研修を通して感じた事
日本鋼管病院 矢崎 啓子
今回、上司に勧められて、この研修に参加したが、始まるまでは、緩和ケア=ターミナルケアという考えであったように思う。しかし、研修が進んでいく中で、まず、ターミナルという時期に限らず、もっと早い段階からの関わりであることがわかってきた。そして、その関わりには、専門的なプロとしての自覚と、知識が必要であり、一人で頑張っても成り立たないことがわかってきた。そして、私が一番大事にしていきたいと思ったのは、その人の心の叫びである。または、その人の気持ちを代弁する家族の想いである。そう感じたことをここに一つずつ文章に残して、改めて思い返してみたいと思う。
1) プロ意識
まず、私にずんっとのしかかったのは「プロ」という言葉だった。なぜ、看護婦でなければいけないのか、看護婦でなくてもよいこととは何なのか。正直なところ、こんなことを考えたことはなかったように思う。私たちは、目の前にある症状と、自分の持っている知識を合わせて、根拠にもとづいた看護技術を提供することができる。だから、看護婦でなければならないことがある。そう言われてみれば、普段の仕事の中で、検査のお迎えひとつにしても、看護婦に頼むときヘルパーさんに頼むときと、自然に分けていることを思い出した。知らず知らずのうちに判断していたようだ。しかし、こうして、しらないうちにやっていること、ここに意味があるのかと改めて考えさせられた。「根拠」であると思う。こういう症状があるからこうしよう―、ではなくて、そうすることにどういう理由があるのか。きっとこれも、知らず知らずにうちにやっているのだと思うが、これは、看護婦としてとても大切なことであると思う。だったら、知らず知らずという言葉の前に、その大切さを頭の中に留めておこうと思っている。また、プロとして大事なんだなと思ったことの中に、患者さんのセルフケアの能力を最大限に生かすということがあると感じた。
患者さんの今ある力をもっと引き出し、補うところに力を貸す。そのためには、どんな力を秘めているのか知らなくてはならないし、知るためには、患者さんとじっくり付き合っていくことが必要だし、その力を認めることも大事だと思う。でも、一番大事なのは、力を貸すところと、貸さなくてもいいところとを見極めるプロとしての判断力ではないかと思った。これは、いろいろな場面で必要とされるだろう。これも、言葉でいうのは簡単である。特に、私は、プロ意識が薄かったと、この研修に来て感じたくらいなので、私にしてみれば、これはすごい課題であるように感じている。
2) チームワーク
チームといわれて、まず、思いついたのが、病棟のスタッフと医師たちであった。そのあと、じっくり考えて、思いついたのが、リハビリの先生たちである。でも、もっともっとよく考えると、栄養士も、ケースワーカーも、他科の先生もチームメンバーがたくさんいる事に気づいた。私たちは、大勢の目で患者さんを見ているんだということをここにきて実感した。でも、そういう意識は、お互いに低いように思う。だからというのもおかしいが思いやりに欠ける部分があるように思う。目標は、患者さんのためになんとかしたいという、同じところにあるはずなのだから、それぞれのアプローチの仕方は違っても、もっと、近い距離に感じてもいいはずだなあと思い直した。でも、これは、病院全体の問題もあるかもしれない。それにしても、看護婦は、チームの中でも、橋渡し役的存在であると思う。せっかくそういう立場にありながらも、歩み寄ろうという気持ちが私には薄かったように思う。そして周りにはそういう助っ人たちがたくさんいるのに、いろんなことを一人で背負い込んでいたようにも思ったし、また、周りの人にもそうさせていたかもしれない。これでは、自分ばかりと感じて潰れてしまうし、いじけたくもなる。そうならないためには、まず、それぞれの専門の部分をはっきりさせること。これは、講義の中でもあったと思うが、本当にそのとおりであると感じた。そして困ったときに相談ができるという安心感があることと、ねぎらいの言葉、気持ちであると思う。どこかのホスピスで、患者さんが休まるところであると同時にスタッフの心も休まるところ、というような所があったと思うが、それを聞いたとき本当にそのとおりだと思った。理想である。まずは、働いている、私たちから、居心地がいいなあと思えることは第一条件だと思う。そのためには、やはり、お互いの思いやりは欠かせないだろうと思う。これは、私の気持ちひとつでできる事なので、肝に命じて、今仕事をしている。
3) スピリュアル
この言葉は初めて聞く言葉だった。今だに、わかったようで、わからないようでというかんじである。難しいような、そうでもないような……、スピリチュアルペインの講義の中で、田村先生に実習の中でスピリチュアルな経験はなかったかと質問をされた。少し、迷って、七夕の話を思い出した。受け持ちの患者さんが、七夕の短冊に何を書くのかという話になったとき、天国の両親の元へちゃんといけるようにお願いをするという話になった。そのとき私は、なんだか言いようのない切ないような、胸の辺りで何かがうずくようなそんな思いを感じた。このことを、話したところ、「いい体験をしましたね。胸がなんか変だったというのは、矢崎さんの魂に響いたんでしょうね。」というお話だった。私には、この、田村先生のお話それ自体が心に響いた。そうか、あの時、私の心は、患者さんの気持ちに反応していたのかと思い、患者さんと、いい時間を過ごせていたんだなと改めて思うことができた。患者さんは、ちょうど、故郷に墓参りをしに行く予定ができなくなってしまい、その無念さもこの短冊には表れているようにも思う。仕事をしていく中で、治療をして回復して退院していく人も、もう、治療の手立てがなくて、悩み、苦しむ人も、その時々で、考えることも、感じることもさまざまだと思っているが、そういう想いに自分も近づけていけたらいいなあと思っている。学生のころ、「共感する」という看護目標をたてたとき、共感ってなんだろうと悩んだことを思い出した。その人の、本当の気持ちは、やっぱりその人にしか分からなくて、でも、その気持ちに近づこうという気持ちが大切だとそのときに感じたと思う。でも、その前に、もっと大切なことがあって、そういう気持ちをキャッチするアンテナは欠かせない。きっと、これは、看護婦だから大切とかそういうことではないだろう。これは、私がこの先生きていくのにうんと育てていかなくてはいけないものだと、そう思っている。
4) 演習を通して
この研修ではいろいろな楽しみなことがあったが、その中で、事例検討も楽しみの一つであった。訴えの多い家族との関わりについてだったが、とにかく、本当によく悩んだし、エネルギーも使った事例だったので、病棟のスタッフではない方たちからどういう話が聞けるかと思っていた。まず、訴えが多いことを身勝手な人だなと捉えていたことに反省。患者さんにしても、家族にしても、訴えてくるそこに答えが隠されているのだということに気づいた。そして、何度も同じことを言ってくる家族に対しても、同じことを繰り返してくるということは、たとえどういう人であろうと、基本的に、根本的な悩みが解決されていないんだなということを頭においておくということ。いろんな看護婦に同じような不安を話し、その都度誰かに聞いてもらうというだけで、一時的な解決にはなっているかもしれないが、もっと根本的なところを探ることができたらよかったのかもしれない。また、私たちが気にしているんだということも、もっと表現できていたら、少しは安心感につながっていったかもしれないと思った。演習メンバーの中には、逆に、何も言ってくれない家族との関わりで悩んだという方もいた。患者さんや、家族の方が、こうやって私たちに話してくることは、いろんな場面はあると思うが、ラッキーなことかもしれないと感じている。この人は、どうしてこういうことを言ってくるんだろうと感じることや、何を問題にしているんだろうと感じることを大事にしていきたい。また、こうして、事例を通して自分たちの関わりを振り返ることで、どこに改善点があるのか、どうしてこういう関わりをそのときしたのかなどと、思い直すことができ、今回は、いろいろな方の意見も聞くことができたのでとてもいい時間になった。後でになってから気づくことになって、なんだか悔しい感じもしたが、時間が過ぎた今だからこそ感じられることなんだと思うし、そこに気づいたことに意味があると思っている。特に、ターミナルの患者さん、家族との関わりについては、相手の限られた時間を思うとプレッシャーもかかり、今ひとつ踏み込めずにいたり、どうしようかと迷うことも多い。悩んでもそこで終わらず、次につながるなにかになるように、こういう時間をこの先も大事にしていきたい。
おわりに
こうして振り返ってみると、いろんなことに気づけた研修であったと思う。きっとまだあるように思うが、それにしても、かなりの収穫だった。きっと今の私には、必要な時間だっただろうし、出会いでもあったと思う。看護婦として大切なこともあり、なによりも、人として大事なこと、そういうことをたくさん感じることができたように思う。そして感じたことは、当たり前が大事だということである。普通が幸せということだった。多くを求めず、与えず、自分がこうして元気に暮らしているということを大事に思っていこうと、そう思っている。