2.2基調講演 「港湾開発上の課題・環境保全と航行安全対策」
池田龍彦 横浜国立大学教授
只今、ご紹介されました横浜国立大学の池田でございます。
私は1992年にヴィエトナムを初めて訪れまして9年ぶりに参りました。9年前に来たときには、ここにおられますラム副局長にも、大変お世話になりました。カイラン港、ハイフォン港、ダナン港、サイフォン港、ブンタオ港それぞれ現場を視察にして色々な調査をしました。昨日、一昨日とカイラン港を9年ぶりに訪ねまして、そのカイラン港への道が大変良くなったこと、それからカイランで新しい港湾の建設が始まっていることに大変感銘を受けました。これもヴィエトナムの運輸省、それからVINAMARINE始めとする港湾関係各位の皆様の大変な努力の成果だと考えております。
今日は日本の経験を交えて、港湾開発の中の課題であります環境保全それから大変重要な航行安全の確保という2つの課題についてお話をして、皆様のご意見を伺いたいと思います。
港を開発するという所でどういう順番になるのかというと、まずやはり、国民の生活を豊かにするというのが1つの大きな目的じゃないかなと思います。そのためには、現在、ヴィエトナムが国を挙げて取り組んでおられます経済成長、経済を成長させるということが大変重要になっている。
経済成長するためには、産業、工業の開発と、それからやはり、ヴィエトナムは農業国ということから、農業の進歩、進展、この2つが重要だと思います。
ただ、そういう風なことを実現するためには、やはり4番目に書いてあります社会基盤インフラストラクチャーの整備、これが重要で特に重要なのは道路、鉄道、港湾、こういうものが経済成長に最終的には結びつく、非常に重要な整備を皆さんが担当されていると考えられます。
そういう風にするために、そのコンプリヘンシブナショナルプラン、要するに国家の長期計画これをヴィエトナムが設定をして、それに沿った形で港湾の整備、或いは道路の整備という風に行われていると確信しております。
日本はどうかと申しますと、日本は1868年に約250年の長きにわたって鎖国、国を閉ざしていた政策をやめまして、政府が代わって明治維新というものが起こりました。国を閉ざしていたものですから対外的な施設というものは殆どありませんでした。ただあったのは、子供を教育するという高い人を育てようとする考え方、実践がその当時ありました。
1868年にその新しい政府が出来たのですが、一番初めに手をつけたのが何かというと灯台の建設です。とても今日のテーマに合っていると思います。灯台を建設、或いは日本の国を開国したわけですから対外的な港の建設、それから国内の移動のための鉄道の建設、そういうものを熱心にやりました。
現在日本では、皆さん毎日道路で自動車を運転されていますけれども、当時はまだ道路には馬車とか人が歩くぐらいでしたから道路の建設はその当時熱心になされませんでした。それから当時電信が発明されまして、電信テレグラムは軍事的な利用価値が非常に高かったので国を挙げて整備をしたというのも事実です。
ただその当時、やはり技術が日本は至っていませんでしたから外国、特にイギリス、フランス、ドイツから若手の技術者を日本の費用で大変な高額な給料で雇いあげて技術の輸入に努めました。明治元年1868年に出来た灯台、これがまさに日本の色んなインフラストラクチャーの中で一番初めに完成したものです。
次の図が、ちょっと遠くで見えづらいのかもしれませんが、1885年明治の初めから現在1995年に至るまでの貨物量の変化です。貨物量の単位は何トンを何キロメートル運んだかトンキロメートルという単位で表しています。これは明治の初めと言うのは、殆ど貨物の動かない状態ですね。というのは動かす施設がなかった。それで施設が段々出来てくるに従って物が動くようになって約一千億トンキロメートルという数字まで第二次世界大戦の前に達しました。戦争の影響でその値が約3分の1以下に下がっています。その後1945年から急激に貨物交通量が増加しています。1973年のオイルショックまで約4千億トンぐらいまで増加しました。
これはまた後でご説明しますけれども、この急激な増加をもたらした要因は日本の工業化であり経済成長、この2つが重要なのですけれども、1つ隠れているものとしては、これだけの成長を可能にしたのは、1つは戦争でいろんな施設が被害を受けました。鉄道や港湾の施設に被害を受けたのですけど、その被害の度合いが意外に小さく全体の約10%〜15%の被害を受けただけで85%の施設は残っていたというのが1点、もう1つは貨物量の増大と共に一生懸命施設の整備をした。この2つの点でこれだけの増加を可能にした。
日本はオイルショック、石油危機で工業がかなり影響を受けました。石油の価格が値上がりして、貨物量もそれ程増加しなかったがその後、それを克服して貨物が又延びたという歴史的な現実です。この図の中で、こう上がったり下がったりしている点線が海運、内航海運の貨物量です。一点鎖線が道路です。最初は小さかったのですけど最近ずっと上がっていきます。鉄道はどうなのかというと鉄道は一時ピークを達しますけども、その後貨物量の絶対量が下がっています。道路に負けています。これをどういう分担率かとやりますと次の図、これはシェア、分担率です。これもトンキロベースですけどこの白い所がコースタルシッピング、内航海運です。船で運んだ割合が最初は100%船で運びました。それが段々と鉄道がシェアを拡大して行ったのですけども道路の整備とともに、また自動車の普及とともに自動車が全体の半分以上を占める。皆さんご承知のように日本というのは南北に非常に長い国なのですね。ヴィエトナムも南北に非常に長い国であるという共通点がありまして、日本の沿岸海運の、貨物量全体のシェアが約45%に是非注目をして頂きたい。ちょっと前に戻って分担率45%ぐらいがコンスタントになっていましたけども、それでかつ貨物量はこんなに延びている。多分ヴィエトナムも現状として、この急激に延びているこの成長過程の何処かにヴィエトナムの現状があるのじゃないかなと思います。
経済成長と社会基盤の整備はどういう関係にあるかというと、この表は1885年から1900年までの時間の流れと、縦は対数目盛りと言って十倍十倍十倍と十倍百倍千倍と目盛りを取っています。これでいくと国民総生産の延びは、着実に延びているのですけれども、同時に貨物量も着実に延びている。点線の所はストックという交通インフラのトータルの施設量と考えて頂ければ良いかと思います。1885年から1900年代の前半までですね、施設量が急激に延びたのが解ると思います。赤い線ですね。それに対して貨物の延びはそれから10年から15年遅れてこの延びが8%の非常に高い延びを示している。施設の整備と貨物量の延びは10年、15年のギャップがある。何故そのようにして起こるかと言うと、工業が発達してないときには施設を造る。そうすると工業がそこで起こる。工場から出てくる製品を動かすには時間がかかる事を理解しなくてはならない。一方、今度は工業がかなり盛んに活動している時はどういう風になるかというと、貨物がまず延びます。貨物が延びて貨物が移動するけども施設が足りない。そうすると投資が起こって施設量が増える。逆に貨物量が施設整備を引っ張るというような形が起こります。港はどうかというと、港もやはり施設整備が成された後10年から15年で貨物量の延びが非常に高い時期が戦前ありました。戦後はどうかというと貨物量が延びる。そうするといつも船が沖に待っている、滞船ですね。そういう事で施設をどんどん造るという状況が1950年から1970年代かけて生じている。そういう意味で経済成長と社会基盤の整備というのは2つの極限を持っている。非常に大きな整備を行った結果、工業化が進んで10年、15年後に貨物の延びを見せたというのが1つです。もう1つは貨物がどんどん延びる、従って貨物量が少ない、従って施設を整備しなければいけない、そうすると貨物量を誘発してくる。サイクル、施設整備を行わなければいけない状況が続きます。ヴィエトナムがどういう状況なのかは皆さんのご意見を後で聞きたいと思います。
日本の戦後、港を整備していった段階で色んなフェーズが考えられる。1つは臨海工業地帯の整備ということで、日本は資源の無い国ですから原料を輸入して加工して輸出する、或いは国内生産したものを輸出するために臨海工業地帯が出来てきました。それから工業を中心として過疎地、農村部を振興する、発展させるという形での港の開発が行われました。
次は鹿島港という1つの例です。東京から約90kmくらい北にあります。ここは、もともと砂浜だったのですが、砂浜を掘り込んで大きな工業港を作りました。ここは鹿島の港が開発される前には人口が約4千人の小さな貧しい農村でした。ここの農村に居た方たちは他の所に土地を得て、また農業をやっているのですけども、工業開発によって働く従業員の人達をはじめとして人口が20万人を超える大きな都市として発展しました。今日本でサッカーが非常に盛んなのですけども、日本で一番強いチームが鹿島アントラーズと言って、ここの地元を本拠地としているチームです。人口4千人しか居なかった所がサッカーチームを持てるだけに成長したと知ってください。この鹿島は工業港です。後で話す港湾と環境保全と非常に密接に絡んでいます。ただ水の環境は現在良好であるというのを分かってください。
次は常陸那珂港と言う港です。これは工業港ではなく流通港です。流通港とは、船から入って来た貨物を背後地に流通するだけです。これも実は砂浜だった所に防波堤を作って岸壁を作った。この隣に古い小さな港がありますけれども、本格的な港はこっち側に大きく展開しています。これは流通港ですからいわゆる工業廃水を一切流さない、元々クリーンな港です。
港にも工場港や流通港があったと申しましたけれども、やはり皆さんも今作っておられるコンテナターミナル、これが流通の中心になります。1960年代にコンテナ化が始まって、港の競争が激しくなり船がどんどん大型化する傾向にあります。
これは北九州港の完成予想図です。大きなコンテナターミナルを、新しく作った埋め立て地に作ろうと計画を現在実施中で、現在この部分を建設中です。こっちは後で埋め立てをします。これでお解りのようにコンテナからは汚い物は出ません。流すのは船が廃棄物を棄てると海が汚れる状況になります。ただ日本にも良い事や悪い事があります。次から反省すべき点を皆さんにお話ししたいと思います。
ここは北九州、日本の九州の一番北にある都市なのですけども、そこの都市と港の関係を示しています。さっきのコンテナターミナルはこの位置に計画をしています。これからお話しする洞海湾という湾、元々このぐらいの湾だったのですけど埋め立ててこういう状況になっています。そこの話をしたいと思います。ここは製鉄工場がこことここに有ります。ここら辺が港湾施設、岸壁です。工業のための船が出入りします。これが1960年代の北九州の洞海湾。これがさっきの洞海湾です。
この煙を見て頂くと大変、煤煙が襲う。上に出すばかりではなくて工場から排水がそのまま流れているのが1960年代です。当時、私は中学や高校生だったのですけれども、この煙が日本の経済成長の素だということを教育されたのを憶えております。でも、みんなすぐにそれが間違いだということが分かりました。これが同じさっきの橋です。これが現在、煙も少し見えますけども殆ど煙が出ない或いは水蒸気しか出ない形での工業が行われております。
これが60年代の洞海湾です。茶色、黄色い色の海を見て下さい。工場の排液が溜まった所に流れてしまった状況。これが同じですね。黄色がここだったのですけども排水規制を強化した結果こうなったと同時に、ここの底の土を全部取り除いて海底に汚れた物を残さない状況、汚れた物を取り払った。今このぐらいの車海老がこの辺で良く採れると日本でも大変有名です。
従って、港の開発と環境保全を少し誤解してしまうといけないのですけど、港の開発が直接環境を悪化するのではなくて、港の開発によって工業化してその工業化の時に適切な処置をしないから前のような状況になる。従ってハロン湾、バイチャイ湾という中で港湾開発をするのですが港湾開発が環境に影響を与えているのではなくて、工業化が起こって工業化が適切に環境保全しないと悪い結果になる可能性があるということを知らないといけないと思います。
洞海湾がデッドシー、死の海から戻った過程を述べました。製鉄所が出来たのが100年前です。色んな工業、重化学工業が進出して排水を垂れ流した。しかし規制をかけて元に戻った。
この洞海湾と同じようなことが日本各地で起こりました。本当の反省として私達は皆さんに経験をお伝えして、二度と起こらないようにしないといけないと思います。
日本の4つの大きな公害訴訟があります。水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市喘息。水俣と言うのは九州なのですけども化学製品を作る過程で水銀が排出されて、そこで採れた魚を食べた人間が神経を犯されて病気になりました。水俣の全景なのですが最終的にはここは海だったのですけど水銀を含んだ土砂を封じ込めて埋めて今はとても綺麗な海になっています。水銀が海に流れて魚を食べた人間が病気になる非常に悲劇的な病気です。ここに工場がありましたから患者の発症数は全体で2,300人位なのですけど、その内の半分は水俣市で出ています。
これが魚に入っていた水銀の含有量なのですが以前は規制値の10倍以上も入っていた。それが水銀を規制した段階で規制値以下に下がっていた。1969年で大きく下がったということを憶えていて下さい。
1969年に水質規制の法律が出来ました。1958年に水質保全法というのが出来たのですがそれなりに効果は上がったものの細かいところの規制までは出来ませんでした。従って1968年に公害防止基本法と言うのが出来てそれ以降、色んな法律を施行しながら公害が収まっていった。
今までお話してきましたが、港には工業を発展させる力がある、物を流通させる、動かす力がある非常に大きな力があるのですが、それゆえに私達は工業化の進展をちゃんと見つめ続けて行かなくてはいけない責任がある。ただ日本でも一度公害が起きてしまったという失敗もありますが二度と被害を起こさない様に日本ではみんなで努力しています。一度死んだ海になった洞海湾も、たくさんの人の努力で元よりも綺麗になり自然に戻った事実を見ると、今回のハロン湾とかヴィエトナムの沿岸の環境というのは港湾開発をした所でちゃんと処置をすれば環境にそれ程大きな影響を与えてないで開発が出来るのじゃないかなという風に確信しています。経済成長のために人の生活を豊かにするために港湾の発達する役割が非常に大きいと考えれば環境と調和した港湾開発を目指して力を合わせていく必要があると思います。
次は海上安全の話に行きたいと思います。これが日本の南北長い地図ですけども赤い点は海難の発生の地点です。過去から2000年までの状態です。
海難は港内、港から3マイル以内が全体の9割は占めていると実態は示しています。海難の発生件数はやはり衝突が一番多くて次が乗り上げ、この2つが大きな海難です。その原因はオペレーターの不注意とかですね、そこら辺が非常に多いのですけど2つを防げばかなり海上安全の向上に貢献する。
写真が色々あります。座礁して、それを助ける救命ボート、或いは船舶火災の写真です。
日本大使館にあった地図を写真に写したのですけども南北に非常に長いという所で内航港海運も非常に重要であると1つ私の感じでは思っています。と同時にここの沿岸における海上交通の安全は非常にヴィエトナムにとって重要である。皆さんの専門ですから色々なご意見を頂きたいと思います。
何が海上交通の安全に重要なのか、いくつかのファクターがあります。やはり大切なのは一番上に書いてある船長さん、オペレーターの人が注意を持って操船をする。それでかなりの衝突事故、乗り上げ事故を防ぐ事が出来ます。ただ人間の注意力は不完全なものですから不完全なものを補うために色んな安全の向上の施策を講じる必要があります。そのためには港湾施設を安全なものにする事が必要で、特に水路の船舶が航行する水深それから幅それから曲折線のレイアウトですね、この水路の諸元を確保する、泊地の水深、面積を確保するぐらいは最低限必要です。その施設を整備した後、実際そこが何メートルの水深があるかという水深情報をいかに船舶の運航者に情報伝達するかが重要である。
日本でもたくさんの港がそうであるし、ヴィエトナムのハイフォン、他の港も漂砂、砂が航路を埋めてしまうような状況で、年々或いは月々に水深が変わるという状況もあります。私もさっきの関門航路という所の航路を維持する現場の所長をしていたのですけども365日、毎日3隻の測量船で水路の水深を監視している業務をしていました。
それからもう1つ重要なのは水深の情報を標識によって船舶航行者に伝える航路標識の整備、これがまた大変重要な事でございます。それから必要に応じて信号所、或いは船に対しての規制をかける航行管制が船舶の安全航行に非常に必要です。
現在、重要な案件を日本ではどういう組織がどのような形で実施しているか次にご説明したいと思います。
まず水深を確保する港湾施設の整備には港湾管理者ポートオーソリティ一が、地方自治体である港湾管理者が行っています。ヴィエトナムとは状況が違って日本は、いわゆる国の政府と地方政府がですね分担をして実施している。港湾の管理、港湾のマスタープランの作成それからドレッジ、浚渫ですね、それの実施の基本的なものは港湾管理者が行います。港湾は国の発展に重要ですから、マスタープランを国がオーソライズするという形で行政指導しています。
それから、大掛かりな浚渫工事は国が直轄でやっています。水路の測量はどうかと申しますと海上保安庁の名前はJapan Coast Guard、つい最近までJapan Maritime Safety Agencyだったのですけども今はCoast Guardと呼ぶ組織が、利用者に対しての水路の情報を提供しています。実際の水路の測量は港湾管理者なり国が工事を行いますから完成した完成結果を日本のCoast Guardがオーソライズするような形で水深が確定する。
従って日本のCoast Guardが水路の情報を正式に利用者に伝えると言うのが現実であります。ですから実際浚渫するのは港湾管理者や国、この結果をユーザーに伝えるのは海上保安庁です。
先程の話に出た、北九州の港の新門司航路と言うのが実はあるのですが、一番西側にあったのですけども新しく港を作りました。そこに港の水深は5、6mなのですけど、水深10m、幅250m、長さ8,000mの水路を浚渫します。やはり港湾計画で10mの水深を確保すると言うことでこれを10mに掘ると言うことは、相当の船が入ってくる安全確保のために非常に重要で現在10mに確保されています。洞海湾に入ってくる若松航路では航路から入口でまでの所が長さ8,700m、幅135m、水深11mぐらいです。ここでの潮位の差が約2mあるのですけども、一番低潮位、チャートデータムラインから10、11mを確保し、潮位は余剰として考えています。奥の方へ行くと狭くなりますがこの航路をちゃんと確保すると言うような形で船の安全対策を講じている。
まず施設をちゃんとするという所が重要なのですが、それと同時にやはり航路標識の設置は重要です。設置についてはJapan Coast Guard海上保安庁の灯台部が責任を負って全部国費100%で行っています。航路標識も歴史は130年以上もあるのですが、新しい開発された信頼性のある機械を使って100%の情報をユーザーに与える責任を持っています。太陽電池のパネルは光源の大きさとエネルギー効率を考えて、それの容量分をオーバーする様な形での太陽電池を設置しています。ここで重要なのは太陽電池の発電量と使用量のバランスが悪いと完全なサービスが出来ないわけで最後に電気が消えてしまう状況が起きます。これは小さいソーラーパネルが幾つか付いていますけども、太陽電池とブイの上下動で波力発電、波の力で発電する。両方一緒に使って明かりを灯しています。風車が回り風車で電気を蓄える風力発電方式もあります。電源の確保は非常に重要で、太陽電池と併用して波力発電などでエネルギーをそこから取るのですけども、どの位使うかと使う方の使用量とどれだけ蓄えるかという蓄える量を上手くマッチングしなければいけないという重要性があります。浮標基地、標体がたくさん置いてありますけどもこのブイのメンテナンスが非常に重要であります。日本は2年に1回引き揚げてチェーンを全部取り替えて漂体の塗装をして元に戻す様な形のメンテナンスを行っています。ブイテンダー、要するに設標船で、ブイを交換する専用船これもヴィエトナムにもあると思いますが全国に配置されてブイの交換作業をしています。ブイに対してメンテナンスのために船を用いて見回りをする。灯器、電源の確認をする。実は昨日ハロン湾でクアンニンのマリタイムセーフティーディビジョンの方がメンテナンスする所を見ました。電源も色々なのがありまして非常に光力が強いという形で発光ダイオードを使った電源なども最近開発されて使うようになりました。ランプが1つ切れると自動的に交替するランプチェンジャーの形で如何に100%の情報を操船者に与えるかという形で工夫がなされています。技術的な話については、午後に菅野さんのお話に出てくると思いますので、日本がどういう風にやっているかご理解頂ければと思います。
事故を起こさないことが非常に重要なのですけども、万一事故が起きてしまった場合、その海面を綺麗にしなければいけない。事故が起きた時には海上保安庁が責任を持って対策を汚染された海域を綺麗にするということ。そこら辺は海上保安庁に責任があるのですが、海上保安庁自身もやりますし海上災害防止センターという所がやります。午後菅野さんの話に出てくると思います。事故の時はこういう形ですが普段は港湾管理者が港湾区域内の清掃に責任があります。港湾区域の外の海域については国が責任をもって綺麗にするということで国土交通省が清掃船をもって海域を綺麗にする。
この船が油を流したのですが、海表面に油が非常に流れていますね、表面油というのは非常に取りにくいので、油で専用のオイルスキマーの専用船が必要です。実際に事故が起きた時や海面を綺麗にするにはどのような船がやっているかというと、海上保安庁に責任があり、海上保安庁のパトロール船とか或いは救難船が人海戦術で油を取っている様な状況です。それからポートオーソリティー港湾管理者が廃棄物を集める船を清掃船と言い、それをオペレーションして港内を綺麗にしています。国である国土交通省の事務所はオイルスキマー、清掃船それらをもって海域の浄化に努めている。石油備蓄会社や石油化学工場の民間企業も油が流れるという危険があるので民間企業も油回収船は保有していざという時にそれを使います。
海洋環境の保全のためには、海上保安庁、港湾管理者、国土交通省の船、民間の船が協力しあいながら海上の環境を整備する仕事を分担している。
昨日私達が訪ねたカイラン港、ハロン湾は現在も、過去から石炭の積み出しのために大型船が入って来ている海域でした。ただ港の開発をすることによって出たり入ったりする船の数が増える、船が大型化する事は事実だと思います。そういう船が海を汚さないようにする。物を棄てない油を流さない事は最低限必要である。ただ人間の不注意というものがありますから油が流れたり、清掃をしなければいけなくなった状況の時に活躍するような作業船をハロン湾の海域で持つことは必要な事かもしれません。検討する値がある。
まとめですがハロン湾、ヴィエトナムの海域の環境、海上交通の安全を確保するために必要なものとしては以下のものがあります。先程の環境関係がありますし色々な形の法律とか規制の整備が大変重要だと思います。港湾の開発、環境の保全、航行安全を確保していくための国としての体制の整備、必要な改革が必要ならば実行するという、改革の制度の整備が必要である。何度も繰り返しますが港湾施設の整備が大変重要で岸壁の計画水深が13mなのに進入航路の水深が8mしかない、如何にもアンバランスですから施設の整備が重要である。施設の整備には航路標識の整備が含まれるし、或いは清掃船を初めとする作業船の整備も必要である。まとめてマネージメント、物を作ってそこに精神を入れるという形でのマネージメントの重要性と言うのは言うまでもない事です。
今日1日のセミナーで色々な意見が交換されてヴィエトナム北部の振興のためのハロン湾海域の港湾開発が益々皆さんの努力で進んで行くことを祈念致しまして私の発表を終わりたいと思います。