緩和ケア病棟のめざすもの
みなと医療生活協同組合協立総合病院 宮原 智子
はじめに
私の勤務する協立総合病院では医療生協の病院として地域の組合員とともに地域に根ざした病院づくりを進めてきた。2001年10月病院の新築・移転とともに緩和ケア病棟(以下PCUという)が開設されることになり、現在は私自身も緩和ケアプロジェクトチームの一員として病棟の立ち上げの準備に関わっている。一般病棟の呼吸器内科で勤務しており肺がんの患者と向き合うことも多く「がん看護」には疼痛などの症状緩和のための専門知識が必要不可欠であるということと、自分の知識と力不足を感じていた。また「緩和ケア病棟」というときに「がん」だけがどうして特別なのかという質問を受けることも少なからずあるというのも現状で、それに納得できるこたえを準備できず心に引っかかるものを感じていた。そのような中で緩和ケアの研修に参加する機会に恵まれ、緩和医療の基礎・基本的理念の理解から多くの学びを得ることができ、私のめざす緩和ケアとPCUの役割について目標と方向性を持つことができたのでここに報告する。
基本的理念の理解
緩和ケアの定義(WHO 1990年)は「緩和ケアとは、治癒を目的とした治療に反応しなくなった疾患をもつ患者に対して行われる積極的で全体的な医療ケアであり、痛みのコントロール、痛み以外の諸症状のコントロール、心理的・社会的な問題、スピリチュアルな問題の解決が最も重要な課題となる。緩和ケアの最終目標は、患者とその家族にとってできる限り良好なQOLを実現させることである。」とされている。
PCUの開設にかかわるようになってから何度となく目にしてきたこの定義文だが、私自身はがんの終末期看護をターミナルケアと言っているが、緩和ケアとは言ったことがなかったことに講義のとき初めて気づいた。
ターミナルケアとは、日の単位から週単位の終末期医療をさす言葉で、時期を特定したものである。そして緩和ケアとは疾患のあらゆる時期とあらゆる症状に対するケアを定義したものである。ターミナルケアとケアの概念であるホスピス・緩和ケアとは同義語ではないのだ。言葉が違えば意味することが違う、定義が違えば行動が違ってくる。ケアの内容にも違いが生まれてくる。
緩和ケアの理念とは以下の6点に集約される。
1、生きることを尊重し、誰にも例外なく訪れることとして死に行く過程にも敬意を払う
2、死を早めることにも死を遅らせることにも手を貸さない
3、痛みのコントロールと同時に、痛み以外の苦しい諸症状のコントロールを行う
4、心理的なケアやスピリチュアル面のケアも行う
5、死が訪れるまで患者が積極的に生きていけるよう支援する体制をとる
6、患者が病気で苦しんでいる間も、患者と死別した後も、家族の苦難への対処を支援する体制をとる
歴史を振り返り知ったのは、疾病は治るもの傷は元に戻るもの、それを前提に医療は発展してきたということであり、その歴史の中で緩和ケアはいわゆる敗戦処理の医療として見られてきたということだ。しかし現在では医療・社会・患者の変化によって診断の早い時期からでも緩和ケアを受けることが望まれ、他の治癒不可能な慢性疾患にも緩和ケアの考え方を生かすことが求められるようになっていることが理解できた。
症状マネジメント
がんの診断時に、すでに痛みが存在している患者は20〜50%であり、進行がん全体では75%の患者に痛みがある。ほとんどのがん患者に痛みがあるかいずれ出現するといえるし、80〜90%が除痛できるものでありコントロールすべきものであるにもかかわらず日本の平均除痛率はがん専門病院でも58%といわれる。
病棟でのがん患者の表情は堅いという印象がある。病棟のすべての患者に疼痛コントロールができているとはいえないのが現状であり、なんとかしたいというスタッフの共通の思いがある。それをうけて私の今回の研修目標のひとつがペインマネジメントであった。MSコンチン等オピオイド鎮痛薬の評価が十分にできず、評価できないのに検温のたびに痛みについて問うことに後ろめたさを感じることさえあったし、表情をみれば痛みの程度もわかると思っているところがあったことも否定できない。
「痛みは、いつも主観的なものである。……いつも不快な体験であるため、痛みは常に感情体験となる。」と定義されている。痛みは感じている本人にしかわからないし、他者が判断してはいけないものである。痛みの程度の判断は患者自身に委ねなければならない。現在病棟で問題なのは痛みについてただ聞いているだけで目的を持っていないということだろう。薬の効果出現時間や最大効果時間などの知識が必要であり、効果があるのか判断するという目的を持ってペインスケールチェック後のアセスメントをしていかなければいけない。患者自身に症状マネジメントの主役になってもらう、看護婦の主観でだけで患者と患者の症状を判断してしまわないようにチームを組んで評価し、評価の結果を患者と共有していくことが大切である。
「痛みのコントロールとは、痛みの軽減ではない。痛みの消失である。痛みの消失が維持され、日常の生活に近づくことである。」患者ががんの痛みから解放されるとき、患者のQOLは高められ、希望を支えられることを学んだ。
チームアプローチについて
聖隷三方原病院ホスピス学習での学びより
<MSW>
758床に6名のMSWスタッフのうち、27床のPCUに1名の専属がおかれていた。入院相談から死亡までのなかで、経済的な問題だけでなく遺言状の作成相談や自宅の処分などさまざまな相談にかかわっていた。
MSWがチームとしてかかわることのメリットは何なのか、率直に聞いてみた。その人にとって一番力になってくれる人だったら誰でもいい、しかし一番世話をしてくれる人にはさらけ出したくないこともあり役割を変えることのほうが患者・家族とも楽なこともある。経済的・社会的な問題へ一歩踏み込むことはリスクを背負うこと。そして何よりPCUでの相談には緊急性があるということだった。患者の病状を一番知っているのは患者自身とも言える「どうしても今日のうちに話がしたい」と相談を希望した患者は、明日にはその命を終えているということもあるのだ。
時期を逃さず患者の要求にこたえられるように、緩和ケアチームを組むことを目指していかなければいけない。
<栄養科>
各病棟にも栄養士はチームとして配属されているシステムのなかで、PCUだけは栄養士によって配膳され、患者にじかに触れ、希望食への対応がされていた。食事は、患者の日々の生活を豊かにし、生きていることの楽しみを実感するものである。そしてPCUは「生きること」を支える場所であり、食をささえるためには、専門家である栄養士とチームが患者のために大きな力になることが理解できた。
<ボランテイア活動・レクリエーションのかかわりから>
七夕の行事には参加できなかった患者の病室へ、笹と季節感をもたせた菓子をもって回った。笹を背景に家族との写真に笑顔で収まる患者も多く、いつもはあまり表情もなく寝たきりの患者の満面の笑顔に出会ったときには、そこにかかわれた喜びを私自身が感じることができた。日常生活の中に刺激と喜びを持たせるためケアの一環としてレクリェーションを計画していくことの意味を患者から学んだ。
<チームアプローチまとめ>
看護婦はコーディネーターとしての役割を持っている。システムや資源は施設によって違い比較することはできないので、今ある資源や人材をどのように有効に使っていき、チームとしてコーディネートしていくかをまずは考えなくてはいけないだろう。お互いの不足部分を補い支えあうことができるのがチームである。患者のためによりよいケアの提供ができて、患者が満足できること、そのために専門家の力が必要になるなら他職種に働きかけてチームとしての実績を積み上げていこうと思っている。
患者の自己決定と家族を支える
<事例より>
症状緩和の方法のひとつにセデーションがある。酸素吸入だけでは緩和されない苦痛の中で持続的な深い鎮静を受けた患者だった。医師と患者の間でセデーションの日時が決められた後、患者・家族がセデーションを安楽死として受け止めていたことがわかった。
社会に広がる医療情報も多い。患者自身のインフォームド(情報を得ている)は入院前にできていることもある。看護婦にはその思い込みもあり患者・家族への介入が遅れた事例だったといえる。
患者がセデーションを希望するとき、そういう声を聞くときはかなり切羽詰った時期であることを理解しなければいけない。どのように眠りたいのか、いつ眠りたいのか患者の思いと病状についても十分考慮し適応を考えていかなければいけない。そこには双方向での情報の共有が必要であり。インフォームドコンセントとはそのプロセスの結果なのだ。そしてセデーションによって家族とのコミュニケーションも絶たれることは、家族の心にも影響する。安易なセデーションが実行されないように倫理的な検討も必要である。苦しんでいる患者の状態と患者の望みが家族にも理解されるように、患者と家族を一単位として医療者がかかわりを持つことが重要になる。もし、そうしてもなお家族が理解されないなら、そのような家族関係をつくりその中で生きてきた患者自身の責任なのかもしれない。
今回の事例では、医師に任せて看護婦が十分なかかわりをしなかったことで家族のグリーフワークにどのように影響したのか不安が残る。
PCUの役割
症状悪化から在宅での生活に限界を感じPCUで自分らしく生きぬくという目的を持って入院を希望する患者がいる一方で、自分がどうしたいのか良くわからず他者に勧められるままにPCUを希望する患者もいるのも外来で見た現実だった。
ケアとは、患者の求めていること、患者に不足することに対する援助であり生活の支援である。患者自身がPCUになにを求めているのか、入院目的がはっきりしていなければ、ケアに対する満足も得られないのだ。私たちは何をしていく人なのか(緩和ケアの理念)、何ができるのか、どんなサービスが提供できて、どこからはできないのか、それらを伝えていかなければいけない。おまかせの医療から、自己決定の医療へ、患者自身が自分の生き方をみつめていかなければ医療に対しての満足も得られないだろうし、医療者はそれをささえる役割も担わなくてはならない。
緩和ケアは、医療者側がやれているといって評価するものではない、患者・家族が「緩和ケアがうけられた」と満足して初めてPCUは評価されるのだ。
緩和ケア実践のためには
がんの病態とがん進行のプロセス、医療の発展の中で見過ごされてきたがその歴史が、緩和ケアという概念を生んだ。しかし、がんに限らずこれからの医療の中で患者のQOLを維持していくことは課題となってきている。
がんだけが特別なのではない、がんの疾患としての特殊性がPCUを必要としてきたといえる。しかしすべての病棟で緩和ケアが受けられるのなら将来的にはPCUは必要なくなってくるのかもしれない。
私たちは、健康に自分らしく生きる権利とともに、自分らしく死を迎える権利を持っている。しかし死と人生について分かち合い、かかわりきるということは、誰にでも簡単にできることではない。十数年前、看護婦になったばかりのころ、患者の死亡のとき看護婦は泣いてはいけないと教えられ、そのためにはどこか機械的になるしかなかった。現在私は患者の最期に立ち会うとき、その人の生きてきた歴史の一部分にかかわれたと受け止めたいと思っている。最期の瞬間を迎えたそのあとも、人間として家族とのかかわりを持たせていきたいと思っている。患者・家族と看護婦が人間として向き合うためには、精神的な強さと自己成長が求められ続けるのだと感じている。
そしてプロジェクトチームで確認したいことは、PCUでは知識・技術を高めそこから広めていく。すべての病棟で緩和ケアがうけられるためのよいケアのモデルとなる。ということだ。
おわりに
私の勤務する医療生協・病院での医療活動は、「患者の権利章典」が基礎になっている。患者には、闘病の主体者としての権利と責任があるというもので、それは〈知る権利〉〈自己決定権〉〈プライバシーに関する権利〉〈受療権〉〈参加と協同〉である。その実践としてがん告知やカルテの積極的な開示をおこなっている。共有をキーワードに行動を起こしてきた結果、どのスタッフもカルテは患者自身のものだと理解しているし、記録の中身も変わってきた。今では当然のことのように感じているこの「患者の権利章典」のよさを再認識するとともに、緩和ケアにおいてはあたりまえの小さなことが大切だと知った。そして、これに足りないものを付け加えるとすれば“その人らしく死を迎える権利”ではないかと考えている。PCUでは、この権利の実践のためのケアが求められる。
ナイチンゲールは「どんなによい看護をたくさんしたとしても、……あなたがそこにいるとき自分がすることを、あなたがそこにいないときも行われるよう管理する方法を知らないならば、その結果は、すべてが台無しになったり、すっかり逆効果になったりしてしまうであろう」と述べている。看護婦の力量の差を補うのが基準などのシステムである。PCUでの良いケアのためのシステム作り、それにかかわる責任の重さと同時に喜びも感じている。
引用文献
1) 世界保健機関編(武田文和訳)がんの痛みからの解放とパリアティブ・ケア 1993 金原出版
2) フロレンス・ナイチンゲール著(湯槇・薄井・小玉訳)看護覚え書 1968 現代社
参考文献
1) 岡田美賀子 梅田恵 桐山靖代 編集・執筆 がん患者のペインマネジメント 1999 日本看護協会出版