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即時釈放制度と沿岸国裁判権
 ―グランド・プリンス号事件を素材に―
関西大学教授 坂元 茂樹
1.はじめに
 国際海洋法裁判所(以下、ITLOS又は裁判所)は、2001年12月3日に下したMOX plant事件の暫定措置命令で、早くも事件の総件番号が10を数えることとなった。当初の予想をはるかに超えて、同裁判所は数多くの事件を処理してきた。その中でも、最初の付託事件であるサイガ号事件以来、即時釈放(prompt release)に関する事件の付託が目立っている(1)。本小論がとりあげるグランド・プリンス号事件は、ITLOSが取り上げた即時釈放事例としては4番目の事件となる。本事件は、これまでの事件とは異なり、原告の当事者適格が否定され、裁判所が12対9の僅差で、「裁判所は海洋法条約第292条に基づき申立を審理する管轄権をもたない(2)」と結論し、初めてその訴えを門前払いにした事件である。また興味深いことに、本事件の被告は、かつてカモコ号事件及びモンテ・コンフルコ号事件で、国内の民事裁判所の罰金刑が合理的でないとして、ITLOSの場でいずれも敗訴してきたフランスであり、拿捕海域並びに違反事由も先の両事件とほぼ同一である(3)。その意味では、フランスがITLOSの場で一矢を報いたことになる。フランスの対応において何がこれまでの事件と異なり、また、ITLOSをして、何がこれまでの事件とは異なる結論に導いたのであろうか。本小論の目的の第1は、それを探ることにある。
 端的に言えば、次の2点が考えられうる暫定的回答である。まず第1に、原告であるベリーズが、海洋法条約(以下、条約)第292条2項が要求する申立の当事者適格、すなわち、みずからが「船舶の旗国又はこれに代わるもの」であることの立証に成功しなかったということである。これには、原告ベリーズの代理人(Agent)が、通常の国際裁判でみられる政府代表ではなく、スペインの個人弁護士であったことが影響しているように思える。なぜなら、当該代理人は、後に紹介するベリーズ政府の各機関による文書の記述の不整合についての裁判所の質問に対して適切な回答を与えることすらできなかったからである。第2には、被告フランスの対応の違いである。今回の事件で、フランスは、その国内民事裁判所で、保証金として1140万フランを命令したのに加えて、同国の軽犯罪を管轄する刑事裁判所である軽罪裁判所が、事件の再犯を防止し違法行為から利益がでないようにする必要があるとして、船舶、装備及び漁具等を没収する命令を発したのである。フランスは、同国が漁業犯罪に対し船舶の没収という罰則を設ける権限は、条約第73条1項の「この条約に従って制定する法令の遵守を確保するために必要な措置(乗船、検査、拿捕及び司法上の手続を含む。)をとることができる」との規定により保障されており、海洋法条約の当事国に対する唯一の制限は第73条3項による拘禁刑及び身体刑の禁止であると主張したのである(4)。同国によれば、船舶の没収権限は第73条に基礎を置くものであり、フランスのみならず多くの国の国内法で罰則として採用されており、違法ではないというのである。そして、原告が即時釈放を要請する船舶は、権限あるフランスの裁判所によってすでに没収されており、ベリーズ政府の船籍を離れているとする。したがって、原告ベリーズの申立は、請求目的をもたないと主張したのである。
 本事件では、裁判所の管轄権の問題が主として争われたこともあり、多数意見では、もっぱら第1の当事者適格の問題が議論されており、第2の点については必ずしも十分な議論が展開されたわけではない。そこで本小論も、主として第1の点を中心に取り上げざるを得ないが、第2の点は沿岸国裁判権へITLOSがどの程度まで介入できるのかという問題を孕んでおり、今後とも重要な論点として残るように思われる。もちろん、即時釈放制度そのものが、過度の抑留を防ぐために、抑留国と抑留船舶の旗国の法益の均衡を図ることを目的として、「合理的な保証金の支払又は合理的な他の保証の提供の後に速やかに釈放される」(第73条2項)制度を構築し、第292条により抑留船舶の旗国に釈放に係る申立の権利を付与することで国内裁判所の保証金の合理性や形式を争い、ITLOSが判断する仕組みに作り上げている。その意味で、本来的に、即時釈放制度ではITLOSと国内裁判所の間に一定の緊張関係が発生している。
 しかし、今回の事例は、フランスの軽罪裁判所による船舶の没収という判決が、第292条3項がITLOSに課している制限、すなわち、「裁判所は、遅滞なく釈放に係る申立てを取り扱うものとし、釈放の問題のみを取り扱う。ただし、適当な国内の裁判所に係属する船舶又はその所有者若しくは乗組員に対する事件の本案には、影響を及ぼさない」に該当する「本案」事項であるかどうかが重要な争点として浮上した。「刑事裁判管轄権の行使により確保される沿岸国の法益と、航行の自由の確保についての旗国の法益との均衡をはかるための特別の手続きである(5)」とされる即時釈放制度の根幹に関わる問題が提起されたともいえよう。その意味で、過去の即時釈放事例と比較しても、きわめて重要な事件といえよう。もっとも判決そのものは、前述したように、本事件をもっぱら当事者適格の問題のレベルで処理してしまったが、本小論がこの事件の紹介に労力を傾注するのは、先の認識が背後にあるからである。そこで、まずは事件の概要と両当事者の主張を紹介し、それに対しITLOSがどのような結論に到達したかを探ってみることにしたい。








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