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行きたいのに行けない!

桜井先生はそれから行動療法の技法を用いて、Step by Stepで次男を登校へと導いてくださいました。もともと私も主人も、学校には行って欲しいと願っていました。学校へ行くことがベストではなくても、少なくともベッドの上でじっとしている生活よりは、ベターだと思っていました。それは主人も私も、長男も、長女も本当に充実した学校生活を経験していたからです。しかし、いやがる息子を見ていると、決心がゆらぐ日もありました。ある日、「そんなにいやなら、学校に行かなくてもいいよ」というと、大きな体の息子が、涙をいっぱいためて「学校へ行きたくないなんて、一度も言ったことないじゃあないか」という大きな声(むしろ叫びに近い)を返してきました。今まで、「行きたくない」と言っていたのは、「行きたいのに行けないんだ」ということだったのかと、あらためて私は確信しました。そして、親子で先生にがんばってついて行こうと決心しました。

それから次男は、桜井先生と中学の先生方、そして親友のY君をはじめたくさんの友達のおかげで、やっと心の中に兄の存在の落ち着き場所を見つけたのか(それは私たち家族も同じですが)、一日一日と元気を取り戻して登校するようになりました。

あの日から3年目のこの秋、長男の命日の近づいてきたある日、次男は「ただいま、お母さん、僕、学級代表になったよ」と、空のお弁当箱を下げて元気に学校から帰ってきました。ちょっと困ったような、でもうれしそうなその顔を見て、長男が病気になってからの5年間が、くるくると頭の中を回りました。

「K君、学校へ行ってて良かったと思う?」私の質問に笑顔で、「まあね」と答えた次男は、気楽に友達の所へ遊びに行ってしまいました。

高校受験が迫っています。欠席日数がとても多いのは不利なのだろうか。不安はまだまだ尽きませんが、今ではこの笑顔があるかぎり、親子でがんばって行ける気がしています。桜井先生には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

このたび、桜井先生から文章の依頼があった時、わが子のことを文章に書き残すということに、最初とても抵抗がありました。しかし、余命3カ月といわれた長男に1年7カ月の時を与えてくれたドナーの娘(骨髄移植のドナーは決して楽なものではありません)と、愚痴ひとつこぼさずに病魔と闘った長男、そして長い間小さいながらも留守を守ってくれた次男に、いつか感謝の気持ちを文章で表したかったこと、そして私のように不登校児を持って途方にくれているお母さん方が、これを読んで少しでも参考になればと思い書かせていただくことにしました。

 

 

 

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