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〔III〕Kの完全登校とその後(第3ステージ)

1998年4月以降 Kは中学2年生になり、美術、音楽を含むすべての授業に出席、宿題も提出できるようになった。

5月 体育大会でリレーの選手になり、完走する。

6月 地区総体に参加、テニスの腕前を両親に披露する。

10月 元気に修学旅行に参加。

 

4月以降、母親とは定期的に電話連絡を取りながら、Kの成長の様子をうかがっている。Kが受け手になることが多かった友達関係も、徐々に変化を見せ、時にはKが他の友達にアドバイスを与えるなど、以前の積極的な行動力を取り戻しつつあるようだ。今Tは、引きこもり、昼夜逆転した生活を送り、散髪に行かず、車の中でシートベルトをすることを極度にいやがった頃のKを思い出している。居間のソファーにうずくまり、「わかってる。学校へは行きたい。でも行けないんだ」と言って泣いたKの姿をTは忘れない。大きな体を振るわせ、Kは男泣きに泣いた。母親は、Tは、何度「もういい。もう学校へ行かなくていい」と、言ってやりたかったか。でも母親もTも、Kが元気で飛び回っていた姿を知っている。学校で手を挙げ発表している姿を知っている。カーテンを閉めた部屋の中で、下校する友達の声に耳をそばだてているKの気持ちを知っている。だからこそ、母親もTも願わずにはいられなかった。Kが「ただいま」と言って、空の弁当箱を振りながら、元気に学校から帰ってくる日が再びやって来ることを…。

この1年間、そんな思いが母親とTを支えてきた。そして今日まで、あきらめることなく、一歩また一歩、時には半歩、時には立ち止まり、それでも前進し続けたKと母親の1年の成果は、今ここに、元気に学校に通うKのはつらつとした姿となって十分すぎるほど表れている。

Kが自分の力で歩き始めた今、Tは彼の無限の可能性に期待したい。

 

★今回の指導は、初めから母親の行動力を大きく考慮に入れた計画となった。私が考える行動カウンセリングの現場では、指導の中心場所はあくまでも家庭である。私たちは家庭に出向き、ふだん子どもたちが生活する環境の中で、不適応行動を変容していく。言い換えれば、家庭全体がカウンセリングマインドを持った空間になることが理想なのである。そして、その成功の鍵を私は、母親がだれよりも早く行動変容を起こすことであると考える。本件のKの事例においても、母親が指導初期の段階から行動論的手法を体得すべく、自分の一挙手一投足に至るまで、指導者の指示のもと自己変容に務めてきたことが、比較的早期の段階でKの再登校を可能にした大きな要因であるといえるだろう。実際にKは、指導開始から2カ月あまりで部分登校を始めている。夏休みを除けば、Kのようなケースでは、1カ月あまりで学校復帰は十分可能であると考えられる。

今後、私はこういった指導を一般化すべく、親と子の行動変容プログラムを作成し、同時に保護者がカウンセリングマインドを育てるためのモデル作りを進めていきたいと考えている。

 

 

 

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