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かけ橋としてのホスピス
 社会福祉法人信愛報恩会信愛病院 落合 宣子
 
1.はじめに
 
 近年、がんは様々の治療法が進み行われてきたが、日本人死亡者3人に1人の死因ががんとなり、年間28万人ほどが死亡、2020年には50万人ほどががんで死亡することになるだろうと予測されている。がんは慢性疾患といわれる時代になり、患者はがん診断時から終末期まで病気と向かいあいCancer Journeyとして生きることを余儀なくされる。そして終末期はどうありたいかを考え、積極的にホスピスや緩和ケア病棟を選択する人も多くなっている。
 現在緩和ケア病棟に勤務し4年半となるが、その間日々の実践や様々な研修への参加をし、経験を積み重ねてきたが、自分達のチームがやっていることはこれでいいのだろうか、他の施設ではどのようにやっているのだろうかと迷うことが多々あった。今回、この研修に参加し、多くの学びと志を共にする仲間を得ることができた。
 
研修の課題
(1) 自己の施設の活動について振り返りと評価をし、今後の方向性を見出す。
(2) 症状マネジメントについての知識と技術を学ぶ。
(3) ケアギバーのストレスに対するサポートの方法を学ぶ。
 
2.研修での学び
 
(1)チームアプローチ
 ホスピスケアにおいてチームアプローチは基本である。チーム員が皆同じ方向を目指し、専門性を持った職種が情報を共有し、一人だけの見方にとらわれることなく、患者の多様なニードに対応することが求められている。ナースは患者に起こっている問題、今後起こりうる問題も含めて的確にアセスメント、実践、評価ができそのケアに責任を持たなければならない。今日ホスピスにおいても入院期間は短縮の傾向にある。これは数少ないホスピスという資源をいかに有効に利用するかを考えた場合当然のことであり、短期間で患者が求めるケアをどれだけ提供できるかがポイントになってくる。チームとして何が求められていて何が提供できるのかを明らかにし、ナースはその調整役としてチームのリーダーにならなければならない。
 また、カンファレンスの場においては感情を入れず客観的な事実に基づいた意見の交流、および決定をしていかなければならない。
 
(2)症状マネジメント
 ペインコントロールに使用する薬剤は講義の中で説明のあったものはほぼ使用しているがどうしても解消できない痛みを経験することがある。そのような時には痛みの部位をさすり続けると幾分緩和してくる場合があるがこれはゲートコントロール理論に基づくものであることがわかった。痛みは主観的なものであり患者本人しかわからないので的確にマネジメントし除去に努めなければならない。
 モルヒネに関しては注射液がシリンジに入っているものが発売され、近々4%のモルヒネが出る予定とのことなので今以上に使いやすさが増し、需要も拡大することだろう。しかし、麻薬に対する知識が不充分だったり、あやまった解釈をしていることが患者のみならず、医療者にもあるなど問題はまだ残されているのでこのことは早期に取り組む必要がある。
 がん患者の多くは抑うつ状態に陥ることがあり、その時期や期間はそれぞれによって異なるが、うつ病を特殊なものとして考えるのではなく「心の風邪」としてとらえ、早目に兆候をキャッチし治療を開始することが求められる。また、終末期のケアにあたってはせん妄についての観察、対応も忘れてはならない。
 症状マネジメントの統合的アプローチ(以下IASMとする)の方法を学び、ケアの方向性を見出すことができた。IASMでは症状のメカニズム、出現形態を理解しアセスメントすること、患者のセルフケア能力を見極めそれがある時は活かすように、ないときは補うような計画を立てることが必要と述べられていた。私自身、患者のセルフケア能力についての分析をあまりきちんとやっていなかったので今後はそれらを組み入れたケア計画を立案したい。
 
(3)スピリチュアルペイン
 がん患者は死に至るまでに数々の喪失体験をする。それは家族にとっても同様の体験である。窪寺の「スピリチュアルペインの現れ」1)で示されているようにその内容は複雑多岐にわたり、特に終未期においては目前に迫る死と戦いながら、様々なスピリチュアルペインに向き合うことになる。私達は答を求められても返すことが出来ないことがほとんどであるが、患者が今その痛みに苦しんでいる事を理解し、寄り添うことが大切だと考える。そして、私達は自分の死生観を持ち、スピリチュアルペインを察知できる感性を養わなければならない。
 
4)家族援助
 ホスピスケアにおいては患者と家族を単一として考え援助の対象としてきたがこのことはかなり浸透し実践されてきたと思う。しかし、どこまでを家族としてとらえるかについては難しいものがある。たいていの場合同一世帯とか同居であれば家族と考えてきたが、今回、家族看護学の講義を受けて家族についての私の概念を変えることになった。「家族とは、絆を共有し、情緒的な親密さによって互いにむすびついた、しかも、家族であると自覚している二人以上の成員から成る集団である。」とのフリードマンの定義からすると家族のとらえ方も違ったものが見えてくる可能性がある。今までは家族なのだからこれをするのは当然だろうという私達の期待で家族に求めていたことが多かったが、このことは家族に負担を感じさせていたかもしれない。援助の方法として、目標を決定し家族が出来ることは家族の持つ力を信じてサポートしていくことが大切である。ナースは家族ではない、問題解決の当事者はあくまで本人と家族であるということを忘れてはならない。
 2年ほど前のことになるが、67歳の女性が終末期に在宅療養となったケースがあった。家族は脳梗塞で半身まひがあるご主人と長男であり、近所に住む長女が一日おきに泊まり介護を手伝っていた。長女も長男も非常に熱心に介護をされていたが、当初在宅での看取りは難しいとの考えであり、私達もそう思ったので、無理はせず具合が悪くなったらすぐ入院をということにしていた。しかし、毎日定期的に電話で連絡をとりサポートしていくうちに家族は次第に介護に自信をもち、看取りについて「自宅で看取りたい」という気持に変わった。日々の電話の内容から家族が変わっていく様子が手にとるようにわかり、家族の持つ力の大きさを実感したケースだった。家族は常に成長し、発達しており、総和以上の存在であるとの言葉通りである。私達はパートナーとして必要な時に援助ができるようにそばにいることが求められる。
 
(5)ケアギバーのサポート
 私はこの問題について何度も突き当たった。しかし、決定的な解決策はないまま今日にいたっている。誰でも多かれ少なかれストレスはあるのだから、ホスピスだけの問題ではないというのがおおかたの考えかたであり、そこの職場でどうすれば良いのか考えるようにとか、管理者の役割だろうと言われたこともあった。その度に自分が責められた。しかし、それだけでは解決できないものであり、サポートシステムとしてなくてはならないものであると思う。
 実習施設でも同じ悩みをかかえていたが、そこでは牧師によるカウンセリングや職場の学習会でストレスに対する対応などについて学び、サポートしていた。しかし、それで十分ということではなく、日々の中でお互いに気持をはき出す時間を作っているとのこと。
 以前、カナダのホスピスチーム心理療法士の話を聞く機会があった。この時の話の内容は以下のとおりであった。毎回苦しむ人を見ているといつの間にか自分の中に苦しみが蓄積してしまうことがあるので、誰かに話して心を空にしていく必要がある。スペースをあけておかないと次の人の話を聞くことができない。ケアギバーは与えることを常としているが、自分が傷ついた時はケアをしてもらえるということを忘れがちであり、これはある意味では危険であるとのこと。ここでは毎週1時間ケアギバーのための時間がとられており、誰でも参加できる。この中で参加者はこの1週間どんな喪失をしたか、どんなストレスがあったかを自由に話す。大切なことは必要な時に応じてもらえる時間があり、話す相手がいるということであり、これがケアギバーの安心につながるという。この話に私は大きくうなずいた。
 そして、もうひとつの手段として休暇があると思う。時間は気持を切り替えるうえでなくてはならないものであり、休暇は身体と心を癒す。旅行や趣味、研修などリフレッシュできるものなら何でもいいと思う。とりたい時にすぐに取れるかはむずかしいかもしれないが、なるだけクリアできるような人員の確保と体制作りをしていきたい。
 
3.まとめ
 
 1997年4月に来日したシシリー・ソンダース先生の講演での話を振り返ってみる。幸い私もこの講演を聞くことができ、とても感動したことを思い出す。先生はこの中で「かけ橋としてのホスピス」としての話をされた。かけるべき橋は沢山あったが私の心に残った4つについて述べる。「聴くという橋をかける」「痛みの研究に橋をかける」「家族に橋をかける」「地域に橋をかける」である。
 聴くということがいかにむずかしいかを年追うごとに感じている。患者、家族をあるがままに受け入れ話に耳を傾ける「傾聴に始まり傾聴に終る」という言葉の重みをかみしめている。
 痛みをはじめ様々な症状のコントロールは最優先にされなければならずその為には適切なマネジメントができること、さらに最新の知識と技術の習得をおこたらないことが求められる。
 今、私の中で家族への橋はとても難しいと感じている。1年前に亡くなった患者の家族から手紙が届きその中に私達医療者が良かれと思ってしたことが患者の意に反するものだったとのことが書かれていた。それは患者と家族の隔壁を取ろうとしてやったことだったが。1年を過ぎて言葉にした家族の心情を察するとあまりあるものがある。たとえ良かれと思ってやったことでも傷つけていることがあることを忘れてはならないということを深く心に刻んだ。
 最後の時を自宅で過ごしたいという患者も増えているが受入れる家族の介護力、経済力そして地域の在宅ケアを支えるシステムがどうかということがポイントになってくる。依頼があったらすぐに受け入れに応じられるキャパシテイーを持つ在宅ケアチームであることが求められる。そのために私達は地域の開業医や訪問看護ステーションとの連携を密にしていかなければならない。同時に一般の人たちには「ホスピスは人生の終るときまで生きることを援助するところである」という正しい理解をしてもらうように啓蒙していかなければならない。
 この研修で多くのことを学び、自己の振り返りをすることができた。そして私達研修生がホスピスケアの担い手であることとその責任について確認した。研修を支えてくださった多くの皆様に感謝し、今後は学びを生かしホスピスケアの向上につとめたい。
 
引用文献
1) 窪井俊之:ターミナルケア1996.May
参考文献
1) シシリー・ソンダース:ホスピスケアの原点と実践・ターミナルケア1997 No5
2) 終末の刻を支える:ターミナルケア 2000 6月増刊号
3) パトリシアJ.ラーソン/内布敦子:Symptom Management
4) 鈴木秀子:愛と癒しのコミュニオン








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