第1ステージ(期間1997年6月18日〜7月18日)
・TはKと積極的な接触を図る。
・Tは母親に行動論的手法を教授するために、学習会を持つ。
・母親は従来の状態で、Kの生活を記録する。
第2ステージ(1997年7月21日〜1998年3月)
・Tと母親が協力して、Kに再登校の働きかけをする(場合によっては、母親がカウンセラー的な役割を果たす)。
・後半はTの役割を徐々に母親が引き継ぐ(Tは直接接触の回数を減らす。週に1回、月に2回…、電話だけの指導)。
・Tは24時間いつでも母親の電話を受けることが可能であり、喜んで母親の相談にのることを保証する。
第3ステージ(1998年4月〜)
・TはKに特別のことがない限り接触をしない(良いことがあった時だけ電話を入れ、賞賛の言葉を残す)。
・Tは母親の良き理解者として存在し、母親にのみアドバイスを行う。
以上のことを基本とし、行動カウンセリングを進めていく。
Tは本件を進めるにあたり、長男の死とKの不登校という問題を抱え、必死によりよい解決策を見つけようと奔走されてきた両親の苦悩をまざまざと見せつけられた。とりわけ母親の、「どこに行っても待て、待てと言われる。でも、私はそっとしてじっと見守るのが嫌いなんです。だって、なんだか子育てしていないようで不自然ですよね。Kはとっても元気で、いつも友達とワイワイしているような子どもだったのです。普通に学校に行って、中学時代にしか味わえない経験を友達といっしょにして欲しいのです。良いこと悪いこと含めて思い出を残してやりたいのです」という訴えに、心が大きく揺さぶられる思いがした。
『この母親とならいっしょに取り組んでいける』と、この時Tは確信した。
1997年 6月26日 18:00 Tが家庭訪問する
KはTに会うことを拒み、ドア越しに会話をする(30分程度)。
1997年 6月27日 17:00、7月1日 15:00 6月26日と同様。
1997年 7月3日 15:00 Tが家庭訪問する
以下、TとKの会話の抜粋から、
T:「このままドアに向かって話をするのなら、せめてKの写真が欲しい。そうすれば、Kの顔を見ながら話しているような気がする」
K:「写真を渡すのはいやだ」
T:「私は絶対にKの顔が見たい。どうすればいいだろうか。いっしょに考えてくれないか」
−沈黙−
K:「じゃあ、写真の代わりにちょっとだけ顔を見せてあげる。そしたら今日は終わるよ」