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→今回はバスで帰宅できたが、まだ自分の意志でバスを使って通院する段階までいかないようである。当分車で送り、バスで帰宅のパターンを繰り返すことにする。

 

この時期にきて、本人の治療意欲にもかげりが見え始めてきた。習慣化した他者依存が再び表面化し、「病気は100%完治する筈ではないのか」「何もおもしろいことがない。だれも楽しみを与えてくれない」といった不満を、セラピストや周囲の関係者に対し放言し、反抗的な態度を取り始める。学習に集中力を欠き、授業は休みがちになる。このまま無気力状態が続くと、生活の乱れも病状も習慣性になる恐れがあり、私たちとしても早急に新しい指導方向(見直し後の指導方向)を実行しなければならない時期に差しかかっていると判断した。

以前から私たちは、このR男に限らず人間の心の中に潜在する不安や恐怖、また欲求や願望に大きな差異はないと考えてきた。この世の中、正常と異常の区別などどこにあるのだろうか。正常者として日常生活を送っている私たちにも、R男と変わらない不安や恐怖は存在する。逆に、恥ずかしくなるような欲求や願望も持ちあわせている。普段私たちはそれらを上手にセルフ・コントロールし、人と交わり、会話を楽しみ、時には泉の如くわき上がってくる感情や意見を人前で堂々と表現する(いや、これができる人間は案外少ないかも知れないが)。こうして、私たちは社会の中ではみ出すことなく、社会の構成員としての自己をしっかり見つめながら生きているのである。半年前、初めてR男に会った時、私たちはR男の心の叫びを聞いた(聞いたような気がしただけかも知れないが)。私たちがここに100の叫びを持っているとしたならば、R男は何千、何万もの思いを心の中で叫び続けてきたに違いないと、その時私たちは確信した。「後は引き出すだけだ。R男の心の中でフツフツと煮えたぎっている思いを私の手で外へ、外へ引き出すだけだ。R男が社会に向けて、『俺はここにいるんだぞ!』『俺は今、ここに生きているんだぞ!!』と、大声で叫べるチャンスを作り出すんだ。それは、生きているものだれもが、本然的に保有する自己存在のアピールなのだ。そして、セラピーとは自己存在の感情放出の水路づけにほかならないのだ」と…。

この半年間、私たちはこの思いを胸にR男の指導にあたってきた。見直し後の指導方向はまさに私たちが半年間暖めてきた指導方向のひとつである。

そこで、魚市場(株式会社一休庵。これからは「イキイキ新鮮市」と呼ぶ)の代表者と協議し、私たちの意図するところを理解していただいた上で、具体的な実行日時、R男に対する対応の仕方などを決めた。この時、代表者である藤井氏の「ひと皮むければ、人間は皆同じだ。ひと皮むけるまでの辛抱だ」という答えに、私たちは安堵の思いで帰路についた。実際、今までの教育指導に加えて、友愛病院の末丸院長の投薬とイキイキ新鮮市での対人関係の訓練が上手に噛み合ったならば、十分にR男は数々の不安・恐怖を克服できるものと考えられる。

 

*見直し後の指導方向4]の実行

〔日時〕11月23日(土)から毎週土、日曜日

〔場所〕イキイキ新鮮市(魚介類の対面販売所)

11月18日(月)−先週から市場のこと、市場で働くことなどの情報を入れておいたので、今日は「市場で人間関係の観察を体験することは、R男の人格発達のためにも非常に有効なことだ」と、説得を行う。不承不承R男も承知する。

 

 

 

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