に開催してほしいということを先生、行政と話して進めたり、延長保育が必要だというお母さんがおられたときには、それをどういう形で実現できるかということで話し合ったりしている。自分の子どもの担当の先生とはたまに話をして、自分の子どもはどういう状態ですかということを聞いたり、こちらからもいろんな情報や文献を紹介したりして、コミュニケーションをとっている。素晴らしい保育士の方にめぐり会えた。普通保育士だけではないと思うが、資格を持った人はなんとなく必死になって訓練をして、聞こえる人なり、健常の人に近づけたいという思いがある人が多いが、そうではなくて、子どもとして扱って、子どもの成長を考えてくださっている素晴らしい先生だ。そういったことで、非常にスムーズに先生とも意見交換をしながら進めている。父親としてはまだまだだががんばっていきたいと思う。
 
司会:森井(奈良県立ろう学校)
 特に父親の役割ということで、成人ろう者と付き合う、親子さんの要望を取りまとめる。時には交渉もする、先生方と意見交換をする、というお話があった。
 保育園を利用されているろう学校の親は、実際確実に増えている。女性の就労も増えている。就労のため、母のゆとりのための利用というお話があった。各自がどんなふうに利用しているとか状況を報告してほしい。
 
穐田(熊本県)
 先程の板垣さんのお話非常によく分かった。熊本の場合、幸いに熊本県の保育園の理事長さんが手話サークルの会長。大分県は熊本県の隣で越境で通っている人もいる。大分県では保育園の理解がないので、熊本県の理事長さんのお力をお借りして交渉してもらう。少し違う話かもしれないが、ライトハウスという施設。私はデフファミリーだが、研修のために夫婦で出かけるとき、子ども3人のうち真ん中の子どもを熊本のライトハウスに預けて、上と下の子どもは子どもの企画に預けている。私達夫婦が研究会とかいろいろな大会に参加するたびに子どもをそういう施設に預けている状態。前はそういったことは認められない状態だったが、3日間とか1週間という短い期間で預けている。ライトハウスが全国にもできればいいなと思う。
 
司会:森井(奈良県立ろう学校)
 穐田さんの場合には、特に家族の中でろうあ運動または研修にどんどん出かけていく必要があるときに、例えば今日のようなときに、真ん中のお子さんだけ熊本に残す必要があるときにライトハウスというショートステイを利用するのが良いというお話でした。
 
岩林(兵庫県聴覚障害者協会)
 子どもが4人いる。上が聞こえない、あとは難聴、健聴といる。兵庫県の中でろう教育のグループのメンバーの一人です。兵庫県の中には、5つのろう学校があり、ろう学校の中の幼稚部の3歳くらいまでの子の親が、みんなで話をする会があったらいいというので、相談を受け親達と集まった。ろう学校では厳しい指導方法をやっているので、お母さんは家に帰っても受容だ、通じなくてはいけないのだと教えられ、とても不安で、という話があった。親子が口話で通じることも大切だが、身振りだとかいろんな手段を使っていいから、とにかく気持ちが通じ合える楽しくできる方法が大切なのだと私は話した。実際に子どもを見てなんか表情が暗かった。3歳なら普通集団で遊ぶのだが、なんだかばらばらで一人ずつ遊んでいて仲良くなれない。なんか雰囲気を変えなくてはと積極的に働きかけようということになった。皆の中では、ろう学校に何か言うと子どもに影響があるのではという不安がある。一人では限界があるのでみんなで一緒になってまず校長先生と話をしてどうかという意見を出した。子どもを持つ親の私達がもっと勇気を持って発言していく。私達も援助し積極的に行動したい。
 
司会:森井(奈良県立ろう学校)
 親の相談を受けたが、親子のコミュニケーションの難しさ、親の要望を学校に出すときの出しにくさについてのお話でした。今、共働きの親、保育園を利用されている親のことについて、もう少しこちらのほうで話を進めたいと思う。
 先生の立場で状況を報告してほしい。昨日、仕事をしている母親が2%を超えているという話があった。奈良ではクラスに一人ぐらい仕事を持つお母さんがいる。仕事をやめてくださいということは言ってはならないと先輩から言われて引き継いできた。ただ、幼稚部に入る必要がある。また、ろう集団が必要、親も勉強する必要があるから、幼稚部に通えるよう親戚のサポートが受けられるかを一緒に考えたりする必要がある。祖父母のサポートを受けたり、保育園を利用したりすることもあった。保育園の場合にはろう学校の先生が行って、手話などのコミュニケーションのサポートを考えたり、身体障害者手帳を持っているお子さんには加配が出るので、加配の先生をその子の専門にしてほしいという提案をしたりした。家庭事情が経済的な問題、離婚などで難しい場合には、盲ろう児施設に預かってもらったり、ショートステイなどを利用したりできる。親子が離れるのは基本的には勧めない。学童を利用する人が小学部に2人いる。地域の学童に行ったら、難聴学級のお子さんが2人いるので計4人になり、かなりのパワーでその中で手話コミュニケーションが盛んになる。そこの指導員の手話研修は、市の福祉課の方から手話関係の人が来て研修会をしてくれる。田舎なのでケースバイケースで行っている。
 
濱中(石川県立ろう学校)
 今、教育相談に通っているお子さんで働いている方はいない。幼稚部の子ども達の中でも18名いるが働いている方はいない。幼稚部は付き添いをしている。入るときに母親が仕事を持っていて母親が仕事をやめることはある。
 
穐田(熊本県ろう協)
 共働きする前に聴覚の問題とか、福祉の問題とか、コミュニケーションの問題とか、お母さんがコミュニケーションの問題を学習していないと子どもと心が離れてしまう。勉強して分かってから仕事を再開したほうがいい。仕事だけを優先して子育てをおろそかにすると、高校生になったときに非行の問題が起きてくることもある。子育ての話をするために家庭を訪問するのだが、なかなか話を受け止めてもらえない。離婚する家庭もある。母親が働くのは賛成だが、お母さんも積極的な関わりをもつのがいい。どうしても仕事一筋になると子どもがかわいそうだと思う。
 
司会:森井(奈良県立ろう学校)
 預けられるシステムと親が学べるシステムが必要。親が必要なことをきちんと学ぶ場所が必要、ということでした。
 
(佐藤さんのレポートについて質問)
いろんな親の要望のとりまとめで苦労していること、手話の必要性に反対している親にどう向き合ったらいいか、先生が手話を習いながら教えていることの不安など聞きたい。
 
レポーター:佐藤(奈良県立ろう学校育友会)
 親からの相談で手話導入で学力がちゃんと育つかどうか、聴覚口話の方が学力が伸びるのではという声も聞いた。そんなときは「いや手話の方が伸びるのですよ」娘の例を挙げて説明する。また、手話と日本語が一致しないということで質問を受ける。子どもに対してどのように手話を教えたらいいのか、対応手話か日本手話どちらがいいのか、など質問を受けるが「一人一人に合わせた方法でどっちの手話でもいいのでは」と話した。
 先生とのつながりではしっくりいかないこともあった。手話で完璧に表せないときは口話やキュードを使う。例えば、「1+2+4+7=」を手話で表すとすぐ分かる。もう1例挙げると「曲線と直線」。口話では似ているが手話では分かりやすい。しかし先生は子どもが簡単に分かってしまうことに抵抗を持っていた。10数年ろう教育を受けてきて楽しい思い出がない。聞こえる先生が聞こえる立場で、ろうの子どもに教育をする。子どもが犠牲になっている。手話を用いた教育をしてほしい。中学部では手話・キューがまざった曖昧な教育をしている。生徒に「先生に言いたいことはあるか」と尋ねると先生が僕達の言いたいことを分かってくれない。そのことが苦しいという。先生が使っている手話はスクールサインで実際社会では通用しない。
 
田辺(横浜市立ろう学校)
 高等部は手話の勉強会があり、1年〜3年が一緒に勉強している。講師はデフファミリーの方。インテグレーションした子や先生も含めて勉強している。今年初めて手話劇を生徒・親・先生ですることになった。3つのグループに分かれ桃太郎・白雪姫などの劇を演じた。
 また、キューは幼稚部のみが使っていて、小学部以上はキューや口話が中心。高等部は手話や指文字を使っている。
 娘の話では、今年4月に入った先生が6月には手話を読み取ることができた。2ヶ月の間に手話サークルにも通い覚えた。昔と違う。
 
レポーター:佐藤(奈良県立ろう学校育友会)
 キューは社会で読める人がいない。キューを減らすことも伝えている。口話もだめだとは言わないが子どもの能力に合わせて指導すればよい。
 
中山(小樽ろう学校保護者)
 小学6年の娘がいる。教育相談のとき聴力レベルが悪いらしいということしか分からず、2年間手話を使うことに悩み指文字を使ってコミュニケーションした。
 地元のろうあ協会の方と旅行に行った。聞こえない人とろうあ協会とのつながりをもっとつくりたいと思う。
 また、通訳の人から、ろうの人はうまく伝わるのかという不安を持っていると聞いた。手話は小さいうちから親も勉強して、親が無理なときは通訳の人に頼めばいい。
 
レポーター:佐藤(奈良県立ろう学校育友会)
 PTAと手話サークル、ろう協のそれぞれの代表者が話し合いを持てる場を重ねて組織作りをしたらいい。一気に進むものではない。そして同窓会の力をかりることも大切。
 2つ目の通訳依頼に関して。通訳は第三者に情報を漏らさない守秘義務がある。安心して手話通訳を使えばいい。
 
中山(小樽ろう学校保護者)
 通訳の依頼に関してどう頼めばいいのか分からない。情報が入ってこない。
 
レポーター:佐藤(奈良県立ろう学校育友会)
 学校に相談して依頼をしたらどうか。学校とろう協など。
 
穐田(熊本県)
 ろう協理事長、ろう学校PTA副会長、事務局長をしている。ずっとろう協と学校とトラブルがあり仲裁した経緯がある。
 ろう協の女性部の昼間の手話サークルでの学習会に参加して学んだり、PTAの中で研究会をしたときに講演会をしたり、福祉大会にPTAも積極的に参加協力をお願いする。関係者が集まる場をつくることが大切。
 
司会:森井(奈良県立ろう学校)
(稲田さんのレポートについて質問)
 親の会で起こっている意見を代弁し、インテグレーションの問題など幅広くお話頂いた。それぞれの時代でいろいろな意見や体験があると感じ良かった。ろう学校で仲間と共に生きることが大事。聞こえる親は聞こえない子に何を期待しているのか?ろう教育のあり方に対して理解が足りないのでは。ろう者の生き方を理解させたいなど。レポートの中で親の役割について3つ触れてあった。難聴児を持つ親の会は非常に大きな団体。聞こえる親の意見の多様化や地域の問題などあるだろう。そんな中で親の役割をこの3つでいいのか。補足説明して頂きたい。
 
レポーター:稲田(難聴児を持つ親の会)
 一昨年、全国難聴児を持つ親の会の会長を受けた。大阪での会長は24年間していた。今までは難聴児親の会の中には「ろう」ではなく「難聴」だという意識が強かった。私も子どもが小さいときはろうと難聴の区別が分からなかった。全国難聴児親の会ではろうと難聴は違うという考え方。しかし、大阪難聴児親の会は、今年8月の「大阪の集い」に共催団体として参加している。ろう協ともつながりがある。私も個人的にろう者とつながりがある。
 会員は6ヵ月〜35歳の子を持つ親である。20年前はろう者やろう協、手話について全く知らなかった。ろう学校も聴覚口話だったが実際ろう者のための学校でなかった。新指導要領の高等部での自立活動の中で手話をコミュニケーションの手段とすることが出ている。幼稚部から中学部には手話はでてこない。しかし、以前のように口話だけでなく多様なコミュニケーションを使って指導することになっている。全国の難聴児親の会は、ろう学校やろう者の団体、ろう協とのつながりは少ない。全国難聴児を持つ親の会では
・ろう学校と親の会についてどう考えるか
・手話について
・トライアングルが手話を導入していることについて
の3つについて話し合いをしてほしいという連絡をした。全国の会長になってまだ2年目なので、すぐに親の会の考え方を変えていくことは難しいと思うが、大阪では15年前から聴覚障害者協会と一緒に行事に参加している。大阪親の会では府のろう学校長が来賓としてきている。現状のろう学校には満足していない。レポートの中ではろう学校に子どもが集まるようにしたらいいという意見を述べた。しかし、聞こえる親がろう学校にまだ抵抗があり、難聴学級や地域の学校に行かせたいという現状がある。しかし、勉強についていけるかという不安もある。
 
穐田(熊本)
 私はろう学校とろうあ協会で役員をしている。ろう学校にそぐわない点があるというお話だが、聴覚障害児の親の会と難聴児を持つ親の会の共同の学習会をもつ機会があるが。
 
レポーター:稲田(難聴児を持つ親の会)
 大阪は聴覚障害児親の会だが各地は難聴児のみでなく言語障害児を持つ親の会が一緒になっている。石川県も「石川県聴覚言語障害児を持つ親の会」という名称。言語の会の力が強いと難聴と言語障害が同じになっている。ことばの教室、きこえとことばの教室(難聴と言語障害)、きこえの教室(難聴)も大きい地区は別々になっている。事務局を先生がしていることが多いので組織が複雑になっている。
 
司会:森井(奈良県立ろう学校)
 また、組織図などつくっていただけるとよいと思う。
 
レポーター:稲田(全国難聴児を持つ親の会)
 子育ての経験から、子どもとコミュニケーションする手段を1つ持つことを親が理解してほしい。筆談は小人数のなかでしか通じない。1つは必ず身に付けさせるのだということを親がしっかり考えてほしい。
 
共同研究者:南村(トライアングル)
 この分科会にきて10年経った。いよいよ親が社会に向けて発信するときが来たと感じる。まず身近なろう学校へ、地域へ、地域の保育園や幼稚園へ、そして社会、行政、企業へ向けて発信することに向かっている。それからもう1つ大切なことは聞こえる親と聞こえない親の相互理解をどう構築するか。今後のキーとなる重要な問題になる。いろいろな発信の仕方があるが基本理念をどう考えていくか。聞こえる親が聞こえない子をどう見るか。聞こえる親の意識改革をどうするか。稲田さんが言ったが聞こえない子、人工内耳をした子、聴力の軽い子もみんな一くくりにしてコミュニケーション手段として手話を共通言語にすることを聞こえる親も認識することが大切。我々は社会を変えていく必要がある。手話をコミュニケーション手段とする子どもにとって最適な環境をどう作っていくか。一人一人ができることをやっていくしかない。先生の手話力の問題、保育園に預けることも親の仕事の時間によって難しいなど。北欧では労働時間が日本より保障されている。すぐには難しいが1つ1つの既成事実をつくっていって社会を変えられるという事実がある。その実践をする勇気が必要とされているように思う。
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