緩和ケア病棟開設めざして
総合病院 南生協病院 渡辺 祥子
1 はじめに
看護婦となって20年以上が経過した。在宅医療に関わり10年を経過する中で、在宅でのがん末期患者・家族の療養状況における問題点を実感すると共に、何気ない毎日の生活を支える喜びを経験してきた。そして、自分なりに看取りの援助を模索してきた。よりよい状態で、患者家族が望むときに、より負担なく在宅療養に送り出したいと病棟に移動して5年になる。その間、法人内での自主的な学習会を立ち上げ緩和医療・看護の学習を重ねてきた。2002年6月には緩和ケア病棟が開設される。しかしながら、緩和医療の場を実際に経験してない私が開設に携わりながらもこれでいいのだろうか、このまま緩和ケア病棟開設を迎えてしまっていいのかと自問することを繰り返してきた。これまで一般病棟の中で実践し目指してきたことは、今後緩和ケア病棟を開設にあたり、ホスピスなど緩和ケアを専門としている施設で通用するものであるのか。これまで学び思考錯誤の中、緩和ケア病棟開設に向け準備していることに不足はないかという課題を抱え、「緩和ケアナース養成研修」に臨んだ。6週間に渡る研修は、実習も含め私にとって大きな成果をもたらしてくれたので、ここに報告する。
2 基礎的な学びが実践の裏付け
3週間の講義では、基礎的な裏付けの必要性を実感することが出来た。そして、改めて実践の中での裏付けが暖昧なまま看護をすすめている現実をつきつけられた。「腫瘍学」の講義では、「腫瘍の形態分類」についても全身の組織が立体的にわかることが出来たと共に各組織の良性腫瘍と悪性腫瘍の関係も自分自身の中で実にすっきりと明確になった。殊に転移については、浸潤性転移・リンパ行性転移・血行性転移・播種性転移などいずれもこれまで看護した患者の像と考え合わせ剖検時の臓器の状態も思い浮かべながら理解できた。腫瘍発生因子についても今まで分かっていたつもりのことであったが、バラバラだった知識が現場の患者の病歴や生活歴とつながってきた。悪性中皮腫が剖検によって分かった患者の職歴を病理医から訪ねられたことも改めて納得できた。また、これまでも自己学習をしてきた緩和医療全般について今回の講義の中で改めて振り返ることが出来た。「家族看護概論」では、患者が、誰を家族ととらえているかということが重要であることが日常の実践の中で改めて感じさせられたことであった。また家族患者にとって医療者にとっての協働者としてとらえる視点を自分自身の中に深く意識できるようになった。
「症状コントロール」は時間をかけて行われ、実践の中での対応について、講習を受けた研修者同士でも交流を図ることが出来た。症状のコントロールについては、確立していることもあるが、模索しながらすすめ、理論的な裏付けをしていくことが必要であると実感できた。また、「サイコオンコロジー」「症状コントロール(精神症状《欝・不安》)」については私自身の中で見落としていた重要なポイントに気づかされた。それは自殺予防の視点である。日々の中では、漠然と感じていても自殺の可能性に対する患者家族への評価は、行わなければならない大切な項目として、認識できていなかった。患者の家族の援助を行う上でも、スタッフが前向きに緩和ケアに取り組んでいく上でも重要な項目であると再認識することが出来た。
3 演習の中での自己の振り返り
この研修では講義と共に演習が組まれている講座もあり、講義の内容と共に、自分の中での「他者と関わる」「生きる」と言うことと深く向き合うことが出来た。「コミュニケーション技術の活用」では、相手が自分の対応でどう感じるか、言葉以上に、態度や、そのとき相手に対して持っている感情が、大きく作用することは今までも感じてきたことであった。そのことを再認識できた。また、当院でも、模擬患者の養成を行っており、客観的に自分の対応を評価される点で、緩和ケアを行っていく上でも有効に活用することの重要性を再認識することが出来た。「生命倫理」の中で私自身の生きる質を深く問われてきた。講義を通してよりよい「生」への援助者である私自身を深く感じ取ることが出来た。緩和ケアに携わっていると、より良い「死」を意識している自分にはっとする経験がある。日々の積み重ねの中で今共にある「生」と向かい合うことが私の課題であると深く認識することが出来た。また、「死生観を考えてみる」演習は貴重な経験であった。いつ死んでもいい自分を意識し続けることはやはり今も出来てはいない。しかし、いつ死んでもいいように毎日を大切にしようという意識が日常の様々な時に、ふっと感じるようになっている。日々がいとおしく、時間が貴重であることもこの演習前とは深さの点で異なっている気がする。この演習の目標は、自分の中の死生観を整理することであった。整理し切れたわけではないが、「死ぬまで自分はどう生きるのか」このことは自分に問い続けていきたいと思っている。
4 事例検討の重要性
事例検討はこの研修会の中でも実習病院においても繰り返し行われてきた。改めて、事例から学ぶことの重要性について、再認識できた。また、事例検討を行う上での視点が重要であることも田村恵子先生のコメントから感じることが出来た。様々な看護援助・医療判断が、患者家族の願いと結びついているのか、新たな実践をする場合、その取り組みは医療チームにとって継続に当たって無理はないのか、他の患者へのしわ寄せは生じないのかなど様々な視点での検証が実践前に必要であること。検討しすすめたことは、実践後にも評価のための検討が必要であるという当たり前のことの重要性が認識できた。
5 病院実習での学び
[1]速やかな症状コントロール
症状コントロールが速やかに行われており、死の数時間前まで飲み物を少量ながら口にしている患者が多かった。このことは日常的に患者の症状コントロールについて、看護婦と医師によるカンファレンスが密に行われているためであると思われた。夜勤から日勤への申し送りは医師も参加をしており申し送り直後より、医師から新たな指示が出されており、症状のコントロールについては素早い対応がされていた。
[2]外来・入院・在宅と一貫したシステム
入院システムは外来在宅と継続したシステムを実習病院では長い歴史を経て確立されていた。
当院ではこれから外来システムをどのように立ち上げるのか課題である。そのとき大切にされるべきは患者が緩和ケアの対象であるかどうかの見極めである。このことが実習病院では重要なポイントとして押さえられていた。予想以上に在宅療養のための退院患者が多くいた。私たちが目指す緩和ケア病棟も症状コントロールが出来たら、患者家族の希望にもよるが、在宅療養を支援できるシステムを作りたいと考えている。訪問看護ステーション、近医との連携も必要になると思われる。実習病院では、患者が通院できないときは家族によるホスピス外来の受診で、訪問看護は原則週1回行われ、その後病棟に速やかに文書報告がなされていた。訪問看護を行っている患者は、外来での状況と訪問看護婦の見解をすりあわせ、入院の時期や、現状認識の一致を病棟看護婦・訪問看護婦・医師間で行うカンファレンスが毎週組まれていた。病棟では、入院待機の患者・外来通院中の患者・訪問看護の状況と患者の情報がすべて集まってくるシステムが構築されており、在宅療養を支える上では参考となった。[3]ボランティア活動は社会の風
実習病院では現在、170名を越える方が登録されている。長い歴史の中で、ボランティア集団が自立した活動を行っていた。私の勤務する病院でもボランティア組織があり、デイケアや在宅の援助に活躍している。ただし、緩和ケアの必要な患者への援助はぐっと数が少なくなる。現在緩和ケアボランティア学校を行っている。はじめからこうあるべきとは考えず患者家族が望み、医療者が医療者として力を発揮出来るということを大切に活動内容を考えたいと思う。[4]看護実践からの学び
2週間と短い実習の中で、得るものは少ないのではないかと思い臨んだ実習であるが、改めて、ホスピス看護が看護の本質であることを実感することが出来た。患者家族が不安なときにこそ、そばを離れず、その場に踏み留まることにより支え、共有できるものがあることを実際に感じることが出来た。また、患者家族のニーズを知るために必要と考えられることについて、状況を判断しつつも、患者家族の思いに躊躇せず踏み込んで聞くことが行われていた。必要なときに躊躇せず患者家族の思いに踏み込むためには、聴く側の看護婦が心を開く必要性を心の底から感じ、相手に伝えるコミュニケーション技術が必要であることが、スタッフサポートと共に行われていた。そして、真にチームで支え合うことが大切なことは看護が充分やりきれなかったときである。チームとしてどのように関わり合ったか、出来なかったのかという視点で振り返りがなされており次にステップアップするためのカンファレンスが持たれていた。プライマリーナースが問題を一人で抱え込むことがないようにするためである。各種カンファレンスや、日々の業務の中で常に他のスタッフと相談し、チームでプライマリーナースがサポートされていた。患者家族を全人的にとらえ、ニーズを満たしていくためには、スタッフ全員が現在の問題を認識し、チームでアプローチする必要があることを実感することが出来た。「共有」という言葉は講義の中でも繰り返し出てきた。よく分かっているつもりであったが、私自身「患者・家族との共有」に偏っていたように思う。実習病院で強く感じたことは「スタッフ間の共有」が大切にされていたことである。また医師と看護婦の思いの共有もていねいに行われていた。
6 研修全体を振り返って
今回の「緩和ケアナース養成研修」の私の学びをまとめたいと思う。
緩和ケアは、チーム援助であるといわれる。患者の生への想いを中心にすえ、家族と共に、患者の生を援助することが、私たち医療者の役割である。規制の枠に留まらず新たに着手していくべき創造的な援助が求められている分野でもある。その上で、実践の裏付けを行い、振り返り、患者を取り巻くあらゆる職種のチーム員での想いの共有のためのカンファレンスが重要となってくる。このことを行う上で、看護婦は人間対人間として、患者や家族に対して存在することが必要となる。その上で重要となることは看護者や医療者として出来ることは、限られており、その限られた中で、誠実に、患者家族と向き合い、今を互いに納得できるまで語り合うことである。チーム員として、看護婦である私が、なす手だてがないときこそ、自分自身が問われてくる。患者家族の元に踏みとどまり、苦しい時を共有することで、豊かな生の時へつながっていくのだということに、実習での様々な場面で確信することが出来た。しかし患者の苦痛を緩和するためには確かな技術も求められる。技術については、まだまだ自信は持てないが、実践を重ねてゆきたいと思う。今回出会うことが出来た、講師の方々や、同じ机を並べて学んできたクラスメートなど、わたしにとって豊かに広がるネットワークのきっかけを与えて頂いた。それを活用し、前向きに当たっていける自分を発見できたことが大きな収穫であったと確信できる。
また、緩和ケアに携わるものとして、緩和ケアを前向きに患者家族が選択できるよう地域へ関っていく重要性も再認識することが出来た。まだまだ緩和ケアの考え方は一般的にはなっていない。より良く豊かに生きることを追求することの結果が、より良い死につながり、遺されたものがより良く生きることにつながっていくのである。このことを今も緩和ケア病棟開設後も地域の健康な方に語り、共に考える機会を持ち続けたいと思っている。
現在家族会遺族会の活動をはじめて、4年目になる。今までは一般病棟の中で行ってきたことであり、回数も限られていた。グリーフケアのことも重要であり、療養中の家族援助と共に、患者の死後の家族援助についてもこれまでの積み重ねと共に考えてゆきたい。スタッフのメンタルケアについては、実習施設での対応から学ぶべきものが多かった。細やかなカンファレンスでスタッフが援助されていた。そのとき、チームの問題として関わっており、そのことにより、スタッフが癒され、問題も共有されていた。
7 おわりに
6週間23名のクラスメートと共に学んできた。このことが大きな力となっている。
この6週間、すでに開設している施設、私と同じように緩和ケア病棟開設準備をしている施設、一般病棟のメンバーなど多彩であった。そのメンバーと、学ぶことにより、私自身の、現場での課題や、今後目指すべきものが、明確になっていった。その答えは、どこかにモデルがあるわけではなく私が働いてきた施設を基盤とし、出来ることからはじめてゆけばいいと納得できたことが大きな収穫だった。最初から完璧は出来るはずもない。出来たことを一つ一つ積み重ね開設の準備にあたりたい。また、開設後は、患者とスタッフ間の想いの共有を大切にしたいと思っている。開設までは、出来る限り、具体的な症状緩和を深め、裏付けとなる学習を積み重ねていくことが課題である。
講師の先生方、実習施設のスタッフのみなさまに心より感謝致します。