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人に沿うやさしさと価値観のすり合わせ
 大久保病院 岩間 蔦枝
 
はじめに
 
 茨城県において緩和ケア(ホスピス)としての設置状況は、まだまだ数値的にも他県に比べると非常に少ない現状である。
 当病院でも緩和病棟の開設は未定であるが、一般病棟におけるhospice minded care(ホスピスの心)としての受容度は高く、知識・技術と共に看護の質をより高く求められていることは言うまでもない。また、身体的・精神的にダメージがあるとしても、わずかな潜在能力をいかに引き出し、患者が望むように、また、家族が望むような最終章の「時間と空間」を、一般病棟でも提供して行かなければならない。
 当病院は、平成十一年に増改築を契機に、環境を重視した病院作りをし、結果病床の半数が個室となった。また、ターミナル期での看取りの看護も増えてきている。しかし、ハード面の改善は出来ても緩和ケアとしての症状マネジメント能力は、不足している。
 そのための緩和ケア(ホスピスの心)を提供する看護の役割を再認識するために本研修に参加した。そして、この研修で得た看護の専門職である基本ベースの「いのち」の重要性や、人(患者・家族・医療者も含む)との出会いから感性や価値観に触れ、看護の原点に振り返る事ができたことを以下に報告する。
―――看取りの体験から―――
[1]10年以上にも前になるだろうか19歳の双子の姉が胃癌で、手術はしたものの疼痛に苦しみ、腹部がカチカチになりながら亡くなられた。知識の薄さにただ沿うだけで最終的には、家族へのサポートも出来ず、疼痛へのコントロールも図れず看護婦としての役割も果たせなかった事を未だに悔やみ、心に残る事例であった。
[2]2年前には、私の友人の夫が定年を迎え、さあ、これから好きな旅行へ2人で行けると喜んでいた矢先、咳があまり長く続くため病院を受診した。結果「肺癌の末期」であった。手術も化学療法も家族は拒み、夫へは「癌の告知」もしないという選択をした。
 周囲の友人・親戚まで隠し通し、娘二人とその長女の夫達で耐えに耐え、家族共々苦しい死を迎えた。これで良かったのか悪かったのか、私自身自問自答しながら、結局、友人に問いかけできずに今もいる。
………私のつぶやき………
 看護婦だから「こうあらねばならない」「こうあるべきだ」と嘆いても、どうにもならないこともある。自己満足におごりと、専門職が故に自分の心に知識や技術、そして経験のオブラートがどんどん幾重にも重なり固くなってきている。
 人の「生き方」も様々で、看護職が故に人の「死に方」も目の当たりにしなければならない。常に自問自答である。
 
1、研修の動機
[1]終末期の看護にかかわるたびに自分の微弱を感じていたため、看護の集約だと考え参加した
[2]病院経営方針の中で必要性があり、基本理念を学び得るため
 
2、研修の目的
[1]パリアテイブ・ケアにおける患者・家族、看護の倫理、基本理念を学ぶ
[2]身体面の苦痛や、複雑な要因からなる苦痛の緩和に焦点を当てた緩和ケアの実践から学ぶ
[3]緩和病棟を立ち上げるためのチーム医療、保険制度、環境の提供・役割を学ぶ
 
講義の学び 自己研修目的との照合
 
(1) 緩和ケアとは
 緩和ケアは、病気の治癒・治療を目指した治療がもはや有効でなくなった患者に対する積極的な全人的ケア(total care)である。(1990年、WHOの定義)緩和ケアは、ホスピス運動から芽生えたものである。施設を目指すものではなく、患者のケアについての考え方を目指す言葉である。施設がなくても知識・技術そしてそれらを適用する人間性・アート(技)があればどこでも実施できるものである。その為の専門性やホスピスマインドをどう駆使していくかが重要な学びとなり、講義と実習の必要性を理解することができた。
 積極的な全人的ケアとは、弱っているように見える患者にも体力や気力、そしてその人の持つ潜在能力を患者が望むように引き出すことであり末期医療の最終目標であるといえる。
 細川先生は講義の中で「Cure(治す)とCare(癒し・治る)」を看護者は患者をどのように支えていられるかを臨床の場における看護者の構えとして示され、車の両輪であると述べられている1)。理論に基づく看護の必要性から人間性に通ずる感性・生き方を解かれ、実際の患者の言葉で全人間的に捉える事が何故必要なのか理解できた。
 科学的な看護(理論・知識・技術)と全人間的看護(生得的資質・科学知・経験知の統合)を両輪とし、どう支えて行くべきか、どのような支えがあれば苦難・病を乗り越えられるのか、私達看護者のあり方として生得的資質を生まれつき持っているものと説明されたが、私は人間性と捉えた。それは、その人(看護者)の持つ感性・価値観・温かい心・思いやる心・論理に通ずるものではないか。常に試行錯誤しながら看護の積み重ねの中で判断し実践しているが、知識・技術と共に幅のある人間性を身につけ、心豊かであるための感性の輝きをする努力を忘れてはならない。
 また、今回の実習を通して看護者の持つ人間性に触れ、知識や技術の前提に人間性(人を思う心)があるのではないかと私自身で捉えることができたことは、看護の実践者として大きな糧となった。もちろん患者の持つ全人間的に捉えることの重要性は決して忘れてはならない。当然これまで生きてきた患者の生き方が家族との絆・価値観・病気に対する捉え方や心理面・患者のニーズが表面化する事もあるだろうし、見えない奥底にあるものかもしれない。しかし、論理的に誠実に患者と向き合う努力・姿勢が必要であると学んだ。細川先生の講義の時に実際に来られた患者はこう言っていた。「実際の患者は勉強しています。自分の命が今どうなっているか、どの段階なのか。看護婦に質問しても答えられない、勉強して欲しい。そして日々の仕事に「創造と開拓」が必要である。」と私達看護婦に警鐘されているかのようだった。
 研修を終えた今も、「創造と開拓」を私の中で咀嚼しきれていない現状である。
 
(2) 看護の倫理を知る
 内田先生の講義では看護婦倫理規定によると基本的責任は掲げられているが、看護婦という専門職が故に各個人の価値観・習慣・精神的信念は尊重される。しかし、その価値観を職務上強要することがあってはならないと学び理解することができた。
 より倫理的な意思決定への準備として、私達看護者は選択に値する情報の提供や方法・知識が必要なのである。そのためのMSW(メディカルソーシャルワーカー)の支援も必要となるだろう。意思決定者はまず患者本人であることを念頭に置かなくてはならない。
 そして、患者と家族の意思の相違を私達看護者が埋める事はたやすいことではないが、強要せず支えとなりQOL(生活の質)が最期まで向上と志向できるようにしていくことが重要であると理解し、関わることが必要である。その中での基本はその人なりの人間性であり、より良いケアはその人の持つ人間性が表面化する事を覚えておくことも必要である。
 「私の看護」が科学的に説明できるためにも専門職として人間を対象とした実践・教育・研究に参加していく必要がある。そして、信頼関係の中での価値観のすりあわせができてやっと看護行為も成立すると考える。
 今回の実習の中で、面談の場面に参加させていただく機会があった。内田先生の講義の中でもインフォームドコンセント(以下ICと略す)の持つ重要性を学んだが、まだまだ当病院でも治療の同意を目的としたICの面談になっている。
 面談後の患者・家族は医師の説明だけでは十分な理解を得られていないのも現状でありICに伴う看護婦の役割は非常に大きい。それは、患者が医師の説明を十分理解できるよう、患者にとって最も良い自己決定ができるように支援する事である。面談に同席し、補足説明がいつでもできるようにし、衝撃を受けた患者・家族に対して早期に適応を迎えるように、新しい価値観を持って病気と戦える潜在能力の導きができる手助けを忘れてはならない。看護婦の役割は、患者を含む家族の人生を左右すると言っても過言ではない。
 
(3) 身体面の苦痛を総体的に捉える
 山形先生の講義では、がん患者が最期までその人らしく生きるためには、痛みから解放される事が不可欠である。患者には、痛みをコントロールする為に十分な鎮痛薬を要求する権利があり、看護者は自己の判断で痛みのコントロールをしてはいけない。権利・権限は患者にあり痛みの判断者は患者自身である3)と学んだ。
 適切な時期に適切な方法で患者の苦痛を取り除く事は非常に難しい事である。
 しかし、24時間患者のベットサイドにいる私達看護婦こそが症状マネジメントの重要なキーパーソンであり、そのことを十分に自覚して関わっていかなければならない。その患者が持つこれまでの痛みの体験や心理・社会的状況、家族サポートと身体的要因も含め、患者の痛みだけに焦点をあてるのではなく、総体的に捉えることが重要となってくる。そして、疼痛コントロールのWHOの三段階治療ラダーに従って除痛コントロールを行う事が重要であり、また、日々患者の状態は変化していることも忘れてはならない。
 今、その人にとって何が必要か、また、何が起きているかを直視し、感性や言葉の背景にある意味合いを感じ取れる心の豊かさを学び得た。そして本音でかかわること、さらに知識を認識に変え行動が起こせることが専門職だといえるだろう。
 実践行動が科学的根拠に基づいて倫理的側面からも説明ができ、患者と家族のQOLがたとえ死に向かうとしても最期まで「その人らしく」を目標に支えて行かなければならない。
 
(4) チーム医療・環境の提供
 緩和ケア病棟に限らず、現在の医療は患者・家族を中心としたチーム医療が最優先される。それぞれの専門分野を活かし、専門性を統合させ患者のニーズにあわせていかなければならない。そして、役割認識を持ち共通の目的を共通の理解の中で取り組んでいく必要性がある。また、ハード面の提供の中、その人の最終章を「その人らしく」が維持できる環境をチーム全体でアプローチしていかなければならない。
 
おわりに
 
 ターミナル期だからこそ、心・身体・人生の意味もすべて突きつけられる。
 「専門職」だから求められること、そして私の「いのち」と対象の「いのち」が向き合うためには、私の中の看護観(基本べ一ス)である人生観が求められるのではないか。
 一般病棟においてもそれは同じである。人間性や価値観そして感性への基盤作りにも今回の講義・実習は学び得ることのできた非常に大きな収穫であった。
 
今後の課題
 
1 緩和ケアとしての継続教育
 看護倫理・看取りの看護・看護者としての基本姿勢
2 症状コントロール
症状アセスメントスキルアップ
そして、実習ではお忙しい時間の中、丁寧に指
導して下さった職員の皆様には心から感謝致します。
参考文献・講義から
1) 細川順子:臨床の場における看護者の構え
2) 内田宏美:看護倫理
3) 山形謙二:症状コントロール(疼痛)
4) 末永和之:ひとひらの死 近代文芸社
5) 季羽倭文子:がん看護学 三輪書店
6) 武田文和:緩和ケアにおける症状観察コントロール 財団法人 ライフ
7) 田村恵子:緩和ケア
8) 恒藤暁:細心緩和医療学 最新医学社








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