緩和ケアとの出会い
宮崎県立宮崎病院 河野 富美
新生児・未熟児センターに勤務して8年めの私に、「緩和ケアの研修に参加してみないか」という話が持ちかけられた。「緩和ケア=ホスピス=がん=死=悲しい=辛い」私の中にこれらの言葉が駆けめぐった。元来、涙もろく、「死」「がん」「ホスピス」「がんばった」とか書かれた書物は避けている。テレビで放送される医療関係のドキュメント番組や病に倒れるドラマ等も観ることを避けている。感動するというよりも、なぜか悲しくて悲しくてしかたがないからだ。職場でも死に直面し、家庭でも死を考えるなんて出来ない。しかし、そんな悲しい事を学んでくるように、と言われているようで耐えられるか心配だった。最近のがん治療・看護の知識も乏しく、漠然とした知識しかない緩和医療をどう理解できるかとても不安だった。しかし、与えられた機会を無駄にすることはない、という上司の勧めと家族の後押しがあって、6週間という長期の研修に臨むこととなった。「0」からの出発という事で、とにかく吸収する事をあたまに置いた。興味深い内容の多いプログラムだったが、特に印象に残った出会いがあったのでここにまとめる。
◎コミュニケーション技術の活用
「看護婦さんは忙しい」のイメージ通りに、患者・患者家族とゆっくりコミュニケーションをはかることができない現状がある。業務の流れに沿った関わりはあるが、取り上げて何かというような事のない時間にベッドサイドに腰を下ろし、「あなたとお話したいの」という気持ちを表す事がなかなかできない。コミュニケーションの技術がないというのも一つの原因だろう。何か話さなくちゃ、と焦ってしまう。このトレーニングの「ロールプレイ」の場面でも、看護婦役の私はつい多くを喋る人になっていた。しかし、話をしながら患者役の人が持つ「私はがんじゃないの?」という疑問をつのらせる事をしてしまっていた。話をしながら、隠そう、はぐらかそう、逃げようとしていた。コミュニケーション・スキルの基本の「傾聴」「共感」「受けとめる」の一つもうまくいかない。この三つが揃って初めてコミュニケーションが成り立つのだろう。ついつい喋ってしまって、充分に話を聞いていないかもしれない。患者が本当に聞いて欲しい事を患者自身の言葉で話せるように、私は傾聴し共感できるようにトレーニングしなければならないと思った。コミュニケーションがうまくとれるようになると、療養の場面だけでなく、日常的な人間関係も楽しくなるだろう。次のトレーニング場面に「模擬患者」という役の方がみえた。どういう演技をされるのかと興味を持って、コミュニケーションの場面を観ていた。看護役の研修生との一場面である。シミュレーションの内容も自然に対話できてるなあ、と感心して見聞きしていたのだが、それよりも初めて接する模擬患者なる方々に驚き、感心した。自然な感情と表現と振り返りのコメントに学ぶことが多かった。患者中心の医療となる21世紀にコミュニケーションがうまくとれなければ看護介入はできないと言われている。患者に同じ高さで寄り添い看護できたらいいなと思う。
◎ターミナルケアにおけるリハビリテーション
ターミナル期の患者の状態を考えたときに、どうしてもリハビリテーションとつながらない感覚があった。痛い・きつい・苦しい・嘆き等と予後を考えた時に、積極的にADLの拡大は考えられない。患者に伝える事もしない。この講義を受けなければずっとそうしていただろう。緩和医療が施され、症状が目標まで軽減すればその人にとってとても大切な時間が戻ってくる訳だ。この時間をいかに有意義に、その人らしく過ごすか、のために医療者として提供できる大きな仕事だと思う。緩和ケアにおいてのリハビリテーションは機能回復訓練ではなく人権の回復で、ADLの拡大というよりクオリティオブライフの向上と思われる。最後までトイレで用を足したいと望む人が多いと聞いた。立てたら歩けると言われている。立てなくても、歩けなくても、移動ができなくても、横たわるだけでも手が動くかもしれない。口が動くかもしれない。あらゆる可能性を考えてアプローチすることも看護者の手腕だろう。リハビリ期を見極めて活動度を決定しプログラムを組んで、「その人らしさ」と「思い出作り」にお手伝いできればと思う。
◎チームアプローチ
多職種からなる病院に勤務する人達は、何を考えて働いているのか。全ての人が、患者・患者家族のため、と目標は同じであると思う。しかし、組織が大きいために細やかに関われない、という現実もあると思う。緩和ケアにおいては患者を全人的にケアするためにいろんな人のアプローチが必要となり、チームでケアする形態が増えているといわれている。私が実習した「聖マリア病院ホスピス病棟」でもチームアプローチが行われていた。ホスピスの理念に基づき、医師・看護婦・看護助手・ソーシャルワーカー・神父・薬剤科・栄養科・ボランティアの多職種の人達が、患者のクオリティーオブライフの向上のために頑張っている姿をみた。ボランティア以外のスタッフは患者の個人情報・状態の把握をし、薬剤カンファレンス・スピリチュアルカンファレンス・合同カンファレンス等のそれぞれに出席する。カンファレンスではだれがリーダーということはなく、それぞれのメンバーが対等に意見を出し合う。協力しあっていることを認め合い感謝する気持ちを表す。白衣を着ていないボランティア、ピアノの生の音、ガーデンの草花、ローカの花、壁のタペストリー、談話室のグッピー等、家庭生活のにおいがする。看護婦その他が本来のケアを充実出来るように、とボランティアの力が大きく働いている。薬剤の提供に工夫を凝らしたり、思い出づくりの誕生会のご馳走やイベント食を作って提供したり、メンバーは一つの目標に向かって、それぞれがプライドを持って関わる。ホスピスだから必要とされ、ホスピスだからできる事なのだろう。羨ましくてしょうがない。
◎死生観を考える
「終末期看護を行う看護者に求められるものは確かな「看護観」と「死生観」を持っていることです。その上で患者とその家族に、その時その場に応じた支援ができること、さらに他の専門職の力を活かし、同じ目標で一緒になってケアを行うことです。」と、脇本先生(二川病院)は言われている。「自分の中で死に対する考え方を整理してみる」ということで、私は初めて「死」についてゆっくりと考えてみることとなる。私の一番苦手な「死」、考えたくない「死」、でも考える事で、私を変える事ができるかもしれない、という思いがあった。私ががんであるなら友人に何をして欲しい?「死ぬことは怖くないけど、忘れられる事が淋しい。思い出作りをして欲しい」と、思っている。友人ががんで私に何をして欲しいと言っている?「ほっておいて欲しい。元気なあなたには私の気持ちはわからないわ」と、言っている。この死を受け入れた心と受け入れられていない心の二つの心はきっと両者とも私の心だと思う。時間が限られている人の気持ちは変わる事がある、ということを学んだが、きっと揺れ動く気持ちに焦りの心が混在し、一人では整理できなくなってしまうのではないだろうか。家族が友人が支えてくれるのを期待するだろうと思う。そして、友人の残された日々のため私は何をするか?「何ができるかわからない。何をして欲しい?」と尋ねる。まずは身体的苦痛をとることからはじめ・思い出作り・家族との時間作り・死後の準備のお手伝い・きれいでいられるように・死後の家族のケア等手伝いたいと思う。これはきっと私がして欲しいことだとおもう。私が旅立ちが近くなった時に思うことだろう。しかし、これも押しつけになったり、気づかぬうちに自己満足になっていたりするのでは、貴重な時間をだいなしにしてしまう。友人の気持ちに寄り添って、一緒にいることを伝えていきたい。「死が近くなった24時間を充実させるためにはどう過ごす?」自分の好きな事ばかりしようとかんがえたが、結局いつもと同じ一日となった。今の生活が充実しているということだろうか。最後に遺言状を書いた。うれしかったこと、悲しかったこと、楽しかったこと、等思い浮かべ、これからこうして欲しいと思うことをいろいろ考えた。いざ文字にしようとしても書けない。涙が出てどうしようもなかった。結局「ありがとう」としか書けなかった。精一杯の気持ちだ。この「ありがとう」の言える生き方をしたいと思う。貴重な体験の一日だった。
◎生命倫理「いのち」の多面的意昧
「いのち」と「命」の違いから始まった。「いのち」は肉体的「命」ではなく生と死の両方を含む広がりのあるいのちのこと。一つの個体のいのちはいろいろな要素が関わってできていることを学んだ。「刷り込まれた」「消されていた」「消えていた」「消えていく」「取り囲まれた」「見えてきた」「分かち合う」「回心した」「ふえてくる」「心に残る」「継ぎ足された」「クオリティーオブライフの高い」「乗りうつった」「ふくらんでくる」「伝わっていく」「終わりゆく」「よみがえる」「めぐってくる」「たましいのない」「支えあう」それぞれの「いのち」。生まれる前から死んだ後までもいろんな「いのち」に守られ、影響され、関わられている。それぞれに深い意味を感じた。そのなかの「継ぎ足されたいのち」で未熟児の話題になった。私は未熟児室に勤務しているので特に興味をもった。ほんとうなら生きることのできない未熟児が、医療機器の発達・医薬品の開発によって生きられるようになった。そういうふうに「たされる」ものがあってこそだが、未熟児本人の生命力も大きいことを忘れたくないと思う。この未熟児の「いのち」もいろいろな「いのち」に守られ、影響され、関わられ成長していることになる。自分は一人でできあがるものではないということもよくわかった。その人生の中のどこかで光輝く時があるといわれる。そこで「ガバ」(発見)し変わらなければと。「いのち」を知り「死」を考えた。緩和ケアにおいては、そのひとらしく生き、そのひとらしく死を迎えることが目標とされる。レベルダウンした状態と穏やかにつきあっていかなければならない。居心地の良い所を探したいと思う。死なれがいのある人を見送ったら、家族のケアとして「よみがえるいのち」故人の話しをして思い出したいと思う。
◎家族看護
病気と闘う時、一人は心細い。ましてや終末期、時間が限られてきての闘いは一人では出来ない。家族の存在がおおきく関わってくる。患者は家族に癒され、家族は患者の生き方・姿勢に癒される。お互いの存在で成長できるのではないかと思う。そういう事のできる環境を提供できるのが「緩和ケア病棟」だと思う。一般病棟では看護の基本は同じでも、できること、できないことがあると思う。学んだことを即、やってみたいと思ってもほとんどができない。ジレンマに潰されてしまいそうだ。患者に接する以上に家族に対する関わりの必要性を感じている。緩和ケア病棟では、看取ることに対してはかなりのストレスを感じるだろうが、治療ができない事を受け入れての患者・患者家族なので、嘘をつくこともなく正直に看護ができると思う。患者を見送ったあとの遺族のケアも、看護者の役目であることを学んだ。祈りにつけ思い出す患者と、遺族を一つにして思いだし「覚えていますよ、どうして居られますか」と声をかける。肩を落とされている遺族も「覚えてくれている人がいる」とうれしく思われるだろう。誰かと同じ話題で苦しかったこと、頑張ったこと等を話できる事で癒されるだろう。遺族が故人に「さようなら」が言えるように関わっていきたい。
◎終わりに
「0」からの出発も多くの人、学び、に出会いかなり膨らんできた。この思いを大切に、もう一度見直してみたいと思う。「死」を避けていた私だったが少し近づけたように思う。書物も少し冷静に読めるようになった。慣れたのではなく、成長したのだと思う。
6週間の研修も生き生きした研修生仲間に、エネルギーを貰って乗り切れた。「ありがとう」と言いたい。同じ看護の道に、一生懸命頑張る仲間を誇らしく思う。日本財団、聖マリア病院、看護協会に感謝する。
参考文献
1) 大川弥生;目標指向的介護の理論と実際 中央法規 2001