患者・家族のセルフケア能力を引き出すということ
東北大学医学部附属病院 大町 千鶴
はじめに
当院に新設された緩和ケアセンターに勤務して、10ヶ月が過ぎようとしている。緩和ケアの知識も技術もないままのスタートだった。研修で講義を聴いていると“無知であるということは謙虚さに欠け傲慢である”と思わざるを得ない。未熟さゆえに残された時間の少ない患者と家族に対して、充分なケアができなかったのではないかと疑問と後悔が尽きない。今回の研修は、知識と技術を習得しスタッフに持ちかえること、緩和ケアを実践している諸先輩からいろいろな情報を得て、ネットワークを築くことを目的に受講した。講義や事例検討、病院実習などから、これまでの患者・家族との関わりを振り返ることで、自分の施設の看護の傾向が見えてきたように思う。この6週間の研修で印象深かった内容をまとめてみたい。
講義での学び
1. Dame Cicely Saundersのことば
“その人の生き方に沿ったケア:患者の心に届くようなケア”
「ホスピスとは、ひとり一人の個別性と家族のつながりを尊重した全人的アプローチにより、それぞれの人の生き方を支えることです。患者の持つ痛みは、単純な肉体的のものだけではなく、精神的・社会的・スピリチュアルなものなどさまざまな要素が複雑に絡み合っているので、心と身体の痛みを取り除くことが最優先され、苦痛がない状態で最大限にQOLを高め、よりよく生きられるよう援助する。チーム医療に関わる専門職において、医師は研究を重ね処置を向上させ、看護婦はケアについての新しいテクニックを学ばなければなりません。ソーシャルワーカーは家族や地域との繋がりの手助けをします。チャプレンや理学療法士、ボランティアなど多くのスタッフが一丸となって一人の患者さんの声に耳を傾けることが大切となります。」
「ホスピスの根源は、ケアの質を高める医療ということにあります。そして、あくまでも医療を受ける患者とその家族が主役であり、私たち医療者はパートナーとして援助しているのです。」「あなたはあなたのままで大切なのです。あなたは人生の最期の瞬間まで大切な人です。ですから、私たちはあなたが心から安らかに死を迎えられるだけでなく、最期まで精いっばい生きられるよう最善を尽くします。」
これらの言葉の中に、緩和ケアに携わる看護婦の役割と責務が集約されていると思った。ケアのプロセスの中で患者の生きざまから多くのことを学ぶことがある。終末期の患者のケアに携わる看護者は、自分の内面にある人間性、人生観、死生観、価値観について認識することが重要であることを学んだ。
2.症状マネジメント
これまで何度となく「緩和ケアの看護の目標は、患者・家族のQOLを高めること」と聴いてきた。そして、残された力を引き出して支援していかなければならないと。症状マネジメントの概念モデルは、その支援のための具体的な方法を、患者と看護婦が共同作業で見つけていく手法のように思えた。症状とは主観的な体験であり、患者自らが一番知っていることである。症状緩和のために無意識に行動していることを、メカニズムを理解することにより看護婦が適切なアセスメントをしたり、患者に「あなたのしていることは利にかなっていて、とてもよい」と伝えることが出来るということがとても素晴らしいことのように思えた。これまでは、看護婦が問題だと思い込んでいることについて、情報が欲しいためにまたは看護計画立案のために質問していたような気がする。そうではなく、患者に症状を認知してもらい「どんなことが自分で出来る、ここまでは自分でしたい、こういうことは誰々にお願いしたい」という様に、自己決定できるまでのプロセスとしての、一方的でない傾聴の作業が大切だと思った。自分のこれまでの患者との関わりを振り返ると、「何かしてあげなければ」という思いが強く、手を差し伸べることが良いことだと勘違いしていたように思う。患者のセルフケア能力について考える良い機会になった。
3.家族看護
これまでは“肉親や同居している人が家族”と捉えていた。現代の少子高齢社会において、看護の立場からみた家族とは「自分たちが家族なのだというアイデンティテイーを共有している集団」であり、集団も個も大切に出来る家族が理想とされていることが理解できた。モビールのようにどこかが揺れると全体にその揺れが伝わってしまう家族に対して、効率の良い効果的な看護が求められていることも理解できた。
家族は常に成長し発達している。そして、発達段階の移行期には危機に陥りやすいが、特定の発達段階に固執せず変化に圧倒されることなく、成長に向かって安定と変化を統合し再組織化する課題を持っていることを学んだ。また、家族は互いに循環的・円環的に影響し合うこと、変化に対応しつつ安定状態を取り戻そうとすること、集団としてストレスに対処しようとすること、その対処の結果、危機を回避したり適応に至ることなども学んだ。そこで看護婦の役割は、家族という集団の、健康に関する機能の健全さに注目して、家族のセルフケア機能の向上に努めることだと理解した。これまでのアセスメントや問題のスクリーニングが希薄で、個別のない一様な対応をしている傾向が見えてきた。看護者の援助姿勢を明確に伝え看護を行いながら必要なものを掴み取り情報にすること、援助必要性の量と質を明らかにするということ、当事者と目標を共に決定する、つまり“目標を持っていないと、支援が支配に変わる”“一緒に地図を持って共に歩けるケアプランを立てる”ことの重要性が理解できた。
また、家族への援助を考えた時、患者・個々の家族成員に対する援助として、患者への適切な援助が行われていることが前提であることや、ストレスは累積することを念頭におき、家族成員の健康状態を把握し、ストレスマネジメントヘの支援を行っていかなければならないことを学んだ。看護の立場からのインフォームドコンセントを促進することで、健康問題のイメージ化をすすめ、病状理解と関連づけたケアの方法に関して理解することで、家族の判断能力が育成されていくことも理解できた。また、家族のありのままを受止め、安心感を保障し、希望を保持することで情緒が安定し、対処意欲を高めることができることが理解できた。「不甲斐ない」とか「変わって欲しい」と思う気持ちが、家族を否定し孤独にしてしまうことや、家族に対して思っているだけでは伝わらない、伝わらないと通じないという言葉は印象的だった。
家族の関係性に働きかける援助としては、相互理解やコミュニケーションを促すこと、偶然ではなく必然的にタイミングよい声かけや、価値判断の基準になる情報を提供することで、家族の役割分担や意志決定の促進に関わっていくことが大切だと思った。家族の社会性を高める援助としては、社会資源を活用できるよう方法を具体的にプレゼンテーションしていかなければならないことを学んだ。そして、評価を行うことで自分の行った看護を振り返ることが大切なのだと思った。家族にどこまで計画した援助を行うことができたか、どのような変化がみられたか、何故意図した変化が生じなかったか。修正が必要かどうか。これまで意識的に家族看護というものを行ってなかったことに気付き、反省した講義だった。
4.チームアプローチ
「緩和医療の最終目標は、患者とその家族にとって、できる限り良好なQOLを実現させることである」とWHOが定義しているが、そのためにチームアプローチが必要であることを確認できた。チームメンバーの専門性を理解し、不充分であれば言葉で確認しあい、努めてアサーティブな関係であることが大切であると思った。今自分のチームに必要なことは、感情的でなく冷静に事実を伝える訓練、効果的なカンファレンスの持ち方、リーダーシップとメンバーシップを各々が発揮できることではないかと思った。カンファレンスについては、何を決めるのか目的をはっきりさせて望むという姿勢を持つことが大切だと思った。
医療における意志決定の場面で紹介された“Jonsenらの臨床倫理における症例検討の枠組み”は、非常に興味深かった。感情的になりがちな話し合いの場面には、冷静に確認作業を進めるためのこういった紙面は有効だし、確実に準備を行い、アセスメントできることも良いと思う。
病院実習での学び
ピースハウスホスピスでの10日間の実習では非常に多くの学びがあった。そのなかでもボランティアの活動、コメディカルの働き、遺族ケアに関して述べる。
ボランティアは、教育プログラムを終了して登録された方たちによって構成されている。ピースハウスがやすらぎの家となるために院内の隅々にボランティアの細やかな心配りが感じられた。花の水換えやアートプログラム、午後3時のティーサービス、理容・美容ボランティア、シャトルバスの運行、ショップの運営、更に、職員のトイレ掃除や当直室のベットメイキングまで、ボランティアの仕事は幅広い。看護婦よりも平均年齢が高く、いろいろな喪失体験を持つボランティアの存在は、患者や家族だけでなくスタッフにとって貴重な癒しの存在のように思われた。
あらゆる職種の方たちが患者のQOLの向上のために努力されていることがわかった。薬剤師は薬剤の変更があったときや、レスキューを持って外泊した患者が帰院した際に、自分から患者のところに赴き結果をうかがっていた。MSWは年間600本以上の電話を受け入院相談に応じているという。調理室には、直接接することの少ない患者をイメージできるように、食事の種類だけでなく年齢や病名、嗜好などがびっしりと書きこまれたホワイトボードがあり、食べ残してしまった時に“こんなに食べられなくなってしまった”という挫折感のようなものを感じさせないためにと、小さい器に盛り付けるなど、栄養士や調理師による細かい心配りが感じられた。
小講義の中で遺族へのアンケート調査の結果を聴いて、亡くなってから定期的に手紙を差し上げたり、遺族会運営を考えることよりも、入院中のケアを充実させることや、早期にリスクアセスメントを行っていくことの重要性を学んだ。悲しみが癒されずにまだ病院の玄関をくぐれない遺族にとっては、遺族会の案内よりも返事を出す必要のない会報誌の方が良いこともあるという情報も得ることができた。
遺族ケアを看護婦が中心となってする必要があるのかという疑問があった。それに対して、地域の中でグリーフケアを専門に行う場所があったり、専門家にグリーフケア専門のボランティアの教育を依頼し、養成しているところもあるという話を聴いて、個々の病院ではなく地域全体で考えていかなければならない問題のように思えてきた。
事例検討での学び
他人に理解してもらえるように話すことの難しさがわかった。先入観のないところで客観的にみると、違った視点で患者がみえてくる、問題と思っていたことがそうではなかったりする。さまざまな状況で、咄嗟のことで判断に戸惑うことがあったときには、一人の決断ではなくチームで決定することの必要性を感じた。例えば最終的セデーションの時期や終末期の輸液などは迷うことが多く、亡くなった後でもそれで良かったかどうか悩むことも多い。こういった事例の検討を自分の施設だけでなく、近隣の施設に呼びかけて勉強会を行っている例を紹介されて大変刺激になった。
おわりに
今回の研修で学んだことは、患者・家族にはセルフケア能力がありそれを引き出すような関わりを心がけること、そのためには患者への適切な援助が行われていることが前提であること、死別の発達課題を乗り越えられるよう、家族への援助が必要であるということだ。「患者は弱い人、家族は困っている人」自分はそんなふうにどこか勘違いをしていた様に思う。自分の家族観・価値観から傲慢にも“こういう看取りであって欲しい”という理想を持っていたようにも思う。この研修中に、ある時受持ち患者から「人は誰でも死ぬ直前まで生きたいと思っているのよ」と言われたことを何度も思い出した。その人らしく、最期の瞬間まで精いっぱい生きられるよう最善を尽くすことが、緩和ケアに携わる看護婦の役割だということが、今回の多くの学びから実感できたように思う。
参考文献
1) 世界保健機構編、武田文和訳:がんの痛みからの開放とパリアテイブ・ケア、金原出版、1999
2) 季羽倭文子、石垣靖子、渡辺孝子監修:がん看護学、三輪書店、2000
3) 東原正明、近藤まゆみ編集:緩和ケア、医学書院、2000
4) パトリシアJ.ラーソン、内布敦子他:Symptom Management 患者主体の症状マネジメントの概念と臨床応用、日本看護協会出版会、1998