日本財団 図書館


パネルディスカッション
地域に開かれたろう学校
司会 武居 渡(金沢大学)
堀谷 留美(大阪市立聾学校)
パネラー 田原 佳子(千葉市立院内小学校)
越智 大輔(東京都聴覚障害者連盟)
中瀬 浩一(大阪市立聾学校)
南村 洋子(トライアングル)
司会:武居
 最近、学校は地域に開かれているべきだという考えが広がっています。ろう学校の場合は、石川県のように県に1つというところもあり、県の聴覚障害児教育のセンター的役割も担っているところもあります。ろう学校が地域の学校にインテグレーションしている子をサポートしている場合、その子の普通学級の担任の先生をサポートしている場合、様々な事例が考えられます。また、普通学級の障害認識や障害の理解について、ろう学校が中心に取り組んでいる場合があると思います。反面、ろう学校の先生は自分の生徒がろう学校にいるにもかかわらず、他の学校に行って指導する場合、自分の教え子に時間を費やしたい気持ちも持っています。全国でろう学校が何ができるか頼もしい実践がされています。今日はそれらの実践の報告の場として企画しました。この企画では最終的な結論をめざすのではなく、様々な実践がありますよということを示すものであることをご理解いただき、さらに地元に帰って様々な実践をしていただきたいと思います。
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司会:堀谷
 話し合う討論の柱について問題提起をします。私の経験をお話します。ろう学校の教師をしています。インテグレーションの経験もあります。幼稚部だけろう学校に通い、その後は普通学校に通いました、難聴学級ではなく普通学級です。40人ぐらいのクラスで聞こえないのは私一人でした。先生の話は全く分かりませんでした。担任の先生は熱心でしたが、聞こえない子供だけに集中して指導することは出来ないので、困ったと思います。相談に行く場もありませんでした。先生はろう学校の存在は知っていましたが、ろう学校の教育内容や専門的指導については分かりませんでした。両親は普通学校で教育していくという考えでした。私は授業が分からないでずいぶん悩んでいましたが、両親は努力をしなさいと言いました。まだ小さかったので、両親の言う通りだと思っていました。ろう学校があることは知っていましたが、幼稚部だけの経験でしたので、中学部や高等部でどんな勉強をしているか、まったく分かりませんでした。そのままで普通学校の中で大きくなりました。手話も分からず、ろう者の集団に入ることもなかったので、私自身は聴覚障害の自覚を持つまでにはいろいろ紆余曲折がありました。インテグレートしている子も、ろう学校とのつながり、手話との出会い、ろう者集団との出会いがあれば、ろう者としての自覚が持てると思います。両親はろう学校の内容や専門技術を知らないので、必要ないと思ったのではないかと思います。私は今、ろう学校を(ろう学校の教員とろう者という)2つの立場で見て、聞こえない子供の教育には、ろう学校と両親と地域の普通学校の3つが一緒になることが大事だと思っています。
 地域の学校に聞こえない子供がいる、その中で行き詰まった時に相談を持っていける場、それがろう学校であるべきだと思います。ろう学校としても出来ることが幾つもあると思います。確かにろう学校の中に先生がいて、ろう学校の子供達を一生懸命教育し、教えるための技術をさらに高める、それが当たり前です。ただ一生懸命教えるだけでなく、ろう学校自身がろう教育に対する先端的なものをもって普通学校とのパイプになっていく、聴覚障害教育の専門家になることが重要です。例えば、地域の学校で両親に対してろう学校が出来ることをもっとアピールしないといけないと思うし、ろう学校の技術とか、様々な分野での役割があります。補聴器の調整とか、機器の情報提供をすることも出来ることだと思います。また、普通学校に通う聞こえない子供達への先生方の指導方法をアドバイスすること、保護者にも情報を伝えることなどもあります。パネラーにいらっしゃっている先生方の様々な実践の報告があると思いますが、状況を見てみると、大切だと思うことは早期教育です。ろう学校と保護者、様々な立場の人が、工夫をして作っていかなければと思います。聞こえない子供が生まれた時に相談に行くところとして信頼関係を作っていく、インチグレーションを選択しても、ろう学校との関わりを持ちながらインテグレーションをする。進路を選んでいく時にも、ろう学校があるという情報提供も出来るし、両親やろう学校、普通学校それぞれのパイプが出来ていくと考えます。
 ということで今日の討議の柱として、パネラーの方々、それぞれの立場で、ろう学校、そしてインテグレーションした場合、ろう学校に求められるもの、また、ろう学校が出来ることは何かということをお話しいただければと思います。ろう学校と地域の学校との関わり、モデルとしての例を提起していただきたいと思っています。それではよろしくお願いします。
 まず、難聴学級の田原先生からお話しをいただこうと思います。様々な実践をされている先生からのご提起をいただきます。よろしくお願いします。
 
田原
 千葉市立院内小学校の田原です。私からは、難聴学級の立場から、20分という時間でお話をうまく言い尽くせるか、ほんの一部分ですが聞いてください。簡単に自己紹介します。教員になってまず小学校の普通学級の担任を7年間しました。今考えると運命を感じますが、この時、千葉ろうと附属ろう学校に通う兄弟がいる健聴の子供を担任しました。ろう学校に母親が付き添って登校し、下校後も励む毎日で、家族中が大変であるという様子を知りました。次に縁あって千葉ろう学校に11年間勤務しました。小学校1〜6年生まで受け持ち、言葉や感じる子供を育てるのに、自分なりに必死でやってきました。現在、難聴学級を担当して6年目です。ろう学校勤務の時は、普通学級の時の経験がとても役立ち、難聴学級では、普通学級とろう学校の両方の経験がとても役立っています。私が常に思っていることですが、入間は、人との関わりの中で生きていくもの、ですから、人と関わることの楽しさを感じてほしいという思いで、小学校の普通学級の時も、ろう学校の時も取り組んできました。難聴学級で難聴の子供達と接しています。基本的な考え方は同じですが、普通学級もろう学校も、子供に朝から帰りまで接して、その子をまるごと抱え込み、全人的に見て接してきました。ところが、難聴学級は、千葉県の場合、通級です。固定的な難聴学級ではありません。難聴学級では週に2回程度通って来るだけ。その短い時間の中で関わり、その子を見つけて指導しないということで、私の中で大きな葛藤がありました。その程度接するだけで何が出来るか、ろう学校に行けば、もっと力を伸ばせるのにと。難聴学級に転勤してすぐの私は、こんな思いで一杯でした。そういう思いの人は多かったと思います。また教師としてのやりがいの面でも物足りなさを感じました。でもその物足りなさはすぐに吹き飛び、今は、難聴学級の役割の担当者としての大変さと重要さを感じ、その責任の重さにつぶされないようにしている毎日です。学級担任と保護者との連携が重要です。難聴の子の成長を感じた時に、学級でも生き生き生活していると思って学級を訪問してみました。難聴学級で生き生きと明るく元気に過ごしている子供が、まるで別人でした。その時、学級で緊張しながら頑張っているので、学級の子供達や先生に聴覚障害を理解してもらう啓発活動の必要を感じました。難聴の子供が環境を変えていくのは難しいですが、難聴学級の担任の役目と思っています。そう考えて、今、難聴児と共に作り出す難聴理解授業を訪問のたびに行っています。難聴学級で、学級の友達に知ってほしいことを個別学習やグループ学習で話し合いをします。聴覚障害児の障害認識の面でも、とても重要だと思っています。難聴児が自ら学級の友達に発信するのを支援しています。その様子をビデオで見ていただきます。きこえの教室の紹介ビデオとして、担任の先生への啓発活動として作りました。難聴のお子さんのきこえの授業の様子が出ますのでご覧ください。(ビデオ)
 このようにして話し合って作ったビデオレターで、友達を難聴のお子さんが紹介してみせるという授業でした。照れながらもとても嬉しそうな子供の様子をご覧ください。
 次は聞こえの教室で自分の障害を知って発表している様子です。耳の仕組みの掲示物もきこえの教室で作りました。聞こえにくいってどんなことだろうということを学級の子供に知ってもらうことが大切です。
 この最後の場面は、本の読み聞かせでした。これは1年生の難聴児のいる学級です。担当者が中心に行うこともあります。今読んでいた本は「ハートは何色」という本で、学級の友達に知ってもらいたいことや先生に分かってもらいたいことを、難聴の3年生モモコという子を主人公にして描いたものです。実物がこれです。このような取り組みを行った後の難聴児の表情をご覧ください。すばらしい笑顔だと思います。学級の人達の理解が深まると同時に、その存在が認められることが大切です。健聴児もこれらを繰り返すことで、聞こえにくくてもみんなと同じ、僕よりこういう面はすごいと理解します。ノーマライゼーションを意識して作った図があります。この図のような関係を学級に作ることを目指しています。ろう学校にいる時は目の前にいる子供の指導しか見えていませんでした。この環境を整えることの大切さに気づかせてくれたのは難聴学級です。ろう学校は大きな組織です。聴覚障害児の研究に向かって同じ方向で動いています。千葉ろう学校では130名ほどの職員がいますが、補聴器に堪能な先生、発音指導のベテラン、手話の上手な先生、いろんな先生がいます。困った時はすぐに校内で助けてくださいます。でも難聴学級の周りを見ると、普通教育の先生ばかりです。院内小は2学級ありますので2名です。そういう心細い中で、普通学級の先生にアプローチしていかないといけない。1人で高度な専門性も要求されます。ろう学校と難聴学級で子供の取り合いをするという気持ちや、週2回程度の指導で何が出来るのだという意識、こういう意識ではダメだと思います。もちろんそういう先生方ばかりではありませんが。
 最後に、自分のろう学校での経験を反省して、難聴学級の立場でろう学校に何を求めるかということをお話ししたいと思います。まず通級システムや難聴学級の取り組みを知ろうとする気持ちを持ってほしいなと思います。そして人事交流を積極的に行ってほしい。私自身の経験で感じたことですが、これは1人の教員の思いだけでは難しいが、教育委員会が、専門性、またパイプ役ということでも人事交流をやっていってほしい。それから、色々なところで言われだしていますが、聴覚障害教育のセンター的役割を担ってほしいと強く思います。難聴学級に情報の提供をしてもらいたい。そして難聴学級の担当者を含めた研究組織作りをしてほしい。千葉県には幸いにも県の特殊教育連盟があります。その中に聴覚障害教育研究部会があり、院内小に事務局があります。県内の難聴学級の先生を中心に、病院のST、幼児通園施設、それからろう学校、千葉ろう、館山ろう学校からも先生が参加しています。院内小学校の校長が部長、副部長が千葉ろうの校長先生ということで、年5回の研修会、事例研究や講演会などを行っています。私もろう学校教員の時にはこの係でした。ろう学校は、校務分掌の1つとして正式に位置付けています。自分が難聴学級のことを知れる、自分の肥やしにしていました。それはとんでもないことでした。今は、せっかく校務分掌として係をもらった難聴学級のことを知った私が、大きなパイプ役の役目だったのだなと思っています。その反省を元に、ぜひ皆さんにお願いしたいと思います。また、絶対数の少ない聴覚障害児です。聴覚障害者同士の仲間作りを、ろう学校のほうから率先してやっていただければ幸いです。難聴学級側では、保護者や子供達にろう学校の存在がどのようなものかを知らせたり、文化祭などには募って遊びに行ったりしています。そのようなことで、難聴学級、ろう学校の子供達同志の仲間作りが出来ればと思います。それから啓発活動にも力を入れていってほしい。難聴学級の小さい力だけでやるのではなく、大きなろう学校という組織で行い、その仲間に入れてほしいと思います。幸い、全国的にろう学校に通級担当のシステムが出来はじめています。千葉でも4月から県教委と市教委が話し合いをし、2名の担当者が出来ました。千葉市の2校の中学校をサテライト校として、そこにろう学校の先生が出向いていって、近隣の難聴の中学生が通って指導を受けるということを行っています。このことで、センター的役割を担いやすくなったことと、難聴学級という通級スタイルを理解してもらいやすくなったということ。その先生をパイプ役として、ろう学校と連携をとりやすくなったと考えています。とても明るいことだと思います。最後に、とにかく子供によってろう学校が適している子と、普通学級で学び通級が適している子がいます。小さい時に地域の中で育ちろう学校へ行く子もいるし、ろう学校で力をつけてインテグレートする子供もいます。力を合わせてサポートしていきたいと思います。
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司会:堀谷
 田原先生、ありがとうございました。それでは続きまして、次は成人ろう者の立場から東京都聴覚障害者連盟の越智さん、よろしくお願いします。
 
越智
 東京都聴覚障害者連盟事務局長を務めています、越智と申します。昨年度の北海道討論集会の時も同じようにパネラーをさせていただきました。その時に、ろう教育の現状で、個人的な意見をずいぶんお話しをさせていただきましたが、ろう学校でいろいろ経験をしました。地方のろう学校、また、やや都会のろう学校、最後は国立、今は筑波大学附属、私がいたころは東京教育大学の附属と言いましたが、そこを経験した上で、私自身の経験ですね、現在、東京都聴覚障害者連盟の事務局長として、成人ろう者と様々な関わりをしています。そういう立場からあらためて、ろう学校の役割は何かということを話します。
 先程、司会の堀谷さんからお話しがありました。今後、ろう学校は、教育のサポートセンターの立場で、ろう学校だけではなく、難聴学級、そして普通学校に通う聞こえない子供達のサポートが必要と思っています。私自身、20年も前、学生の時に、同じような構想を学生の中で発表したことがあります。学生の中で、どうしてなのかということを話し合った経験があります。今後のろう学校は、ろう教育の教育センターの役割をしなければならないと思いました。最近はろう学校ではなくて、ふつう学校に通う子供が増えている、その中でも頑張っている。たまたま友達によくしてもらえば良いが、理解がなかったり協力がなかったりした子供達はどうなのか、皆さん、そういう経験をされているのではないですか。孤独な思いをしている人がいるのではと思います。現状ではそれをサポートするものがないです。実際にはそういうシステムはありません。ろう学校がその役割を担わなければなりません。昨年8月、討論集会が終った後、新しい発表が1つありました。ご存じでしょう。名前が変わった文部省(現:文部科学省)の委託によって作られた「21世紀の特殊教育のあり方」について提案がありました。その中で、小さい時から手話を教えないといけないとか、ろう学校の先生の研修をしなければならない、特殊学校は、地域中心でなければならないことを一生懸命学ぶ必要があると書かれていました。同感だと思います。1つは専門性です。ろう学校は、聴覚障害教育の専門の場である。皆さんも、そう思いますよね。本音を言いますと、私は、過去ろう学校は聴覚障害教育の専門の場所だと思っていません。口話教育の専門の場所、手話が分からない口話だけの人達、聴覚障害の専門の場所と言っていいのか、本当の専門の場であるというなら、手話もその他あらゆることを研究する場であるべきだと思っています。口話に偏って手話を取り入れないのではいけない。徐々に変化してきています。第4分科会に参加しましたが、実践の報告がありました。討論の中で質問がありましたが、ろう学校の先生の中に手話が分からない人がいる。その中でどう教育していけばいいかと質問がありました。手話が分からないので教えられない。手話を身に付ける気持ちがない人には、言い方はきついが「それだったら辞めてください」と言わなければならない。関東には聴覚障害の青年の集いがあります。何年か前に助言者として参加しました。今ろう学校で、手話が分からない、学生が教えないといけない、新しい先生が来たら、また教えないといけないというように、なかなか手話が広がらないという話がありました。ろう学校に突然赴任をした先生、先輩から習えばいいということで来た人がいますが、これではとても専門性とは言えません。北欧やアメリカの例を参考にしていけばと思います。昨日の午後の基礎講座の中で、北欧のバイリンガル教育についての発表がありました。先生が手話を身に付ける方法は何かということで3年間学ぶという。手話が上手にならなければ去るという。時間をかけて解決しないといけない。解決をするためにどうしたらいいか。聴覚障害者団体との関わりが大切だと考えます。聴覚障害団体が教育の問題に一生懸命取り組んでいるかというと、個人的にはまだまだと思っています。実は、20年前、学生の時に、全日本ろうあ連盟の組織で、評議員をしていました。委員になって、資料を読んで、教育の問題が全くなくて、非常にびっくりしました。教育の問題がたくさん載っていると思っていたのが、ろう学校の校長会との懇談会をやったという記事が載っていただけでした。20年前です。
 最近は、そういう意味では、変わってきて、教育担当理事が作られています。20世紀の総括の文章ですが内容が少なくて、がっかりしました。ある意味では、20年前と同じなので、質問しました。来年こそはと言うことで、来年に期待したいと思います。成人ろう者との関わりを考える必要があるというふうに考えます。成人ろう者の立場からのニーズを出していって現場を変えることが必要と思っています。大切なことは、先生方の専門性、質を高めるということと、当事者である聞こえない先生を増やす必要性があります。現状を見ますと、聞こえない先生は100人に満たない。全くいない学校もあります。聞こえない先生と会うことがなく、自分の将来像が描けないままにいる。また、現在、40才以下の聞こえない先生、非常に少ないです。20年前に採用の方法が変わり、聞こえない先生が採用されにくくなりました。前は試験がなくても、助手みたいな形でも採用があり、その中で学ぶ経験をして正式採用という形がありましたが、今は、試験を受けなければならないと言うことで、難しくなっています。大学に通っている人も少ない。40才以下の聞こえない先生達がいるという人、手を挙げてください。3名ですか?逆に言いますと、
 20年後、皆さんが定年になって辞められたら、さらに、もっと4分の1、5分の1、10分の1になってしまう。そのことを真剣に考えないと、将来、聞こえない先生方がいなくなってしまう。この報告の中でも、当事者の先生も増やす必要があると書かれています。また、秋田とか、広島とか、聴覚障害者枠で採用する決定がなされています。そういった取り組みをさらに広げていかなくてはならない。そういった意味でも、文部科学省との交渉が必要だと思っています。ぜひろうあ連盟にも頑張っていただきたい。そういった現状の中で、ろう学校の役割は専門性を高めていく、そういう立場で支えていく。大学や専門学校を含めて、そして手話通訳やノートテイカーの保障もしていく、そんな運動も必要です。また普通学校に通ってインテグレーションしている学生達や子供が不安な気持ちでいる。松本先生の報告の中で、先生の生い立ちを聞いて、教育を受けてきた環境を聞いて、非常に感銘を受けました。普通学校に通っていたが、勉強して、辛い、孤独だなということであれば、学校が終ってからろう学校に通って、仲間達と交流をしていたというわけです。普通学校の中で辛い思いをしたが、その後は、ろう学校の中でストレス解消ができた。それが精神的な安定を得ていた。そういった意味で精神的安定をする場、交流の場が必要だと思います。そんな場を普通学校に通うだけでなく、ろう学校で交流が保障される。そういう役割もあると思います。いろいろ話をしなければいけませんが、時間の都合もありますので、このへんにさせていただきます。
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司会:堀谷
 ありがとうございました。それでは次に、ろう学校の先生の立場から話しをしていただきます。
中瀬先生、お願いします。
 
中瀬
 大阪市立聾学校の中瀬と申します。大学を卒業して、愛知県のろう学校小学部に勤めました。その後、大阪市の方に来て、大阪市の中学校に勤めました。そこで難聴のお子さんを担当していました。通常学級です。その後、ろう学校に転勤、中学部を経て、今、幼稚部を担当しています。主に補聴器や聴力検査等の担当をしています。今日は、地域に開かれたろう学校と言うことで、ろう学校の教師の立場から話をしてほしいということでしたので、いくつかまとめてきました。ここにあげることは、2つの観点で書いてあります。(OHP)ここにもタイトルに書いてありますが、大阪市立聾学校としての取り組み、主に、公的な場面での取り組みです。それとともに、私どもでやっている私的研究会で、大阪聴覚障害教育研究会というのがありますが、その取り組み内容についてもご紹介していきたいと思います。まず最初に、結論じみたことを申しますと、地域に開かれたろう学校とはどういうことなのかと言うと、私が考えている内容としては、地域の聴覚教育の中核にろう学校が位置していくことだと思っています。そのためのキーになるのは、聴覚障害児がいるのは、現在はろう学校だけでなく、ろう学校以外にも、多くの聴覚障害の子供がいるというその現実を先生が受け止めるということ。また先程来の話しにもありますが、文部科学省は、ろう学校が地域のセンターの役割を果たさなければならないと言っています。このあたりの話題が今回のテーマと思います。ただ、ろう学校が開かれるということになると、いくつか危惧される問題が先程、司会の先生の中にもありました。普通に考えられることは、ろう学校の子供が減るのではないかという問題。幼稚部から小学部に行かずに地域の学校に通うのではないか、ただでも少ないろう学校の子供が、もっと減るのではないかということが危惧としてあります。ろう学校内の子供だけでも大変なのに、もっとしんどくなるのではないかという意見が内部的に出るでしょう。そこについては個人としては、しんどくなるのは当然だと思っています。ですから、熱意を持って臨むしかないと思います。ろう学校が地域の聴覚障害教育の中核になるとはどういうことかと言うと、ろう学校を中心に地域の学校に学ぶ子供達も巻き込んでいくということです。将来は、同じ聴覚障害者として生きていく。ろう学校に育った子供、地域の学校の子供もそのためには、一緒に聴覚障害成人として生きていく。そのためには分け隔てなくサービス提供の場としてろう学校はあるべきであろう。そのためには、親、子供、地域の学校の先生の意識を変えていかねばならない。実際にろう学校に足を運んでもらう機会を多く作ってもらうべきだと思います。そのようなことを、考えると、結果的には、ろう学校の子供は減らないという話をします。大阪市立聾学校ですが、5年間在籍児数、幼稚部から高等部までの児数変化を見てもらうと、5年で毎年着実に増えています。全国的には減っていますが、5年間で28名の数が増えています。この傾向はまだしばらく続くと思います。学部毎で見ても増えています。幼稚部は在籍が52名です。それ以上にたくさんの教育相談を受けています。開かれたろう学校を求めてというテーマで、内容を2っに分けて話します。学校での取り組みとして、ろう学校のレベルは低くないと外に向けた情報を発信し、自分達自身でも認識することが必要です。学校内での取り組みを簡単に説明します。情報誌を作っています。大阪市の学校の校区にミニコミ誌を送って、通常学級の先生に読んでもらっています。自主的に公開講座をしていました。狭い意味でのろう学校の専門性です。毎回30名ほどの参加を見ていました。98年度からは学校主催で開いています。昨年、今年は、授業公開も行い、50〜60名の通常学級の先生が参加しています。機器展示会をして、聴覚障害のことを理解してもらうためのPRも兼ねています。補聴相談を、幼児・児童・生徒に対してしています。100から160ほどしている。その時、大半はそれに付随して、学級での配慮、就職・進学の相談が多いです。例えば、高等部は今年2001年度の場合は、学校外からの進学が4名で、その内補聴器相談に通っていた生徒が3名です。専攻科の外部からの進学者4名中3名が補聴器相談を受けてきた生徒です。各部についても、補聴器の相談をした子供がろう学校に進学してくる例がでてきています。幼稚部の場合は、医療機関、福祉機関、保健機関、幼稚園に案内を送って見てもらう、説明をさせてもらう、情報交換会をしています。特設で年2回ほど説明会も開いています。そこから直接教育相談の紹介を受ける割合が増えています。幼稚部からインテグレーションした方々の小学校に授業を公開して相談会をすることをしています。通級指導もしています。高等部の段階になりますと、体験入学をしています。今年も9月にしますが、去年も体験入学した3人のうち1人が入学しています。私的研究会は96年設立。ろう学校の教師以外に通常学級の先生方も含め、ただし全てろう教育の経験のある人で組織した事務局を作り、医療機関や大学の先生方にオブザーバーになってもらっています。活動内容は初歩的な内容を分かりやすくするということで、ワークショップという実習形態をしています。夏休みに行っています。校区内の聴覚障害児教育の関係者とのつながりなどが強化され、通常学級の先生をフォローしています。困った時に相談出来るということになってきています。この他にも地域に開かれたという形で考えますと、高校生の手話セミナーが十数年開かれていますが、その講師をろう学校の教師がしています。その他、寄宿舎では、和太鼓を熱心にしています。公演に回っています。医療機関も回っています。その結果、医療機関からろう学校への紹介が強化されてきました。教育相談が急増し、1学年20名を超えるという場合もあります。今年4月は幼稚部を卒業した15名中11名が小学部に入学しています。うちの転入学者も増えています。補聴器相談をしている時に転入学したいという親子が増えています。要因としては、小さな子供達のために用意をしているところを保護者が見ているとか、文化祭で手話劇をやってもらう、学力を付けられる授業風景などです。小学部高等部の授業参観を見ると、ろう学校に対する信頼感が高まってきている実態があります。ここ数年大学入学者を出しています。公務員試験の合格者も着実に増えています。高等部への信頼感が強くなってきています。医療機関で「ろう学校の先生と相談するように」と言ってもらったりしています。保護者がろう学校への信頼を強めることになってきています。結論的には、1人のスーパーマンでは変わらない。結果的にはそれぞれが、自分の持ち場で頑張り、教師自身が開かれることが、開かれたろう学校として状況を好転させる。しかし、状況はすぐに変わらないと、これだけは肝に銘じなければなりません。例えば成人の聴覚障害の方々、保護者、お子さん達が何を求めているかということや、時代を見つめる目を持たなければなりません。凝り固まった考え方では、うまくいかない。大阪では教室が足りないという状況になっています。そういう状況の要因は1つではないということで、幾つか分析をしたなかで、開かれたろう学校が1つのキーになってい介をさせていただきました。
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司会:堀谷
 ありがとうございました。続きまして、聞こえない子供を教育する経験ということで、南村先生から報告をいただきたいと思います。
 
南村
 南村です。地域に開かれたろう学校と言うことで、20分ほどお話しをさせていただきます。私達はトライアングル教育部の南村です。初めに自己紹介を兼ねまして、トライアングルという機関は、在野の私立の会員制の会です。会員が1500人ほどの会です。そこに教育部という部があり、そこで小さい子供達を指導しております。それから、もう1つ、聞こえない娘と私という、もう1つの顔を持っています。この2つの立場から、いろいろインテグレーションについて考えていることをお話ししたいと思います。
 今までの教育についてお話しします。私の娘も含めて、これまでの教育は聴覚を活用するということで、お喋りが出来る、あるいは子供が聞こえるようになる、そういった期待のもとに、教育をしてきました。その結果インテグレーションの道を歩ませていただきました。その結果、子供達は、どういう状況におかれたかというと、まず、我慢、それから努力、そして諦め、という結果をたどってまいりました。では、子供達のアイデンティティはどう確立されたかというと、いみじくもトライアングルで行ったシンポジウムで、あるろう者の方が「第三の世界を専門家は作った」と言われました。まさにインテグレーションという道は、聞こえない子供達に、いわゆるバーチャルリアリティの世界、曖昧な世界を作らせてしまったように思います。そこで子供達自身の居場所はあったのか、多分、なかったと思います。そしてもう1つ、地域、社会に対して大きな誤解を生んだのではないかと思います。それは発信は出来ても、受信は困難であった、非常に基本的なところを、地域社会の人達は理解出来ないままに子供達を受け止めてきました。
 現在のトライアングルの取り組みについてお話ししたいと思います。先程指導を行っているとお話ししましたが、これは0歳から就学までの小さいお子さんの指導を行っているので、そこを中心にお話しします。指導場面に、まず手話を導入しました。手話の導入は、本人はもちろん、私どもとしては、まず家族の人達が、お父さん、お母さん、兄弟が手話を使うことを目標にしています。その様子を1分ほど見ていただこうと思います。(ビデオ)
 見ていただきたい場面があったのですが。最後の場面で、子供達と親が1人ずつ自己紹介をしているのですが、一番下の女の子が、「自分は犬をやりました」その後名前を言っていますね。まだ、3歳にならない女の子ですが、彼女はもう、産まれた時から手話を使う家庭に生まれてきたので、「〜です」が誰も教えていないのに、使える。あの子は聞こえる子供ですが、そういう状況があります。あるいは地域で、保育園や幼稚園に通園させているので、そこでも手話の環境を整えていただくために、親御さん達が積極的に手話サークルを作ったりして、お友達やお母さん達が手話を使う活動をしている。あと、成人ろう者の方に参加をお願いしています。これは親にも子供達にも好評です。手話講座の開催をしています。最初は、指導を受けている親を中心にして週3回の講座を開いていましたが、地域の方々、あるいは幼稚園や保育園に通っている関係者も受講しています。それから、次に、インテグレーションを支えるということで少しお話しをします。これは、我々のところで、就学まで教育をして、その後は親御さん達の希望に任せていますが、地域の小学校に行っている人も多い。情報保障について、子供達にいつでもどこでも同じ情報を与える整備をする。パソコン文字通訳講習会を立ち上げて、毎週1回やっています。それから、手話講座。
 それから、今は、大学から高校、中学と、情報保障の整備がなされていますが、小学校の情報保障体制がまだまだなので、今年は小学校での情報保障体制作りをどうするかということで、そういう研究会を立ち上げています。出版物の発行です。去年の夏に、あなたに出来ること、私に出来ることということで、バリアフリー体験記、日本全国のお母さん方、先生方から手記を寄せていただいて、1冊の本にしました。今作成中ですが、進路の選択ということで、これは、まだ本の題名がはっきりしません。と申しますのは、中学校を選択するとき、普通中学校へ行く人が少ない、ろう学校を選択することが多い。子供達の前段階として、精神的な苦しみ、登校拒否とか、引きこもりとかの問題が出ていて、そういった人達から原稿を寄せてもらって、みんなで考えていこうという本にしたいと思います。もう1つは、指文字表などの、手話教材の制作に力を入れています。
 最後にろう学校の役割と言うことでお話しをします。まず、子供にとってのろう学校は、私は前から思っていますが、聞こえない子供達は、点として生まれる。その子供を線にして、面にして、最終的には集団にする必要があります。そのためにはろう学校が大きな役割をもっているのではないか。成人ろう者の方々に伺うと、「ろう学校は自分達のふるさと、居場所がそこにある」と言います。私もそうだろうなと思います。ここでアイデンティティが確立される。自然で豊かに自由に情報発信ができる場だと思います。次に、親にとってですが、聞こえないこと何でも相談所であってほしいと思います。聞こえる親にとっては、最初のすりこみの場となってもらいたい。それに加えて、情報が何でもある、人工内耳についても、補聴器についても何でも得られる、聞こえない世界を知る場にしたい。出来れば、私は、体験学習みたいなことが出来るといいなと思います。また、ろう文化に触れることが出来ること。手話講座への参加のすすめ、ろう文化の発信地、ろう者との出会いが出来るといいと思います。地域社会にとっては、地域への啓蒙活動。この啓蒙活動の中に、聞こえない子供の共通言語は手話ということを地域の人達に発信していただきたい。どんなに聴力が軽くても共通言語は手話であることを忘れないように。そのためには、公開授業や手話講座、ろう文化の発信地としていろいろなことをやっていただきたい。もう一つ、交流教育。インテグレーションを支えると言うことで、ホームサポート体制。聞こえない子供は、90%聞こえる親の家で生まれる。そういった時、家庭へろう成人の人を派遣して連携していただきたい。保育園や幼稚園へ参加して、お付き合いをしていただきたい。実際、私達は幼稚園に、ろう者ではないが、手話のできる人を保母と同じ資格で一年間入っていただいた。そうしたら周りの子供達や保母が手話が使えるようになった。園が変わった。ろう学校の教師が出向の形で出来るといいと思います。ろう学校と地域の学校との交流。授業、文化祭、遠足、運動会、部活など、個々に行うのではなくて、集団で行う。そういうことが出来ればいいなと思います。
 大変早足でお話しをしましたが、トライアングルで今やっていることについてお話しをしました。それからろう学校にこれから望まれることについても簡単ですが、お話しさせていただきました。これで私の話しを終ります。どうもありがとうございました。
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司会:武居
 南村先生、ありがとうございました。もう少し聞きたいこと、話のこしたことがあれば、1人1分か2分ぐらいずつ、質問なり意見なり、お話しいただければと思います。では、田原先生から、何かありましたら。
 
田原
 この場で失礼します。先生のお話を聞き、私自身、とても勉強になりました。いろんな方と分科会での出会い、カレントでのフリースクールでのお話し、すごく充実した2日間でした。難聴学級の立場から、勝手なろう学校への願いを話しましたが、中瀬先生の取り組みは素晴らしいと思いました。そういうろう学校の取り組みがどんどん広がっていってほしいと思います。私の中で、11年間勤務したろう学校ですので、やはり大きな存在です。その中で、私自身の生活、子育てからいろんな私的なこともありろう学校は、頼れるところであってほしい、私の中で、心のオアシスと言っては大げさですが、専門性をつけていただいて、大きな存在でいてほしいと思います。そんな難聴学級の一教員がいるということを知っていただければと思います。ありがとうございました。
 
司会:武居
 越智さん、何かありますか?
 
越智
 少し先生方に質問をします。お話しを伺っていて、ろう学校やトライアングル、素晴らしい取り組みをされていると思います。今回、地域のろう学校の方も、そこまでなかなか活動ができない状況ではないか。どうしてなのか、例えば、トライアングル、ろう学校が取り組むべき内容だと思いますが、そこらへんはどうしてなのかということをお伺い出来ればと思います。
 
司会:武居
 多分その質問に対してお答えができるのは、ろう学校の先生だと思いますので、中瀬先生、何か思うところがあれば、おっしゃってください。
 
中瀬
 難しい質問だと思いますが、ろう学校の私の報告の中でだけ言えば、他の学校の状況は分かりませんが、私どもの学校でまがりなりにも子供達が増えて、非常に休み時間、賑やかに活気づいているという状況になったのも、一時は学校の存続をかけるような状況の中でそれを教師が危機と感じ、取り組んだからなのです。生徒が減ると、学級数が減る、学級数が減ると教師がいらない。そうするといたくてもいれない。ろう学校に勤めたい教師も多くいますし、子供達と関わっていきたいという先生の気持ちが、少しずつ形になっているのかと思います。よく似たことは、全国のいろんなろう学校のいろいろな立場の先生も思っていて、やりかけているだろうとは思っています。それがどこまで実を結ぶのか、また、私どもの学校が、今後どういう方向になっていくのかということに関しては、しっかり成人のろうの方々のお話を聞きながら、先を見据えてやっていきたいと思っています。お答えにはなりにくいのですが。
 
司会:武居
 それでは、フロアの方から、質問・意見がありましたら、どなたかいらっしゃいますか?では、私のほうから、いくつか質問をしたいと思います。田原先生に質問したいのですが、文化祭などで、難聴学級のお子さん、自分が指導しているお子さんを連れて行くという話しがありましたが、その時の子供達の反応や、相手のろう学校側の反応子供達の様子をもう少し具体的にお聞かせいただければと思います。
 
田原
 文化祭は、演劇の発表や、子供達に向けて楽しい行事も行われますので、難聴学級の子供達は、行く前からワクワクしまして、お母さん達は、別の意味でろう学校を知るということで行っていただいています。子供にとっては遊びの気分ですが、ろう学校というところがあるということを知ります。中学校は、自分はろう学校に行ってみようかとか、そのような思いのお子さんも出てきたりしています。院内小に通っているお子さんで途中からろう学校に行っている人もいるので、行けばその子にも会えるということで、子供は、変な壁というか、超えにくいものはなく純粋に楽しんでいます。千葉ろう学校はキュードスピーチをかなり使っていますが、それを覚えてみようとか、話をしたりとか、本当に楽しく行ってきました。
 
司会:武居
 ありがとうございます。他に質問はないようでしたら、これで終りたいと思います。先生方の発表を聞いて、普通学級にいる聞こえない子の障害理解、担任の先生へのサポート、聞こえない子供に対するサポート、幅広い分野にまたがっています。いろんな話を聞いていると、どこからスタートしなければならないかというと、ろう学校が何をしているかの情報公開がスタートになる気がします。公開講座とか、公開授業、ミニコミ誌を作ったり、研究会などでろう学校がどういう場か、地域の人達に知ってもらったりして、そこから第一歩が始まる。もう一点、手話に関して言うと、手話の獲得には、手話を話す集団が欠かせないと考えています。難聴学級とか普通学級が優れている点がありますが、ろう学校が優れている点は聞こえない子供達の集団が保障されていることです。そういう意味では、手話を話す集団の場の提供は、フリースクールかろう学校しかない。そういう意味では、手話の獲得にろう学校が必要だと強く思いました。ありがとうございました。
 
司会:堀谷
 今日の司会進行、いろいろ不備な面もありました。今日、先生方がお話になったことが大変参考になりました。実践に感動しました。ろう学校の教育の中で、コミュニケーションが深まることで人間的に豊かになっていく。そういう意味では、インテグレーションした子へのサポートについて悩みを持っている人もいると思いますが、先生方の意見を参考にしていただきたい。インテグレーションをしている子供達についてまだまだ取り組まなければならないことは沢山あります。本日の意見を聞いて、明日から頑張っていただきたい。聴覚障害者が声を出していくこと、積極的な発言が大切と思います。ろう者の積極的意見を出してともに作り上げたいと感じました。
 
司会:武居
 それでは、これで終わりにします。パネラーの先生方、ありがとうございました。通訳の3名の方、要約筆記の3名の方、ありがとうございました。閉会式の準備もしているので、これで終わりにします。どうもありがとうございました。








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