看護婦としての質の向上を日指して
東京厚生年金病院 加瀬 悦子
私の勤務する病院には、ホスピスや緩和ケア病棟といった特別なユニットはなく、終末期の患者は治療を受けてきた病棟で最期を迎えることが多い。
一般病院の中の外科病棟という特殊性から、治療を対象とする患者には目を向けやすく、またクリティカルパスやスタンダードケアプランなどの看護の標準化を進める中、終末期の患者は症状緩和が上手くいかず身体的苦痛や混乱の中死を迎えるケースや、家族の延命治療に対する期待ばかりが残る中死を迎えるケースがあり、患者のQOLを高めるために看護婦としてどのように行動したらよいか悩んでいた。
昨年「がん看護シリーズ がん患者の症状マネジメント」の研修に参加し、患者の主観を大切にすること。がん患者の痛みは身体的・精神的・社会的・心理的な要素を持っていることについて学んだが、十分に理論的な裏づけができないことからチームのスタッフに納得のいく説明ができず、緩和ケアに関する知識を深めたいと考え、以下を自己の課題とし研修に参加した。
● 緩和医療・緩和ケアに関する知識を習得する
● 進行がん患者や家族の心理的援助について学ぶ
● 緩和ケアを総合的に捉え、看護婦としての質の向上を図る
患者のQOLを高めるということ
「緩和ケア(1)の最終目標は「患者とその家族にとってできる限り良好なQOLを実現させることである」(1990.WHO)」といわれている。良好なQOLを実現させるには、家族とともに快適に日常生活を送ることであり、治療に反応しない状況になったら一日でも早く退院し、自宅に戻ることであると考えていた。しかし、がん告知こそ一般的に行われるようになってきたが、再発や予後告知に関しては、相変わらず医者と家族の間だけで話され、患者にはあいまいにされていることが多いことから患者は、病気がどのようなもので、いまどのような状況にあるのか、予後はどのようになるのかについて知らされていないことが多い。したがって、患者は治りたい一心から、治癒に過大な期待をかけたり、せっかくの退院や外泊のチャンスをもう少し良くなってからと逃してしまうことがあった。
「Twycross1)は「今は、本人に真実を告げて大丈夫かと考えるより、真実を告げなくても大丈夫かと考えてみることである。また、家族の感情論に根ざした告知拒否を排除することである。」」と述べているが、真実を告げるためには症状緩和の知識・技術・チームとして継続して支援していくことを保証していくことが重要であることがわかった。
治療に反応しなくなり、がんが全身性に広がった状況で、退院してみたらどうかと急に告げられても、患者も家族も戸惑ってしまうのは当然の反応である。しかし、今帰らなければチャンスがなくなる。家族なのだから介護するのは当然という思いで、自分たちの価値観を患者・家族に押し付け、患者をはさんで家族に対し、否定的な感情を持ち行動していたことに気づいた。私たちが行わなくてはならないことは、苦痛をもたらす身体症状を緩和することであり、そのための知識や技術を習得していくことや医師・看護婦だけでなく、精神科医やMSWなどの専門職を活用し、チームとしてケアを充実させていくことに努力することであるということがわかった。また、患者のQOLについて考える時に、その人のできる事や、考えていることがどれだけ幅広く行っていけるか、家族を含めて患者のQOLの向上とはどういうことかをきちんと話し合っていくことが重要であり、そのためにコミュニケーションの技術を磨いていかなくてはならないと学んだ。
家族看護という視点
患者が病気と闘う上で家族の果たす役割は大きい。特に終末期の患者においては家族の役割は大きく、私たち看護婦も家族の力に期待している。患者にとって支えとなっている家族に対し、看護を提供する必要があると考えられるケースは度々あるが、家族への看護を具体的にどのように展開していったらよいかという方法を今までもっていなかった。看護婦自身の価値観で家族を評価したり、レッテルを貼ったりすることが日常行われており、いろいろな家族の姿があり、私たちは家族の力を信じ家族が第一線に立てるように・家族が困難を乗り越えていけるようにサポートすることが重要ではないかと考えることができた。看護婦はとかく患者をはさんで家族と対立的な立場になりやすく、自分自身の価値観や判断で家族を非難しがちである。中立的な立場にたち、家族と良きパートナーシップをとっていくこと。終末期の領域に限らず、患者家族の意思決定を支えること。どのような決定をしても患者の病状の悪化が避けられない状況では、家族の迷いや後悔はつきまとうものである。家族が後悔しないように支えるのではなく、十分話し合った上での決定であったことを支えることが残された家族にとって最期の支えになるのではないかということを学んだ。
チームアプローチの重要性について
看護は個人で行うものではなく、チームで行うものであるということは看護婦になってから常に理解していたつもりであったが、チームの範囲に関する理解の幅が狭かったことに気づいた。日々の業務の中のチームナーシングのレベルに留まり、患者の問題解決もできるだけチームの中で解決しようとする傾向があったように思えた。病棟の中に他職種をどんどん取り入れていく努力を行っていかなくてはならないと感じた。病院のシステムの問題もありなかなか難しいと思われるが、他職種に期待することを明確にして、働きかけていく努力を続けていきたいと思った。
症状緩和に関する技術を磨くということ
終末期の患者が症状緩和が上手くいかず身体的苦痛や混乱の中死を迎えるケースや、家族の延命治療に対する期待ばかりが残る中死を迎えるケースに対し、看護婦としてどのように行動すればよいかわからず、症状緩和に関する技術があれば、日々の業務がもっとやりやすくなるのではないかと考え、その技術を学ぶことが今回の研修の目的のひとつであった。患者の立場にたち苦痛を緩和することを看護の目標としてきたが、私たちはいつも客観的データに基づきそれを判断するように訓練されてきているため、検査データに基づいて根拠が明確となっている症状に関しては、薬物療法がなされ、看護上の問題点として取り上げることができるが、客観的なデータの裏づけができない症状に関しては、目をむけてこなかった。また終末期なのだからコントロールできない症状が出てきても当たり前といった諦めがあったことを感じた。しかし、緩和ケアの実際を見て、患者の安全安楽を考え、ケアを提供するという点では自分たちが行ってきた看護と変わりはないことに気づいた。患者の体験している症状に関してもっと耳を傾ける努力を行い、看護婦の専門的な知識を持って、それを緩和していけるようなプランを立案していくこと。症状の出現形態(機序)を理解していくことを意識して行っていかなくてはならないと考えることができた。
緩和ケアの領域では、最期に輸液を絞ること・モルヒネの投与方法は持続皮下注射が一般的になってきていること・鎮痛補助薬の使用方法など治療の面では不十分な点は多い。しかし、看護婦として患者の体験している症状やそれを緩和するための方略に耳を傾け看護計画に取り入れ、患者の希望・QOL・セルフケア能力の視点で評価することで、症状緩和が上手くいくようになるのではないかと考えることができた。
「緩和ケアはがんと診断された時点から始まる。最期の場面だけを上手くやろうとしてもむずかしい」といわれている。それぞれの時期で、その人の生活を視野において、患者とともに一緒に考えようとする医療者の姿勢を持つことが、緩和ケアにとって重要なことであるということを今回の研修を通じて考えることができた。緩和ケアやホスピスでは一般病棟とは違う何か特別な看護がなされているのではないかと考えていたが、患者の安全安楽を考え看護を提供する点に関しては同じであった。重要なことは、医療者の経験や勘から「その人にとってこうするのが一番良い。こうするべきだ。」と決め付けるのでなく、患者の希望に沿えるかたちでいろいろなことを決定していくことが重要であることであった。
研修を終え、職場に戻ると、あれもこれもと気になる場面は多い。こうしなくてはいけない。こうするべきだ。と力まず、その人の生活を視野に入れ、患者と十分にコミュニケーションをとりながら一緒に考えていける姿勢を持ちつづけていきたいと考えている。いろいろな時期の患者が混在する中でこそ、緩和ケアの考え方が重要であることを、再認識していきたいと考えている。
日々、慌しい業務に追われ時間が過ぎているような焦りを感じていた。緩和ケアに関して興味があったので、今までにもいろいろな研修に参加してきたが、断片的であったため実際に生かしていくには自信が持てずにいた。今回長期にわたり、緩和ケアについて学び、自分自身の看護を振り返ることができ有意義な時間を過ごせたと思っている。また、長期にわたり研修に出席できたことは職場のスタッフの協力があってこそと感謝している。研修での学びをどのように職場に還元していったらよいかという点に関して、具体的にできずにいるが、チームで困難な事例があたった場面で、研修での学びを生かしていけるようにしていきたいと考えている。
参考・引用文献
(1) 武田 文和著 がん医療の進歩と展望 臨床看護 24(11)1646〜1653、1998
(2) 渡辺裕子・鈴木和子著 家族看護学 日本看護協会出版会
(3) 季羽倭文子著 ホスピスケアの実際 ホスピスケア研究会
(4) P.J.ラーソン・内布敦子他著 別冊「ナーシング・トゥディ」[12] 患者主体の症状マネジメントの概念と臨床応用 日本看護協会出版会