緩和ケアナース養成研修で学んだこと
宮崎市郡医師会病院 福嶋 堂予
今回、私の勤務する病院に緩和ケア病棟が開設されることになり、緩和ケアナース育成研修に参加した。私は看護婦になり15年目であるが、循環器の病棟や集中治療室を含む混合病棟に勤務し、異常の早期発見や救命が最も大切であり、緩和ケアやホスピスについて、あまり目を向けたことがなかった。しかし、がんと診断され入院、治療を余儀なくされた患者、治療法がなく退院したが、症状コントロールが出来ず再入院する患者、終末期になり病院で死亡した患者と関わる機会があった。進行がんで姑息的手術に終わってしまうケース、終末期で家族付き添いの目的で個室を希望されるケースも多くなっていた。さまざまな理由により病名を告げられていない患者から、自分の病気について訪ねられた時、どう答えていいのかわからず困惑することもあった。そして、患者が納得する説明も出来ず、嘘でごまかしていることに罪悪を感じ、それが自分にとってストレスにもなっていた。本当の病名も告げられず治療の選択もできない状況について、インフォームドコンセントの意味や患者の知る権利について考えることも多くなっていた。しかし、病名告知を行われた場合、その患者や家族を支えていける自信もなかった。また、がんで亡くなっていく患者の多くが、疼痛や吐き気、倦怠感などの症状に悩まされ、それらの症状を緩和できる十分な知識や技術を持っていなかったように思う。
今回、私がこの研修に参加した目的は、終末期の症状コントロールの方法、コミュニケーション技術、チームアプローチの方法、患者、家族の精神面での援助などの、緩和ケアナースとしての基礎を学び、人間の持つ権利について考え自分自身の死生観を深めていきたいということだった。
WHOの定義の中で緩和ケアの目標は、患者と家族のためにできる限り可能な最高のQOL(quality of life)を達成することにあると述べている。緩和ケアは、患者だけでなく家族も含めたケアを提供することである。がんは治癒しなければ慢性に進行する疾患であり、身体面での苦痛とともに精神面、社会面、スピリチュアルな面での痛みを伴いそれらの痛みが緩和されなければストレスは増大し、人間として尊厳のある生き方が出来なくなるだろう。そのためがんと診断された時点から治療と共に緩和ケアは始まるのだということを学んだ。
「インフォームドコンセントについて」
緩和ケア病棟に入院される患者、家族はインフォームドコンセントを受けてはいるが、現在の病状についてどのように捉えているのか確認をする必要があり面談の時間がもたれる。面談の方法としては、コミュニケーションスキルを使用し説明に対する患者、家族の反応や理解度を確認しながら少しずつ説明を行うことが大切である。インフォームドコンセントは相手に一方的に説明することではなく説明した内容を理解されそこに本人の意思が最大限尊重されるよう医療者も共に考えることである。そのため医療者は患者、家族の意思や価値観を尊重し支持的な態度で接していくようにすることが大事であり、信頼関係を築くためには、円滑なコミュニケーションがとれる事が第一歩だと思う。
「疼痛・症状コントロールについて」
緩和ケアでは終末期におこる身体的症状の緩和を行うことが大切になってくる。がん患者の7割〜8割の方が痛みによる身体的苦痛を自覚されるため、痛みによって日常生活に支障がないように疼痛コントロールをしていくことは重要である。がんの痛みは、侵害受容性疼痛の体性痛と内臓痛、ニューロパシックペインに分けられ疼痛の原因を診断し、それに合った治療をおこなっていく。WHOの3段治療ラダーに従って除痛コントロールを行うが、鎮痛剤は定期的に使用し鎮痛評価を行いながら患者に合った投与量を決めていくことになる。投与経路としては、患者にとって管理しやすい方法から選択していくことが大切で、内服が可能であれば経口から開始するのが望ましい。ただ、疾患や病状によっては、経口が難しい場合もありその他には坐薬、持続皮下注法、静注法などもある。看護婦も痛みの症状マネジメントをおこないながら鎮痛剤の効果や評価をチームでおこなっていくようにする。そして、看護者が痛みに対する訴えをしっかり聞き、対応することで疼痛コントロールが出来れば患者自身も治療に参加していることの意義が見いだされるように思う。オピオイドの使用に対しては、患者、家族の考えや理解度を確認しながら十分な説明を行い副作用に対する不安感を取り除くことが重要だと思う。塩酸モルヒネなどのオピオイドを使用するときには、副作用の便秘を予防するために緩下剤を投与し、排便状況を把握しながら量や種類を患者と相談し使用していく。又、吐き気・嘔吐の予防のためにモルヒネ開始時より制吐剤を使用していく。傾眠・眠気はモルヒネの過剰投与を示す指標となるため患者の覚醒状態などを把握していく必要がある。その他の症状コントロールとして倦怠感や呼吸困難などの症状もマネジメントしていくようにする。症状が緩和されることで患者の日常生活の行動が拡大し、生きる希望も見いだされるのではないかと思う。
「日常生活援助について」
日常生活の援助は、患者の習慣や方法にあわせた計画を立て、毎日のケアも相談しながら決めていくようにすることで患者の気持ちを大切にしたケアが出来るのではないかと思う。今までも患者の意思を確認してケアをおこなっていたつもりではあったが、看護婦として患者に必要と思われるケアを説得しておこなっていた部分もあり、患者の気持ちをうけとめたうえで説明、協力を求めなければ自分の価値観でケアを押しつけていたことになる。また、転倒や骨折の危険性がある患者が自分で動く事に対して危ないという思いがあり、動きを規制したり本人が望んでいることなのかの確認もせずに介助したりしていたこともある。症状が進行していく中で、患者の意思を尊重しながら1つずつ喪失体験していく辛さや苦悩を理解し患者の日常習慣をもとに安楽に送れるように援助していくことが大切である。しかし、体力が低下してきても患者によってはできるだけ自分で行いたいという希望を持っていることもあり、手を出さずに見守る姿勢や本人が活動できる範囲で動きやすい環境を相談しながら整え、必要時に援助する事も大切だと思った。そして、患者の残されている機能を最大限に活用できるように終末期にもリハビリを取り入れることを学んだ。
「精神的、祉会的、スピリチュアルな面での痛みについて」
病気に対する恐れや絶望感、医療者に対する不満や不信感、病状進行に伴い出現する症状が不安感を増強させることになる。また、病気によって自分の生活や家族の生活にも変化が訪れることになり、社会生活から隔離された孤独な状態になりやすい。また、病気で多くの喪失を経験することによって患者は自分に起きていることを見つめなければならなく、病気になった自分の存在意味や苦悩の原因など過去から現在の自分を振り返り、死をも感じながら生きていくことになる。それぞれの痛みに対して医療者は話を聞く事でしか対応できないこともあるが、話をすることで自分の気持ちがハッキリし、整理する機会となることもあると思う。また、チャプレンやカウンセラー、ソーシャルワーカーなどにアプローチしてもらうことで問題解決できることもあり合同カンファレンスで情報交換することもチームでケアしていくうえで重要である。緩和ケアではチームでアプローチしていき患者を多方面から支えていく。構成メンバーは施設によってそれぞれ違いがあると思うがそれぞれの立場から意見を交換することで多方面から患者を見ることが出来、患者にとって必要なケアを提供できるようになる。
「家族ケアについて」
患者の傍で共に闘病してきている家族も多くの不安や悲嘆に遭遇しているため家族に対してのケアも重要である。病状の進行している患者を前に治癒する可能性の低いことやこれから出現する症状に対して医療者はインフォームドコンセントをしっかり行い、家族の意志や意向を確認しながら残されていく家族が患者の死を受け入れるように話しを聞き支えになることが重要である。医療者は常に家族の不安や疲労の状態をみながら話を聞く時間を持つようにし、ストレスを感じている場合には気分転換やリラクゼーションを勧めてみることも必要である。緩和ケアの施設には、家族が患者の傍で過ごせるように設備も整えてあり、家族も患者の傍で生活し世話ができるので安心できるのではないかと思う。今までも家族が付き添いの為に個室に移動される事はあったが部屋も狭く、十分な設備も整っていなかった。介護者が複数いる場合には交代しながら付き添われたりしていたが患者を一人にすることに不安があったり、患者が家族を離したがらない場合もあり、家族の疲労が強くみられることもあった。そのような場合に看護者としても家族の介護疲れを心配して、日中は自宅に帰り休むように声をかけたりはしていた。しかし、今振り返ると家族が抱えている問題や不安についてどれだけ積極的に関わっていたのかと反省し家族に対するケアを大切にしていかなければと思った。
「遺族ケアについて」
患者の死後に家族は様々な情緒的、身体的反応を経験すると言われている。患者が死亡し退院された後どうされているのかは気になっていても実際に家族の家を訪問することや、その後の状況をこちらから聞くことはしていなかった。また、家族の人が落ち着いてから病院を訪ねてこられても時間をとって話しをする事もなかった。死別後の遺族ケアは重要なことで、患者との死別後の喪失により家族がどのような状況なのか、新しい生活を営まれているのか等をはがきや手紙で様子を伺う事も大切なことだと学んだ。その時期はそれぞれであるが四十九日・2〜3ヵ月後・一周忌などの時期が良いとされ、病棟で遺族会をおこなうこともある。また、病院に来られた時には家族と面談を行い、現在の心境や故人の話を通して喪失を現実のものとして受け止められているのか、新しい生活を営まれているかなど問題がないかを確認する場になる。しかし、家族が喪失を現実として受け止められていない場合もあり、その時にはカウンセリングや遺族会などのグループカウンセリングを紹介することも大切である。
緩和ケアナース育成研修に参加して感じたことは、緩和ケアは特別なことではなく医療をおこなっている施設では患者・家族が普通に受けなければいけないケアなのだと思う。現在ホスピス・緩和ケア病棟に入院できる患者は、終末期のがん患者とAIDSの患者だけである。しかし、一般の病棟でも多くのがん患者は亡くなっている。その患者は尊厳のある生き方ができているのだろうか。私も緩和病棟でしか緩和ケアは出来ないと思っていた。しかし、患者がいる環境ではなくそこで働く私たちの考え方であり、患者・家族の意思や価値観をどれだけ尊重し医療者が支持的態度で共に考えて答えをみつけていくかである。また、患者・家族は常に不安と悲嘆の中で生活していると思う。何が自分達に起きているのか、これからの状態について理解できるように説明しながら絶望だけでなく希望が持てるように関わることが私たち医療者には必要である。そして、患者・家族が少しずつ受け入れながら終末期を意味のある生き方ができれば良いのだと思う。死は誰にでも訪れるものでありそれは自然なことでいつか自分にも起こるものである。看護婦として今まで多くの患者を看取ってきたが、私の中に死に対する恐怖や愛するものを喪失することに対して具体的なイメージを持つことが出来ずにいた。そして、死を前にした患者が本音で話をしても相手の言葉や悲しみを共感できないのではないかと思った。自分の中で、生きることや死ぬことに対してあまりにも無縁に感じていたのかもしれない。研修の中で死生観の講義があり死を考えることは現在をどう生きているかでありその姿勢が生きることの意味を持つのだと感じた。死は肉体的なものである。しかし、その人の魂は、その人の肉体が滅びても永遠に誰かに引き継がれるものではないかと思う。そのような魂を生きている間に磨き伝えることが重要なのだと考えた。症状コントロールがついて退院され自宅療養される方や最後を自宅で過ごすことが難しい患者でも自分の人生が幸福だったと思えるように安らかな時間を提供していける病棟にしていきたいと思った。
引用・参考文献
1) 厚生省・日本医師会編;末期医療のケア/その検討と報告、中央法規、26-54、1989
2) 池永昌之・恒藤暁;癌疼痛治療におけるインフォームドコンセント、日本臨床社 9月、1817-1822、 2001
3) 季羽倭文子・石垣靖子・渡辺孝子 監、飯野京子・清水喜美子・丸口ミサエ 吉田扶美代 編;がん看護学、三輪書店、103-120、1998
4) 末永和之・佐野隆信;臨床医、中外医学社、Vol.27、327-332、2001
5) 恒藤暁;最新緩和医療学、最新医学社、1999