父親との人間関係を保てず、ストレスになる。
N医師より「今は両親で子どもを支えること。母親が子どもの良い面を父親に報告、子どもに自信を持たせることが大事である」との指導を受ける。
12月上旬−「学校をやめ、大検を受けたい」という。両親はすべてが中途半端になるような気がして不安が募る。
N医師より「完全に治るまで、2、3年はかかる。今は自分でできる勉強をしておき、元気になった時のために力を蓄えておくこと」と指示を受ける。
12月下旬−退学届の提出
この頃からN医師との面接もお休みがちになり、家に引きこもり、外出できず、ダラダラした生活を送る。おなかの調子がいつも悪く、神経質になり薬を常用する。
病状の悪化を懸念した本人や家族の焦りから、治療機関を転々としたようである。その間、徐々に本人が病気を理由に、両親に対して、
a) 「本を注文して欲しい」とか「あれを買って欲しい」などの依頼が多くなり、自分の欲求を周囲がすぐにかなえてくれることを求め、思いどおりに行かないと親に八つ当たりし、家庭内暴力的となる。
b) 対人関係を上手に保持することができず、自意識過剰になる。他人の目線や思惑、会話などすべて自分自身に関連していると関係妄想が表出する。
c) 「ぼくは兄さんよりお金がかかっていない」と、兄を引き合いに出して両親の愛情をお金ではかる、などの傾向が強くなる。この時点で、本人、両親共に心身耗弱状態を引き起こし、快方の糸口さえ見失った感がある。
指導受諾とその後の指導経過
〔I〕初見面接から下宿開始まで《4月〜5月上旬》
1996年4月12日(金)−13:00 本人、両親とリブ教育研究所に来談。
1. 心理テストの実施=MMPI、クレペリン、親子関係診断テスト。
2. 次週は家庭訪問するので、それまでの1週間、行動を記録するよう指示(オペラント水準測定のため)。
本人、両親共に治療意欲が強いので、約3カ月程度で「思春期過敏性大腸炎」を治しましょうと宣言する。
N医師の治すとは過敏性大腸炎を治すことであり、われわれの指導は、紙オムツをしてでも社会適応ができるという意味である。このことは関係者にはっきり説明しており、大変喜んでいた。
《母親の日記から》−原文を一部抜粋させていただいた−
4月13日−今日は朝から機嫌が悪い。自分の思いどおりにならないと親に当たる。
不登校になってから親が気を使いすぎたのか、わがままにさせてしまったのかも知れない。外出なし。
4月14日−今日も朝から機嫌が悪い。注意すると「わかっとらー」と声を荒だてる。