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待っている間に2次的、3次的要因が生まれる

それから、夫婦で親子で、何カ所かの相談所、病院等を訪ね歩きました。そのたびに親身に聞いては下さるものの、「お母さん、そっと待ちましょう」「お兄ちゃんの死のショックからです。時が薬です。待ちましょう」と言われました。当たり前の生活を送りながら、時がたって癒されていくのを『時が薬』というのではないでしょうか。朝が来ても、カーテンも開けずにベッドにじっとしていることをいつまで続ければ、心が癒されていくのでしょうか。わたしにはわからないまま、「中学生なったら行く」という次男の言葉を信じながら、小学校再登校は半ばあきらめていました。今思えば、親子にとって妙にやすらかな期間でした。友達が朝迎えに来てくれることもなく(親にとって、すごくうれしくもあり、気を使う時間でもあるのです。もちろん本人にとっては親以上でしょう)、静かな一日を親子で送っていました。しかし、そのやすらかな期間は、本人にとって不登校への2次的要因(勉強がおくれる)、3次的要因(友達とのかかわりが希薄になる等)をつくっていった半年間だったのです。

中学生になった次男は、約束どおり1カ月ほど登校しました。しかし半年間のブランクは、次男にとってはあまりにもきついものだったのかもしれません。まるでカプセルに入ったままのように、学校と家を往復していましたが、とうとう熱を出し、楽しみにしていた運動会をも休み、またその日から完全な不登校になってしまいました。そのときは、家から一歩も出ることができない状態でした。俗にいう引きこもりです。それでも、そっと待っていればよいのだろうか。そっと待っている間に、何も解決しない原因探しをし、ただただ落ち込んでいくばかりでした。母が落ち込んで、子どもの気分が晴れるはずがありません。昼と夜は完全に逆転し、学校へ行かない人生もあるような気がしてきました。

 

桜井先生との出会い

その一方で、どうしてかわいがって育てたわが子なのに、ほめたり、怒ったり、時には励ましたりが自由にできないのだろうか。どうして、そっとしておかなければいけないのか。不安と疑問を抱きながらの毎日を送っていた時に、ご縁があって、桜井先生とお会いする機会がありました。先生は私の話を4時間ほど聞いて下さり、「お母さん、自分の子どもさんです。自分が思ったように、ほめたり怒ったりして子育てしてください。お兄ちゃんが病気になる前の子育てを思い出してください。お母さんらしく、当たり前の子育てをしてください」と言われました。

今まで、何カ所もの相談所に行くたびに、「そっと見守りましょう」「待ちましょう」と、言われ続けてきました。私も主人もつい何年か前までは、世間の家庭と同じように子育てをしていましたので、長男も長女も難しい年頃を無事過ぎて、「お母さんがお母さんで良かった」などということを、親子で話し合える年になっていました。だからどうしても、兄の死という悲しい現実のために不登校になった上に、過去の子育て、ましてや生まれた時の体重から調べられ、指吸いの状況までの報告と、母親の子育てのまちがいばかりを指摘されるような従来の指導に、いつも疑問を感じていました。それゆえに、わらにもすがる気持ちで桜井先生にカウンセリングをお願いしました。

 

 

 

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