緩和ケアナースとして、人として学べたこと
かとう内科並木通り病院 花森 恭子
はじめに
今回、私がこの研修に参加したきっかけは自主性には欠けるが、上司の勧め・他のスタッフの応援があったからである。緩和ケア病棟で勤務して4年目を迎えていたが、今までこのような濃厚な研修には参加したことがなかった。6週間も病棟を離れることを淋しく感じるぐらい、私は病棟が好きで臨床の現場にいることが好きである。一般病棟に勤務していた時に比べ、一人ひとりの患者・家族と深く関わりをもつことができ、ケアできていると感じていた。「井の中の蛙」ならぬ「病棟の中の自分」に自己満足していたように思う。しかし、この研修に参加して単なる学習だけでなく、緩和ケアナースとして、人として学べたことが多々あり、また今までを振り返るきっかけとなった。今後の私自身にも影響を与えてくれる実り多きものとなったので、ここに報告する。
目的
1、改めて3年間の実務を振り返るとともに、症状マネジメントスキルを身につける。
2、スピリチュアルケアを中心とした心理援助方法の習得及び家族ケア・グリーフケアについて学ぶ。
3、同研修参加ナースとの交流・意見交換、また実習を通し視野を広める。
まず、症状からの開放
緩和ケアに望まれること。それはまず、症状からの開放だろう。痛みと1日中闘わなければならない状況においては、決してその人らしさを発揮することはできない。1)よって、症状マネジメントは緩和ケアナースにとって不可欠だ。信頼関係を築くうえでも重要といえる。今まで症状管理はパターナリズムに代表される医療者の見かたが大きく反映していたように思える。内布先生、荒尾先生の講義の中で教わったのは〈The model of symptom Management;MSM〉の看護学領域で作られた概念の枠組みである。これは「徹底した患者中心の考え方、緻密なメカニズムの理解、そしてセルフケア理論がその背景にある。」2)その考え方に看護婦の具体的な提示を試みたのが〈The Inter Approach manegement;IASM〉である。
この概念で症状マネジメントを進めていくには患者の協力がなくてはならない。症状とは患者の体験そのものであることが最も重要な要素である。そのことをふまえて、症状のメカニズム・出現形態を理解する。これは痛みひとつとってみてもがんによる侵害受容性疼痛やニューロパシックペイン、骨転移による痛みがあり対処方法が異なってくる。症状と客観的データーのすり合わせも必要になってくる。よって、解剖生理、病態生理の知識を深めることは今後の私の課題である。
症状体験を聴く上で重要だと思ったことは「傾聴する」ことだ。訴えを聴くこと、症状マネジメントの解決の糸口である。講義の中で「他者が理解する事で得られるパワーがある。」と言われていた。そういった意味でも聴く姿勢は大切にしていきたい。
そして、「症状マネジメントの方略」においては、どのように症状に対してアプローチしていくかを見極め、セルフケア能力を判断し、どこまでの援助が必要かを考えていくことが重要となる。介入しすぎることはその方のセルフケアレベルを下げることにつながりかねない。どういったやり方なら、その方に可能かを考えることも看護婦の大切な役割と言えよう。
精神的アプローチ・コミュニケーション
次に緩和ケアにおいては、身体的苦痛の緩和だけではなく、患者の精神面・社会面・スピリチュアルペインの緩和に努めることが必要である。つまり、全人的苦痛の緩和が求められている。それらのアプローチに不可欠なことはコミュニケーションである。これは必ずといっていいほど講義のなかで、取り上げられたテーマである。なかでも藤崎先生のコミュニケーション技術の活用は印象深い。漠然とコミュニケーションの大切さは理解していたが、より専門的に、実践的に学ぶことができた。
コミュニケーションの出発点はまず、聴くことから始まる。「説明」できても「聴けない」医療者―今まで遭遇した風景であり、自分自身の胸に堪えたフレーズであった。実際ロールプレイで患者役・看護婦役・聞き役に別れ、コミュニケーションの取り方を行ってみた。看護婦役になり、患者の訴えを十分聴いているつもりでも、意外に自分が話していることが時間が多く、沈黙も大切なことに気づかされた。「聴く」ことという中にはその方への「癒し」があると思う。聴く・傾聴=人が悩みや克服していくには、その人の悩みや苦しみに耳を傾け、心を注いで受容し、理解してくれる人格が必要である。3)ロールプレイのなかでも実感したのは、答えを導き出すという作業ではなく、一緒に悩むことが大切だと感じた。実際、悩みを抱えていると苦しさがある。しかし、ただ聴いてもらいその苦しさを理解してもらうこと。つまり、「共感」してもらうことは経験上もわかるが、心の荷物を軽くすることができる。「わかってもらえた」=情緒的満足は問題解決の基点になると講義の中でもあった。そして、そこから自分なりの答えを模索することにつながる。
また時折、臨床の場で「訴えない」患者のことが問題にされる。しかし、それは訴えないのではなく、訴えられないのではないだろうか。心のドアを上手く叩けるか否かはこちらの姿勢にもよるであろう。時間・空間を共有することも大切である。そばにいることがケアにつながると思う。
他に今まで避けがちであったが、怒りをぶつけてこられる方とも向き合う必要がある。怒りをぶつけることが出来るということも受容へつながる過程のひとつとして大切だと思う。
コミュニケーションが続く限り、ギャップは埋めつづけられる。今までの医療の現場においては患者の言い分を聞き入れる隙間さえなかったように思う。しかし、それは医療者中心の医療である。これからは患者・家族を中心とした医療の現場が望まれる。そのためにも患者・家族とのコミュニケーションを大切に考えていきたい。講義のなかで「緩和ケアに移られるまで患者さん・ご家族は喪失の連続。」といわれた言葉を思い出す。そのことを心に留めておきケアにあたりたい。「人間的な触れ合いの暖かさを求める時に生じる途方もない空虚感、それは、消えることなく、いつまでも続き、限りなくひろがる。しかし、暖かい微笑みと手がさしのべられたとき、近代医学がもたらした恩恵をはるかに超えた価値を創り出す。」4)これからも人間味のある暖かな看護を提供していきたいと思う。
チームアプローチ
緩和ケアにおいて、このテーマも必要不可欠なものといえる。ホスピス・緩和ケアブログラムの基準として「ホスピス・緩和ケアは治療不可能な疾患の終末期にある患者と患者のクォリティーオブライフ(QOL)の向上のために、様々な専門家が協力して作ったケア。」5)とある。日々の仕事においてもまさしく、他部門の専門家・また、ボランテイアの関わりも患者・家族にとって必要と実感できる。
今回、チームのあり方についても考えさせられた。様々な人が関わる―当然意見の相違が生まれる。講義の中で「違う事も大切。それがチームの良いところでもある。」と言われた。この言葉は私に発想の転換をさせてくれた。今までは、「なんでわかりあえないのだろう、どうして違うのだろう。」などと思ったこともあり、そこでフラストレーションを感じていることもあった。しかし、立場や専門性が異なると考える視点や気づく視点も違う。その違いを大切にしカンファレンスなどで意見を出し合うことで、新たな道が見えてくるのではないだろうか。患者・家族を大切に思うことも無論大事であるが、その周りにいるチームも大切に考えたい。これは実習中に気づけられたことでもある。お互いを尊重し合うことを忘れないようにしたい。
加えて、看護婦としてはケアのコーディネーションという、緩和剤的役割も必要だ。他職種を上手にチームに取り入れ、全体を見渡す力が必要だということも改めて認識が深まった。
また、日本人の特性にも関係するかも知れないが、カンファレンスなどの場において意見を求められると、意見があまりでないこともある。私もどちらかというと、そういうところがあり意見が言い出せず、終わってから悔やむこともあった。しかし、自分の考えを表現することは専門職としての第一歩であり、そしてチームの一員としての義務だとも思う。そのためにもこの研修で学んだことを生かし、しっかりとした自分意見を持ち、表現することからチームアプローチを進めていこうと思う。
松島は「一緒に働くもの同士が、互いに刺激し、学びあい、成長できる。そして何よりも支え、支え合う関係が生まれる。チームで働くことということはホスピスケアの最も難しいことであるが、最も素晴らしい得点ではないだろうか。」6)と述べている。大変共感できる言葉であった。
倫理・死生観への気づき
研修に参加するまで倫理というものは、どこか私に煙たく感じられた。しかし、この研修に参加して、必然的に日々倫理と向き合っていることに気づかされた。Huntは「看護婦たちは、自分自身の経験のなかの様々な事例から、自分達の日常の道徳感覚が自分に語りかける。」7)と論じている。考えてみると、日々の症例を通しながら倫理的探求をしている自分に気づかされた。「看護者たちは生来具わった「道徳的感性」が看護倫理の基礎である。」7)と小林も述べているように看護婦である以上、業務の中で倫理・道徳心を持ちつづけている。しかし、困難な問題が生じた場合、一人だけの倫理観に任せては危険である。先ほども述べたチームでの検討も倫理上重要なことだと思う。
緩和ケアでは日常的といっていいほど、死と向き合っている患者・そして死を迎えなくてはならない患者のケアを行っている。日本では一般の人々の認識としてホスピス・緩和ケア=死の場所と思われている人も少なくないと思う。小原は「ホスピス」は「あと一日を延ばすとは言わないが、残された日々にいのちを与えようとするところ。」8)と説いている。その言葉に共感を覚えた。そのひとがそのひとらしく最期を迎えられることは緩和ケアにおいて最大のテーマのように思う。また、小原は「残された日々に精神的ないのちを賦与しようとする生き方―そこには残された時間を生きることで、質的ないのちを加えようとする。」8)とも述べている。質的ないのちとは人間らしく生きるということに通じていると思う。よって、質的ないのちを支える看護婦でありたい。そこに緩和ケアナースとしての使命を感じる。ひとつひとつのいのちを大切に心をこめて見つめていきたい。
また、自分の中に「死生観」をもつということの大切さにも気づかされた。まる一日を通して、「死生観」について考えた。自分が死ぬということは漠然と考えたことはあるが、身にしみるように考えたのは生まれてはじめての経験だった。人間はどんなひとでも必ず死んでいく。いつか私も死んでいく。怖いようだが現実である。そう思ったら無駄な時間などないように思える。今を大切に生きていきたい。今は過去につながり、また未来へもつながる。過去の教訓を活かし、そして未来へつながるよう今を大切に生きていこうと思う。ある脇役の俳優が先日亡くなった。その方は「人生では誰もが主人公。」という言葉を残された。その言葉から私の人生を私らしく生きていこうと感じた。そのなかで支えてくれる人の存在を忘れず、その人たちのいのちも支えていきたい。自分のいのち、まわりの人々いのちを大切にできる人でありたい。
おわりに
冒頭でも述べたが、この研修に参加できたことは、緩和ケアナースとして、また一人の人として、心から良かったと思う。看護婦をして10年が経つが、いつも日常に追われていて、深く物事について考える時間がなかったように思う。今回その機会を与えられたことは、私にとって大きなプラスとなった。緩和ケアナースとして3年が経ったが、その中で患者・家族から生きる姿を通し学べたことも多くあった。研修に参加することによって改めてその日々が無駄ではなく、足りないところはあったかもしれないが、良い点も多く省みることができた。研修が終了し、ますます緩和ケアという分野への意欲が湧いた。しかし、緩和ケアは単に緩和ケア病棟・ホスピス病棟で展開されるものではない。緩和ケアは看護の基本である。だから、医療のどの現場においても展開されるべきことである。まだまだ日本の医療現場では、緩和ケアヘの認識は薄いように思う。また、一般社会の緩和ケアに対する理解も少ないと思う。まず、自分からこの研修での学びを活かし、緩和ケアを実践していきたいと思う。一期一会を大切に、これからも心を込めて緩和ケアに携わっていきたい。
引用参考文献
1) 淀川キリスト病院ホスピス編 緩和ケアマニュアル ターミナルケアマニュアル改訂第4版 2000年 最新医学社
2) P・Jラーソン/内布 敦子他 Symptom Management患者主体の症状マネジメントの概念と臨床の応用 1998年 日本看護協会出版会
3) 武田文和・石垣靖子 誰でもできる緩和医療 1999年 医学書院
4) 細川順子 進行がん患者の心理的特徴と援助 講義資料
5) 全国ホスピス・緩和ケア連絡協議会 緩和ケア病棟連絡協議会 緩和ケア病棟承認施設におけるホスピス・緩和ケアプログラムの基準 1997年
6) 松島たつ子 がん看護(ホスピスにおける多様な職種の役割と連携) 2000年 南江堂
7) 内田宏美 看護倫理―緩和ケアをめぐる倫理的問題と看護―講義資料
8) 小原信 ホスピス―いのちと癒しの倫理学 1999年 ちくま新書