生きる希望を支える
永寿総合病院 土田 勝彦
人は、意味を感じないでは生きていけない存在だといわれる1)が、希望なくしても生きていけない存在だと考える。希望は、どんな状況でも存在し、最期のときまでもち続けながら生きているのだと考える。そして、自分の症状や死を受容していても、希望は存在するものであるということを、この研修を通して学んだ。
緩和ケア病棟での一年をふりかえり、患者・家族の思いを汲みとることが十分できなかったと感じている。看護師として、経験をつむことも大事だと思うが、専門職として、ケアに関する知識・技術を習得し、症状コントロールに精通している必要があると痛感している。また、生きる希望を支え、見出せるよう関わることが、ホスピスの原点と考える。
患者がホスピスに入院し、症状コントロールできると、再び生きる喜びや希望を見出すことが多いと思われる。その時に、家族と過ごす時間を大切にしたり、やり残したことや今やりたいことをして過ごされる方もいる。その時は、患者やご家族にとっても、またスタッフにとっても、意味をもつよい時期になると思われる。以前入院した患者で下半身が麻痺し、座位もとりにくく、臥床傾向の方が水彩画を趣味にされていて、もう描くことは難しかったため、前に描かれた御品を病室に持ち込まれた。御自分の絵を眺め、訪室するスタッフヘいろいろと説明してくださった。そして、ぜひ緩和ケア病棟以外の職員や患者にも、見ていただいたらどうかと本人と家族に話し、緩和ケア病棟の廊下に展示させていただいた。たくさんの方がご覧になり、御本人もリクライニング式の車イスで、壁にかかった御自分の絵を見ることができ、とても喜んでいる姿が印象的だった。その絵は、数点を除き御本人が亡くなられた今も、飾らせていただいている。自分の描いた絵を、私達に解説してくださる表情や、展覧会での喜んでいる姿から考えると、患者にとって、家族にとっても、よいひとときが過ごせたのかと思える。
しかし、やりたくても身体がうまく動かせなかったり、体力がひどく落ちていたり、またその気力が残っていない場合もあり、現実的に本人の望んでいることが、実現困難なことも少なくない。このような場合は、十分患者の思いを傾聴し、尊重しながらも、今できることを一緒に考えていくこと、そしてその希望を実現するために、できるだけのお手伝いをすることを話していくことが大切であることを学んだ。終末期患者は、病気になる前と生活が180度変わってしまうといっても過言ではない。それは、身体的な事に加え、日常生活環境、社会的環境、人間関係などが変化し、今まで続いてきた人生観、価値観が崩れてしまう人もあることからも言えることである。そして今まで大切にしてきたものや、大切にしていこうと思っていたもの等、さまざまな希望を手放していくことにもなる。これが喪失感、無力感、絶望感となり、生きる意味、存在の意味を見失ったり、虚しさを覚えたりして患者は苦悩する。このような状況におかれた患者の生きる希望、存在価値を見出し、支えていくのがチームであり、看護師の役割であることを多くの先生方からの講義や体験談から学ぶことができた。
1. 苦痛の緩和
患者の多くは、痛みやがんに伴ういろいろな症状に苦しんでいる場合が多く、自分らしさを失っていることが少なくない。また患者によっては、人間らしくないと感じている方もいる。患者は苦痛がとれないと、他のことが考えられず、先へ進めないことが多い。言うまでもなく、看護師は医師と同様に、症状緩和に関する知識と経験が必要であり、特に症状と薬の効果についての観察は、重要な役割であると考える。また、十分な症状コントロールは、患者本人の主体的かつ積極的な参加が必要であると学んだ。今までの我が国における医療は、パターナリズムとお任せ医療そのものであり、これからの医療は、あくまで患者中心で、医師や看護師、コ・メディカルスタッフ、その他のスタッフのサポートのもと、患者・家族が主体性をもち、治療・ケアを進めていくものであることを学んだ。そして、私達がもっている情報は、聞きたい時に提供するし、私達と一緒に考え、協力しながらやっていきましょうというような説明が必要であることを確認することができた。
症状コントロールに、薬物療法が大きな役割を占めることは事実である。しかし、薬物療法のみを重視してはいけない。患者や家族は、薬物が効かなくなった時に、あとは何もやることがないという気持ちになり、希望をもてなくなる場合もある。看護師は、苦痛をとる日常生活を考慮した方法を提供するなど、工夫しなければならないと考える。患者は自分達で、考え工夫したことで苦痛が緩和できれば、希望をもつことができ、セルフケア能力を維持、改善させることにもなる。また、看護師との信頼関係を育むことにもなる。看護師は、患者と関わる時間が長い。常に患者の小さな状態の変化を見逃さず、こまやかな配慮を行い、症状コントロールに関する情報を他のスタッフと共有し、必要に応じて他職種の協力を得られるよう、調整を行う必要があることを学んだ。
2. 日常生活の援助
日常生活の援助として、患者が安楽に生活できるように、その人にあった形で援助を行うことは、終末期に限らず同じである。末期がん患者は、全身状態が悪化し、体力が衰えていく場合でも、最期まで自力で行おうとする傾向が多いようである。特に排泄行為は、他人の手を煩わせたくないという気持ちが強く、患者にとっては苦痛を感じることが多いようである。そのため看護師は、セルフケア能力を維持できるように、専門的な知識・技術、自らの工夫によって援助していく必要があると考える。患者は、日常生活へのニードが満たされていることでも、十分に生きる喜びや意味を見出すことができると考える。また、末期がん患者だからといって、過剰な介助はかえって、自立心を削ぎ、その人らしさを失わせてしまうことにもなるし、体力の低下につながることもある。ケアについては、看護師サイドから必要な状況を提供し、患者と相談しながら、理解・納得した上で行うことが大切である。看護師が、患者にとってよいことだと思い込みで行うことは、本人にとっては、確認をしなければ、それを望んでいることかどうか、また本当に自分のことを考えてくれているのかという疑問さえも感じさせてしまう可能性があるので、注意しなければいけない。患者本人が主体的に行えるよう、また自己決定できるよう援助することが、自分を一人の人間として尊重してくれていると感じ、患者とスタッフ間の絆を強くし、真の信頼関係を築いていくことになると考える。もしどうしても患者の希望にそえない場合は、行えない理由やいつならできるのか、どこまでなら行えるのかを、明確に伝えることが必要である。信頼関係が築けていれば、患者は理解、納得できる。また、できるかできないか分からない事や、明らかにできない事に対して、患者に期待をもたせてしまうと、できなかった場合の失望は大きいと考えられる。さらに患者自身、何もできない存在で、望み一つかなえられない人間なんだというような思いをもたせてしまう可能性がある。事前にできない場合のことや、できないと分かった時点で、速やかに説明する姿勢が重要である。末期がん患者にとって、一日一日がとても大切であり、明日という日、またという時が訪れない可能性が多いと思われるので、患者に対し、どんなことがあってもあなたのケアを途中でやめることはないということを受け止めてもらえる姿勢で関わっていくことが必要である。多くの患者は、今の自分の状態を受容しながら、今自分ができることを考えみつめ、そこに生きる喜びや希望、存在価値を見出していると感じている。
3. 人間関係をつくるためのアプローチ
Joyce Travelbeeは、「コミュニケーションとは、人間対人間の関係を確立することができるようにし、そのことによって病気や苦難への体験を防ぎ、そしてそれに立ち向かうように病人と家族を援助すること、そして必要なときにはいつでも、これらの体験の中に意味を見出すように援助することを実現させるプロセスである」2)と言っている。コミュニケーションは、相手を知ろうとする基本的行為である。
患者や家族が、何かを話したがっていると感じたら、その場に踏み留まることが大事である。ベッドサイドに座り、リラックスし、ここに一定の時間留まりますという姿勢を見せることが大事である。つい答えられないような質間をされたらどうしようと思うと、足が向かない、話せないと思うこともある。しかし、患者は答えを求めない、ただ話を聞いてほしい、側にいてほしいという場合がある。また医療者は、次々に質問したり、患者の話に割って入ったりと、自分がしゃべりすぎて、患者の本当に話したいことが話せなくなってしまい、せっかくのチャンスをだめにしてしまっていることが多いように感じている。とにかく、「聴く」という姿勢・態度が肝心であることを学んだ。また、沈黙があるとつい何かしゃべろうとする傾向にあるが、黙って側にいることも重要な看護である。その沈黙の時間で、患者が自分の話や心の整理と、次の話への準備としての重要な時間となることがあると考える。そして看護師も、話の内容を整理し、何を不安・問題と思っているのか、何を言いたいのかアセスメントすることが重要であると考える。また、話の裏に真実が隠されていたり、本当の思いがあるなど、核心にせまっていない場合があるので、話が途中で終わってしまうようなコミュニケーションは避けるべきであり、患者が自分の思いの全てを語り尽くすまで、しっかり聴くことが大切であると学んだ。
患者の思いに共感することは、患者にとって自分のことを少しでも分かってもらえたという気持ちになり、自分を認めてくれていると感じたり、自分の存在を強く感じるのだと思える。それは、言葉につまったり、うまく表現できなくても、何か返そうとしてくれている、自分の思いを分かろうとしてくれている姿勢が、大切であると感じた。そして、患者の思いを否定せず、素直に受け止めることが大切であり、自分に寄り添ってくれていると感じることができるのだと考える。
また、言葉によるコミュニケーションだけではなく、ただ側に寄り添うこと、スキンシップをはかることも、大事なコミュニケーションの一つである。これもまた、私を一人にしないでみてくれている、辛いことが分かってもらえていると感じ、自分が大事にされていることが実感できれば、自分の存在を自覚できると考える。
看護介入を行うには、コミュニケーションは必要不可欠なものである。看護師は、コミュニケーションからアセスメントした問題に対して、看護介入及びその他の介入を考慮していく必要がある。
4. まとめ
研修をふりかえり、ヴァージニア・ヘンダーソンの「自らを知ることは、他人を知ることのはじめであり、自尊の念は、他人を敬うことの起訴である」3)という言葉を思い出した。看護師である自分が、自分のことをよく知らずに、終末期患者の看護ができるのだろうか。そして、患者の気持ちに、どれほど共感できるのだろうか。自分が自分の人生や生き方、家族や職業のことなど、どんなふうに考えているのか分かっていなければ、他人の話を素直に聴くことも難しいし、共感することなどできないのではないかと考える。人は自らをふりかえり、自分を見つめなおすことが、長い人生の時々において必要であり、大切なことだと痛感した。
終末期患者の希望について、キューブラ・ロスは「患者たちはみな最後まで、何らかの希望をもち続けた」4)と述べている。患者は、症状が悪化し、病気がなおらないと分かっていても、症状・状態がよくなることへの希望を、最期までもちつづけている場合が少なくない。看護師は、患者の言葉を否定せず、嘘をつかず、また安易な励ましは避け、そして生きる希望を支えていく必要がある。そのためには、患者としっかり正面から向き合い、患者への価値観を尊重していくことが重要であると考える。これは、医療者と患者だけではなく、スタッフ間でも大事であり、自分の価値観を他人に押し付けたりせず、相手を尊重し、価値観の違いを埋めていくことが必要だと感じた。
看護師は、患者の日常生活へのいろいろな場面に、長く関わる場合が多い。その関わりの中で、患者や家族に必要で適切なケアをアセスメントし、看護師の判断で直接ケアを提供したり、また、専門的な援助が必要かを判断し、スタッフ間に情報提供し、必要に応じて専門職へのアプローチを行い、患者・家族への包括的なケアをコーディネートしていくことが、看護の専門性につながるのかと考える。
今回の研修にあたり、忙しい時間をさいて講義に来ていただいた諸先生方、実習で大変お世話になった聖隷三方原病院のホスピス病棟のスタッフの方々、そして、研修を通してご指導いただいた神戸研修センターのスタッフの皆様、そして長い研修に送り出し、協力して下さいました病院の皆様に、深くお礼申し上げます。
「引用文献」
1) 鈴木正子「生と死に向き合う看護 自己理解からの出発(医学書院)」1994 Pl0
2) 恒藤暁「最新緩和医療学(最新医学社)」1999 P30
3) 徳永清「患者と看護婦の人間関係(真興交易医書出版部)」1996 P10
4) E・キューブラー・ロス「死ぬ瞬間(読売新聞社)」1994 P10
「参考文献」
1) アリソン チャールズ・エドワード「終末期ケアハンドブック 季羽倭文子訳(医学書院)」1993 P37. P122
2) 山崎章郎「ホスピス・ハンドブック(講談社)」 2000 P98〜99. P233〜240
3) 山崎章郎「ホスピス「質」生の声(講談社)」2001 P121〜122
4) 岡田美賀子「がん患者のペインマネジメント(日本看護協会出版会)」1999 P91〜114
5) 柏木哲夫「ナースのためのホスピスケアマニュアル(金原出版)」1992 P10〜16.P37
6) 恒藤暁「最新緩和医療学(最新医学社)」1999P3〜10. P30〜42. P175〜178
7) 「ホスピスケア22(ホスピスケア研究会)」2000 P8〜35
8) 「ホスピスケア23(ホスピスケア研究会)」2001