「やさしく誠実な人になる」
阪和第二泉北病院 岡田 歌奈子
はじめに
来年7月に緩和ケア病棟が開設される予定であり、現在は、その準備段階である。私は、その実行委員として活動しているが、自分の中で緩和ケアや緩和ケア病棟というものがイメージできず、何から手をつければいいのか分からない状態で、漠然とした不安を抱えていた。ホスピス関係の本を読みあさる中で、「魂に寄り添うケア」と言う言葉があった。魂に寄り添うとは、どういうふうなケアを意味するのか?緩和ケア病棟では実際にどのようなケアがなされているのか?たくさんの疑問を抱いていた。この研修を受講することにより、一つでも疑問を解消し、緩和ケアや緩和ケア病棟というものが、自分の中にイメージできればと思いこの研修に参加した。さまざまな講義を聴き、2週間の救世軍清瀬病院での実習を終了し感じたことは、ホスピスだからといって特別なことをしているのではないということ。看護婦に求められることは、やさしさと、誠実さであるということを学んだ。
わたしは、看護婦である前に、人としてやさしく、誠実でありたいと思う。
この研修での学びを、以下にまとめてみたいと思う。
研修での学び
1. 緩和医療
WHOの定義では、全人的ケアや最高のQOLの達成がうたわれている。
末永先生の講義では、「私の目の前にいる、悩める人たちに、手をさしのべて、何ができるか」と熱く語られていたのが印象的で、末永先生の誠実さが伝わってきた。何かできることはないかと考えることが大切であると思う。一般病院では、大部屋に当たり前のように、ポータブルトイレが置かれており、その横で食事をしている人がいる。ベッド間隔は狭く、家族が来てもゆっくり話も出来ない。そのような、状況の中で患者が亡くなっている。先生が言われるように、患者はみじめったらしい気持ちで亡くなっていると思う。そうしたことがきっかけで市民運動が起こり、緩和ケア運動に発展していったことを学んだ。
私の働く病院でも同じようなことが日常的に行われている。病院だから仕方がないと思う前に、何かできることはないか考えなければならないと思う。患者さんの生きることを尊重するという姿勢に欠けていたのではないかと反省させられた。
死について
一人一人の死は、その人と家族にとってはじめての死であり、医療の中に多数ある死の一つではない。しかし、忙しい業務にながされ、その人にとって一度きりの死を、いつもの事と軽視して関わっていたと思う。家族を含め、みんなが納得できる死にする為に、残された時間をどのように送りたいか、何ができるかを、みんなで話し合って生きる希望を支えていきたい。今の病棟の現状では、話し合いを持ち、患者の意志を尊重するという事がなかなか行えていないので、押し付けの医療ではなく、患者中心の医療をめざすことが今後の課題である。
2. 生命倫理
私は、今まで命について深く考えた事がなかった。「人は必ず死ぬ」と頭では分かっていても、何か他人事で自分の死はまだまだ先の事と考えていたと思う。自分が生まれて、今こうして生きている。その命の誕生にはドラマがあり、感動があったはずである。私がここまで成長するのにどれほどの人に世話になり、支えられてきたか考えなくてはいけないし、私も誰かを支えていかなければいけないと思う。この講義を聴いて、命の尊さを改めて感じた。
出会いについて
「あう」というのは、人生の神秘である。あうとは、偶然に見えるが神秘的な出来事である。「ひと」が「ひと」と接点をもつことを総称して「あう」と呼ぶ。その人と「あう」ことがよろこびでありたのしみである、そんな人に出会いたい。また心からのめりこめる対象に出会えれば、人生はどんなにすばらしいことだろう。小原先生がこのように本に書かれているのを読んで、人生のうちに何人の人との出会いがあるのだろうと思った。出会いには、人の人生をも変えてしまう出会いがあること、またいい出会いであれば、必ず自分が変わっているという事を学んだ。これから先、患者を含めいろんな人と出会うとおもうが、一つ一つの出会いを大切にし、心に感じる出会いにしていきたい。
3. 家族看護
ホスピスケアの考え方として、患者と家族をひとつの単位として考えケアするとある。今まで私が行ってきた看護は、患者にばかり気をくばり、家族も含めてケアするという事が出来ていなかったと思う。この講義を聞いて、家族も患者と同様に、心理的、社会的に問題を抱えた存在であり、ケアを必要としている存在であることが理解できた。
家族とは、多くの場合、患者にとって最も心理的、社会的に近い存在であり、患者がどのような終末期を迎えたかが、死別後の家族の適応に影響する。そのため、私達は、家族と協働し、互いに情報を共有し、患者の治療や看護ケアの選択をしていかなければ成らない事を学んだ。今後、家族とじっくり話す時間を意識的に持ち、自分の前から愛する人がいなくなる、そんな家族の気持ちを理解し、家族が患者を支えつづけられるよう、私達は家族を支えなければ成らないと感じた。
4. チームアプローチ
緩和ケアにおいては、Interdisciplinary Team(合同チーム:上下関係がなく、各メンバーは対等で、リーダーは課題の内容によって異なる。メンバーは話し合いによって情報を共有し、目標を設定する。一緒に仕事をし、それぞれが違った技術で貢献する。)が理想的だが実際は難しいということを学んだ。私の今の職場でも、医師中心の傾向が強い。医師はいつもリーダーで、責任感もある。その様な教育を受けてきている人の意識を変えるのは難しいということ。看護婦はいろんなことを知っていて、いろいろ関われるが、専門家とは言いにくい。看護婦の役割としては、ここは栄養士、ここは薬剤師というふうに、振り分けが出来る事が大切である。緩和ケアにおいては、看護婦が中心という意識が強いわりに、知識を深めようとせず、困ると医師の指示待ちと言う傾向がある。今後の課題として、もっと勉強し知識を深めていかなければならないと感じた。チームに必要な事は、一緒に働いている人が、お互いを認め合う事。人それぞれに今まで育ってきた環境や受けてきた教育が違うので、価値観や意見が違ってあたりまえと言う事。又意見がいろいろあることのすばらしさを知るということ。
患者と家族にとって、ホスピスに入院することを決断することは、大変なことであり、そういう人々を一人の力や看護婦の力だけで支えきれないからチームアプローチが必要である事を学んだ。ホスピスに限らず、病気を抱えた人のQOLが、少しでも向上するように、なんでも話し合えるチームを作っていきたい。
5. コミュニケーション
人はコミュニケーションについて考えなさすぎるという事を学んだ。コミュニケーションには技術が必要である。看護婦は患者と関わる中で、知らず知らずのうちに相手を傷つけている事がある。患者が発する言葉の意味を考えなさすぎる。患者はいつも自分の思いを聞いて欲しいし、自分の為に時間をさいて欲しいと思っている。
この講義ではロールプレイを行い、自分が患者役になってみて、相手に伝えたい事が伝わらない事のもどかしさや、大切な事を話そうと思って考えているときに違う話題にすりかえられてしまったり、沈黙がたもてず看護婦役が次々質問してきたりと、気づく点が多かった。コミュニケーションには技術が必要であることを実感した。人はなぜ、尋ねることに躊躇するのか?時にはプライバシーに踏み込むことも必要である。まず自分が心を開いて関わり信頼関係を築く事が必要である。聞いてみることに無駄はない。こころのドアの前で、立ち止まらず、ノックしてみる事の大切さを学んだ。
人はみんな自分の思いを聞いてくれる人を求めていると思う。人の気持ちに寄り添える人に成りたい。
6. 症状コントロール(疼痛)
患者はホスピスに何を求めて入院してくるのか。私達は患者の苦痛を把握し、できるだけ早く、その苦痛が無くなるように努力しなければならない。苦痛な症状があることを感じとる責任が看護婦にあることを認識する必要がある。
疼痛コントロールに関しては、どんどん研究が進められ、ほとんどの痛みがコントロールできるようになってきている。WHO方式疼痛治療指針に従い、医師が薬剤を処方し、看護婦は、その薬が有効に効いているか判断することが必要である。24時間患者を看ているのは看護婦であり、患者の状態が一番分かるのも看護婦である、医師に適切に情報提供することが看護婦の役割であると思う。
患者は痛みによって、生活は制限され、生きる意欲を失い、人間性をも失う。患者が痛いといった場合には、そこには痛みが存在するし、10の痛みと表現するならば、その人にとっての10の痛みが存在する。痛みを我慢する事のないように、患者が訴える前に、痛みの有無を確認し対応することが大切である。緩和ケアを行っていく上で、看護婦全員がこの事を理解できるよう、勉強会等で知識の共有をしていきたい。
7. 死生観
自分の死を考えることが、こんなに辛く悲しい事とは思わなかった。思い浮かべるだけで、こんなに混乱してしまい涙が止まらないのだから、実際に死に直面したら誰の支えもなしに立っていられないだろうなと感じた。死を考える事は、大切な人との関係が終る事と感じその事が一番辛かった。グループワークをし、人それぞれの価値観で、何が一番辛いかはちがうし、何をして欲しいかも違うけれども、自分を忘れないで欲しい、自分の存在してきた事に意味があったと思いたい、大切な人に傍にいて欲しいという共通点もあった。ホスピスにあなたは入院しますか?の質問に「しない」と答えた自分にびっくりしたけれど、自宅で最期が迎えられるのであればそれに越した事はないと思う。
いろいろな事情とプロセスを踏んでホスピスを選択した患者や家族の気持ちを少しでも理解し関わることの必要性を感じた。遺言状を書いてみることは、自分でも気づかなかった、本当の気持ちに気づくいい機会となった。毎日に感謝し仕事に感謝し、誰にとっても大切な一日一日を悔いの残らないようにしていきたいと感じた。
8. 実習で学んだ事
仕事と違い、スタッフの外から見学という形で実習がスタートした。「ホスピス病棟はこうあるべき」という大きな理想を抱えていったため、理想と現実のギャップが大きかった。
しかし、実習を進めていくうちに、私達が一般病院で思い通りの看護ができないように、ホスピスの看護婦も同じなのだという事に気づいた。その事に気づいてからは、では何を大切に思い看護されているのかが見えてきた。看護の基本に返って、丁寧にケアがなされており、いつも患者中心で、誠実な看護がなされていた。その事は、入院している患者と家族が一番評価されていた。よい看護かどうかを評価するのは、それを受ける患者であり、看護婦が評価するのではないという事を学んだ。
患者が、「ホスピスは死ぬところと思って入院してきたけれども、結構生かしてくれるところですね」といった言葉が印象的である。この方は、一般病院ではもう何もする事がないから、退院して欲しいといわれ、追い出されるようなかたちで退院し、仕方なくホスピスでもと思い入院してきたそうである。しかし「ここに来て本当にほっとしたし、歩けなかったのにリハビリで歩けるようになり、頑張って生きてみようと思えるようになった」と言われていた。生きる希望を支える事の大切さを学んだ。
おわりに
講義と実習での学びを通して、緩和ケアと緩和ケア病棟をイメージするという目的が達成できた。「魂に寄り添う」ということも、誠実な看護をおこなうことで、患者や家族と信頼関係が生まれ、そこから魂に寄り添うという事に近づけるのではないかと思う。研修で学んだからといって、何ができるかという不安もありますが、学んだ事を少しずつ実践し同じ思いで看護していける仲間を増やしていきたいと思う。