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「その人らしく生きる」ためのケア
 国立病院四国がんセンター 中岡 初枝
 
はじめに
 
 人はいつか亡くなる。その人がその人らしく生き、その人らしく死を迎えるとはどのようなことであろうか。また、人が人として当たり前に望むことを、当たり前のこととして自然にかなえる為には何が重要だろうか。まず、医療者としてケアを提供する場合、考えられることはQ O Lの保持であり、患者・家族の身体面及び心理面の状況に応じた援助が重要だと思う。そのケアは全ての患者に必要であり、行わなければならない。なぜ、ホスピス・緩和ケア病棟は必要なのだろうか。しかし、緩和ケア病棟であれば、患者はその人らしく残された時間を生きることができるのだろうという思いもある。ただ、その思いは漠然としたものであり、説明できないものであった。
 今回、この研修を通して、一般病棟と緩和ケア病棟の違いを理解し、緩和ケア病棟の実際を知ることができた。また、緩和ケア病棟の在り方について、数多く学ばさせて頂いたことを報告する。
 
研修課題
 
1. ホスピス・緩和ケアについて基本的知識を理解し、患者がその人らしく生きていける援助方法について学ぶ。
2. 終末期患者及びその家族とのコミュニケーションスキルについて学ぶ。
3. 終末期患者及びその家族にとって悔いが残らないよう、問題解決の方法を学びケアが提供できる。
4. ホスピス・緩和ケア病棟におけるチームアプローチについて理解する。
5. 人はいつか亡くなるため、その人の人生に関わった者として、プラスとなる看護を提供できるよう人として看護婦として自己を見つめなおす。
 
研修での学び
 
[その人らしく生きる援助方法]
 日々体調が変化していく終末期患者にとって疼痛コントロール・症状コントロールはとても重要なことである。身体的苦痛を緩和しなければ、精神的安楽なケアを行うことは不可能である。また、一つ一つのケアは、医学的根拠に基づいた適切な判断と知識が必要であり、患者・家族が納得した上で提供することが大切である。
 実習中、驚いたことはリンパ・マッサージであった。私は今まで、四肢のリンパ節腫脹に対し、挙上することしか行っていなかった。しかしそのマッサージは、ただ手を滑らせることではなく、皮膚から0.7mm下にあるリンパ管を指で開き、押しながら大きなリンパ管に向かって流していくというものであった。患者の腫脹による苦痛に対し、物理的に行うしか方法はなく、リンパ液を流すことで腫れを少しでも減らし、痛みの軽減につなぐというものである。マッサージは最初から最後まで、なめらかに行われていた。それを見た時、すべてのケアはこの「温かい手」と「医学的根拠」が基本だと思った。
 緩和ケアの最終目標は患者・家族にとって、できる限りQOLを高めることである。体調が日々変化していく終末期患者にとって、日常生活(睡眠・食事・排便)のコントロールを維持することは重要であると感じた。また、口腔ケアも口臭に気をつけ、適宜十分なケアが必要であると改めて思った。
 実習中、臨死状態の患者は喘鳴もなく浅い呼吸の中で、傍にいる家族は皆、患者に語りかけ手を握り足をさすっていた。そこには、家族との別れの時間が静かに流れていて、確かに患者はその人らしく生きていると感じられた。
 現実に襲ってくる死に対し努力して生きるのではなく、その人がその人らしく最期まで生きていくことができれば、死は襲ってくるものではなく自然に訪れるものであると思う。そして、その人がこの世に存在したということは、必ず誰かの心に残ると感じた。
 
[コミュニケーションスキル]
 「ドアノブコメント」という講義内容が印象的であった。患者が診察室を出ていく時に、ドアに手をかけながら言うコメントで、真の意味が含まれていることが多いというものであり、実際目にする場面である。これを見逃すのも見逃さないのも私達医療者であり、受け止め方によって信頼関係は左右されると思う。このことは、日常の患者とのコミュニケーションでもいえることであり、どれだけ関心をもって聞けているかということだと思う。また患者が話しやすい雰囲気をつくる為に、それにふさわしい環境を整えることも必要だと改めて思った。そして、言葉にならない時は無理に言葉にする必要はなく、目の前にいる患者自身のことを思う沈黙が大切だと感じた。実習中、患者が「自分の言葉は分かりづらくて伝わりにくい。」と言われた。私は特に分かりにくいとは思わなかったが、傍にいる看護婦は黙って聞いていた。患者自身が伝わりにくいと思っていることは、事実である。それを否定するわけでも肯定するわけでもなく、受け止めて受容するということの大切さを改めて感じさせられた。
 私は患者に対し、援助の気持ちから「何か困ったことがあれば言ってください。」と言うことがある。しかし反対に、対応に困った時にも使っているかもしれないと思った。緩和ケア病棟では、「何かお手伝いできることはありませんか。」と言う言葉が聞かれた。これは、患者に対し返事ができ援助ができると共に、患者を支えることにつながると感じた。
 
[問題解決方法]
 実習施設でのカンファレンスは患者の余命を週・日・時間単位でとらえ、今一番必要なケアについて検討された。それは現在だけのことではなく、先を見通した上で今何が重要であるかということであった。また、外来患者に対しても、問題を先送りにすることはなく、適切な対応をされていた。これらのことは、限られた時間を生きる患者・家族にとって、とても重要なことであると感じた。
 在宅で過ごす5ヶ条として「症状が落ち着いている(内服でコントロールできる)。地域で診察してくれる医師の協力がある。緊急入院できるベッドの確保。家族の協力(できれば二人以上)。本人が在宅の意志をしっかり持っている。」ということであり、これらの一つが欠けても成り立たないということや、3つの大切なこととして、「オープンなコミュニケーション(家族間で小さなことでも意識的に全て話す)。本人が希望する気持ちや目標をしっかりと持つ。日常生活(睡眠・食事・排便)の維持。」ということを外来で適切に指導されていた。また、在宅電話サービスにより、医療者側は患者の状態・問題点をタイムリーに把握し対応すると共に、緩和ケア病棟と常に連絡がとれるということで、患者・家族に安心感を与えていた。
 患者の訴えに対し原因を明確にする場合、まず傾聴し、患者の訴えを理解して、スタッフ間で検討することにより問題点が明らかになった。次にその人の活用できる資源について意見が出された。そして医療者と患者側のズレを無くす為に、患者が問題と思っていることに対し、一つ一つ医療者ができることを行うことで、問題解決につながるということが良く理解できた。このような意見が出される為には、緩和ケア病棟に対するスタッフ間の共通の理解が必要だと思った。
 また、患者中心の看護ではなく、患者・家族を一単位としたケアを行わなければならないということが理解できた。家族に対し、患者の残された時間を家族が納得できるように対応することが大切である。患者・家族が意志決定できるように働きかけを行えば患者・家族共、後悔することなく、残された時間を大切に過ごすことができるのではないだろうか。その為にはまず、患者・家族をありのまま受け止め理解することが重要である。決して医療者側の価値観で判断するのではなく、患者を含めた家族が、家族全体を大切にしていくことができるように、看護を行う必要があると感じた。
 
[チームアプローチ]
 実習施設では良いチームアプローチがとれていた。医師・看護婦間ではカンファレンスにおいても対等に意見が出され、一日の流れの中でも患者・家族のケアを一緒に考えていくという姿勢であった。そして、看護助手やボランティアは直接患者との関わりはないが、看護助手は「合同カンファレンスに参加することで患者の状態が分かる。また、医師や看護婦は一生懸命患者に対応しており、亡くなる患者に対し良かったという達成感がある。」と言われた。そして、ボランティアは「別の病院で家族の付き添いをしていた時、自分の泣く場所は病棟の汚い台所であり、そこで泣いているとみじめになった。だから私達は、家族にそんな辛い思いをさせないよう心がけている。その結果が掃除という形である。」と言われた。また、別のボランテイアは「患者の為にやってあげようと思えば続かない。そこには傲慢な思いがあり、その思いは必ず患者に伝わり自分に返ってくる。」と言われた。在宅電話サービスの方は「患者を支えるというこの仕事に携われ、とても感謝している。」と言われた。スタッフ全員、常に患者・家族のことを考え一つにまとまり、同じ方向でケアを行っていると感じられた。
 チーム内での連携がとれ共通理解のもと、患者・家族をケアするということは、とても大切だと改めて感じた。何の為に緩和ケア病棟があるのか、スタッフ全員が理解していることが重要である。質が良いか悪いかを決めるのは患者だと思った。
 
[プラスとなる看護の提供]
 人により価値観は違う。それは患者・家族においてもスタッフにおいてもいえることであり、一つの事柄を、決してその場の自分の感情で決めつけてはいけないと思う。また、平等であるということも人それぞれの価値観によって左右される為、とても難しいと思う。だからこそ倫理原則に基づいて、最も大切な価値を基本としていくことが必要である。
 私は今まで、「患者にとって良い」という自分の価値観で看護を行っていたのではないだろうか。今後、患者の全ての事柄は事実として患者の価値観で受け止め、その事柄の意味を判断し解釈していかなければならないと思う。その為にも、私自身の感性を磨いていかなければならない。そのことがスピリチュアルにも関わると思う。また、感じる心を持たなければ、患者・家族の状態や心情など何も気づかずに過ごしてしまうと思う。
 「人」を理解するということは難しい。まず、自分と向き合い、今ある自分自身を見つめなおさなければならないと思う。その上で、小さな当たり前のことが当たり前にできるよう、大切なものは大切にすることができるような人であり看護婦でありたいと思う。
 
今後の課題
 
1. 医学的根拠に基づいた症状コントロールの知識を広げると共に、適切な判断のもと、患者・家族が納得したケアを提供していく。
2. 患者・家族及び医療チーム全体の中で、感情に流されず自分自身をコントロールし、専門家として良好な関係を築き、成長していく。
3. 今回の研修での学びを、当病院の緩和ケア病棟設置に向けて確実に提供して行く。
 
おわりに
 
 一般病棟でも症状コントロールは行わなければならない。また、患者のケアと同様に家族のサポートも行われなければならない。そしてがんセンターという当病院においては、がんと診断された時から緩和ケアは始まっていなくてはならない。これらのことは、当たり前のこととして提供されなければならないケアであると感じた。今後、当病院では移転による新病院建設に伴い緩和ケア病棟設置予定である。既存の病棟と同様に、緩和ケア病棟は必要だと改めて思った。そして、一番重要なことは、どのような方針で取り組んでいくかということであると思う。
 緩和ケア病棟とは、その人の残された日々が限られた時間であるという認識のもとに、ケアを提供していく場所である。結果ではなく日々の全てのプロセスが重要であり、結果そのものも変わってくると思う。そして、その時間の流れの中で、そこに関わる全ての人が一瞬一瞬の「今」に対し「これから先の時間」を見据えた上で、何が大切であるかということを念頭におき、ケアを提供していかなければならない。またそのことによって、その人らしく生きることができ、自然に死が訪れるのだと感じた。
 
参考文献
1) アリソン・チャールズ・エドワーズ:The Nursing Care of the Dying Patient―In the Midst of Life―、1983;季羽倭文子監訳:終末期ケアハンドブック、医学書院、1993
2) 丸口ミサエ:緩和ケア病棟オープン そのとき看護は、看護管理、VOL8(N01)、1998
3) 特別増刊号 緩和ケア―看護の考え方と方法―、臨床看護、VOL22(N013)、1996
4) 特集 臨床の場で必要な精神看護、臨床看護、VOL25(N04)、1999








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