緩和ケアナースとして大切にしたいこと
薬師山病院 佐々木 真理
はじめに
私が看護婦になって七年目となった。病棟勤務時は、生後数ヶ月の小児から高齢者という幅広い年代の多くの生命を守ることだけで精一杯となっていた。一つの環境で幅広い年齢層の、あらゆる段階の人生を生きておられる患者さんを対象にしながら、多忙と自分自身の未熟さからどうしても急性期の方を優先し、終末期の方が後回しになってしまう自分のケアに悩む事もあった。
私の父はがんで入院したのであるが、私自身が患者の家族となってみてはじめて自分が医療者としてではなく一人の家族として悩んだり辛かったりした経験も、ここで大きく影響した。患者の家族として医療現場や医療者を見たとき、看護婦としての自分の姿はどう映るのかと考えたり、「もし今、自分が患者だったら、家族だったらどうだろう」と考え直してみたりする機会が増えるにつれ、自分の中の未熟さを痛感し、今の自分ではいけないという思いが募るようになった。
一度臨床を離れて教育の場で学生の新鮮な目や感性に触れ、一緒に悩んだり喜んだりしながら、自分自身の中で忘れかけていた多くの大切にしたいものを皆に教わった。その上でもう一度、自分の中で足りないもの、避けてきてしまったことを見つめ直し、ホスピスヘ勤務する道を選ばせて頂いた。
振り返ると、それぞれは中途半端な経験であったようにも思えるが、その時々はそれが精一杯であり、全てがつながって今の自分があると考えている。ホスピスでの一年半の間多くの人々と出会い、その生と死を見つめ、共に悩み考えていくことから学ぶことがたくさんある。
しかし、ホスピスという特殊な環境の中で、やはり、日常や自分の未熟さに甘んじ、悩みや辛さに負けそうになり、大切なものを忘れかけることがある。そのような中で今回の研修という機会に恵まれた。そこでは多くの方の様々な言葉が私自身にとっての道標となった。こうした貴重な言葉を中心に今回の研修で学んだことをまとめたい。
1. 専門性を身につけるために
看護が専門職と認められにくいのは、論理的思考の弱さにあり、その論理的思考の訓練が記録やカンファレンスにあると学んだ。看護行為も論理を述べなければ専門性はなく、感性にも根拠をつけることで論理になる。
日々のケアの中で、「何かおかしい」、「何かが変だ」という漢然としたものを感じとっても、記録や言葉の表現方法に悩む場面は多い。しかし、その曖昧さが原因となり、問題が共有できなかったり、話し合えなかったり、対応が遅れたりする結果となり、せっかくの感性もなかなかケアに生かすことができないのが現状である。そこで、まず記録やカンファレンスから論理的思考の訓練として「なぜ」、「どうして」を述べる練習をしていく必要性を感じた。緩和ケアが、おせっかいなケアになってしまわないために、論理だけにも、感性だけにも偏りすぎないバランスをうまくとり、どちらも磨く訓練の大切さを学んだ。
2. 緩和医療の実際
実際に緩和医療(緩和ケア)の現場に携わっておられる末永先生の言葉は、その一つ一つがとても重く、感慨深いものであった。
「もっと命を大切にしてもらっていいのではないか。命を支えるということ。」という言葉の意味は本当に大切にしていきたいと思えた。
「人生の総決算の大切な時間を過ごすにはあまりにもみじめな病院の病室だと思います。全ての人々が安心して家族と心一つになれ、静かでプライバシーが守られ、家と同じような環境で最期まで生きていってもらえる医療環境を提供しなければいけないと思います。」1)と、著書の中でも述べておられる。
私自身、父が入院し、付き添ってみて初めて、その環境のみじめさを感じとることとなった。それまで、看護婦として同じような環境を数多く見てきたはずなのに、自分がその立場に近づいて初めてそれを感じたという事実に自分自身衝撃を受けた。
環境がみじめでも、医療者の対応や言葉かけで救われることはあるとも思う。しかし、病状が思わしくない時、治っていかない状況では、環境のみじめさの一つ一つが思いやりに欠け、気持ちまでみじめにさせる原因となるのだと痛感した。看護婦として、環境について考えることの大切さを学びながら、一方ではどうすることもできない限界があることも知り、当時は本当に複雑な思いだった。しかし、このままこのようなところで家族の人生を終わりにして欲しくないという思いは大きかった。その気持ちを忘れず、日々、患者・家族の過ごされる環境について、温かさと配慮を忘れずにいたい。
また、末永先生は講義の中でこう述べられた。「こうあるべき死の受容とか、こうあるべき看取りとか思ったらそれ自体、ベルトコンベアーにのった命と同じ。私達はその人の一生最期のわずかなときに関わるだけなのだから。」と。これを聞いて、父の言葉を思い出した。父は元来、「枠」というものにはめられることを一番嫌がっている性格だった。がんと診断され、手術をしなければ痛みはとれず死に至るという切迫した状況の中で手術を受けたが、術前から苦痛な処置が始まり、術後も経過は思わしくなかった。そんな中で、「こんなベルトコンベアーに乗ったようなことはしたくない。」と言うようになった。私は娘の立場として父のその言い分や辛さが痛いほど理解できたが、一方で看護婦として、「時にはそのベルトコンベアーに乗ってもらわなければ、治るものも治らない。」と父に伝えるのが精一杯だった。「治らないじゃないか管を抜いてくれ。」と言われると、「治るから。」としか答えられなかった。本当は私自身もどうしてよいのか分からなかった。
その時の父の言葉から、きっと多くの人が同じ思いを抱いて病院で生きておられるのではないかと感じるようになった。多くの人が言わずに我慢していることがどれだけ多いかということを考えさせられた。
このような「ベルトコンベアーに乗った命」の中で生じる様々な歪を少しでもなくし、ベルトコンベアーから下ろしてその人らしい命の方向にその人のぺ一スで進んでもらえるよう支えるのが緩和ケアなのではないかと思えた。
しかし、緩和ケアの中においても、私達がその大切な目標と慎重に誠実に向き合っていかなければ、せっかく一度ベルトコンベアーから下ろして生き生きしていた命を、再度それに乗せてしまう危険性があるということも学んだ。私達は日々、多くの生と死に向き合う機会を頂いている中で、時々「こうしたら良いのではないか。」、「なぜ、そうしないのだろう」と思うことがある。けれども、なぜその人がそのような言動になるのかを考慮せずに「こうあるべきだ」と思ってしまうこと自体、既に緩和ケアの理念から外れ「ベルトコンベアーに乗った命」にしてしまっているのである。
私達は、その人の一生最期のわずかなときに関わらせて頂いているだけなのだ、という謙虚な気持ちでその人のこれまでの人生に敬意を払うことを忘れないようにすることが、命を大切にするケアにつながると学んだ。
「人の死には誰でも春夏秋冬がある。」という言葉も印象的だった。今まで出会った多くの方々の春夏秋冬はどんなだっただろうかと考え、中には本当の四季を全て経験することなく、数ヶ月でなくなった命を思い出すと、その本人や両親、そして私達がその春夏秋冬を感じとることの意義、難しさを痛感する。
命はその長さだけでなく、その深さや重さがあり、それを感じながら支える大切さを忘れてはいけないと学んだ。
3. 家族看護
「家族の正しい定義はなく、言えることはその患者にとって誰を家族と思っているかということ」、「家族は自己決定能力、適応能力、対処能力などを持っていることを信じ、それを引き出していく」、「家族と医療従事者の関係は協働(Collaboration)の関係で一方的に援助する関係ではない」―これらすべての鈴木先生の言葉は、私達が日々のケアの在り方を見直すきっかけとなった。その人にとってのキーパーソン、大切な人、家族と思っている人を勝手に決めつけるのではなく、理解することの大切さと、協働という言葉の意味を考えて、家族の力を信じて共に支えていく大切さを学んだ。
4. コミュニケーション
「人はそこにいることを認めて欲しい、ひとりの人間として大切にして欲しい、受けとめて欲しい」―これが、コミュニケーションの原点であり、この点を理解しておかなければ、人間関係、信頼関係の形成は難しいのである。
日々、患者・家族とだけでなく、スタッフや自分の家族や友人など様々な場面でのコミュニケーションで考えさせられることは少なくない。その中で、上記の言葉を心に焼きつけ、少なくとも自分の言動・姿勢は相手の存在を大切にできるようなものでありたいと思った。
「共に悩み、共に考えていく」、「がっかりを、しっかりがっかりする」、「コミュニケーションはうまくいかなくて当たり前。ギャップがあって当たり前。しかしアンテナを立てて相手の伝えたい事を感じとること」、「言ってもらえない事があって当たり前。しかしドアをノックしてみること」、「結果は急ぎすぎない。結果は出ないこともある。しかし、結果を求めるより気持ちに寄り添うこと」―これらの言葉の意味を、ケアだけにとどまらず、日常の中でも大切にしていきたい。
5. チームアプローチ
「チームは成長していく」、「一人一人が大切な存在」、「違いはすばらしいこと」、「うまくいかない時期にも意味がある」という松島先生の言葉から、チームのお互いの存在を認め合いながら、チームの成長を信じていくということを教えて頂いた。
緩和ケアにおいてチームアプローチの重要性を日々実感すると同時に、その難しさも痛感する。どんなチームも、らせん階段を行ったり来たりしながら成長していくのだと学び、実際に実習でも同じように試行錯誤しながら前進していっているチームの人々に出会い、悩み、迷っているのは自分達だけではないことを知った。緩和ケアをよりよいものにしていくために、皆がお互いを認め合うことからはじめていく大切さと、あきらめずに努力し続けていくことの意味を学んだ。
また、お互いを認め合う上で、価値観について考えることの大切さを、看護倫理で学んだ。価値は人によって異なり、ひとつとして同じ価値はなく、そこで何らかの対立が生まれる。そこで、何らかの意思決定をしなければならないのだが、皆が、価値や目標を出し合うこと、そして皆で一緒に考えていくことが大切なのだと学んだ。
6. 死生観を考える
学生時代に、看護という職業が、時には辛く、時にはやりがいを見出せるということの理由として「一限性」があると学んだ。それは、一般の人と比べて人の生や死の場面に直面する機会が多いために、その「一限性」、つまり、今という時は今しかないという事実を若い年齢の頃から知るということにあると教えられた。
看護の現場に限らなくても、例えば戦争や事故など、生死に直面した人々は、年齢に関係なく生や死について考える環境にあるとも考えられる。
しかし、平和な中で、本当に大切にしなければならないものを忘れ、大きな目標を見失うと、その命や時間の「一限性」を敬う機会は減ってしまう。
今回、死生観について考える機会を頂き、自分の中で本当に大切にしたいものが少しずつ見えてきた。それは日常のありふれた幸せを幸せと感じられる心、それを感謝する心であり、今という時間、死ぬまでの今を大切にすることである。今という時間、死ぬまでの今を大切にするというのは、死んでからの自分も大切にすることにつながるのである。
末永先生は著書の中で、「私たちの人生は頑張って生きられるとしても生物学的には百五十歳が限界と言われています。私たちは自分の人生において大部分が人生の途中下車なのです。だからこそ自分の命に対し自分で責任を持ち死生観を確立しておくことが大切なことだと思います。」2)、「死がみえる患者さんの訴えは真剣で、感性はとぎすまされています。それにしっかりと応えるためには、自ら死の問題から逃げ出さないで、ひとりの人間として接することが大切であります。自ら死生観を確立し、死を忌み嫌わず、人生の最期の非常に大切な時間を共有し、支えることのできることに感謝したいものです。」3)と述べておられる。緩和ケアナースとしてだけでなく、ひとりの人間としても、死生観を考えていくことの意味を学んだ。
7. 生命倫理
「生きがいのある生、死にがいのある死、生きられがい、死なれがい」という小原先生の言葉から、生も死もある一面からだけでなく、多方向から捉えることで、その深さや大きさ、重さを知ることができると感じた。そして私達はそれらを、どの方向からどのくらい支えたらよいのかを考える大切さも学んだ。
「「ホスピス」は「あと一日いのちを延ばすとは言わないが残された日にいのちを与えようとするところ」」4)であり、「ひとは定年がくれば仕事(job)から引退することはできる。しかし、ひとは生きるかぎり、その人生(life)から引退することはできない。ケアの心に引退はない。」5)のである。
残された日に命が与えられるようなケアができるような生き方を私達自身がしていく大切さを学んだ。
おわりに
今回の研修では、症状マネジメントなどの知識を得ただけでなく、多くの人との出会いの中で私自身が緩和ケアナースとして、またひとりの人として大切にしていきたいことを考える機会となった。改めて緩和ケアの広さや深さを実感するとともに、その学びを今後も心に刻み続けて日々のケアや自分の生き方につなげていきたいと感じた。
研修を通して出会えた全国の緩和ケアナースの皆様、実習先のピースハウスの皆様、看護研修センターの皆様と日本財団、そして研修という機会を与えて下さった自施設の皆様に心から感謝致します。
引用文献
1) 末永和之:ひとひらの死、近代文芸社、1997、p.218
2) 前掲1) P.164
3) 前掲1) P.208
4) 小原信:ホスピス―いのちと癒しの倫理学、ちくま新書、1999、P.181
5) 前掲4) P.172
6) 小原信:哲学的散文詩.あかさたな、以文社、2001