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患者のためにそして自分のために
 西富田クリニック 安田 美紀
 
はじめに
 
 私は現在、在宅での緩和ケアにかかわる機会がある。在宅で見る患者は、自分のペースで生活されていて、家族とともに、穏やかなときを過ごしていたように見えた。今回この研修を受けたいと思った動機は、更に在宅を望まれる患者のために良いケアを提供したいと考え、緩和ケアの基本を学びケアの質の向上に努めたいと強く思ったことからである。又、実践を少し経験した上での学びは、より深い理解が得られると考えた。しかしその一方で、親友の死をきっかけにどうすることが最善であったのかいつまでも自問自答の日々が続き、何より最近、漠然と自分はこのままでいいのかと思い、自分自身のために参加したいと考えたということもある。しかしこの思いは、患者のためにと思う気持ちが少なく自己中心的な考えではないかと引け目を感じていたのも事実である。私には何が一番いいのかわからなかったが、とりあえず参加して何かを感じたい、答えを見つけたい、そして自己の看護観の見つめ直しと確立のため研修に参加させていただきたいというのが研修を受けたいと思った理由である。
 
 緩和医療の目指すものには全人的ケア、QOLの向上、チーム医療、継続ケア、家族ケアがあるといわれている。それぞれについて、一言では説明しきれないが全人的ケアとは全人的苦痛を理解することであり、まずは症状コントロールをすること、QOLの向上とは患者を理解すること、その気持ち・希望にそったケアをすること、チーム医療とは同じ目標に向かって専門的役割を遂行し協力しあうこと、継続ケアとは入院でも在宅でも同じケアがうけられるように援助すること、家族ケアとは、介護疲れや悲しみ不安など色々な問題があるので患者同様ケアすること、とまとめることができる。これらのことや、その重要性について、この研修で沢山学んだと思うが、いろいろな部分で複雑に重なり合っており、又いろいろな学びがあり、まとめることができなかった。そのため、研修のなかで特に印象に残った事柄をいくつかに分けて述べる。
 
・「死」について
 
 健康な私は、今まで日常で死を意識することはほとんどなかった。又、私は、「死」というとやはり何か怖いものというイメージを少し持っている。この研修で、死生観を考える・生命倫理等の講義をきく事で、「死」について考える機会があった。「死」を考えるということは、同時に「生きる」ということを考えることになった。「死」というものを考えろといわれても、ただそれだけでは、やはりどうしても「死」を身近に感じることができなかった。講義の中で、残された時間が少なくなったとき誰と・どこで・何をしたいかを具体的に考えるうち、又それを文章化するうちに色々やり残した事、あれもこれもと色々考えが浮かび少し身近なものとなり、色々な気持ちがあふれてきた。そして怖いという感じはしなくなった。今この時間を如何になんとなく過ごしているかということにも気づいた。残された時間が短い分遣り残したことがたくさんあると思っていたが、今このときを充実したものになるよう大事に過ごしていれば残された時間の長さが問題ではないと思った。
 「死」というものが現実に近づいてはじめて気づくこともあるだろうが、普段から「生きる」ことを実感して「死」を見つめておくことが大事だと思った。この一瞬一瞬の時間を大切にして精一杯「生きる」ことができれば自分の「死」を見つめられるのではないかと感じた。
 緩和ケアでは、自分の「死」を身近に感じている患者の看護をするので「死」を恐れず、逃避することなく「死」をしっかり見つめていく必要がある。その際、自分の「死」又「生きる」ということの意味や考えを持っていなければ患者の心に響かないし患者に近づけない、患者の本当の気持ちを理解できないと考える。まず自分が少しでも「死」に近づくことからはじめられたことは大変良かった。又、「生きる」ことを実感するのは普段何も考えていないと難しいが、意識的に日々・日常を大事にして私は今生きていると感じ続けていきたい。
 意味のある「生きる」をよく考え、患者とともに生きていきたいと思う。そのためには、「死」・「生」について自分の考えをしっかりもっていたいと思う。
 ただ今回の研修の中で自分の「死」を見つめる前に、友人の「死」を考える機会があった。はじめに述べたが、そもそも、私が緩和ケアを考える大きなきっかけとなったのは親友の死である。その友人の死を見つめたとき、自分の死を見つめたときよりもっともっとあつい、つらい思いが込み上げてきた。感情的になっている自分がいた。そのことから、私は「死」を少しは身近に感じたが、やはり自分にとって現実的ではないことがわかった。冷静で客観的に「死」をみつめられるのは、死生観をもって強くみつめることができているからではなく現実のものではないからかもしれない。そういったことを自分で理解した上で、「死」を見つめている患者と向き合い、その「死」、「生きる」に近づき一緒に考えていきたいと思う。
 
・在宅について
 
 一般病棟のときと比べ、在宅での患者は自由に生活されていると感じる。病院ではすべての患者が同じような表情でいるが、家では表情も豊かで生き生きとしている姿を目にしたとき、その表情の違いに大変驚き、在宅の良さを痛感した。
 在宅死から、病院死が一般的となった現在、在宅で死を看取られる患者はまだまだ少ない。それは、在宅を支える総合的なシステムの不備からくるものだと考える。今後は、医療保険改定による在院日数の短縮などや、さらには様々なアンケート結果(半数以上は在宅を希望)からもわかるように、患者が、最後を迎える場所として在宅を希望する人は増えてくるであろうと予想される。そのため、正しい知識を習得し、システム作りをしたいと思っていた。地域での医療チームや福祉体制、24時間体制を整え、症状をコントロールし、患者・ご家族への充分な援助を行うことが在宅生活を支える基本だと思う。
 私は、在宅での緩和ケアに関われることを、心から自分自身のためにも大変ありがたく思っているし、講師の先生が、在宅での緩和ケアに関わることができる看護婦は、看護婦冥利に尽きるとおっしゃったことが、とてもうれしく、同じ思いでいた。しかしいろいろなことを学ぶうちにそれは、在宅だけが特別なことではないことに気づいた。緩和ケアの基本的目標は同じで、場所が重要ではない。ただ、それぞれの利点(在宅の利点は、施設の制約等なく自分の思いどおりに生活でき、家族とともに生活できる又家族以外は訪問者となっていることからも、本当の意味での生活の場の主人公は患者である等)や欠点(システムの不備や在宅での看取りの認識不足又家族に介護の負担がかかる等)を踏まえた上で、充分考慮の上選択されご希望にそうことが大事である。まだまだ、在宅を選択されたとしても、対応できない状況もあるので、在宅での緩和ケアの基盤整備が急務であると考える。今、私にできるシステム作りを考えていきたい。と同時に、今関わる患者すべてに、場所とかではなく、緩和ケアの原点は何か、緩和ケアの心は何かということを忘れず、これからも思いやる心を持って看護していきたいと思う。
 
・家族について
 
 特に在宅では家族がとても大きな役割を果たす。在宅では介護の中心は家族である。家族の協力なしでは在宅療養を支えることはなかなか困難だろう。又私がどんなに患者のことを思っても、家族になり代わることはできない。だから、いつも、患者の家族に近づきたい、そして家族になり代われない分家族を支えてあげたいと思っていた。ただすべての家族が、患者のことを心から思っているわけではない場合もある。今までは、私が感じた患者への冷たい言葉や態度などから、あの家族は患者のことを考えていない、なんて冷たいのだろうと家族に対して否定的な考えを持ったことも事実である。しかし、そういう家族も含め、家族の気持ちも受け止めることが大事だと知った。
 患者のことを思ってのことでも、何事も自分の価値観だけで判断するのではなく受容し、理解したい。そして家族の構造・機能又どれぐらいのまとまりと柔軟性があるかなどの色々な視点から、家族を見ていくこと・家族と接すること、1単位としての家族として援助していくことが大事だと思った。又、患者にとって家族は誰より接していて心が落ち着き、心から思っている人である。家族は患者のためにできるだけの事をしたいと思うが、仕事や育児など状況によってはどんなに患者のことを思ってもできないことが生じる。患者のことを第一に思う立場であっても患者の願い・希望がすべてかなえられないということを理解した上で患者のためにできる家族の援助を考え、患者にとって一番大事であろう家族をケアしていきたいと思う。
 
・多面的な考え・意味について
 
 より緩和ケアをしたいという同じ目標に向かった人同士でも、色々な意見はある事を知り、全て同じというものはないだろうと思った。その人の真意を理解するのは本当に難しいことである。自分の考えをしっかりもつことはとても大事な事であるが、何が正しいのか見つけるのではなく、色々な人間がいて色々な考えがあることをよく理解したい。そしてどんどん色々な人の様々な意見・考え・思いをよくききたい。その上で患者と接し、本当のその人らしさを理解しようとする気持ちを持ち続けたいと思う。
 又、そのためには、本当の気持ちを知ることが良い方法だけれども、終末期になると、自分の思いを言葉で表せなかったり、表現できなかったりする場合がある。そのとき、私の想像で患者を理解しようと思うことになるが、多様な考えや価値観があることを知り、いろいろ想像できるように沢山の知識や考えを学び、想像する能力を育てたい。又私がどう思うかによって理解の仕方がまったく変わってしまうので、それが自分本位ではなく患者本位の想像でありたい。そして、患者の気持ちに近づいているか、いつも立ち止まり振り返り考えていきたいと思う。
 
まとめ
 
 自分のためにと思い研修に参加し、そのことが少し気になっていたが、結局まず自分の考えをしっかりもつことが大事で、自分自身をしっかり見つめなおすことが、患者への良いケアにつながることがわかった。まず、自分自身がしっかりと生きていき、充実した時間を過ごしていきたいと思う。
 研修を終えた今、やはりはっきりとした私の死生観や看護観を述べることはまだできないが、何かを強く感じることができたと思っている。感じたことをきっかけに、何かをしようと思えたし、自分の心に響きそのことを深く考えようとしない限り、何も始まらない。私にとっては、まず自分が精一杯生き、そして患者のために… と考え、何かをはじめようと思えたことが、一番よかったのではと感じている。そして、これからも問い続けることが大事なのではと思った。何かはしっかり感じることができたので、感じた心を忘れず生き続けたいと思う。
 この研修では、緩和ケアの基礎知識はもちろんのこと、人間として大事な何かを学び、感じた思いがする。緩和ケアだけが特別なことではなく、患者、一人の人間と接していく上での大事なことをもっともっと学び、人を敬い、その人がその人らしく尊厳のある日々・時間が送れるように、常に援助しようとする姿勢が、人間として大事であることがわかった。今後も、患者と看護婦という枠組みを超えた、人間対人間の暖かい関わりをもっていきたいと考える。
 この研修で学んだたくさんのことは、まだまだよいケアを提供するためや人間を深く理解するには、ほんの一里塚であること、又自分の考えの引き出しを増やしてくれたものと感じている。よいケアのためにと考え何かをはじめることが、自分のためでもあり患者のためでもあることを知った。
 最後に、神戸研修センターの先生方や研修でともに学んだ仲間、講師の先生方、実習先のスタッフ、そして今まで私にかかわってくれたすべての人に、色々な刺激を与えてくれたこと、機会を作っていただいたことを深く感謝する。








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