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2.20世紀のろう教育
 19世紀末の希望は20世紀のろう教育でどう実現されたのかを考えると、教育体制として各地に学校が増えていきました。そして、盲教育とろう教育の分離がなされました。私立のろう学校から公立への移管が進み、教育体制は国や地方自治体などの公的な機関が責任を持つ教育に変わってきました。20世紀は教育的な整備が進んだ時期と言えます。専門性の確立でいうと、日本のろう教育の流れとして口話法が進展しました。これはある種の専門性を強く要求する方法です。教師も力量を問われるし、子どももかなりの努力を必要とする方法でした。口話法が日本のろう教育の中に進展することで、ろうの子どもたちも話ができるという考え方がろう教育の中には広がっていきました。話ができると言われていても、現実の社会では十分に通用しないという実態もありました。しかし、ろう児も話ができる、聴者に近い能力を得ることができるという意識とそれに関わるある種の専門性が、20世紀の間に随分進んだと言えます。その次に出てきたのは、聴覚活用という専門性です。補聴器の進歩とか科学技術の進展に支えられていますが、小型で利用しやすい補聴器が出てくることで、聴覚活用が教育の中で進みました。そして、ろう児も聞くことができるというイメージが、ろう教育の中で広がってきました。ただし、現実には音が入るということと、聞き分けることができるということは違うし、音を聞き分けることができることと社会生活で不自由なく、あるいは快適に音を聞いて生活できるということとはまた違うわけです。きこえにはさまざまなレベルがあります。現実の中ですべてが解決することは今もって困難なわけですが、ともかくもそういう専門性を深めてきました。
 ろう者と聴者が同じ能力を身につけるための目標として、20世紀のろう教育は職業教育と言語教育を二本の柱にしてきました。石川さんの文章にも「通意術を授けたまえ」「自活の法を教えたまえ」とあります。そのとおりに2つの目標は、ずっとろう教育の中で大切にされてきました。言語指導――読み書き、発話、発語も含め日本語を指導する技術を大切にしてきましたし、それにかける時間も大きかったのです。職業についてもさまざまな職種を用意するようにと考えてきました。そういう流れがろう教育の中にありましたが、20世紀の終わりの1980年ぐらい、21世紀はどうなるのだろうという思いが出てきたころに教育自体が変化を見せてきました。障害者観とか障害者運動の中にも質的な転換が見られました。ろう学校なり特殊教育諸学校あるいは一般の学校も、一生懸命作り上げてきた専門性を磨こうとしてきましたが、逆に別の視点で学校の外側から、あるいは大きな教育全体の矛盾の中から見直しを迫られてきたように思います。それが明らかに現れたのが、1つは、1980年代中ごろの臨教審(臨時教育審議会)で、日本の教育自体をもう少し変えていかないといけないという議論が出てきました。このあたりの教育の議論は第三の教育改革と呼ばれていました。そして臨教審からつながっている現在の様々なうごきも、第三の教育改革と呼ばれています。
現在の教育改革の2本の柱
[1]ゆとり
[2]生きる力
 
※提言として
[1]教育内容の厳選と基礎・基本の徹底
[2]一人ひとりの個性を生かす教育
[3]豊かな人間性とたくましいからだをはぐくむ教育
[4]「総合的な学習の時間」
 
※障害等への配慮として
[1]交流教育
[2]早期教育相談体制の充実
[3]高等部の職業教育の充実








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